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第三話 異世界二人

 これは困ってしまった。

 あの奇妙な地下遺跡のせいで、俺とエリーゼは平成の日本に飛ばされてしまったのだから……いや、平成って決めつけるのは危険か?

 でも、この街並みはきっとそうであろう。

 もしかして、平成日本によく似た別の世界という可能性もあるのか?

 どちらにしても、まずはそれを確認しなければ……。


「あなた、町の様子を見に行きませんか?」 


「ちょっと待ってね……」


 エリーゼの提案は至極まともなものだと思う。

 でも、この世界を知っている俺からすると、今の格好のままで町に出れば下手をすると通報されてしまうかもしれないことに気がついた。

 俺はいかにも魔法使いの格好で、帯剣もしている。

 剣は本物なので、お巡りさんに調べられたら銃刀法違反で牢屋だな。

 身分証も不携帯で、パスポートやビザも持っていない怪しい外国人にしか見えない。

 治安のいい日本ではお上の取り調べも厳しいだろうし、エリーゼが魔法の話なんてしたら大騒ぎになってしまう。

 持っている物も、調査名目で没収されてしまうであろう。

 俺たちは、とにかく目立ってはいけないのだ。


「どうも、ここは今までに来たことがない国のようだ。調査も慎重にしないと、危険があるかもしれない」 


「確かに、この街並みはアーカート神聖帝国でも見たことがありませんね」


「そうだろう? 調査目的で町に入るにしても、目立たないよう、服装などを向こうの住民に合わせないと目立ってしまう」


「私の浅慮でした。さすがはあなた」


 エリーゼが勝手に俺の評価を上げているけど……ゴメン、ただ俺がこの世界を知っているだけなんだ。

 それを彼女に教えるわけにはいかないけど……。


「となると……着替えが必要だな……」


 俺はそう難事でもないんだ。

 魔法の袋にYシャツとスラックスがあるし、ノーネクタイでも問題ないと思う。

 多少ブーツが不自然だが、そのくらいは外人特有のファッションと思われるに違いない。

 一宮信吾なら純粋な日本人だけど、ヴェンデリンは日本人が見れば外人そのものだからな。

 それで、問題はエリーゼをどうするかだ。


「あなた?」


「エリーゼは、着替えを持っていたよね?」


「はい」


 エリーゼも魔力持ちなので、魔法使い専用の袋は使える。

 俺が作ってプレゼントしており、そこに私服なども入れていたはずだ。


「着替えた方がいいと思うな」


 今のエリーゼは神官服姿のうえ、地下遺跡探索中だったのでメイスで武装していた。

 このまま町に出ると、帯剣している俺よりは可能性が低いが、お巡りさんのお世話になるコースであろう。

 こん棒を持ち歩く外国人の少女、平成日本においては変わり者でしかない。


「普通のワンピース姿でいいと思うな。この世界の服装について詳しくはないけど、無難な格好をすれば、目立たないはず」


 俺はこの世界について知らない設定なので、エリーゼにその服装を勧める根拠が薄くて困ってしまう。

 仕方がないので、とにかく平凡な服装の方が目立たないはずだと、強引に押し切るしかないな。

 それでもちょっと古めかしい格好なんだが、他によさそうな服をエリーゼが持っていない。

 町に入ったら購入するという手もあるから、今はこれで行くしかないな。


「普通の人たちに紛れるのですね?」


 幸い、エリーゼは俺の考えに疑問を抱かなかったようだ。


「そう、エリーゼの神官服はトラブルの原因になるかもしれないから」


 ここがどんな場所なのかよくわからなので、エリーゼの神官服を見てもし異教徒だと断定されたら、なにか被害を受ける可能性もある。

 エリーゼには申し訳ないけど、ここは普通の服に着替えた方がいいと俺は忠告した。


「そうですね。ここがどんな国なのかまだよくわかっておりません。あなたの言うとおり、潜入する時には慎重に行動しなければいけないはず。さすがです、あなた」


 再びエリーゼの俺に対する評価が勝手に上がっていくが、俺はこの世界を知っているだけだからなぁ……。


「着替えは……念のために『土壁』を作るから」


 この小山、誰もいないが、万が一にもエリーゼの着替えが覗かれるのも嫌だしな。

 魔法で『土壁』を作って、俺も一緒に中に入って着替えた。

 俺はエリーゼの夫だから、彼女の着替えを見てもなんの問題もない。


「ブーツは、町の傍で普通の靴に履き替えようか」


「はい」


 着替えを終えてから、俺とエリーゼは町に入るべく小山を降りた。

 もしかすると、似ているだけで別の町という可能性も考慮したのだが、やはり俺が高校卒業まで住んでいた地方都市佐東さとう市だ。

 俺とエリーゼが飛ばされた場所は迅雷山、名前は立派だが、現物はとてもしょぼい小さな山である。

 休日にならないと、ほとんど人が来ない場所だ。


「(そういえば、今日は何年の何月なんだ?)」


 それも知りたいし、なによりも知りたいのは一宮信吾にヴェンデリンの人格が入っているかどうかだ。

 それを知ってどうするという意見もあると思うが、現状で元の世界の戻る手段の見当もつかない以上、糸のように細いヒントだけど、一宮信吾と接触してみるしかないんだよな。

 もし一宮信吾の中にヴェンデリンが入っていなかったらお手上げだな。

 さらに、現時点では一宮信吾が佐東市にいない可能性もある。

 むしろ、その確率の方が高いであろう。

 俺とヴェンデリンが入れ替わった時、一宮信吾の体は二十五歳、ヴェンデリンは五歳だった。


 『二つの世界で時間軸がズレていたから?』などと最初は考えたりもしたが、そんなことを考えても意味がないと思って忘れていた。

 今、この世界に一宮信吾だとして、いったい彼はいくつなのだろうか?

 俺と同じ年月をこの世界で暮らしたとすると、すでに四十近いのか?

