第5話
ページを進めて行くと記憶にはない知らない人の名前が度々
記入されてた。
名前は
『司』
と書かれていた。
その言葉を呟いた時に、訳もわからないが
突然涙が溢れ出した。
慌てて拭っても留めどなく溢れ出る涙に私はただ1人混乱していた。
その人物が私にとってどういう人物なのかはわからないけれど少なくとも
この人の名を口にするだけでこの尋常な涙を流すということはきっと
私にとって大切な人に違いない。
そう思って、その人物が記している日付を辿っていくと
6月30日をもって謎の人物の名前は一切出てこなくなった。
変わりに、毎週木曜日にアルバイトのシフトは一切入れなくなっていた。
これは何かの法則なのだろうか?
そして、記憶を失う数日前に
一行日記にこう記されていた。
「あの人との約束が破られそう。なんとかしてでもこの事は秘密にしないといけない。たとえ、誤解されても構わない」
約束とは一体なんのことを指しているのだろうか?
そして、誤解とは一体…?
そんなことを考察していると僅かに内腿に振動を感じた。
ポケットに入っている携帯電話が振動していた。
そこに表記されている名前も勿論の如くわかるはずもなく
そこに書かれている名前を復唱した。
「翼?」
「もしもし…」
私は携帯を耳に当てて恐る恐る相手の出方を伺った。
「今どこ?」
開口一番に相手の不機嫌な声が聞こえてきた。
その声に思わず頭の上から一本の糸で吊られて入るように背中がまっすぐに伸びていく。
「い、今は家にいます」
吃ってしまった。
電話の相手は、不審そうな声で
「は?あんた何言ってんの?」
と逆に質問を被せてきた。
「その、突拍子もないことを自分でも話しているつもりですがつい先程記憶喪失になりまして…2年ほどの記憶がすっぽりと抜け落ちてしまったんです」
なるべく冷静に事実を客観的に相手に伝えたはずなのだが
相手はますます不機嫌な態度に変化して行く様子が携帯越しから伝わってくる。
「いや、だからあんたさっきから何の冗談?
全然笑えない話なんだけれど?」
と相手は全く私に起こった出来事を信じてくれはせずに
その後も自分の要件を一方的に話し始めた。
「なんで時間通りに来ないのかは知らないけれど、普通遅れるのならさ
連絡くれてもいいんじゃない?《《俺とあんたの仲》》なんだしさ」
「私と親しい関係だったのですか?」
その言葉に思わず相手の話を遮って質問をしてみた。
「いや、だからこないだも…えっまじで言ってんの?」
ようやく話が噛み合わないことに疑問を感じ取ってくれたのか
否かは判らないが嘘を言っている訳ではないと若干ながらこちらの話に耳を聞いてくれそうな雰囲気になり始めた。
「そうです…。だから電話越しの貴方がどなたなのかも分かりません。
もし今日貴方と会う予定を立てていて私が遅れていたのであればごめんなさい
。こういう事情があって…」
私は、目の前に相手がいると想像してその場で頭を下げた。
「…」
相手の声はそれから暫く聞こえて来ず、車道の近くにいるのか
車の音が電話越しから聞こえてきた。
「あの…、聞こえてらっしゃいますか?」
「…」
それでも相手の返答はなかった。
その理由が全くわからず携帯を持つ手に思わず力が入り込む。
「…司のことも分からないのか?」
突然電話の相手は先ほどまで手帳に書かれていた人物について尋ねてきた。その言葉を聞くと心臓がどくどくと脈を打った。