集う戦士達
柳 紗耶香は、桜花女学院の二年生になる。
長い黒髪が似合う美少女だ。春休みに帰省して来て、実家の剣術道場で朝稽古を終わらせた所だ。流れる汗をタオルで拭いながら、稽古に姿を見せなかった父親の事を考える。
無理もない、あれほどショックを受けてはな。
昨日、紗耶香は父親と共に葬式に行っていた。父親の恩師が亡くなったのだ。棺の前で拳を震わせながら涙を流すあ父【柳 蒼太】。絞り出すように、
『……もう一度、もう一度、手合わせしたかった。』
そう言って泣いていた。初めて見る姿だった。
隣に立ち焼香をあげる。
遺影が目に入る。
そこには、格闘王と呼ばれた男、泉 光一郎の姿が写っていた。
蒼太と光一郎は親子程年が離れている。
十年以上前にまだ無名だった光一郎が、剣鬼と呼ばれていた蒼太の噂を聞きつけ手合わせを申し込んで来たのだ。
異種格闘技を良しとしない蒼太は最初は断っていたのだが、しつこく頼み込む光一郎に根負けし、受けることになった。
結果は蒼太の惨敗だった。蒼太の竹刀は光一郎の体を一度も捉える事はなく、入った、と思った一撃も光一郎の掌底に弾かれ竹刀を折られていた。
光一郎の実力を素直に認めた蒼太は、光一郎を夕食へ招き武術について大いに話し合った。
光一郎が色々な武術を取り入れ、気の力で身体能力を上げる新しい武術を作ろうとしている事を聞き、完成した暁には是非見せてほしいと頼み込んだ。
その二年後、以前にも増して逞しくなった光一郎がふらりと現れた。泉流格闘術が完成したと嬉しそうに語った。
この時の事は紗耶香はも覚えている。
父親が普段見せることのない、朗らかな笑顔で出迎えていた。
暫く話しをした後、道場横の中庭に移る。
そこには二メートル近い大岩が置いてあった。光一郎はその横に竹刀を持ち構えを取る。
直後、キィィーーーーーーンと音が響いた。
後で説明してもらったが、体内で気が練り上げられた時に出る音らしい。
気合いと共に光一郎が大岩めがけて竹刀を振る。
カツッと音がした。そして、大岩が切れていた。
切断面はヤスリを掛けたかのように滑らかだった。
その技に驚いた蒼太はその場で光一郎に弟子入りを願い出ていた。以後、一月程光一郎は道場に泊まり込み、蒼太と紗耶香に気の運用について教えてくれたのだ。
その後、光一郎に合う機会は無かったが、その時に習った事は今でも欠かさず続けていた。
暫く大岩を見ながら父親と光一郎の事を考えていた紗耶香が歩き出す。
道場横の中庭を囲む様に続く廊下を母屋の方に行けば、蒼太の部屋が有る。
部屋の前でもう一度大岩を見て、部屋の中の父親に話しかけた。
『父さん。』
『……紗耶香か……。』
力の無い声が帰って来た。僅かに眉を寄せながら紗耶香が続ける。
『父さん、今日学校へ戻ります。……その、どうか気持ちの整理をつけて下さい。』
上手く父親を励ます言葉が出ない事が、もどかしい。
『紗耶香、私はね、後悔しているのだ。』
蒼太の言葉に驚く紗耶香。いつも自信に満ちていた父親から、後悔なんて言葉を聞くとは思わなかった。
『何故、もっと師匠と共に生きなかったのか?とね。道場や年の差も有ったが、そんな事は些細な事では無かった。』
蒼太の言葉を黙って聞く紗耶香。蒼太は続ける。
『我らの御先祖様には、生涯を掛けて使える主に出逢えた方も居ると聞く。もしかしたら、師匠こそ私にとっての主だったのかもしれぬ。』
父さん、そこまで……。
蒼太の言葉に父親の光一郎への心酔具合を改めて知らされた。
