1話
「ハァハァハァハァ……! 一体……なん、なんだよッ!」
迫り来る死から逃れるために、俺は死に物狂いで夜の街をかける。
どれくらい走っただろうか。
暴れる心の臓は破裂しそうなほど早く脈打ち、飲み込む唾は血の味がする。
いつまで俺は走ればいいのか。
道中ずっと助けを求めて叫んでみたが誰一人、周辺の住人が様子を見に窓を開けることはない。
何がどうなってやがるんだ。
背後から光。
俺は感だけを頼りに横へ飛ぶ。
間一髪、俺がさっきまでいたところを雷撃が直撃し石畳が爆ぜる。
走り続けて体は燃えるように熱いのに背中には冷たい汗が流れる。
襲撃者は一体何者なんだ?
追ってきているのはおそらく1人。
角を曲がる時にチラッと見えたが襲撃者は民家の屋根をつたって追ってきていた。
「クソッ! 屋根の上じゃどうしようも……うおっ、危ねぇ!」
ごくわずかな、何かが風を切る音。
俺は慌てて横の路地に飛び込んで回避する。
無理に路地に飛び込んだために勢いあまって路地の壁にぶつかる。
「ガハッ! うぅ……クソが……。 あのヤロウ本気で殺しに来てやがんな」
雷撃の魔法の次は飛び道具だ。
刃を先端に付けたワイヤーが、ちょうど俺の頭の高さの位置の壁に突き刺さっている。
ワイヤーが引かれ、襲撃者の元へ戻っていくのを視界の端に捉えつつ俺は路地の奥へと再び走り出す。
「チッ、やっぱり誘導されてやがる……」
頭の中の街の地図からだいたいの現在地を割り出す。
俺の記憶が正しければこの先は商業区。しかも商会の倉庫が多く集まっている地域だ。
このくらいの時間なら人はほとんどいない。いても警備の人間が少しいるくらいだ。
助けはほとんど期待できないな。
「俺は冒険者だ……。魔物にやられて死ぬならまだしも、街中で殺し屋に殺られるなんて冗談じゃねぇ」
襲撃者は決まって曲がり角がある所で攻撃してきていた。
俺の進路を操作するように、だ。
いい加減覚悟を決めるべきだろう。
逃げることから迎え撃つことに頭を切り替える。
ワイヤー攻撃か他の飛び道具での攻撃時がチャンスだ。
魔法は剣で相殺できないからな。
路地を抜けるとそこは倉庫街。
昼間は活気のあるここも、今は人っ子ひとりいやしない。
闇夜に佇む無数の倉庫はまるで墓標のように思える。
不吉な考えを振り払うように俺は倉庫街をかける。
背後が光る。
俺はほぼ反射的に近くの脇道へ入る。
直後に聞こえる破砕音。雷撃の魔法だろう。
まだか。
物理的な攻撃は。
それから数回、分かれ道で攻撃を受けたがどれも雷撃の魔法。
飛び道具による攻撃はなかなかしてくれない。
焦りだけが募る。
俺をどこへ連れて行こうとしているのかはわからないが、このまま誘導されるままに走り続ければろくな事にならないのはわかる。
普段から神に祈りを捧げるような敬虔な信徒ではないが今ばかりは神にもすがる思いだ。
だが祈りは届かなかったようだ。
路地を導かれるままに進んでいるとついに行き止まりにあたってしまった。
「クソが……。ここで迎え撃つしかねぇのかよ!」
できればもう少し広い所で迎え撃ちたかった。
狭い路地裏では動きが制限されてしまう。
まんまと襲撃者の腹の中に飛び込んでしまった。
振り返りつつ腰から剣を抜き、構える。
襲撃者は月を背にして、こちらの様子を伺っているのか屋根の上からこちらを見下ろして動かない。
しばらくそのまま睨み合いが続く。
乱れた呼吸が少し落ち着いてきたのはいいが、いつ攻撃が来てもいいようにと集中し続けるのは辛いものがある。
「なんで俺を狙ってるのかは知らねぇけどよ、ここで黙ってやられると思うなよ? クソ襲撃者」
たまらず声をあげてみるが襲撃者の反応はない。
嫌な時間が流れる。
襲撃者はずっと屋根の上から動かない。
剣を構える腕が震えてくる。
いつまでこうしている!? いつまでこうしてればいい!?