 もしそうだとすると、二十五歳の一宮信吾の体に五歳のヴェンデリンが憑依したとして、無事に商社マンが務まる……はずがないな……。

 下手に自分はヴェンデリンだなどと言えば、檻のついた病院に入れられてしまうかもしれない。

 そう考えると、俺はヴェンデリンに悪いことをしてしまったのか?

 でも、俺が入れ替わりを強く望んだわけでもない。


「(それにしても気になる……)」


 この世界の一宮信吾にヴェンデリンの人格が入っているのか?

 そして、今はいつなのか?

 知らなければいけないのだが、その前に色々と解決しないといけない問題があるようだ。


「あなた、私たち注目されているような……」


 そりゃあそうだ。

 外国人などそんなに多くいない地方都市において、超絶金髪美少女であるエリーゼが目立たないはずがなかった。

 若い男性や、オジさんやお爺さんも、視線がまずはエリーゼの顔に行き、次は長時間胸に向かっていた。

 気持ちはわかるが人の奥さんを……こいつら腹立つな。


「俺たちはミズホでも注目を浴びたじゃないか。外の人が珍しいんじゃないのかな?」


「なるほど、そうだったのですか」


「違う服を着た方がいいのでしょうか?」


 いや、エリーゼの場合、違う服を着ても目立つのには変わりないからなぁ……。


「外人のカップルだ!」


「女性の方がすげえ綺麗だな」


「母ちゃん、あの外人さん、胸でけえ!」


「こら! 人を指差してはいけません!」


 お前ら、もっと小さな声で話せよ。

 全部聞こえているわ。


「服かぁ……」


 今のワンピース姿でも、エリーゼはお嬢様お嬢様しすぎているからなぁ……。

 いっそ、GパンとTシャツに変えれば……顔と胸は隠れないけど、今の格好よりは目立たないかな?

 だが、服を買うには一つのハードルがあった。


「ここで使えるお金がないんだ」


 少し町を見てから、俺たちはお腹が減ったので近くの緑地公園で食事を取ることにした。

 メニューは、エリーゼが朝作ってくれたサンドウィッチと、ホロホロ鳥のから揚げにカットフルーツ、水筒には暖かいマテ茶が入っていた。

 エリーゼの作るご飯は美味しいけど、この世界のお金がないと色々と辛い。


「交換はできないのでしょうか?」


「ここは俺たちが知らない国だし、この国もヘルムート王国を知らないだろうから、貨幣の交換レートは存在しないだろうね」


「ならば、金、銀、宝石を売れば?」


「それも考えたんだけど……」


 いきなり身分証明書も持たない未成年の外国人のカップルが、金貨や宝石を金に換えてほしいと古物商などに姿を見せた。

 誰が見ても怪しいよな。

 下手に警察に通報でもされると、余計に行動しにくくなってしまう。

 なにしろ、俺たちは目立つのだから。


「この世界のお金を入手する方法……」


 食事が終わり、俺は緑地公園のゴミ箱から捨てられていたスポーツ新聞を取り出した。

 これを見れば、大体の年月日がわかるはずだ。


「あなた、綺麗な瓦版ですね。色がついているなんて……」


 リンガイア大陸には、不定期で大きなニュースを知らせる瓦版のようなものしかないから、エリーゼはカラー刷りのスポーツ新聞が珍しいようだ。

 感心しつつ、俺と一緒に記事を読み始めた。


「あなた、文字は大体同じですね。漢字が多く使われていて、まるで公文書のようです」


 日本だと、どんな下品な書物にも漢字は使われているけどね。


「『マッド橋雪勝利宣言! ドラゴン佐藤! お前を必ずマットに沈めてやる! HEBタイトルマッチ前のインビューで……』あなた、これは?」


「ええと、格闘技の勝負前のインタビューみたい」


 俺もプロレスのことはよくわからないから、そのくらいしか答えられないんだよな。


「あなた、この木の棒で小さなボールを打つスポーツは面白そうですね」


 続いてエリーゼは、プロ野球の記事に興味を持ったようだ。

 他にも、政治、芸能、経済の記事を読んで感心している。


「この世界は凄いですね。これだけの情報が書いてある色がついた瓦版を捨ててしまうなんて」


 ヘルムート王国基準では貴重な、カラー印刷物が使い捨て。

 改めてエリーゼからそう言われると、確かに凄いことかもしれない。


「ええと……次の記事は……っ!」


 とここで、エリーゼの顔が真っ赤になった。

 なぜなら、彼女が見たページはAV女優の作品や風俗店の案内が書いてある大人のページだったからだ。

 俺は慣れているけど、こういうものに免疫のないエリーゼには効果てきめんであった。


「まあ、こういう記事もね」


「あなた! これは悪書です!」


 教会は、時おりこういう悪書の摘発をしているからな。

 全部は摘発しないで、目立ちすぎた出版物や、綱紀粛正のために貴族が関わった悪書の没収を教会が人を出して行っている。

 ただ、やりすぎると教会に批判が集まるため、かなりのお目こぼしはあった。

 この辺の微妙な駆け引きは、ホーエンハイム枢機卿とかのお仕事だ。

 ただ真面目なエリーゼからすれば、悪書は存在すら許されないというわけだ。


「あなた、このような悪書を読まず、汝、妻を愛せです」


 エリーゼ、良いことを言うな。

 でも人は、たまには悪書を見てみたい誘惑に駆られるんだけどなぁ。

 エリーゼ本人には決して言わないけど。


「これが悪書でも、この国の情報伝達速度が速いことはわかった」


「はい」


 スポーツ紙の政治経済面なんて微妙だけど、それでも情報としての質は瓦版より圧倒的に上だからな。


「あなた、あの新聞は百二十円って書いてありましたね。円がこの国の通貨のようです」


 やっぱりここは平成日本なのだ。

 そして、もう一つ俺が驚いたことがある。


「(この新聞の日づけ、俺が飛ばされた年から九年も前だった……)」


「あなた、なにかわかったのですか?」


「まだだね」


 また顔に出てしまったようで、俺はエリーゼの問いに嘘をついて誤魔化した。

 九年前ということは、俺はまだ高校生でこの町に住んでいるはず。

 もしかすると、ヴェンデリンも俺が子供の頃に飛ばされたのか?