『紗耶香、お前は同じ過ちをしないでほしい。いずれ、お前にも心から尊敬出来る相手が現れるやも知れん。その時には後悔の無いようにな。』
『父さん……、分かりました。肝に命じておきます。』
そう言って、お辞儀をしてその場を後にする。
一方、その頃……。
光達三人は、寮の食堂で朝食を食べていた。
光は焼き鮭定食、楓はサンドイッチセット、妙子は焼き肉セットである。
『妙子先輩……、朝から焼き肉、ですか?』
『そだよ。お腹空いちゃったからね。』
平然と答える、因みにご飯は大盛だ。
『ムグムグ……、そういやさ、光ちゃんの相部屋の相手、今日帰って来るよ。』
食べながら妙子が話しかけてくる。
『確か、紗耶香先輩……でしたよね?』
光は食事の手を止め答える。
『そう、柳 紗耶香だよ。』
『どんな方何ですか?』
『う~ん、一言でいえば剣道少女だね。』
『剣道少女ですか?』
『そ、家が剣道場やっててさ、ずっと剣道一筋なんだよね。』
『剣道……、妙子先輩も空手か何かやってますよね?』
『あ、分かる?空手だよ。一応、全国で良いとこ迄行ってんだよ。』
『全国ですか~~~、凄いですね~~~。』
モクモクとサンドイッチを食べていた楓が会話に参加してくる。
『にゃは、ありがと。でもね、沙耶はもっと凄いよ。なんせ、去年の全国大会で優勝してるからね。』
『お二人共、凄いですね。』
光は素直に感心していた。去年と言う事は一年生が高校の全国大会で優勝した事になる。
『でもね、あたしら此処じゃ異端扱いだからね~。肩身狭いんだよね。』
あ~、と思いながら周りを見る。結構人が増えて来た。
帰省していた上級生や新入生が入って来たのだ。
殆どの生徒はお嬢様と言うに相応しく、おしとやかに見える。
……一部を除いて……。
『だからさ、格闘関係の部活なんか無くってね、去年あたしらで造ったんだよ。』
その一部の代表格が話しを続ける。
『空手と剣道ですよね?何の部活何ですか?』
光が疑問に思い聞いてみた。
『それはね、武術全般を総合的にやる、その名も……武術部だ!!』
『まんまですね……。』
ドヤ顔の妙子に小さく突っ込む光。楓は気にせずデザートのプリンと格闘中だ。聞いてないのかもしれない。』
『まぁ、実績だけは有るんだけど、部員数が二名なんだよね。』
それはそうだろう、と光は思う。この学校にそもそも武道をやっている生徒がいる方がおかしいのだ。
『だから、さ。今年新入部員が入らないと、即、廃部なんだよね。』
妙子がニヤリと笑う。 その目は光をロックオンしている。
『ごちそうさまでした。』
気づかなかった降りをして、席を離れようとする光。
しかし、妙子に回り込まれてしまった。
『待って、待って。ね、お願い、光ちゃんも一緒にやろ?今ならほら、この子もオマケで付いてくるから。』
と、楓を差し出す妙子。無茶苦茶である。
『ほぇ~~~???。何でしょう~~~???』
楓は状況を飲み込めてない。
『楓ちゃんもさ、光ちゃんのカッコいいとこ、見たいよね?』
妙子が絡めてで攻めてきた。
『あ~~~っ、見たいです~~~!!』
あっさり落とされる楓。キラキラとした目で光を見てくる。
『う。……私本当に経験有りませんよ?』
期待の眼差しに気圧されながら答える光。
『良いって、良いって。一緒にやってくれれば良いからさ。』
妙子も眼差しを向けてくる、少々わざとらしい。
『……分かりました。入部します。』
他にやりたい部活が有る訳でもなく、何より目の前の妙子は面倒見の良い先輩だった。多少、強引な所や無鉄砲な所も有るようだが……、とにかく困っているなら助けたいと思った。
