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・『3』


 繰り返しとなるが、彼の名前は久保キョウジ。

 前空学園の二年生だが、その知名度は地元では、地元の外でも一部の人間の間では有名だった。

 歩くだけで地元では名前を呼ばれることも多い。そう、注目の的になる少年……だった。


「だははははっ、ははははははっ、はははっ!」

「キョウコちゃっ! 降臨っ、っぶっはははっはは!」

「ドュフフフっ! キョウジ、選択期があるのに、その名前かよっ! もっと男女でどっちも使える名前にするだろ! お前の両親! 斬新すぎ!」

「うるせぇバカ先輩ども! 次の打撃練習、マジで当てるぞ!」


 今日のキョウジは、部活仲間たちから注目の的となる少女。

 三年生だけが指差して笑っていることが、部活の中でのキョウジの立ち位置(ヒエラルキー)を表していた。

 後輩の一年生が笑えないのは当然ではあるが、同級生の二年は遠慮がちに顔を伏せていた。

 キョウジは二年生の中ではリーダー格でありエース。

 “俺を笑うのは俺の球を打ってからにしろ”、そういうオーラを立ち昇らせる存在がいきなり美少女になれば、誰だってリアクションに困る。


 とはいえ、キョウジの球は三年生であろうとも打つことはできないし、三年エースの藤沼よりも冴えていた。

 では、なぜ、彼がエースピッチャーではないかと説明するならば、理由はひとつ。

 笑う先輩たちを尻目に黙々とメットとマスクを付けているキャッチャー、キョウジの正妻、あさひにも関連がある、ひとつの事象。


「先輩方。笑い飽きたら練習しましょうや」


 毅然と、平然と、敢然と。

 あさひの言葉が、キョウジには輝いて聞こえていたし、その姿が心に響くように見えている。

 男のときから(いつもどおり)、野球しか考えていない相棒。頼りになる(かっこいい)とは思っていた。

 それが、なんということだろう。気の迷いだろう、正視に堪えない。あさひが、異性に見えていた。


「いや練習って。あさひ、お前、打撃練習じゃないのか? 俺が女になってるしよ」

「俺が打撃練習したらキョウが投球練習できないだろ。女になって筋力は落ちていても、身体の感覚を忘れたらマイナス。マイナスはダメだ。今日をプラスにできなくても、マイナスにだけはさせねぇ。お前のナックルは――俺の夢だからな」


 ユニフォームの胸元がキツイせいだと、キョウは自分に云い聞かせた。

 そうでなければ、こんなにあさひを見ているだけで、胸が締め付けられて跳ね上がるような感触が、あるはずがない。

 一球投げる度に高鳴る胸は、ただの疲労であると、心に投げ込むようにボールを放つ。


「……意外と、落ちるな」

「ああ、俺も……もうちょっと、こう、投げられないかと思った」


 計測するまでもなくキョウの球速は確実に落ちていたが変化球も落ちていた。ストンと。打者の直前でしっかり落ちる。

 ――ナックルボール。

 漫画的なまでの衝撃度を持つ変化球であり、その最大の特徴は“投げる本人にも変化が予想しきれない”ところにある。

 ボールを握るというより、手の平で押し出すような独特のフォームから繰り出されるそれはほとんど回転せず、押し込むように放たれる。

 回転によってボールを安定さるのは変化球の基本だが、ナックルボールはその概念を超越し、回転させないことでその変化を不規則なものにする。

 自分ですらどこに行くのか分からない、正に魔球。


 本来は回転に頼らずに放たれるナックルには大きな筋力が必要となり、女体化したキョウジには不可能と誰もが予測していたが、身体は覚えていた。

 あるときは打者に抉り込むようなシュート回転、あるときはストライクゾーンから弾かれるような誘い玉、あるときはオバケのように落ちるカーブ。


 ボールを投げているとき、キョウはもうひとつ、変わっていないものにも気が付いた。

 予測不能な変化球を必死に予想してすがりつき、自分を盛り立ててくれるあさひの存在。

 女になっていても、あさひは自分をひとりの選手として支えてくれている。


「ただまあ、大会で通じるレベルじゃァ、ないな」

「……わかってるよ」

「これなら俺じゃなくても取れるくらいの球だが、だが、逆にこの体験も糧にするくらいじゃないと甲子園どころか……」

「わかってるって云ってるだろっ!」

「? なんだよ、なんか気に障ったか? 目を見て云えって」


 あさひの目を見られない。マスク越しの視線が妙に熱い感じがする。

 自分のユニフォームの臭いも気になるが、あさひの匂いが気になって仕方ない。

 疲れてもいないのに心臓がバクバクとうるさい。


「キレイだし、このままやるか?」

「っは!? え、な、何が!?」

「――何がって、打撃練習だろ。走り込み先にやるか?」

「そそそ、そうだよなぁー! 時間は無駄にできないもんな! おう! バッティングピッチャーくらい任せろ!」

「……じゃあ、ほら、投げろよ。ちゃんとな」


 ヤバイヤバイヤバイ。

 キョウジも、流石に言い訳ができないことに気が付いていた。

 いつもはラブレターやメールで云われるそれ。矢印が向くばかりだったが今日は矢印を向ける方。

 女としての自分は、あさひに……女房役キャッチャーに惚れているのだ。


 なぜキョウジがエースではないのか、それは、この球をあさひしか取れないから。

 前空学園野球部は、キャプテンで四番打者の長町正樹が正捕手であるが、長町ですらキョウジのナックルは取り切れない。

 長町を他のポジションで使ってあさひを捕手で使う手もあるが、そうすればチームの打撃力が格段に落ちる。

 その低下を考慮すれば、三年の藤沼がエースとなる。


「んじゃ、打撃練習だな。しっかりと投げてくれよ。キョウ」

「……ああ、任せろ」


 ――もともと、あさひは強打の捕手として入学したが、最近ではキョウジのナックルの変化に対応する守備練習のため、打撃練習を減らさざるを得なかった

 もし、あさひが通常のキャッチャーと同じだけの打撃練習をできていれば、正捕手の座も取れたかもしれない。

 自分の全てを注ぐ女房役に、キョウジはただただ、惚れていた。

 それが異性になり、惚れているの意味が変わってしまったのは、ナックルボールの軌道のように予測できないことだった。

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