 でもどうして?

 さらに謎が増えてしまい、俺はこれからどうするべきか深く考え込んでしまうのであった。





「どこか泊まる場所を探さないといけませんね」


 昼食後、エリーゼが今日の宿を探そうというが、これもなかなかの難題だ。

 日本円を持たず、身分証明もできない外国人カップルを宿泊させるまっとうな宿泊施設は存在しない。

 むしろ、ホイホイと泊めてくれるという連中を警戒しないといけない。


「(これは困ったな……)」


 生きていくのに必要な物資は大量にあるし、宝石類や金銀などの換金アイテムも大量にある。

 だが、日本というしっかりとした統治システムを持つ安全な国が、逆に俺たちの行動を阻害しているというのは、大いなる皮肉であった。


「これは困った」


 俺は、今度は地方紙をゴミ箱から取り出して読んだ。

 日付を見ると、先ほどのスポーツ紙よりも一日古く、今日は八月一日が正解のようだ。


「この国の金かぁ……これがある程度手に入れば融通が利くんだよなぁ」


 無用な詮索はしないホテルとかもあるはずだが、代金で金貨を出しても受け取ってくれるホテルはないと思う。

 なにしろ、ヘルムート王国発行の金貨なので知っている人はいないのだから。

 加えて、今の場所から一宮家まで電車に乗って駅三つ先だ。

 無理やり歩いて信吾を頼る……彼にヴェンデリンが乗り移っていなかったり、もし乗り移っていても彼は高校生だ。

 両親の目を逃れて、怪しい外国人カップルに手を貸してくれる保証もない。

 ということは、俺たちは自力で金を手に入れなければならないのだ。


「(うーーーん、アウトローな連中なら、宝石や金を買ってくれるか?)」


 もし足元を見られて妙なことを企んだら、その連中は証拠隠滅のために処分しないといけない。

 そうなったら、エリーゼもいい顔をしないだろうな。

 魔法を手品に見せかけ、見ている客からおひねりを得る。

 これだと金額などたかが知れているし、もし無許可でそういう芸をしているのを警察に咎められたら。

 やはりこの手も駄目か……。


「なにかいい手は……」


 俺は新聞を読み進めてヒントを探ろうとした。

 日本円以外ならたくさん持っているし、それらを手に入れるのも魔法を使えばそう難しくはない。

 それなのに、戸籍がないだけでこのあり様だ。

 俺は、もう完全にヴェンデリンになってしまったのであろうな。

 などと考えていると、不意にある記事に目が留まった。


「『武闘派暴力団佐東組と、新興ハングレ組織「レッドクロウ』との抗争激化! 白昼からの銃撃戦! 警察官が怯えるほどの殺戮劇!』あっ!」


 やはり、この日本は俺が飛ばされた時代の九年前であった。

 地元ヤクザと、暴走族崩れのハングレ組織との抗争事件なら、俺も覚えている。

 新聞記事だとえらく大げさに書かれているが、実際には数名の組員とギャング構成員が銃殺されただけ……結構凄い事件だったが、紛争や帝都のクーデター劇をこの目で見てしまうと、それほど凄くないことのように思えてしまうから不思議だ。


「この国にも、マフィアはいるのですね」


「どこの国も、光があれば影もあるからね」


 王都でも、マフィア同士の抗争でたまに人が死んでいるからな。

 ほとんど新聞記事にはならず、その辺の川で殺されたマフィア構成員の死体が浮いていたという噂話を聞くくらいなのだけど。


「これを利用して金を稼ごう」


「大丈夫でしょうか?」


「それは、魔法でなんとかするよ。現地に到着したらエリーゼはちょっと隠れていてね」


「わかりました。お怪我に気をつけてください。もし負傷したら無理をしないで私のところに戻ってきてくださいね」


「心配してくれてありがとう。じゃあ、夫は頑張ってひと稼ぎするかな」


 俺たちは秘密裏にお金を手に入れるため、ある場所へと急ぎ向かうのであった。





「大きなお屋敷ですね。どういう方なのでしょうか?」


「悪い奴ほどよく稼ぐというのはどの世界でも同じか……」




 その屋敷は、この地方都市に住んでいる者なら誰でも知っている。

 この地に根を張る、武闘派暴力団佐東組組長の邸宅であった。

 間違いなく阿漕な手で稼いでいると思われるが、ここは地方都市。

 警察が暴力団排除を目指していても、末端の警察官、地方議員、その他にも色々と繋がりがあって佐東組に手を貸している者は多い。

 そりゃあ暴力団が完全になくなれば素晴らしいが、それは理想論で現実にはなかなかそうもいかない。

 暴力団も裏の稼ぎだけで生きてはいないから、普通の会社とかも経営しており、これが潰れると困ってしまうケースがあるんだよなぁ……。

 そういえば、俺もアルテリオを介して数名のマフィアの親分たちとつき合いがあったりする。

 なかなかいい悪いだけで割り切れないのが現実だ。

 だが……。


「新聞の記事によると、佐東組はこの地方都市に進出してきたばかりの元首都圏の暴走族が結成したハングレ組織『レッドクロウ』と水面下で激しく争っている」


 アウトローな組織同士による縄張り争い、王都でもよくある話だ。

 実は権力者や官憲との癒着もゼロではなく、教会もマフィアとはまるで無関係というわけでもない。

 マフィアの構成員や親分で、熱心な信者もいるからだ。

 それにしても、マフィアの親分が『対立組織の構成員を殺してしまいました。私は天国に行けるのでしょうか?』と言って懺悔するのであろうか?

 教会側も献金が多かったら、『神はあなたの罪を許します』と言ってしまうのであろうか?