『ありがと~、楓ちゃんも光ちゃんと一緒にやるよね?』
妙子のターゲットが楓に移った。
『光さんと一緒~~~。はい~~~、宜しくお願いします~~~。』
こうして光と楓は武術部への入部が決まった。
……まだ、入学式もやってないが……。
紗耶香は駅に降り立つ。此処から学院迄はバスに乗れば良い。
新入生の為に何か土産でも買って行こうかと、商店街へと歩き出す。
同級生が噂していた洋菓子屋さんを思い出していた。チーズケーキがオススメらしい。四人分購入して、駅前のバスターミナルに向かう。
ふと、路地に居る三人組が目に入った。何時もなら気にする事は無い。何か違和感を感じたのだ。
良く見れば、その内の一人三十代の男に何やら黒いモヤが掛かっているように見える。
気になって見ていると視線に気づいた男達三人は路地の奥へと移動していった。
『おい、待て。』
紗耶香は声を掛けて追いかける。
『くそっ、又あの制服か。』
男が忌々しそうに呟く。
『おい、お前らこいつもやっちまえ。』
一緒に居た二人の若者に指示を出す。
『へへっ、良いんですか?』
『お嬢ちゃん、余計な事に首突っ込んじゃいけないな。』
下品な笑いを浮かべて男達が近づいて来た。
紗耶香は自身を捕まえようとした男の手を持っていた竹刀で撃ちすえる。
『痛っ?!て、てめぇっ』
男が睨み付けてくる。が、紗耶香の気迫に気圧される。
『今、こいつ「も」と言ったか?詳しく聞かせてもらおうか。』
紗耶香が正眼に構えを取る。男達は動けない。
『何してやがる!びびってんじゃねぇ!』
後ろで男が喚く。
『くそっ。』
『ガキが調子づいてんじゃねぇ!』
催促され、同時に紗耶香に襲いかかる二人。
パパーーーン!
軽快な音が響く。
頭を打たれた二人は声もなくその場に倒れ混む。
残った男に向き直る。
『ひっ、ひぃっ!』
男は逃げ出した。後を追う。
何なんだ?何なんだあの女達は?あいつらお嬢様じゃなかったのか?
男は混乱しながらも必死に逃げる。やがて、薄汚れたドアが見えてきた。中に飛び込む。
中は薄暗いスナックのようだ。店員らしき人物は居らず、男が一人酒を飲んでいた。ボサボサの髪に無精髭で顔も良くわからない。
『沢田!仕事前にもう一仕事だ。』
息を切らせながら話しかける。
『高山さん……、手勢を連れてくるんじゃぁ、なかったんですかい?』
酒を飲みながら、沢田が答えた。
『うるせぇっ!折角雇ったチンピラが妙な女にのされやがった。追われてるんだ、頼む。』
やれやれ、と言いながら酒を飲み干す。
『どうやら、来たようですよ。』
沢田が告げた直後、ドアが開け放たれる。紗耶香だ。
『そいつだ!そいつにやられたんだ。やっちまえ。』
沢田に隠れながら、高山が叫ぶ。
その様子に肩を竦めて沢田が立ち上がる。
『て、事なんで、すまねぇな嬢ちゃん。』
沢田が両手を前に構える。手には指先の無い革製の手袋をしている。拳の部分が不自然に膨れていた。
ボクサーか?
紗耶香は油断なく構えた。
直後、沢田が一気に距離を詰めてきた。左のフックが紗耶香を襲う。
辛うじて竹刀で受け止めた。反動で数歩吹き飛ばされる。
速い!それに……強い。
紗耶香は気を引き閉める。
慎重に距離を計り、打ち込む。避けられる。二撃、三撃と打ち込むが、完全に見切られている。
ならば!
上段から降り下ろす、避けられる。そこで振り切った竹刀をそのまま突きへと転じる。
捉えた!
