真犯人ごんぎつね
原作『ごんぎつね』は読まれましたか?
国語の時間に読んだという人もいますが、ぜひ、これを読む前に読み直していただいた方が、より面白く読めると思います。
近頃、俺のアユがめっきり売れなくなっている。
理由は明白だ。
俺が漁から帰り、アユを売る時間より前に、あの忌々しいイワシ屋めが安いイワシを売りさばいているのだ。普通、食卓に二種類の魚が同時に並ぶことはない。だから、イワシを買った家にはアユを売ることができないのである。
ならば、俺がイワシ屋よりはやくに売りに出ればいいと言われるかも知れないが、そうもいかないのが魚ってやつだ。うなぎも川に上るようになってきたこの頃、つまり、秋にアユをつかまえることができるのは朝早くなのだ。そして、魚が一番うまくなるのは、死後硬直にかかったころ合い。それまではアユ売りの矜持が、アユを売りに出させてくれない。それをイワシ屋のやつ、そんな誇りも持ってないのか、漁から帰ってすぐに、ぴちぴちと跳ねるイワシを売っていると聞いた。なんて野郎だ。
このままでは、俺のアユは売れず、嫁と二人の息子は野垂れ死んでしまう。どうしたらいいんだ。
俺はアユ漁の帰り、いつものように山道を川沿いに下りながら、そんなことを考えていた。
そんな折、村の兵十が川に腰までつかって何やらごそごそしているのが見えた。あいつ、確か百姓の家だったはずだが、あんなところで網もってなにしてんだ? 素人の割にはうまく網を扱っているが……。
そういえば、あいつのお袋さん、今不治の病で寝込んでるんじゃなかったかな。お袋さん、何かの奇跡で元気になってくれたらいいのになあ。今度、アユを分けに行ってやるか。
と、兵十を遠目に、通り過ぎようとしたその時、俺は気づいてしまった。いたずら狐、ごんが兵十のびくに近づき、いたずらをしているに。そのいたずらとは、ごんがびくの中の魚をすべて逃がしていることだった。ごんを叱りに行くには距離が遠い。もたもたしている間に兵十自身がごんに気付き、怒鳴っていた。ごんは逃げだした。
この時、俺は一つの計画を思いついたのである。
俺は家に帰ると、つかまえたアユを売る仕事を息子に任せ、もう一度山に入った。落ちている栗やキノコを丁寧に拾いながら、いがの付いた栗はそれを取りながら。めあてのあいつを探す。すると、さっき兵十を見かけたところより少し上の辺りでそいつを見つけた。
「おい、ごん」
突然、自分に向けられた声にごんは驚き、身を隠そうとした。が。ごんが身を隠しきるより早く、俺は持っていた栗やキノコをごんに見せた。
「これ、やるよ」
俺はそれぞれを少し離して足元に置き、後ずさった。
当然、ごんは人から何かをもらうということがなかったため、警戒の色をあらわにしている。だがしばらく俺が動かずにじっとしていると、ごんは恐る恐るそれらに近づいた。
そして、栗に真っ先に手を付けた。
「これから毎日これを持ってきてやるから、同じ時間にここにいろよ」
俺がそう言うと、ごんは笑ったように、あるいは頷いたように見えた。
俺はそれからしばらく毎日、獲ったアユを息子に任せ、ごんに栗やキノコを与えに行っていた。次第にごんは俺が与える物の中で特に栗が好きだということが分かってきた。そして、いくらいたずら好きな狐であっても、毎日好物をくれる人間には懐くものだ。初めは近づくことも難しかったが、徐々に距離が近くなり、頭をなでることができるようになり、今では腕の中に入ってくれるようになっていた。
そんなある日、とうとう兵十のお袋さんが亡くなったという知らせがやってきた。いよいよ計画の二段階目である。
葬式の次の日、俺はイワシ屋のイワシを数匹、やつが見ていない隙にちょろまかしてやった。
そして、そのイワシを、麦をといでいる最中の兵十の家の中に放り込んだ。
「よお、イワシ屋。今日はどれくらい獲れたんで?」
「ああ、アユ売りの旦那じゃあありませんか。今日は、ええ、確か四十五匹だったかな」
「そりゃ大量だ。そんなに毎日獲っててよくイワシはいなくならないもんだねえ」
「数が多いだけがイワシの良いところですからね」
「それで、売り上げはどうだ?」
「ま、ま、それはぼちぼちですよ」
「はあ、イワシは景気が良いねえ。俺のアユはさっぱりさ」
「うまいのは旦那のアユに決まってるんですけど、何で売れないんですかねえ」
「ははは、何でだろうなあ。おい、そう言えば、かごの中のイワシ、数は合ってるか? 最近俺のアユが盗まれることがあったんだ。たまには数えとけよ」
「へえ、それは災難でしたね。では忠告ありがたく数えてみます」
ひぃー、ふぅー、みぃー、と数え始めたイワシ屋を後に俺はまた山に向かい、ごんに栗をやりに行くのだった。
その日、兵十がイワシ屋に殴られたというのは風のうわさに聞いた。
さて、イワシ屋の件の後、俺はごんだけでなく、兵十にもいが栗をやり始めた。たまに松茸も。
そうはいっても、兵十には俺だということは分からないよう、兵十が何か仕事をしている最中をねらい、物置の入り口に置いた。
これが計画の三段階目。
最後だ。これが済めば、計画は完遂である。
俺は、兵十が物置で作業をしている日をねらい、いが栗を家の中に置いた。一つだけいがを取り除いた栗を混ぜて。
そして俺はごんを兵十の家の前まで連れてきた。今となっては飼い猫ほどは言うことを聞くごんだ。俺が家の中を指さすと、家の中の栗を見つけそれに向かっていった。俺はわざと音を立て、兵十が編んでいた縄から目を離しこちらを見るようにした。
兵十は無事、ごんに気付いたらしい、物置に置いてある火縄銃を手にゆっくりと家の戸に近づいてきた。
俺はとうにそこから離れ、隠れて一部始終を眺めていた。
ごんは一つしかないむき栗を食べるとすぐに家から出てきた。
それを兵十は火縄銃で撃ったのである。
兵十は、ごんが栗やキノコを持ってきていたのだと勘違いするだろう。いや、分からないかもしれない。だが俺が今から兵十に声をかける。
兵十から事情を聞く。
「おい兵十、それはきっと、ごんが栗を……」
これで計画は完了した。
この話を俺が言って回れば、ごんと兵十の悲しい物語は、娯楽の無いこの村ではすぐに広まるだろう。
そんなかわいそうな兵十を盗人と決めつけ殴ったイワシ屋のイワシなんて誰が買うというんだ。
これは、わたしが小さいときに、村の茂平というおじいさんからきいたお話です。