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・『1』

 気怠かった。

 筋肉痛はいつものことだが、今日のは不思議と重い。痛いんじゃなくて重い。

 久保くぼ今日示きょうじの覚醒。蒲団から糸を引いている身体に脳が入れた喝。今日も部活がある。

 三年(せんぱい)がうるさいし、一年(こうはい)にもめられたくない。二年生の意地は緩やかながらテキメンに、ノッタリと離床を果たさせた。


「あ、あれ?」


 腕の可動範囲と肩にかかる重量に齟齬があった。

 胸が太った? 二の腕が引っかかる? まずい、相棒(あさひ)にまた小言を云われる?

 ベッドから立ち上がろうとするときに、“彼”は股関節周りが妙に軽いことから……自身の三人称が“彼女”に変わったことを実感し、絶叫した。

 転がるように階段を降りた今日示は、食卓のあるダイニングに飛び込み、朝の忙しさに追われながらも団らんする両親と姉に向かって叫んでいた。


「なんだよ、これは!」


 絶句していたのは父親だけで、姉と母親は朝のひと時らしく、洗い物をしたり、マイボトルに入れるティーバックをほうじ茶か紅茶かを選んでいた。

 和んでるんじゃなくて騒げよと思ったが、きゃるん、とした自分の声に、今日示も我ながらも和んでしまいそうだったりした。


「おはよー。キョウ。なんか可愛くない?」

「キョウちゃん、選択期、今日だったのねー」

「ほお、よく分かったな母さん、明日菜あすな。私はてっきり、キョウがとうとう女の子のひとりも連れ込むようになったかと驚いていたんだが」

「あらあ、だって母親ですものー。息子が女の子になったくらいで見間違ったりしないわよぉ」

「さっすがは母さん。母親の鑑。僕も父親として気付けなかったのは悲しいが、夫として君を選んだことを誇りに思うよ」

夕平ゆうへいさん……っ」

思保しほ……っ」


 がっしっと抱き合う両親に、今日示は自然発生的に事実めいたツッコミをすることにした。


「うるせぇバカ親」

「キョウ、いつも云ってるだろう? 汚い言葉は自分に返ってくるぞ」

「女の子言葉、教えてなかった? ええっと、こういうときは……」

「“お静かになさいませ、愚かしいお母様とお父様”じゃない?」

「ああ、それっぽいわ! 明日菜!」

「お静かになさいませ、愚かしいお母様とお父様とお姉様! っていうか、俺、()()()があるなんて聞いてねえぞ!?」


 せんたく


 二十二世紀末、人類は自らのの完全解析を成し遂げた。

 (グアニン)(アデニン)(チミン)(チアシン)の四つしかない塩基の記す叙事詩、それが遺伝子。

 DNAの呪文めいた螺旋の中に残されたのは、癌を始めとする不治とされていた病の克服、先天障害の排斥、傑出した才能の備える輝かしい神童の誕生。

 肉体の中に眠っていた無限の可能性が現出したことで新たなるゴールドラッシュと戦火を生んだ……が、それも、一過性のもので、遺伝子的に優れた世代の台頭により、世界的にも最も平和で温厚な時代が訪れて来ていたりする。つまるところ、平和なのだ。


 そんな喜ばしい日和見な中、自由の一環としてひとつの制度が誕生していた。

 馬は生まれながらに立ち上がる。昆虫は何をむべきかを知り。魚は生まれながらに泳ぐことが出来る。

 だが、人間はその高機能さ故に生まれながらに不完全な状態で生まれてくるが、走ることも、食べる物を選ぶことも、泳ぐこともできる。

 その成長の余地こそが人間の本領。生命の姿。真骨頂。そして遺伝子改造の結果、更なる自由を与える。それが選択期だ。



「あら? 夕平さん、あなたから云ってくれたんじゃないの? 選択期のこと」

「いやいや、思保、キミから伝えてくれているとばかり」

「まあ、あたしたち、二人して勘違い」

「そうだね、でも仕方ないじゃないか」

『ふたりはラブラブ』

「うっせぇえ、バアアアアカ! 息子の人生の一大事をイチャつくネタにしてんじゃねぇええええ!」


「あたし、先に学校行くわねキョウ。お母さん、あたし、夕飯は家で食べるから、よろしくね」

「はーい、いってらっしゃーい」

「日常会話してんじゃねええよぉおおお! バカ姉ぇええええええええ!」



 人間は生まれる時を選べないし、生まれる国も、生まれる親も選べないが、せめて生き方を選べる一助にと用いられている非常に“人道的”な制度、それが選択期。

 成長のある段階で性徴に任意性を持たせる。つまり、女として生まれた者には男の肉体を体感させ……キョウジのような男として生まれた者には、女としての肉体を体感させる。

 大きな瞳と可愛らしい声。詰まっている夢と同じように大きな胸がパジャマのボタンが飛ばしそうになるが、それとは不釣り合いな華奢な身体。その張りのある肌は白く甘い。キョウジ自身の嫌悪を誘うほどに甘ったるい。


「どうすんだよ! こんな身体じゃ野球できねえよ! 大会前で大事な時期ってヤツなんだよ!」

「大丈夫大丈夫。病院に行けば一発だから」

「は?」

「本当に野球しかやってないなキョウジは。女で固定するなら行かなくて良いけど、戻るなら病院でホルモン注射をしてから多めに食事を摂れば良いよ。筋力のバランスとかも大脳辺縁系がちゃんと記憶してるからね。キッカリ戻れる」

「行く! 今行く! カネくれ! あと保険証!」

「あ、でもね。それ、一日はダメよ。身体が二回の変化にビックリするから。今日一日は開けないと。学校、休む?」

「休めるか! 大事な時期だって云ってるだろ……っていうか、今、何時!?」


 再び絶叫し、野球部での女房役を考えると不思議と胸が高鳴ることを感じながら久保今日示はサイズの合わなくなった制服を着こんだ。

 たった一日の、今後の人生を決める選択期は、こうやって始まった。




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