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「きゃっ」
「わ、悪いな、俺の勝ちだ。ハッハッハ!」
胃から逆流してきたものを飲み込みながら、少女の手を握りしめた。
目に見えて穴が開いているわけではないが少女の氷塊の射出口は右掌にあり、そこを閉じてしまえばもう魔法を撃つことはできないからだ。決してやましい気持ちで握っているわけではない。
「凍ってない……? どうして」
「あー……俺もよくは分からんが、耐性ってやつ? 魔法が使えん代わりに氷の魔法を食らっても凍らないし、火の魔法を食らっても燃えないってわけ」
「あ、ありえないです。そんなの!」
実際に見たはずなのに、納得がいかなそうに少女は俺を睨んできた。
確かに前例はないが、魔法耐性は俺の唯一の長所、すなわちアイデンティティ。本来なら触れただけで発動する魔法を自由自在に触ることができる。ただ跳ね返すとか、向きを変えるだとかいったことは不可能であり、正直何に使えるか俺にも分からない。
しばらくの沈黙の後、少女が更に疑問を投げかけてきた。
「……じゃあ、何で最初の攻撃は避けたんですか。それに今のだって別にあんなことしなくても!」
「凍らないだけで当たったら吹っ飛ぶし、今だってめちゃんこ腹痛いっつーの。あともし魔法が効かないってバレて剣でも使われたら勝ち目無さそうだし」
「私みたいな女が、そんな、剣なんて!」
口を動かしながら必死に暴れる少女だったが、力敵わず。何だかこれ傍から見ると幼気な幼女を誘拐しようとする犯罪者じゃないのか?
あと異世界ではお約束みたいなものだが、剣と魔法に関しては女といえど侮ってはいけない。
この少女の剣技がどれほどかは置いておいて、剣と魔法の両方を封じること。それが異世界人との正しい戦い方だ。どうやら少女はそもそも剣を持っていないらしく杞憂となってしまったが、勝てば結果オーライで。
しかし、決して喜べる状況じゃないのもまた事実だった。
「私を、どうするつもりですか」
「うっ」
そう、問題はこれからだ。勝ったはずなのに俺は内心焦っていた。流石に無意味だと分かったのか抵抗を止めて項垂れた目の前の少女をどうするべきか。
このまま軍に渡せば、俺は特別給料。悪くない。だがその先少女にあるのは日本軍による拷問……ちなみに奴らはそういったことを平気でする輩の集まりだ。
「……」
逆に逃がせばどうなるだろう。この会議室には当然ながら監視カメラがある。そろそろ誰かが駆けつけてきてもおかしくない頃合いだ。当然俺が逃がしたことはバレるし、そうなったら軍法会議は目に見えている。
……今思えば、俺がいようがいまいが監視カメラがある以上彼女の極秘作戦とやらは無駄だったんじゃ。
ならいっそ、勝つべきでは無かったのかもしれない。
ちょっと戦闘をして気を失ったフリ。そうすれば彼女は一人で脱出し、俺もお咎め無しで済んだはずである。
しかし今更どうすることもできず、何とか思いついた言葉を口に出した。
「いや、俺にもどうしたもんか……」
「?」
結局答えを出しあぐねている俺に、少女は不思議そうに首を傾げた。さっきまであんなに恐怖を感じていたはずなのに、その仕草一つも可愛く見えてしまう。
「えっと、あなたはニホン軍の人ですよね」
「一応そうだが、あんな奴らと一緒にされんのも」
「じゃあ逃がしてくれるんですか!?」
「い、いや。そういうわけにゃ」
あぁ、もう。どうして大事な事に限っていつもウジウジしてしまうのか。まったく情けない。
とにかくこの少女を連れて一度会議室から出るべきだ。もう少し考える時間を稼ぐにはこれがベストなはず。
「分かった。一旦ここから――」
しかし、俺がようやく妥協案を見つけた時には既に遅かった。
足音も気配も感じさせず、開けっ放しのドアから会議室に飛び込んで来るその影。転がるように間合いを取ると、それは耳を塞ぎたくなるような大声で俺達に叫んだ。
「動かないで!」
軍服を纏い、黒のロングヘアーを靡かせる人物。