紗耶香は確信する、が沢田は一瞬驚きを見せたが、難なく対応して見せた。右手の甲で突きの向きを変えられた。
なっ!
驚く紗耶香。
直後、腹部に強烈な痛みが襲う。
沢田のアッパーが紗耶香の腹部に決まっていた。
『ゴフッ』
むせながら、倒れる紗耶香。酸っぱいものが込み上げてくる。
『へ、へへっ、ざまぁみやがれ!』
倒れた紗耶香を蹴飛ばしながら高山が叫ぶ。
『さて、これ以上邪魔が入る前に本番に行きやせんかい?』
眉をよせながら高山に話しかける沢田。
『あ、ああ。そうだな。へへ、あいつら覚悟しとけよ! 』
高山の目に暗い光りが灯る。
『行くぞ、沢田。』
そう言ってさっさと外へ出て行った。
残された沢田は紗耶香を見下ろす。
息が荒い。高山に何度も蹴飛ばされたせいだろう。
『悪いな、お嬢ちゃん。これも仕事なんでね。』
紗耶香の視線が沢田を捉えた。声は出せない。
『ま、お嬢ちゃんのお仲間も命迄は取らねぇ様にするから恨みなさんな。』
そう言って沢田も高山の後を追う。
紗耶香の頭に嫌な考えがよぎる。
ーーこいつ「も」ーーー
ーー本番に行きやせんかいーーー
ーーお嬢ちゃんのお仲間もーーー
狙いは学院?まさか、昨日の強盗の仲間か?
立ち上がろうとするが、手足に力が入らない。
行かなければ!あの沢田という男は強い。妙だけじゃ勝てない。
体を引きづりながら、ドアへ向かう。
光達三人は午後から道場に来ていた。
寮に隣接した学院の敷地内の一角にその道場は有った。
本来は授業の一貫として簡単な護身術を教える為に作られたが、今では武術部の道場と化していた。
今までは部員が妙子と紗耶香だけだった為に、二人とも帰省していたこの五日間は放置されていた。
そこを掃除しに来たのだ。
『いや~、助かったよ。いつもは二人でやってたのに今日は一人でやんなきゃいけないかと思ってたんだ。』
『……もしかして、その為に勧誘したんですか?』
疑わしそうに妙子を見る光。
その横で楓も光を真似してじーっと妙子を見ている。
『ヤ、ヤだなぁ。そんなことは、ありませんよ。』
あからさまに怪しく視線をそらせる。
『『ジーーーーーーーー。』』
二人の視線が妙子に突き刺さる。
『う、わかったよ。認めるって、それも有りました!悪い?!』
妙子が視線に耐えきれずに認める。
『妙子先輩、開き直りましたね?』
『ましたね~~~?』
二人のジト目は続く。
『沙~耶~、後輩が冷たいよ~、早く帰って来て~。』
空に向かって叫ぶ妙子。
光と楓は顔を見合わせて笑い出す。
そんなこんなで、手が止まっていた時もあるが、何とか掃除は無事に終わる。
『く~っ、終わった、終わった。お疲れ~。』
妙子が背伸びしながら言ってくる。
『お疲れ様でした。』
『お疲れ様でした~~~。』
二人も答える。
三人は奥の急騰室に有る冷蔵庫から妙子が持ってきたスポーツ飲料を飲みながら、ひと休みする事にした。
道場の入り口から入る風を受けながら、並んで座る妙子、光、楓、サンタ君。
妙子がサンタ君を見ながら楓に話しかける。
『今日は良いけどさ、学校始まったら部屋に置いとかなきゃダメだよ。』
『はい~~~。分かってますよ~~~。』
楓が笑顔で答える。