 非常に興味深い疑問である。


「悪いことをして、お金を稼いでいる方たちなのですね。それはよくないことです」


 ホーエンハイム枢機卿が、エリーゼを教会の中枢に関わらせない理由がよくわかるな。

 いい娘すぎて、そういうことに向かないからだろう。


「そこで、この組織に改心してくれるよう天罰を与え、ついでに俺たちもいくばくかのこの国のお金を得ようという作戦なんだ」


 暴力団が、後ろめたいお金を盗まれましたって警察に届けるはずがないからな。

 どうせ魔法を駆使して痕跡は残さないから、もし警察が調査しても俺の犯行だとはわからないはず。

 なにしろ俺たちは、本来この世界にいない人間なのだから。


「あなた、いくら悪い方々が相手でも盗みはよくないのでは?」


「エリーゼの気持ちはわかるけど、俺たちは元の世界に戻るまでなるべく善良な人たちに迷惑をかけられない。身分不詳で怪しい人物だと思われ、この国の警備隊などに捕まるわけにもいかないという事情もある。これは仕方がないことなんだ。わかってくれ、エリーゼ」


 金貨や宝石を換金しようとすると、確実に怪しまれるだろうからな。

 唯一手に入らない日本円を入手するためには、奪っても問題ない、心も痛まない連中から奪うのが一番だ。

 俺とエリーゼの精神衛生上の理由から。

 

「そうですね、私たちは元の世界に戻らなければいけないのですから。私もお手伝いします」


「エリーゼはここで待っていてほしいな」


 エリーゼの専門は治癒魔法で荒事には向かないから、万が一にも俺が負傷した時のみに備えてほしい。

 そう言って俺は、彼女を説得した。


「あなた一人では危険です」


「それも大丈夫、戦闘する気はないから」


 いくら暴力団の本部でも、派手に魔法をぶっ放せば警察が飛んできてしまう。

 そうでなくとも、『探知』で暴力団の邸宅を探っている丸暴担当と思われる刑事や警察官らしき反応がいくつもあるのだから。


「この国の警備隊が、このマフィアに目をつけているから直接戦闘は禁止。他の魔法でスマートに作戦を実行する計画だ。エリーゼも下手に動いて、警備隊の連中に見つからないように」