その胸の上に付いている銀のバッジに見覚えがある。コイツは確か。
「鹿下!? 何でよりによってお前がいんだよ!」
「い、一之瀬さん!?」
会うのは六ヶ月ぶりだが、忘れもしない。彼女は軍に数えるほどしかいない女の一人、鹿下加奈だ。
別名戦場のマドンナ。しみ一つない綺麗な肌、締まり切った体つき、どこを取っても確かに美人な彼女。そのため日本から毎月山の如く恋文が送られてくるとか。
また実力も相当なもので、武器無しで異世界人と平気でタイマンを張れるのは彼女含めて軍には数名程度しかいない。
その実力を買われ前線をいくつも転々としているとは聞いたが、それが今日に限ってここ。最悪のタイミングにも程がある。
何度も言うが彼女は強い。とにかく強い。俺が何人束になっても勝てないような相手なのはもちろん、俺の隣の少女にだって厳しい相手だろう。
「ひっ」
耳元で小さな悲鳴が聞こえた。鹿下が握る、黒く光るライフルにくぎ付けになっていた少女が察したのだろう。
あのライフルが、かつて何万もの異世界人の命を葬ってきたことを。銃口を見た者は、必ず殺す。そう言わんばかりの、狂気に満ちた空気を醸し出している。
しかし、所々凍り付いた会議室の惨状、次に俺達二人の顔を見た鹿下はライフルの構えを解いた。ひとまず安心か。
「一之瀬さんが捕まえてくれたんですね、ありがとうございます」
「捕まえたというか、まぁ」
「……? ではその少女は私が預かります」
少し俺が言いよどんでも関係なしと、鹿下はゆっくり少女に近づく。
それに合わせるように、怯えた様子で一歩下がる少女。
「……」
俺を握るその小さな手が小刻みに震えている。
「怖い」、それとも「助けて」か?どうしてそれを俺に訴える?逃げる手筈を用意してなかったお前が悪いんじゃないか。
そう口を動かそうとしたはずのに、喉からは一言も言葉が出てこない。
一体俺は何をしたいのか、そんなことはとっくに分かってる。ただ少女と、安定した生活を天秤に掛けてるんだ。
「っ!」
自分のために誰かを見捨てようとする。そんな自分に嫌気がさして、つい見当違いな足を一歩前に出してしまった。
本当に……馬鹿だ。
「ちょ、ちょっと待ってくれ」
「どうしたんですか?」
少女を守るような立ち位置に、鹿下も違和感を覚えたのか声のトーンを落としてきた。
ちなみに俺はというと、美人美少女サンドイッチにちょっと色めいた感情が……いや、そんな余裕なんてない。
鹿下に見られぬよう、後ろ手で握り続けていた少女の手首あたりを中指でトントンと叩いた。
「!」
すぐに、返事が同じように指で返ってきた。
正直本当に分かっているのか心配だが、やるしかない。覚悟を決めた俺は、どうにでもなれと鹿下のスカートを指さした。
「あーいや、その、何だ。スカートがめくれてるぞ」
「えぇっ……きゃあ!?」
鹿下の出した悲鳴は恥じらいではなく、意表を突かれて口に出たもの。
俺が付いた嘘で鹿下の目線が逸れた瞬間、放した少女の右手から薄い氷の壁が生成され、完全に彼女の不意を突くことに成功したのだ。
「何ですか、これ! 一之瀬さん、一之瀬さん!?」
氷の壁は俺達二人と鹿下の間に立ち塞がる。何度鹿下に叩かれても傷一つつかないあたり相当硬く作ってあるのだろう。これでかなりの時間稼ぎになるはず。
再び少女の、今度は魔法の射出口とは逆の左手を掴むと、思い切り引っ張った。
「走れ!」
「は、はい!」
後ろからは鹿下の俺を呼ぶ声。振り返ることなど当然できない。
これは愛の逃避行、と言えば聞こえはいいが立派な反逆罪だ。ここまでやって失敗などしたらどれだけ恥ずかしいやら。
「お前、名前は……」
誰もいない廊下を走りながら少女の方を見た俺は、言葉を失ってしまった。
ローブの中には今までよりも更に可愛い、明るい表情を浮かべる少女の顔。
その口から、元気のある答えが返ってくる。
「アミリア。アミリア・ティリアです! えっと、イチノセさん、で合ってますか?」
「……一之瀬雄一だ」
女に先に名乗らせてしまうとは……まったく情けない。