『この子は~~~、他の子と違って~~~、特別なんですよ~~~。』
サンタ君の頭を撫でながら、楓が続ける。
『特別?』
『はい~~~。この子は~~~、紅葉君からの~~~、プレゼントなんですよ~~~。』
光の問いかけに答える楓。
妙子の目が輝く、隣の光にのし掛かりながら楓に話しかける。
『へぇ~、プレゼントなんだぁ、いいなぁ。で、紅葉君って、誰かな~?彼氏?それとも彼氏?もしかして彼氏?』
興味津々である。
『妙子先輩……、重い……です。』
妙子に強制的に前屈させられている光が呟く。
ニヤニヤしていた妙子の笑顔がひきつる。
『光ちゃん、今、何か言った?』
ギギギギギと音を立てそうな感じで光を見る妙子。
わざと体重をかける。
『うわゎゎゎ、重くないです、重くないです、ごめんなさい。』
既に180度折れ曲がっている光を心配そうに声をかけてる楓に再びターゲットが移る。
『で?紅葉君って誰かな~?早く答えないと、楓ちゃんもこうなっちゃうよ~。』
『ふわわ~~~、紅葉君は~~~、弟ですよ~~~。』
慌てて答える楓。
『へ?弟?……なぁんだ。』
力が抜ける妙子、やっと光の上から降りる。
『痛っ、たたた、妙子先輩酷いですよ。』
光がやっと解放された。太ももと腰が痛い。
『お家を出るときに~~~、心配だからこれをやるっていって~~~、くれたんですよ~~~。』
楓が続ける。
???心配だから、ぬいぐるみをプレゼント?
良く分からないが、紅葉君は小学生らしい、御守り代わりだろうか?
疑問を浮かべる光に構わず楓は続ける。
『でも~~~、サンタ君は~~~、たまに居なくなるんですよ~~~。何故でしょう~~~?』
光と妙子は答えに困る。
恐らくは寝惚けた時の事たろうが……。
『そういえば、昨日の夜、十分位部屋から出てたよね?』
妙子が聞く。
『そ~なんですよ~~~。昨日もサンタ君が~~~、居なくなったんで~~~、探しに行ったんですよ~~~。』
『そうなんだ……、大変だね……。』
言葉を濁す妙子、光を見る。サンタ君をじーっと見ている。
あ、抱き上げた。ぐるっと回してる。何してるんだろ?
う~ん、と何やら悩んでいる。楓はそんな光を不思議そうに見ていた。
声を掛けようとしたその時、
パンッ!と音がした。
正門の方だ。
今のは銃声?そう思ったときには妙子は走り出していた。
こんな仕事、受けるんじゃなかった……。
沢田は激しく後悔していた。
沢田は元ボクシングの世界ランカーだった。
日本を飛び出し、破竹の勢いで世界ランキングをかけ上っていたが、三年前に格闘技世界大会に出場し、惨敗していた。
相手は同じ日本人。格闘王、泉 光一郎である。
その後は落ちぶれるのは早かった。ボクサーを止め、裏世界で用心棒のような事をして暮らしていた。
そして昨日の夜、高山に雇われたのだ。自分たちの邪魔をした相手を倒してほしい、と。
まさか、相手が女子高生だとは……。
しかも雇い主が最悪だった。せっかく昨日のうちに警備員が巡回で手薄になる場所を調べて来たというのに、よりにもよって銃を発砲したのである。
しかも相手はタクシーで追いかけてきたさっきの女子高生だ。
ろくに動けない様子で、今も竹刀を杖代わりにやっと立っている状態だ。