 夜に一人でいる身分証も持たない謎の外国人、確実に警察署にお泊りコースだな。


「わかりました。あなたの無事のお帰りを」


「大丈夫、心配しないで」


 これでも、竜と戦ったり、内乱でも散々戦った身だ。

 それなりに経験も得ているので、ヤクザ如きに不覚は取らないはずだ。


「じゃあ、行ってくる」


「いってらっしゃいませ」


 俺は、エリーゼと別れて暴力団組長の邸宅へと接近する。


「あった、あった」


 監視している警察連中の死角から邸宅の壁を乗り越え、まず最初に小さな『ライトニング』を屋敷の外にある電気メーターに放つ。

 見た目は小さいながらも強烈な電流が、電線伝いにすべての照明と電化製品をショートさせた。


「停電か?」


「ブレーカーを上げろ!」


 突然真っ暗になったため、邸宅に詰めていたヤクザたちが懐中電灯を点けながら電力の復旧を試みる。

 だが、俺の魔法ですべて壊してしまったので無駄な努力であった。

 さすがに、電気工事ができるヤクザはいないであろう。


「この魔法にも慣れてきたな。こういう魔法に慣れるってのもどうかと思うけど……」


 続けて邸宅を標的とした『エリアスタン』をかけ、これにより俺以外の人間はすべて麻痺して動けなくなった。


「成功だ。面倒だが、着替えるか……」


 今は夜でヤクザたちは全員麻痺したが、もしかすると俺の顔を見られてしまう危険がある。

 そこで、魔法の袋からあるものを取り出して急ぎ装着した。


「ふっ、俺は黒騎士。闇の住民たる……いまいち乗らないな……」


 エリーゼたちとの結婚祝いと、いくつかの功績の褒美を兼ねて陛下より下賜された漆黒の鎧を着け、俺は邸宅内を物色することにした。

 この鎧は、昔の有名な魔道具職人が作製したと聞いている。

 『軽量化』の魔法がかかっており、まるで重さを感じない。

 他にも、対魔法防御力にも優れた逸品だと、俺に下賜しながら陛下が説明してくれた。

 顔の部分がフルフェイスのため、人に顔を見られないのも素晴らしい。

 ただ、俺は魔法使いなので今まで死蔵しており、今初めて役に立ったというわけだ。


「なんら、おひぇえは(何だ! お前えは!)」


 まずは、邸宅の庭に倒れていた数名のヤクザの財布を漁って金を抜いた。

 しかし、所詮はチンピラなので大した額でもない。

 体と口が麻痺しながらも、俺に財布の中身を奪われたヤクザが文句を言った。


「俺は黒騎士、正義のために悪を罰する黒騎士!」


「しぇいりをからっれ、ふとのしゃいふあしゃるな(正義を語って、人の財布を漁るな!)」


 うーーーむ、チンピラのくせに正論を語るとは……。


「悪党に人権などないのだ!」


 ついでに言うと、俺はこの世界の法から外れた存在だ。

 一般人相手に泥棒はしたくないし、お上を敵に回すほど無謀でもない。

 よって、お前ら社会のクズから奪うしか選択肢がない。

 俺の苦しい事情をわかって……くれなくてもいいから、俺とエリーゼのために養分となってくれ。


「あまり時間をかけるわけにはいかないな」


 ずっと電気が点かない状況を、外の警察が怪しむかもしれない。

 とっとと奪うものだけ奪って撤退しよう。

 邸宅とは言っても、貴族の屋敷や王城ほど広いというわけでもない。

 鍵がかかっているドアは火魔法で鍵を溶かし、土足のまま金目のものを探していく。

 だが今のところは、倒れているヤクザの財布から少額の現金が奪えただけだ。

 さすがに幹部クラスのサイフには数十万円ほど入っていたが、それでも今の合計金額は百万円ほど。

 もう少し金がほしいところだ。

 俺は、急ぎ組長の部屋へと侵入した。


「なんら、へめえは(なんだ? てめえは!)」


 組長の部屋に入ると、そこには豪華なダブルベッドが置かれ、その上で太鼓腹の組長らしきオッサンが麻痺したまま動けない状態でいた。

 その隣には、同じく素っ裸の愛人と思しき若いお姉ちゃんも麻痺している。

 どうやら、お楽しみの最中に俺が麻痺させてしまったようだ。


「その点についてだけは謝っておく」


 俺も、エリーゼとそういう状態の時に麻痺させられたら怒るだろうからな。

 同じ男として、それは悪いことをしたと素直に反省したのだ。


「ひゃひゃ、ひょわい(パパ、怖い!)」


 ただ、女性がかなりケバいような……。

 顔もスタイルもいいが、水商売系なのが一目瞭然で俺の趣味じゃないな。

 俺は夜の蝶よりもエリーゼの方がいいや。


「おみゃえ、にゃにお?(お前、なにを?)」


「お金がある秘密の金庫とかないのか?」


「ひぇめえ、おりぇをひゃれらと(お前、俺を誰だと?)」


 俺も純粋な一宮信吾の頃なら、暴力団も普通に怖かったと思うけどね。

 でも、もう全然怖くないんだ。

 ブランタークさん、導師、大物貴族を怒らせた方が何百倍も怖いからな。


「教えてくれないと、あんたのアレを切り落とすけど」


 切り落とされたら、もう二度と愛人と楽しめないよと脅しをかけた。


「ひょんだなのいひろや(本棚の後ろだ!)」


 随分とベタな隠し方であったが、本棚の後ろに隠し金庫があった。

 とても大きくて重そうであり、鍵も二重にかかっているようだ。


「いひゃのひゅちにあひゃやれひゃ、ひょひゅんとしてひゅひゃってやる(今のうちに謝っておけば、子分として使ってやる!)」


 組長は、俺に金庫が開けられないと高をくくっているようだ。

 だが、俺には魔法がある。この程度の金庫などなんの妨害にもならない。

 俺はあらかじめ腰に刺していた魔法剣を柄を取り出して炎の刀身を出し、一気に金庫の扉を焼き切ってしまう。


「ひゃんた、あひぇあ(なんだ! あれは?)」


 後ろの組長が驚いているが、それに答えてやるほど俺は暇じゃなかった。


「なんだ、思ったほど入ってないな」


 それもそうだ。

 佐東組もそうだが、今の暴力団はフロント企業を経営しているから、余分な資金はその会社名義で銀行に入れてあるのが普通であった。

 多分、この金庫の金は麻薬取引などで得た違法な金を洗浄するまで保管しているのであろう。


「それでも数千万円ほどはあるか。貰っておいてやる」


 俺たちも色々と入り用だからな。


「おひょえてひょろ(覚えてろよ!)」


「すまないが、俺は物忘れが早い方なんだ」


 それに、いつまでも過去に拘っても仕方がないからな。

 この十数年、ずっと過去を振り返っている余裕はなかったのだから。

 俺は急ぎすべての金を魔法の袋に仕舞うと、組長の部屋を後にした。

 あとは静かにこの脱出……などと思っていたら……。


「おどれ! 死にさらせぁーーー!」


 突然、ヤクザが日本刀で斬りかかってきた。

 どうやら、外にいた連中が邸宅の異変に気がついて戻ってきたようだ。

 不意打ちに近かったので防げなかったが、そのための鎧である。

 日本刀による一撃が俺を襲うが、逆にヤクザが振り下ろした日本刀の方が折れてしまった。


「兄貴! チャカで撃ち殺しましょう!」


「アホ! 銃声が聞こえたら、マッポが乗り込んでくるだろうが! ドスでいけ!」


「へい!」


 銃も通じないと思うけど、銃声で警察が乗り込んでくると面倒だから、刃物限定で助かった。


「死ねや!」


 ドスを構えたヤクザが突進してくるが、やはり黒い鎧には通用しなかった。

 鎧に突き入れた瞬間ドスまで折れてしまい、ヤクザたちの間に動揺が広がる。


「天罰!」


 再び『エリアスタン』を放つと、彼らは麻痺して動かなくなった。


「おっ、セカンドバッグに大金が!」


「おみぇ、きしゃにゅひのしょひゃひゃいが(お前ぇ! 木佐貫のショバ代が!)」


 木佐貫……ああ、あの歓楽街のだな。

 俺は行ったことがないけど、この地方都市で飲み屋から合法違法も合わせて風俗店が立ち並んでいる地域だ。


「しゃいひん、とらこんくりょうのっしぇいれしのひやひぇってるにょに(最近、レッドクロウのせいでシノギが減っているのに……)」


 俺がこの世界から飛ばされる前、風の便りで木佐貫の歓楽街がかなり物騒になったという話は聞いていた。

 ハングレ連中が経営する合法ドラッグの販売店、派遣裏風俗、ガールズバー、キャバクラ等に暴力団の紐付きである既存の風俗店が客を奪われ、徐々に減っているという話であった。