いつまでも睨み合いが続くような錯覚を覚え始める。
だがその時、ついに状況は動き出した。
襲撃者の向こう側にある月が雲に隠れる。
月明かりが遮られ、あたりの闇はいっそう濃くなる。
「しまっ!?」
この時自分がヘマをしたことに気づく。
襲撃者を見つめ続けていたために、襲撃者の後ろにある月の明るさに目が慣れていた。
しかしその月明かりが失われた事で暗闇に目が慣れていない俺は周りがほとんど見えなくなる。
襲撃者は動き出す。
屋根から俺めがけて飛び降りる。
影がわずかに動いたことくらいしか見えなかった俺は感だけを頼りに剣を振る。
ガキンと襲撃者のナイフと俺の剣がぶつかり合う。
ナイフによる攻撃でも飛び降りることで全体重をのせた攻撃は非常に重い。
歯を食いしばりなんとか受け止めると、襲撃者は軽業師よろしく、押し返される勢いに任せて後方へ飛ぶ。
だが襲撃者の武器はナイフだけではない。
襲撃者の着るマントの裾からワイヤーが飛び出し、まるで蛇のようにカーブを描きつつ刃が襲いかかる。
「!? ……シッ!」
襲撃者にワイヤーを投げるような動作はなかった。
突然、それはまるで意志を持っているかのように動き、飛んできた。
完全に意表を突かれた俺は一拍反応が遅れるがなんとかワイヤーを弾き返すことに成功する。
弾かれたワイヤーはシュルシュルと襲撃者の元に戻ると、まるで尻尾のように襲撃者の後ろで揺れている。
「魔道具か……。面白れぇモン持ってんじゃねぇか」
魔道具とは魔力を込めてやることでいろいろな効果が発現するアイテムのことだ。
襲撃者のワイヤー武器は蛇のように空中をうねる。
物理現象を鼻で笑うようなトンデモアイテムは大抵魔道具だ。
襲撃者が斬り込んでくる。
まだ俺の目はよく見えない。襲撃者は人型の影にしか見えない。
だが最初に打ち合った時に襲撃者のナイフの反射防止の細工が剥げたのか、少しだけ星明かりにナイフがきらめく。
その僅かな光を頼りに斬り合うが、ナイフを弾くのが精一杯。
しかも今度はワイヤー攻撃まで同時にしてくる。
剣で斬りかかればワイヤーが剣を絡めとろうとしてくる上に、先端の刃が俺を貫こうとうねる。
ついに攻撃する余裕は失われ防戦一方になる。
ナイフとワイヤーの同時攻撃は防ぎきれず、致命的な負傷はなんとか避けているものの小さな切り傷が増えていく。
「…………」
襲撃者はそろそろ決着を着けにきたのか、音もなく2本目のナイフを抜く。
二刀流となったナイフの連撃に俺は完全に捌けなくなる。
皮膚が裂け、血が流れる。
死神の鎌が首に当てられているような気分だ。
きっと俺はここで殺される。クソったれ襲撃者には傷一つ与えられずに。
疲れと焦りから致命的なミスを犯す。
破れかぶれに振り下ろした剣を交差させたナイフに受け止められ、跳ね上げられた。
剣を握る右手を万歳させられた俺は、迫りくるワイヤーの刃を防げない。
濃密な死の気配。
咄嗟に俺は左手で腰のポーチからサイフの巾着を取り出すと、襲撃者に向けて中身をぶち撒ける。
「……!」
襲撃者は突然の飛来物にワイヤー攻撃をやめ後方に飛び距離を取る。
その瞬間襲撃者の前に半透明の膜が現れ、小銭の礫が膜に弾かれる。
「障壁の魔法まで使えるのかよ!?」
襲撃者は障壁を消すと右手を俺に向ける。
展開される魔法陣を見て俺は息を飲む。
右腕は万歳、左腕は小銭をぶち撒けたままの状態ではすぐさま回避をとれない。
魔法陣から雷撃が飛び出す。
高速であるはずの雷撃がひどく遅く見える。
ゆっくりと近ずく雷撃は俺の胸に触れた瞬間、強い衝撃と共に俺の体を貫いた。
後ろに吹き飛ぶ俺が最後に見たのは、細い路地から見上げる綺麗な満月だった。
「チク……ショウ……」