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・『2』

 この日、初めて、キョウジは日本人らしくありたいと思った。

 朝食にパンを出す自宅の習慣が恨めしかったのだ。

 机の上に有ったゆで卵の殻を剥く時間すら惜しみ、ピーナッツ・バターのトースト以外に択はなかった。

 ああ、なんということだ。女になっても腹が減る自分は運動部の高校生。

 姉の無駄に高いテンションに耐えながら並走し、キョウジはパンを噛みしめていた。


「キョウちゃん! “きゃー! 遅刻遅刻☆”って云ってみて!」

「きゃー! この姉、クレイジークレイジー☆!」

「キョウちゃん、そこは“お姉さま”とか“お姉ちゃん”とかで! 初の妹!」

「きゃー! マジで頭沸いてんじゃねぇのこのお姉さ……っだ、くそぉ! マジで! 胸邪魔!」


 キョウは本人の云うように走り難そうだった。重い以上に、服が合っていない。

 袖や裾は余っているし肩幅も落ちているはずが、乳房分だけシャツが張る。ボタンをすると拘束衣のように胸部を圧迫していく。

 キョウジはシャツのボタンを外し、ブレザーで覆うように抑えるが、走るたびに揺れる。そりゃ、もちろん。


「……キョウちゃん、せくすぃー過ぎ……」

「マジで張り倒すぞ!? 俺が一番泣きそうなんだよ! これか!? その……えっと、胸の、あれ、バンドとか、すると楽なのか?」

「あ、ブラジャー?」

「ハッキリ云うなよ!?」

「ブラジャーってなんでハッキリ云っちゃいけないの?

 ……でもごめんね、私のブラ貸したりできなくて……キョウちゃん、私よりおっぱい大きいから……貧乳のお姉ちゃんを許して……およよよ」


 ――殴ろう。

 いくら姉でも女を殴るのは男として論外だが、今は俺も女だし良いだろう。

 ああ、女になっていて良かった、そんな試案が結論に達しようとしたとき。


 キョウジはカチャカチャという音に気付いた。自転車。へこんだチェーンカバーにチェーンが当たる音。

 聞き覚えのあるオンボロママチャリの音。抑えつけられていた胸が反動のように高鳴った。

 ドラムブレーキがキーキーと鳴き、その気配は姉妹きょうだいを追い抜かず、背後に気配としてとどまった


「……いちいち速度緩めてんじゃねーよ! 先行け! あさひ!」

「オイオイ、もうちょっと云い方ってもんが有るだろ。キョウ」


 キョウジと同じブレザーを着込んではいるが、サイズがふたつみっつ違う少年、釘宮くぎみやあさひ。

 普段から年齢に比べると小柄なキョウジでデコボココンビ扱いされるが、女になったことでデコボコどころか山と谷ほどの高低が生まれている。


「ごめんねー、うちの妹。今日はゴキゲンナナメなのよー。あさひくん」

「おはようございますお姉さん。大丈夫ですよ。キョウがキレやいのはマウンドでもベンチでも同じですから」

「あさひくんって、キョウには勿体ないくらい良い奥さんよねー……あさひくん、遅刻しない? 大丈夫?」

「大丈夫ですよ。あと七分も有りますし……もう前空学園も、ほら、すぐそこですから」


 前空学園の校舎以上に目立つ、大きなグランド類が視界に飛び込んできた。

 多くの部活動で県大会優勝を叩きだすが、全国優勝となると女子テニス部くらい、という北関東屈指のスポーツ名門校ではあるが、トップクラスというには語弊がある、そんな彼らの母校、前空学園。

 そこに通う釘宮あさひは、その恵体えたいに似合う大声で守備を統率し、体格に似合わない小技で打線を支える兼ね備える選手として野球部で()()捕手だ。

 投手ピッチャーの要求に応じ、その力を引き出すところから捕手キャッチャーを女房役と呼ぶことが多いが、部活の中で、あさひはキョウジの正妻と云って良い。

 打席ではキョウジのために援護点を稼ぎ、マスクを被ればキョウジの投球を導く良妻。その良妻は、


「んじゃ、学校で! お姉さん!」


 不慣れな女の身体に苦戦するキョウジに後ろ髪を引かれることもなく、ペダルを踏みしめて行った。

 良妻過ぎるあさひの態度に憤慨するキョウジだが、姉の明日菜は、いつも通りのやりとりに逆に驚き、当惑していた。


「……ねえ、キョウちゃん? 今、あさひくん、さ」

「あ?」

「キョウちゃんが女の子になってるのに、普通に気付いたよね?」

「……そうだな、まあ……相棒、だからな。あんなのでも、よ」


 選択期は既に一般に流通しており、驚くには値しないのかもしれない、が。

 キョウジは姉や母は本人と分かったが父親には分からないような美少女に姿を変えている。

 それを背後から自転車で追い抜くとき、何の躊躇いもせず、キョウジと断定したあさひ。

 重ねて、キョウジの方はといえば、なんでか知らないが、あさひと分かれてからというのも、こちらの変化に目を惹かれていた。


「……ねえ、キョウちゃん、カゼっぽい?」

「あ? ……そういえば、なんか、顔が熱いし、動悸がするな……女の身体だからかな、副作用? あさひを見たら……ん、んんん?」

「……お姉ちゃん、弟も欲しいけど……あさひくんが弟になっちゃう……?」


 今度は姉の方まで赤くなったことで、キョウも姉の結論に達してしまった。

 自分の中の、初めての感情の正体。

 気の迷いか、混乱だと思いたいが、そう思うには今の感情を見詰め直さなければならないが、向き合えば恐ろしい結論が待っている、そんな予感が確信的に感情の正体を告げる。


「いやいやいやいや、それはないって! あれは野球バカの相棒のあさひだぞ!?」

「キョウちゃん、あさひくんの良い所、一個挙げてみて?」

「そんなもんねえだろ……しいて云えば……」


 足を止めることもなく遅刻を阻止しながら、キョウジは絞り出すたったひとつの長所に、明日菜は神経を集中した。



「――優しいところ、かな?」



 おとうとの返答に、明日菜あねの女の勘は、ビンゴだと告げていた。

 

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