 焦った暴力団とハングレ集団の対立が先鋭化しているとも。

 どうやら、この頃からすでに問題になっていたようだな。


「それは可哀想に」


 昔は稼げていたのに、新しいライバルの登場で苦境に陥ってしまう。

 俺が勤めていた商社でもよく聞く話なので、栄枯盛衰はどの業界にもあるというわけだ。

 人間、そう臨機応変に対策なんて取れないからな。


「にゃら(なら!)」


「俺は正義を愛する黒騎士、お前らに容赦はしない!」


「「「ひろい(酷い!)」」」


「俺はとても困っているのだ! それに手を貸すのが正義だ!」


 俺は、新たに麻痺させた連中からも根こそぎ金を奪い、夜の漆黒へとその姿を消すのであった。




「外人さん?」


「日本語は話せますよ」


「達者だねぇ……」


「日本のラブホテル、興味あります。この部屋で」


「まいど」




 ヤクザから金を奪った俺は、待っていたエリーゼと合流し、その足で今日泊まるホテルへと向かった。

 結局佐東組から五千万円以上奪ったが、未成年の外人二人がランクの高いホテルに泊まるとなると、チェックが厳しいかもしれない。

 そこで、そういうチェックが杜撰な古いラブホテルを利用することにしたのだ。

 このラブホテルは相当古く、フロントにいる骨董品のようなバアさんは俺たちが日本語を話せることを知ると、特に詮索もしないで空いている部屋の鍵を渡してくれた。


「あなた、このホテルは面白いですね」


 古いタイプのラブホテルのため、室内はちょっとセンスが外れた装飾などがなされている。

 この部屋は、微妙な和室風の作りになっていた。

 それなのに部屋の真ん中にダブルベッドが置かれているが、そこは気にしてはいけない。

 ベッドの横に押すとベッドが回るボタンがあり、なにも知らないエリーゼが楽しそうに回して遊んでいた。

 まあ、楽しんでもらえてなによりだ。


「(噂は本当だったんだな……)」


 この古いラブホテルの話は、高校時代に聞いていたのだ。

 高校生ともなれば、中には彼女ができてそういう場所に行く奴も出てくる。

 そいつからの話なのだが、俺はただ話を聞いていただけだ。

 なにしろ俺は、大学に行くまで彼女などできなかったのだから。

 世の中の男性は、高校生くらいの時から、このような格差に襲われるというわけだ。

 俺にもそんな悲しい過去もあったが、今の境遇は悪くない。

 むしろ、俺はリア充と言えるのではないかと思う。

 なんと、ラブホテルに金髪巨乳美少女と泊まっているのだからな。


「あなた、この国ではハブラシが使い捨てなのですね」


 古の遺産である回転ベッドの動きを確認し終わったエリーゼは、洗面所にあるアメニティグッズが気になるようだ。

 使い捨てでハミガキ粉がついたハブラシ、カミソリ、櫛、石鹸、ヘアバンドなどを確認して一人感心している。

 宿泊費込みで一万円くらいなのに、これだけのものが付くということに驚いているのであろう。

 ハブラシは、ヘルムート王国では高級品だからな。

 馬の毛とかを手作業で植えて作るから、もの凄く高価なのだ。


「この国はとても豊かなのですね。同じ言語なのにヘルムート王国は勿論、帝国よりも圧倒的に進んでいます」


「そうだな」


「ですが、いったいどこにある国なのでしょうか?」


「もしかすると、リンガイア大陸よりも遥か遠い国かもしれない」


 まさか真実を伝えるわけにもいかず、俺は曖昧な推論を述べて誤魔化した。


「それを明日調べよう」


「そうですね」


 実はどんな国かはよく知っているのだけど、エリーゼにそれを悟られるわけにいかない。

 元の世界に戻るための情報ならどんなに些細なものも必要であり、服や下着など、この世界で生活するために必要なものも購入しておきたいところだ。


「買い物ですか」


「この状況だと自炊も難しい。食事もせっかくだから外食しよう。幸いにして、浄財も手に入ったから」

「はい」


 正義の黒騎士が、悪の組織の活動を阻止するために奪ったお金だ。

 これを浄財と言わずに、なにを浄財というのだ。

 孫子も言っていただろう?

 敵の補給を攻めた方が効果的であると。


「明日に備えて寝るとして、その前に風呂に入るか」


「そうですね、ですが……」


 エリーゼはこの部屋のお風呂に少し戸惑っていた。

 和風な部屋なので風呂が露天風呂風になっており、しかも完全にガラス張りで浴室の外から中が見えるようになっていた。


「あなた、なぜこのように恥ずかしい浴室なのでしょうか?」


「それは、ここが待ち合い宿だからだと思う」


 男女交際に厳しい制約がある向こうの世界にも、ラブホテル的なものは存在する。

 待ち合いと呼ばれる休憩宿泊施設なのだが、貴族はあまり使わない。

 教会関係者も戒律の関係で使うはずがなく……実は密かに使っている神官もいるらしいけど。風俗が好きな神官もいたが、それはどの世界でも同じか……エリーゼが知らなくても当然であった。

