第五話
「石川明、います」
「西谷瞳、います」
「そんな言い方しなくても」
二人の畏まった言い方に、瞬の声は苦笑する。
「あれ、美奈は?」
しかし、すぐに三人は異変に気づいた。彼らの耳に美奈の声は入ってこない。
「あの馬鹿」
瞬は悪態をつく。だが、すぐに引き返そうと二人に言った。もちろん、明たちに異存があるはずがない。
そのとき、鋭い悲鳴が蛇穴の中にまで聞こえてきた。美奈の声だ。三人は今歩いてきた道を光に向かって手探りで歩き出した。暗すぎるため、走りたくても走れない。
周りが明るくなる。三人の歩く速度は次第に速くなってきた。やがて、小走りになる。再び彼らは不思議な世界に入った。しかし今度は奇妙な生き物たちを観察する余裕はない。
「多分こっちだ」
瞬が二人を先導するように走る。明も美奈の無事を祈るような気持ちだった。おそらく瞳も同じ気持ちだろう。
「いた」
いち早く美奈に気づいたのは瞳だった。
美奈の正面には八つの頭を持つ怪物が立ちふさがっていた。ヤマタノオロチだ。明と瞳が美奈の許へ駆け寄ろうとすると、瞬に引きとめられた。
「今、行っても無駄だ。みんなであいつに食われるだけだ。さいわい、あいつには動かないものが見えないみたいだから、下手に動かないほうがいい」
「どうして分かるの?」
瞳が不満そうに尋ねる。
「だって、ほら。あいつの首を観察してると、動くものにしか反応していないだろう。それにティラノサウルスも動くものしか見えないらしいし」
どうしてここでティラノサウルスが出てくるのか、明には疑問だったが、瞬の言うことはもっともなことに聞こえた。というよりも、こんな短時間でそこまで観察している、彼の鋭さに驚いた。瞳も同じことを思ったのだろう、納得したように瞬の言葉にうなずく。
「でも、どうやって中島さんにそのことを伝える?」
明の言葉に、二人は首をかしげる。彼らにも打開策が見当たらないのだろう。早くこの状況を何とかしなくては、という焦りが三人を襲う。
「こうしよう。俺があいつのそばに石を投げる。それで、あいつがそれに気をとられている隙に明、お前が美奈のところに行ってくれ。ただし、すぐに逃げようとするんじゃなくて、二人でじっとしてるんだ」
頭をひねった割には、瞬の意見は月並みだ。しかも、下手をすると自分が犠牲になるかもしれない、と明は思った。でも、そうするしかないということも、同時に彼は思った。
「分かった」
短く答える。瞬は軽くうなずくと、石をすばやく拾い、手首にスナップをきかせて下から投げ上げた。怪物の八つの首がすべて石のほうを向く。明はその瞬間を逃さなかった。美奈のそばに駆け寄る。そして、瞬から言われたことを手短かに説明した。
「うん。でも、このままじっとしてても、あの化け物に気づかれるのは時間の問題だと思うけど」
美奈が消え入りそうな声で言う。明はいつもの彼女の強い口調を思い、すこしかわいそうな気持ちになった。
「瞬が何とかしてくれるから、大丈夫だよ」
明は美奈を励ますというより、自分に言い聞かせるようにして言った。実際、明にも逃げ切れるという確信があるわけでもなかった。
そのとき、怪物の体が傾いた。音を立ててバランスを崩したのだ。とっさに、「逃げろ」と言って、明は美奈の腕を引っ張り、駆け出していた。