そんな相手に驚いた高山が発砲したのだ。
弾は検討違いの方に飛んでいったようだか、 タクシーは慌てて逃げ出していた。
今の銃声で警備員も来るかもしれない。完全に失敗である。
諦めるか、速攻で終わらせるしかない。
悩んでいると高山が車の上から学院の塀によじ登り、縄梯子を下ろしていた。
『沢田!行くぞ。』
そう言って降りていく。
やれやれ、と重いながら後に続く沢田。
追い付いて、高山に話しかける。
『高山さん、銃は勘弁してくださいよ。銃声で警察や警備員が集まってくると、目的が果たせませんぜ?』
『む、そうか。……なら後はお前に頼むぞ。』
『へいへい。』
気のない返事を返す沢田。
そんな時に人影が見える。ハチマキを巻いた少女、妙子だった。
遠くに光、楓も続く。
高山の目が怪しく輝く。
『そいつらだ!やっちまえ!』
諦めてくれるのを待つ気だったが、こんなに簡単に見つかるとはね。沢田はため息をつきながら前に出る。
『悪いな、お嬢ちゃん。ちぃと、痛い目見てもらうぜ。』
『不審者が言うじゃない。出来るかな?』
二人は臨戦態勢に入った。
先に動いたのは妙子だった。一気に近づきそのままの勢いで上段蹴りを放つ。かわされる。沢田の顔の前を妙子の足が通り過ぎる。直後、軌道が変わる。右から左へと振り上げられた足は、ぐるりと真上に向かい、そのまま額を目掛けて降り下ろされる。
すんでの所で回避する沢田。
『やるねぇ、お嬢ちゃん。今のは良い蹴りだったぜ。』
そう言ってニヤリと笑う。
妙子も笑って見せるが内心余裕は無い。
避けられるとは思っていなかったのだ。
沢田が動く、一気にに距離を詰め左!右!と拳が唸る。
何とか妙子は避けた。見えた訳ではなく、感であった。
直後、下から強烈な気配を感じた。
慌てて飛び退く。目の前を物凄い勢いで拳が振り上げられていく。
顎先をかすっていた。頭が回る、そのまま膝から崩れ落ちて行った。
『は、はは、ざまぁみろ!やれ沢田!もっとやっちまえ!』
沢田の後で高山が叫ぶ。
やれやれ、と肩を竦める沢田。妙子に向けて拳を握る。
『やめなさい!』
声が響いた。光の声だ。やっと追い付いて来たのだ。
後ろでは楓も息を切らしている。
沢田が光を向き直る。どこかほっとしたように見えた。
『やれやれ、次はお嬢ちゃんかい?』
言いながら構える。
この人、強い!
光の直感が告げる、今のままなら、到底勝てない。今のままなら……。
だったら。
光はゆっくりと構える。息を吸う、吐き出す。ゆっくりと繰り返す。そして……、キィィーーーーン!泉流の息吹の音が響いた。
紗耶香は痛む体に無理をして校内に入ってきた。
まさか、銃迄持ってるとは。
急いで捕まえなければ。
高山達の後を追いかけ、車から塀に登る。飛び降りて衝撃に傷が痛む。
『ぐっ!』
だか、構ってはいられない。沢田はともかく、高山の方は正気ではない。耳を済ませる。僅かに争う音が聞こえた。
『此方か!』
痛む体を無視して走り出す。
高山達がいた。妙子と沢田が戦っているのが見えた。
直後、妙子が崩れ落ちた。
いけない!
焦る紗耶香。一人の少女が妙子の後ろに居た。
沢田と向き直る。
無茶だ!