 場所も裏道沿いにあったりして、普通に王都で暮らしていると一生行かない人の方が多いのだ。


「あのぅ……恥ずかしくありせんか? これ」


「見ているのは俺だけだけど」


「でも、恥ずかしいじゃないですか」


 そう言いながら顔を赤らめるエリーゼは可愛かった。


「俺たちは夫婦だから問題ないじゃないか」


「それはそうなのですが……なら一緒に入りましょう」


「えっ? 一緒に入るのはいいのか?」


 外からガラスに透ける自分の裸を見られるのは嫌だけど、一緒に風呂に入るのはいい。

 その差が、俺にはよくわからなかった。


「一緒に入る分には問題ないけど……」


「では一緒に入りましょう」


 エリーゼが是非にというので、二人で一緒に風呂に入ってから寝た。

 今日は色々とあって疲れたので、二人でベッドに入ったらすぐに眠くなってしまったのだ。

 エリーゼはすぐに静かな寝息を立て始めた。


「元の世界に戻る。雲を掴むような話だが……」


 とにかく、明日からは情報を集めなくてはならない。

 俺も目を瞑ると、すぐに夢の世界に引き込まれるのであった。





「色々なお店がありますね」


「お腹が空いたから、先に食事をしよう」


「はい」





 翌朝、『昨日はお楽しみでしたか?』と言いたそうな表情を浮かべる婆さんに宿泊料金を払ってラブホテルをチェックアウトし、少し歩いて近くの商業街へと移動した。

 エリーゼは、日本の建物の高さや作りの斬新さに驚いていた。

 古めの雑居ビルですら、リンガイア大陸基準でいうと高度な高層建築だ。

 俺は向こうの世界の建築物も欧州風でいいと思うんだが、エリーゼからすればガラス張りの高層ビルはとんでもないオーパーツに見えるのであろう。


「この国の人たちは、浴室も建物もガラス張りにするのが好きなのですね」


「みたいだね……」


 エリーゼ、それは少し誤解していると思うな。


「さて、なにを食べようかな?」


 エリーゼがいるから、俺はファーストフード店や喫茶店がないかと周囲を見渡した。

 ここにはなかったのでちょっと移動しようとすると、エリーゼがあるお店を指差す。


「あなた、あのお店にしましょう」


「あの店ねぇ……」


 エリーゼが指差したのは、全国規模で展開している牛丼店であった。

 朝から牛丼……男の俺は一向に構わないが、うら若き女性であるエリーゼはどうだろうと心配になってしまったのだ。


「あの『ギュードン』という料理に興味があります」


「じゃあ、入ってみようか」


 エリーゼが是非にと言うので、二人で牛丼屋へと入った。


「っ! いらっしゃいませ」


 店に入ると、店員が凄く驚いていた。

 外国人の若いカップルが、牛丼を食べるとは思っていなかったのであろう。

 九年後には別に珍しくもなかったが、この時代の、しかもここは特に有名な観光地もない地方都市でしかない。

 慣れない外国人に店員が緊張していた。


「ええと……券売機は英語でなんて言えば……」


「あれでしょう?」


 当然俺は知っていたので、券売機を指差した。


「はい。日本語は大丈夫ですか?」


「はい」


「不自由しない程度には」


 俺たちが日本語を喋れると聞き、店員の若いお兄さんは安堵の表情を浮かべた。

 ここは券売機で食券を買うお店なので、俺たちは券売機の前へと向かう。


「あなた、このような高度な魔道具が普及しているなんて……」


 エリーゼは、券売機を見て驚きを隠せないようだ。

 興奮した声で俺に話しかけてくる。


「あなた、わかりますか?」


「結構簡単みたい」


 元々知っているからな。

 それにしても、券売機なんて何年振りだろうか?

