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近くで見ると、小顔で顔立ちの整ったかわいらしい女の子だった。一重まぶたの切れ長の目が、興味津々といった様子でテーブルの上を眺めている。襟元にリボンの飾りのついたピンク色のパーカーを着て、小さな子供用のブルージーンズを穿いていた。
「けーきだ!」
女の子は視線をのどかの目の前に置かれているチーズケーキにとどめると、そう小さく叫んだ。
(親御さんは?)
和真は女の子の登場に面食らいながら、そう疑問に思い、後ろを振り向いてみた。すると女の子の母親はベビーカーの幌の下に頭を突っ込むようにして、赤ちゃんに対して何か作業をしていた。こちらにはその背中が見える。耳をすますと「アーア、アーア」と赤ちゃんの泣き声がしていた。どうやらオムツでも替えていて、上の娘にまで手が回らない状態らしい。
「なんのけーき?」
女の子はテーブルの横からのどかの座っているベンチの脇へ移動すると、無邪気に質問した。
「うん? チーズケーキだよ。ベイクド・チーズ・ケーキっていうケーキ」
のどかもやや面食らいながら、このやけにフレンドリーな女の子の質問に答えた。
「ふうん? べーくど……おばちゃんたべないの?」
女の子がのどかを見上げるようにして言った。のどかの分のチーズケーキは相変わらず手がつけられていなかった。
「うん。……よかったら食べる?」
のどかが言った。すると女の子は食い気味に、
「いいの!?」
と言って、のどかから「いいよ」という返答が与えられると、うれしそうにベンチにお尻をぴょんと載せて、のどかの左隣に収まってしまった。
「じゃあ、こっちの新しい方をあげるね。新しい方がいいでしょう?」
のどかはそう言いながら新たにティッシュを出して女の子の前に敷き、ケーキの箱の中からチーズケーキの最後のピースを出して、ティッシュの上に置いた。
「あたらしいほうが……みいちゃんはいいとおもいます」
女の子は真剣ぶってそうひとりごちた。
それからのどかは隣に座った女の子の両手をウェットティッシュで念入りに拭きはじめた。和真はそれを見ながら気が気ではなかった。
(知らない子に、親に断りもせず手作りのケーキなんて食べさせて問題ないだろうか。もし食物アレルギーでも持っていたら……)
そんな心配がぐるぐる心内を駆け巡ったが、もう女の子は食べる気満々のようだし、今さら止めるのもかわいそうな気がした。結果、和真は二人の様子を黙視することになった。
手を拭き終わると、女の子はケーキを両手で持って、三角のケーキの頂点から、ぱくり、とほおばった。
「……」
もっちゃ、もっちゃ、と雪見だいふくのように真白な頬を動かして咀嚼した。
「……どう?」
のどかが聞いた。女の子はこくん、とケーキの一口目を飲み込んでしまうと、隣ののどかを見上げて、
「おいしい」
ニッと唇を横に広げて目をぎゅっとつむり、笑顔になってみせた。
「そう、よかった」
「ぜんぶたべちゃっていいの?」
「もちろん」
それから女の子は黙って二口、三口とケーキを食べ進めていった。のどかはその様子をじっ、と見つめていた。あっという間に女の子のケーキは無くなった。
「ごちそうさまでした! あのね、みいちゃんね」
食べ終わるとすぐ、女の子はのどかに対しておしゃべりをはじめた。
「なあちゃんがうまれておねえちゃんになったの。なあちゃんいまおむつなの」
言われて見ると、女の子の母親は赤ちゃんのオムツ替えにまだ没頭していた。
「そうなんだ。赤ちゃん産まれてうれしい?」
「うーん」
女の子は腕を組んで考えこんでみせた。
「むずかしいもんだいだな」
「そうなの?」
「うん、だっておかあさんもおとうさんもさいきんなあちゃんとばっかり、いっしょにいて、みいちゃんとはあんまりあそんでくれないから」
そう言うと、腕を組んだまま、いかにも「だから悲しいんだよね」とでも言いたげな表情を作って首をかしげてみせた。
「そう。それが嫌なの?」
「でもみいちゃんはおねえちゃんだからむずかしいもんだいだ……。おばちゃんにはあかちゃんいないの?」
二人の様子を眺めていた和真は、このあどけない質問にヒヤリとした。
「うん、いないよ」
のどかは笑顔を崩さなかった。
「いればいいのにね」
「……なんで?」
「だってこんなにおいしいけーきつくってくれるんだから。みいちゃんのおかあさんのけーきよりおいしいよこれ、しょうじきなところ」
女の子は目をくりくりさせて言った。
「ふふ、そう?」
ようやく心の底からうれしそうにのどかは笑顔を浮かべた。そんなのどかに、十一月の午後の陽射しが降りそそいで、顔が明るく照らされるのを和真は見ていた。その陽射しはのどかのために降りそそがれ、彼女だけを暖めているような、そんな錯覚を和真は抱いた。
「心唯! なにやってるの! もう帰るから戻ってきて!」
そこで母親の呼ぶ声がした。女の子はパッとベンチから飛び降りて、のどかと和真にろくに挨拶もせず、たたたたっと母親の元に向かって走り出した。
二人が眺めていると、女の子はオムツ替えを終えた母親の腰に勢いよく抱きついた。
「何やってたの?」
「おばちゃんとおはなししてたの」
「そう、じゃあちゃんとバイバイしなさい」
そんな親子の会話が小さく聞こえた。やがて母親がこちらに向かってペコリ、と深く頭を下げた。更に母親に促されて女の子もこちらに手を振った。のどかと和真は会釈を返した。
そのまますぐ親子はくるりと背を向けて歩き出し、裏の出口から公園を出ていった。女の子と母親は夕飯の献立について話しながら(女の子はハンバーグとエビフライをどちらも食べたいと言い張り、母親に却下されていた)去っていった。
二人はベンチに残された。その上で秋の空はどこまでも青く、飛行機雲が一筋流れていた。
「私、そろそろ帰ろうかな。洗濯物取り込まないと」
のどかがぽつりと言った。
「僕も夕方から仕事なんですよ。帰りましょうか」
「そうなの? 大変だね、面接の後に」
「いえいえ、まあ……」
「あ、でも帰る前に」
「はい?」
「これ食べちゃっていい?」
のどかは最後に残ったベイクド・チーズ・ケーキを指し示した。
「別にいいですけど?」
「あの子が食べてるところ見てたら、なんだか食欲わいてきちゃった」
「そうですか。いいんじゃないですか」
「うん」
「面白い子でしたね」
「そうだね」
そんな会話をしながら、のどかはウェットティッシュで手を拭いた。
拭き終わると、ケーキを手に持って、がぶりと先端にかじりついた。
(二〇二二年十一月 了)