紗耶香がそう思ったときに懐かしい音を聞いた。
息吹の音に目を見開く沢田。
僅かに光の体が沈む、直後沢田の目の前に移動していた。
沢田の左の脇腹に打ち込まれる光の掌底。
『ぐはっ!』
その衝撃に堪らず後ずさる沢田。
追い討ちをかける光。
『泉流……双烈脚』
沢田の顔を目掛けて繰り出される上段蹴り。咄嗟に左腕でガードする沢田。凄まじい衝撃に腕がへし折れるかと思う間もなく、右側からの衝撃で吹き飛ばされる。
『ごはっ!』
何が起こったか理解出来ない沢田。
光の蹴りはガードされたまま振り抜かれ、降り下ろされることなく、そのまま逆向きに振り抜かれたのだ。
左右ほぼ同時に蹴りつける、人の限界を越えた泉流の蹴りだった。
沢田が何とか立ち上がり、反撃に出る。右!左!と拳を出すが、かすりもしない。更にアッパーを打つ。さっきの妙子を仕留めたコンビネーションだ。
だが、光はアッパーに対応していた。
迫る拳に両手を添える。そのまま拳に逆らう事なく、沢田の頭上、拳の上でふわりと倒立する。
『な?!』
絶句する沢田。
『泉流…旋嵐脚』
拳を持ったまま、腕を回り込むように光の両脚が沢田の顔に迫る。絶句して光に見とれていた沢田は反応出来ない。
『ぶふぉっ! 』
沢田の横顔に光の両脚が炸裂した。
吹き飛ぶ沢田。光はくるりと回転して着地する。
沢田はピクリとも動かない。
楓はサンタ君を抱き締めて声も出せずに見とれていた。
妙子は何とか体をお越し、見ていたが光の動きを追いきれずにいた。
紗耶香は愕然としていた。光の動き、技、素晴らしい武道家だと素直に感じた。だが、それよりも先程響いた息吹の音。
かって聞いた、懐かしい音。
光一郎と同じ音だった。
いつの間にか涙が溢れていた。
近づき話しかける。体の痛みなど吹き飛んでいた。
『貴女はいったい……。』
だが、光は鋭い目で一点を見つめている。
視線の先は高山だった。町で見かけた時に感じた黒いモヤがはっきりと見えた。全身を覆う様に膨れ上がっていた。
『ひ、ひひ、ひゃはははは!』
突然、高山が笑いだした。目の焦点が合っていない。
『何故だ?何故こうなる?……お前等のせいか!』
高山が銃を取り出した。光の方に向ける。
危ない!紗耶香がそう思ったときには光の姿が消えていた。
高山が喋りだした時には、既に光は動き出していた。
高山の側に立っている大きな桜の木、その三メートル程の高さ迄飛び上がり、木の幹を蹴る。
高山は完全に光を見失っている。
そのまま高山に蹴りつける光。
『ぐきゃ!』
と、高山が叫ぶ。
しかし、高山の体は僅かに揺らいだだけだ。
やはり、コレはまずい物だ!倒さなければ!
光は迷わない。
高山がよろけてる間に既に懐に飛び込んでいる。
左の掌を高山の胸に充てる、腰を落とし右手は大きく広げる。
『泉流……奥義!猛虎双掌!!』
練り上げた気を全て撃ち込む様に、右の掌を左の掌に撃ちつける。光達を中心に衝撃が走る。
巻き上がる突風に妙子達は目を開けていられない。
『げぼぁ!』
高山の声が聞こえた。
妙子達がようやく目を見開くと高山は十メートル程吹き飛ばされていた。
地面に横たわり動かない。
先程見えたモヤは全く見えなくなっていた。
紗耶香は光に近づく。再び同じ問い掛けをした。
『貴女はいったい……?』
光が振り向く、息が上がり肩で息をしている。
話しかけた紗耶香に優しく微笑み、ゆっくりと倒れる。
慌てて紗耶香が受け止めた。
光は気を失っていた。
『光ちゃん』
『光さん~~~。』
妙子と楓も駆けてきた。
光が目を覚ました。見覚えの有る天井が見えた。
私の部屋?