 お金を入れてから、俺は牛丼の並、味噌汁、サラダ、お新香のボタンを押した。

 やはり九年前だと、まだタッチパネル式の券売機はほとんど存在しないようだ。

 今、思い出した。

 あと、何気にちゃんとサラダのボタンを押していたが、俺も栄養のバランスとかちゃんと考えるようになったんだな。

 これがもし高校生の頃なら、一切の躊躇なく牛丼特盛のボタンを押していたであろう。


「エリーゼはどうする?」


「私も同じもので。あの……」


「ボタン押してみる」


「はい!」


 エリーゼは、大喜びで券売機のボタンを押していた。


「正確にお釣りが出るなんて凄いですね! どういう仕組みなのでしょうか?」


 さすがに、券売機の詳しい仕組みまでは俺にもわからなかった。

 俺は文系だったからなぁ……。


「お待たせしました」


 注文した品が届き、貴族の夫婦が牛丼を食すという奇妙な光景が展開される。

 他の客たちの注目を浴びてしまうが、彼らは観光客の外国人カップルが試しに牛丼を食べに来たんだろうなくらいにしか思っていないはずだ。


「あなた、お肉が柔らかくて美味しいですね」


 エリーゼは、牛丼の味を絶賛した。

 牛肉はリンガイア大陸にもあるが、それは大金持ちしか食べられない高級品である。

 しかも、この牛丼チェーン店の輸入牛肉よりも美味しくないのだ。

 魔物の領域が多くて農業優先だからこそリンガイア大陸では家畜の肉が高級品だが、地球ほど品種改良は進んでいないし、飼育方法も原始的だ。

 味も前に一度食べさせてもらったが、それほど美味しいものでもなかった。

 意外と筋張って固く、貴重な品だからと持て囃されていたイメージだ。

 同じ金を出すのなら、強い魔物の肉の方が柔らかくて美味しい。

 魔物の肉は、強くて買い取り金額が多い奴ほどに肉も美味しいからな。


「あっ、そうだ。卵を忘れてた」


 牛丼に生卵、久しぶりの日本だから贅沢しないとな。

 俺は、もう一度券売機に戻って生卵も購入した。

 やっぱり、牛丼には生卵だな。


「えっ? 生卵ですか?」


 小鉢の中で生卵を溶き、牛丼の器に流し入れた俺にエリーゼが驚いた。


「あなた、お腹を壊しますよ!」


「大丈夫だよ。美味しいよ」


 向こうの世界では、生卵は危険なのが常識だった。

 加熱が不十分で、お腹を壊す人も後を絶たなかった。

 だから、エリーゼも心配しているのであろう。


「メニューにあるってことは、大丈夫ってことだよ。エリーゼも食べてみたら?」


「いえ、さすがに生卵は……」


 エリーゼは生卵を拒否したが、周りの他の客たちが納得したような表情を浮かべていた。

 どうやらエリーゼが、『生卵を食べるなんて信じられない!』というステレオタイプの外国人に見えたようだ。


「とても美味しかったですね。生卵はちょっと遠慮したいですけど……」


 牛丼屋を出た俺たちは、早速足りない洋服などを購入しに行くことにする。


「とはいえ、あまり高級な服を買ってもなぁ……」


 そうでなくても外人だから目立ってしまうのに、これでデパートやブティックで服を買えば余計に目立ってしまうであろう。

 俺たちは、カジュアルな衣装を販売しているお店に入った。

 今は真夏だから、俺はTシャツとGパンで十分だと思ったのだ。

 ちょうど今は八月初旬なので、大学の新学期前にヨーロッパから日本に観光にきたカップル。

 これが一番警戒されない設定だと思う。

 年齢に関しても、俺たちはヨーロッパ人に似ている外人だから日本人よりは少し年上に見え、誤魔化しは十分に通用するはずだ。


「この国は、スカートを履かない女性が多いのですね……」


 エリーゼもGパンを試着している。

 生まれて初めてズボンを履いたそうで、少し落ち着かない様子だ。


「とてもよく似合っていますよ」


 店員のお姉さんがエリーゼを褒めたが、それはまごうことなき事実だ。

 欧米人風のエリーゼは足も長いので、Gパンの裾を詰める必要がなかった。

 俺もそうだったんだが、前世ではGパンって必ず裾を詰めるものだと思っており、父が『輸入物のジーンズだと、裾が浅野内匠頭状態でな』と言っていたのを思い出す。


「スカートもありますよ」


 店員のお姉さんに勧められ、エリーゼはスカートも試着した。


「あの……短くないですか?」


 エリーゼは膝上のスカートを履いたことがなく、素足が見える状態を恥ずかしがっていた。


「足がスースーしますね」


「今は真夏ですし、お客様は足が綺麗なのでとてもよくお似合いですよ」


 エリーゼの素足は細くて綺麗なので、店員のお姉さんも本心で褒めていると思う。


「ですよね?」


「はい。彼氏さんもお似合いだって仰っていますよ。あの、日本語お上手ですね」


「ええ、祖国の学校で習いまして」


 同じ日本語が通じてよかった……って、逆か。

 向こうの世界が、なぜか日本語なんだよな。

 もし言葉が違うと俺の心が保たなそうなので、本当によかったと思う。


「あの……私たちは夫婦です」


「えっ! そうなのですか?」


 別に言わなくてもいいと思うのだが、エリーゼもその点は譲らなかった。

 自ら、自分たちは夫婦ですと店員のお姉さんに伝えている。


「随分とお若いのに……」


 ちょっと店員のお姉さんに驚かれてしまったが、祖国では若いうちに結婚する人が多いと言ったら納得してくれた。

 ヨーロッパには小さな国も多く伝統的な国も意外と残っている。そこの出身だと思われたのであろう。

 エリーゼが少し浮世離れしているから、いいところのお嬢さんだと思われたのかもしれないけど、実際に貴族のご令嬢だから間違ってはいない。


「そうなのですか。格好いい旦那さんですね」


 俺は取り立ててそうは思わないのだが、今は欧米人風なので日本の女性にモテるのだと思うことにする。


「(私、明日お休みなんですけど、二人きりで観光案内しますよ)」


「(いやあ、奥さんと一緒じゃないと……っ!)」


 どうやら外人好きのお姉さんだったようで、小声でデートに誘われてしまう。

 すぐに断ったのだがエリーゼに知られてしまい、俺はお尻を抓られ、声にならない悲鳴をあげてしまうのであった。





「エリーゼ、すぐに俺は断ったんだけど……」


「ええと、そうだったのですか。よく聞こえなかったので……」


「そんなぁ……」





 俺は全然浮気するつもりなんてなかったのに、エリーゼにヤキモチを焼かれて理不尽さを感じられずにいられなかった。

 間違いなく、あのお姉さんとエリーゼとどちらを選ぶかといえばエリーゼだと断言できる。

 今も二人で町を歩いているが、究極美少女である彼女は多くの男性のみならず、女性の視線も集めていた。


「あの外人さん、スタイルが凄いね。足も綺麗」


「いいなぁ。綺麗だとなにを着ても似合って」


「どこで買った服かしら?」


 ただの量販店で買った普通の服だけど、エリーゼが着ると高級品に見えるから不思議だ。


「あなたのリクエストに応えて、この服にしました。似合いますか?」


「凄く似合うな。周囲の視線を集めているし」


「そう言われると、少し恥ずかしくなってきました」


 今のエリーゼは、肩の部分が紐状のライトパープルのキャミソールに、デニム生地のハーフパンツ姿であった。

 最初は足を見せるが恥ずかしいと言っていたのに、『この国でないとそういう格好もできないのでは?』と俺が言ったら、急に本人がノリノリになったのだ。


『お爺様とお父様に見られたら絶対に怒られますから、確かに今しか着れませんね』


 そう言って、今の服装に着替えている。

 俺は半そでのTシャツとGパン姿だ。

 男の服装なんて誰も気にしないし、今は真夏で暑いからこのくらいでいいのだ。


「あとは、靴だな。歩きやすい靴に変えよう」


 狩猟にも使えるブーツだから、日本の気候だと蒸れてしまいそうだ。

 エリーゼも同じくブーツ姿だから、急ぎ靴屋で購入したスニーカーに履き替えることにする。


「軽くて歩きやすいですね。この国では、みんな狩猟に出かけないのでしょうか?」


 ハンターも田舎に行けばいるだろうが、この町には存在しないと思う。

 当然だが冒険者の格好をした人もいるわけがないので、エリーゼは不思議そうに町行く人たちを観察していた。

 どうやって生活しているのだろうと思っているらしい。


「あとは、なにか必要な物があるかな?」


「あなた」


「あるの?」


「はい」


 エリーゼが、なぜかとても恥ずかしそうな表情をする。


「必要なら買いにいかないとね。なにが欲しいのかな?」


「あの……下着です……」


「下着かぁ……」


 俺もパンツとかほしいな。

 着替えはほとんど野戦陣地にある住まいに置いてきたから、魔法の袋に入っている下着は少ないんだよな。

 エリーゼも同じなのだと思う。


「あなた、一緒に来てくれますよね?」


「勿論、俺はエリーゼの夫だから」


 本当は遠慮したいところなのだが、この国をまったく知らないエリーゼを一人で買い物させるのもどうかと思うから。


「ああ、女性の下着でしたら」


 恥ずかしかったが、俺は町ゆく女性に下着屋の場所を訪ねた。

 いくら地元でも、当時高校生の俺が女性用の下着の店など知るはずがないからだ。

 教えてもらった下着屋にエリーゼと共に入るが、ここでも俺たちを新たな試練が襲う。


「お客様のサイズがほとんどないのです」


 なんとなくそんな予感はしたんだ。

 エリーゼのカップがGと外人でも滅多にいない大きさのため、店にはほとんど商品がなかったのだ。

 九年後なら、もう少し在庫状況もマシだったと思うけど。


「輸入品を取り扱うお店は、姉妹店の方になりまして……」


「そのお店の場所は?」


 俺は、二度も男の身で下着屋に入って恥ずかしい思いをした。

 エリーゼの下着は無事に購入できたが、デザインが微妙だったので彼女も仕方なくと言った感じであった。

 俺の下着? 

 途中のコンビニですぐに買えましたとも。

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