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公園の外の救急隊員の動きを眺めながら、和真はこの失敗を思い出した。そうしてのどかにそのことを冗談っぽく話した。
「……だって思わないじゃないですか、まさか十個上の人妻だなんて。どう見ても二十三、四でしたよ。指輪見た時は本当『やっちまった』って心の中で叫びました」
「ふふふ、そうだったんだ」
のどかは少し笑った。その笑顔を見て、和真もわずかに元気をもらえた気がした。それから再び光龍館での日々の追憶にふけった。
光龍館入会後、二人はあっという間に昇級・昇段を重ね、級位・段位の面でも実力の面でも他の道場生たちをどんどん追い抜いていった。和真には栃木の道場で培った空手の経験が、のどかには誰にも負けない練習熱心さがあったからだった。和真は大学の講義と居酒屋でのアルバイトの間を縫って週三回は稽古に出ていた。のどかは在宅でフリーのウェブデザイナーの仕事を少々しているだけで、ほとんど専業主婦と変わらない生活をしていたから、和真に負けない頻度で稽古に通った。二人とも毎回稽古場が閉まるまで個人練習に励んだ。この他に和真は、ランニングと自重負荷トレーニングを日々欠かさなかった。
光龍館では毎年秋に道場内の組手大会が行われる。和真は入会した年にこの大会の成人の部に出場し、簡単に優勝した。その後大学三年時までこの大会に出続け、三連覇を果たした。高校時代から本格的に空手に打ち込んできた和真と、週に一回程度軽い趣味として道場に通ってくる他の成人道場生とでは、そもそもレベルが違った。
和真は大学三年の冬に開かれた、光龍館が所属する空手流派の全国大会で「男性有段者組手の部第三位」の成績を残すと、就職活動に専念するため光龍館を辞めた。
のどかは入会当初から組手より型(演舞)に重点を置いて稽古に励んでいた。やはり光龍館内で年二回行われる型の大会では、和真が退会するまでに優勝四回、準優勝一回という成績を挙げた。
この型の大会では男女混合で試合が行われていたから、和真も一度のどかと対戦したことがある。お互い入会して二年目に開かれた大会の、決勝戦だった。
試合は一対一の戦いで、複数人の審判の前で二人の選手が同じ型を同時に演技する。
決勝の試合が始まり、和真が無心に型を行い、判定を待つと、同点だった。延長戦――再び同じ型を二人で演じる――が行われた。ここで和真は「これ以上はできない」と自分で思えたほどの会心の型を披露した。型が終わり、動きを静止した瞬間、
(勝った)
と思った。しかし判定を待つと負けであった。
試合では相手選手と同時に型を行うから、のどかがどんな型を行ったのか和真には見ることができないわけだが、
(どうやらよほどすごい演舞をされたらしい)
と和真は悔しさより一種の爽快感を覚えた。仮にも高校時代から空手に打ち込んできた自分が、経験年数一年ちょっとの女性に負けるとは思わなかった。
それ以降和真は組手試合に集中するため型試合には出場しなくなったから、のどかと再戦することはなかった。しかしのどかに対する(異性としてだけではなく)選手としての尊敬の念が生じて、彼女を意識しながら練習に励むようになった。稽古に行く時、和真は(今日は香山さんいるだろうか)と思って自転車に跨り、道場でのどかを見つけるとそれだけでうれしくなるのだった。
前述の通りのどかは光龍館内での型試合で群を抜く戦績を残していたが、和真が光龍館を辞めた後の大会成績は分からない。