そう思ったとき声がした。
『目を覚まされましたか?』
凛とした声が優しく問い掛けてきた。
見慣れない少女がベッドの横に座っていた。長い黒髪の似合う美少女だ。額と腕に巻いた包帯が痛々しい。
紗耶香だった。
『大丈夫ですか?』
紗耶香が聞く。
どうやら看護してくれたようだ。
『あ、大丈夫です。ありがとうございます。』
光の答えに安堵の微笑みを浮かべる。
『妙子達を呼んで来ます。お待ち下さい。』
紗耶香が部屋を出て行った。
光はゆっくりと体を起こす。体に異変は無い。
外を見る。真っ暗になっていた。
それにしても、私はやっぱり光一郎なんだな、と思う。
先程の戦い。体が勝手に動いていた。意識もしっかりと有った。
何より泉流の奥義まで使っていた。
間違いないようだ。
ノックの音がした。
『どうぞ。』
光が答えると同時にドアが開き、楓が飛び込んできた。
『光さん~~~。大丈夫ですか~~~?』
光に抱き付く楓。ボロボロと涙を溢している。
『心配してくれてありがとう。大丈夫よ。』
光は優しく楓の頭を撫でる。
えへへ~~。と楓が笑顔になった。
続いて紗耶香、妙子が入ってきた。
光の様子を見てほっとする妙子。
更に人影が続く。
沢田だった。
光の目付きが鋭くなる。
『とっ、待ってくれ、もう何もしねぇから。』
慌てて手を降りながら話しかける。
『信用していいでしょう。この者は一般人の被害を押さえる為に今回の襲撃に参加したようです。』
紗耶香が続いて説明する。
実際、妙子は怪我らしい怪我は無い。
紗耶香の包帯も高山に蹴られた後だった。
『そう。それで、どうして此処に?もう一人は?』
光か問い掛ける。
『高山なら警察に連れてかれたよ。昨日の強盗の件も有る。当分は務所暮らしだろうさ。で、俺は聞きたい事が有ったんでね、匿って貰ってるって訳だ。』
沢田が説明を始めた。
昨日の夜、高山から連絡が有った。自分たちの仕事が学生に邪魔され、仲間達は皆逮捕された。
逃亡する前に落とし前を着けておきたい、と。
本来なら受けたくは無かったが、下手にチンピラでも雇って人死にでもでては、目覚めが悪い。
自分が請け負って適度に痛め着けるつもりだった。
だが、いざ受けてみれば相手はお嬢様学校の生徒だわ、高山は正気を失っているわでほとほと困り果てていた。
『で、実際に此処に来たんだが、高校生にしとくのは勿体無ぇ位のお嬢ちゃんが居たんで、つい、本気出しちまった。』
と、豪快に笑いだす。
目を合わせ肩を竦める妙子と紗耶香。
楓は何故か一緒に笑っている。
『まぁ、その後そっちのお嬢さんが出て来たんだが……、お嬢さん、あんたぁ、一体何者だい?』
真剣な目をして聞いてくる。
妙子も興味深く此方を見てくる。
紗耶香は沢田の今の態度が気に障ったのか、目付きが険しくなってきた。楓はキョトンとしていた。
沢田が構わず続ける。
『実際に手を合わせたから分かるんだがね。お嬢さん、高校生とは次元が違う。間違いなく世界のトップクラスだろう?』
沢田の発言に妙子が目を見開く。
強いとは思っていたが、そこまでとは思っていなかった。
『泉流の技も使うようだが、到底弟子ってレベルじゃぁ無い。随分昔に泉 光一郎と試合でやり合ったがあの時の光一郎とだぶったよ。』
その言葉に光は記憶を辿る。
……試合?……昔に試合?……。
『……っ!貴方、もしかして【沢井 勇次】?!』
沢田の目が鋭くなる。
『へぇ、俺の本名が分かるとはね。ますますお嬢さんの正体が気になるねぇ?』
皆の視線が光に集まる。
光は目を閉じて暫く思案した。
本当の事を言って信じてもらえるだろうか?
……楓は無条件で信じてくれそうだ。妙子はどうだろう?じっくり説明すれば分かって貰えるかもしれない。沢井と紗耶香は先程から此方を格上として話している。何かしら気付いているのかもしれない。
目を開く。
話してみよう。この人達なら信じてくれると思う。
『分かりました。私に分かる限りの事はお話しします。』
そう言って、ゆっくりと皆を見回す。
『私は泉 光一郎です。いえ、泉 光一郎でした。』
そうして、あけぼの寮に来てからの三日間の出来事を話し始めた。
長い夜は、まだ始まったばかりだった。