ギガントヴァーサス1
新春の野には、まだ冷たい空気が満ちていた。
東方大陸、高山地方である蕈崙には、低い背丈の高山植物が茂る。
そこに、二人の人影があった。
ぜぇ ぜぇ ぜぇ
一人は、荒く息をしたままそのズタボロになった道士服――白を基調とした中位符術師の服装を纏った体を、地面に横たえている。
年若い見た目の青髪の青年。苦痛に歪む表情と、全身の切り傷には血が滲む。周囲には砕け散った剣。焼け跡が散らばる魔術符。煙を上げてくすぶる草原。抉れた地面。
矢折れ、剣も折れ力尽きた。激闘を繰り広げるも力及ばずという姿。
ぜぇ ぜぇ ぜぇ
静寂の中を、青年の呼吸だけが響く。
もう片方は、直立したまま微動だにしない。
風景の一部のように、完全に静止している。
対を成すように黒い道士服。黒髪が伸びる頭に、三白眼の凶相。中年ほどに見える男。長身が、倒れたままの青年を見下ろしている。
ぜぇ ぜぇ ぜぇ
「……見事なり」
彼は――静寂を突き破り声を出した。
「戮眼道刑仙術一派において、なかなかの若者がいると聞いたがこれほどとは」
ぜぇ ぜぇ ぜぇ
「符術、剣術、闘法。それら全てが並みの水準を越えている。そして判断力もある。齢二十一。捨てられていた赤子の頃より修行を積んでいたものとはいえ、この出来は格別である」
漆黒の体。その胸に一点。土が着いていた。
握り拳で付いた、土の手形。
「あらゆる実力を凌駕しているこの私との闘いにおいても、見事に勝機を見いだし掴んだ。この拳技は戮眼道刑拳法の八奥義が一つ、対象の内臓を練り上げた気で砕く『真砕』か。まさかお前の年でこれを使えるとは。最初から狙っていたのはこれか」
ぜぇ ぜぇ ぜぇ
「未熟であったは私のほうか。全く――侮っていたわ」
一筋の、血が垂れる。無傷の男の口から、赤がゆっくりと零れる。
ぜぇ ぜぇ ぜぇ
「見事なり。お前ならば任を果たせるだろう。――合格だ、ガァジ」
同時に、男の体が爆発する。吹き上げる血の嵐が、緑を染める。どう、と音を立て倒れた。
青年は――ガァジは、力の入らぬ四肢を、引きずるように立ち上がる。
ふらつくまま、静かに肘を立てて手を胸の前に組み、ゆっくりと目を閉じる。礼を示す所作。
「印可、しかと受け取りました――謝謝」
△ △ △
「あの黒の三位、リーダイを倒すとはな」
蕈崙中央にある中央会議所。焚きしめられるは黄火の香。居並ぶは、各流派の重鎮とされる仙人中の仙人の群。
その中央にいる、白髪白眉が生い茂る老人が呟く。
「実に、有望な才能である。それでたった二十一才か。例の件、この者を遣わすことに異論あるものはおるか?」
声はない。白髪の老人――高憐急龍派の長老、ウィソンは満足げに頷く。
「よろしい、では決まりだ」
「あの、よろしいでしょうか大人」
跪いたまま、ガァジは言葉を続ける。
「試験とはいえリーダイ道師を殺めたこと、ここにお詫びいたしま」
「いや、あれは生きておるよ。ここの医学をもってすれば体が三分の一残っていてと頭さえ無事ならどうとでもなるわい」
「はあ……そういうものですか」
「ゆえにお前の試験も手加減無しでやらせたのだがな。あやつも修行が足らぬわ」
白毛に包まれて表情さえわからぬ老人。その毛先がわさわさと動く。笑っているらしい。
「さて、おぬしには境界大陸へ特殊潜入工作員として旅立ってもらう。あの大陸は大陸勢力の戦闘は法度であるから、表面上は流れの符術師崩れの冒険者としてな」
「禁忌にして秘宝とされる【魔法】を探すためですね」
「さよう。あの大陸には【魔法】がある。現在普及している魔術大系の知識ではない、全く別系統の魔力干渉法則、【魔法】の存在がな。それをどの大陸が手に入れるか、それで勢力図は一瞬で塗り替えられるだろう。わが国の運命、その一端を背負ってもらうぞ。重責に耐え、見事【魔法】の知識を持ち帰るのだ」
「……はい」
頷く青年。迷い無き眼に、老人の笑いが強まる。
「ふむ、まあ遠い地ゆえ不安もあろうが、現地の支援要員もつけさせ」
「大丈夫です! 俺は天才ですから!」
言い切った。はっきりと。
「あー、うん、若いもんなあ。まあ頑張れや」
老人の声は、どこか投げやりだった。
△ △ △
――俺は天才……そう、いつだって天才だった。
四ヶ月前の記憶。たしか盛大に見送ってもらった。あの時の豚の角煮とガチョウの姿焼きは最高だったと、口の中の砂を噛み締めながら思い出す。
今、ガァジは奇しくも四ヶ月前と同じように地面に倒れていた。
違うことは二点。倒れているのが境界大陸の街、バドワイズの乾いた地面であること。
倒れている理由は、戦闘の負傷ではなく極度の空腹と脱水。
――まさか大陸について三時間で財布スラれるとは……
なんとか飲まず食わずで街までやってきたはいいが、支援要員のいる建物の詳しい地図まで財布に入れていたために手詰まりになってしまった。
冒険者として【魔法】の在処を探るどころか、このままでは飢え死にする。
――せめて現地の支援要員の場所さえわかりゃ……
ぎ ゅ む
頭部に、ニブい衝撃があった。付したままでもこれはわかる。
「あ、やっべ、ゴミだと思ったら人だった」
踏まれた。それもゴミと間違えられて。
「ゴメンな。でもこんなところで寝てるのも」
女の声、誰かわからない。だがこれを利用するしかない。
ガァジは、女の足首を掴んだ。できるかぎりの力を振り絞って。
「……謝罪とぉ」
「へ?」
「謝罪と賠償を要求するううううう!!!」
「はあああああ!?」
突然の要求に女――戦闘奴隷、ヒートは困惑の絶叫を上げた。