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7・白鳥からのサプライズ

 あれから一週間以上経過しても、俺達は入れ替わったままだった。

 仕事の方は多少コツを掴み、互いのキャラを演じることが可能にはなったが、それでもつらいものはつらい。

 俺は神崎としてピンの仕事を終えた直後、テレビ局の近くにある自動販売機で飲料水を買い、胃薬を服用した。

「病気にならなきゃいいけど」

 入れ替わる前とは比にならない速さで蓄積していくストレスからか、近頃胃の調子がおかしい。俺のメンタルが弱いせいで、無駄に丈夫なはずの神崎の身体がダメージを受けていると思うと罪悪感を覚える。そういえばこの間の仕事の時、神崎は神崎で顔色が悪かったような……。

 物思いに耽りながら飲料水をさらに二、三口含んでいると、鞄から着信音が聞こえた。

 電話に出てみると、相手は白鳥だった。

「もしもし」

 ――戸野部? まだ戻れてないのか。

「やっぱ、声だけでわかるか?」

 白鳥は何だかんだ言いつつも、俺と神崎のことをずっと気にかけてくれていた。誰にも相談できないだけに、事情を知っている白鳥と俺として……戸野部優人として、話ができることはとても嬉しいことだった。

 ――まあな。お前の声からは、陰鬱というか、湿っぽさにじみ出とるからな。

「悪かったな」

 ――そうカッカすなや。あ、そうそう。今日お前、時間あるか?

「ああ、うん。仕事もないし、誰かに会う予定も入ってない」

 ――よっしゃ。なら、今日は二人でパーッと飲まんか?

「は?」

 飲む? こんな状況で、酒なんか飲んでる場合か?

 ――お前今、酒なんか飲めるか! って思ったやろ? こういうストレスが溜まってる時こそ酒やろ。わかってへんなあ。

「そういうお前はよく、俺の心理が読めたな」

 ――戸野部の考えてることくらいお見通しや。てか、お前ほどわかりやすい奴もなかなかおらんで? で、どないする? 俺としては、お前が前、酔い潰れた店がええんやけど。

「ああ、あそこか……」

 ――煮え切らない返事やなあ。まあええ。俺、そこで待っとるから、暇なんやったら絶対来いよ。約束やからな。

 強引に約束を取りつけられると、電話は一方的に切られた。

 俺はとてもパーッとやる気分ではなかったが、渋々ながら指定された店まで足を運ぶことにした。

「久し振りだな、ここに来るのは」

 店と言っても、大御所だとかが行き来するようなこじゃれた高級店などではなく、財布に優しいメニューがそろった小さな居酒屋。どことなく懐かしい空気が漂う内装のためか、不思議と落ち着いた心地になる。

「よっ。こっちや、こっち」

 玄関をくぐると、白鳥が個室から頭をひょっこりと出して手招きをしていた。少し頬が赤く、先に何杯か飲んでいるとすぐに察しがついた。

「何なんだよ、こんな時に」

 俺が不快そうにしながら入室して横に座るなり、白鳥はビール瓶を手に取りながらニヤニヤ笑う。空のコップを目の前に置いたかと思うと、断りもなくビールを注ぎ始めた。

「こんな時やから一緒に飲みたくなったんや。ほれ、一杯グイッと行け」

 溢れそうなビールは絶妙に泡立っていて美味そうだが、いまいち口をつける気にはならない。理由は気分だけでなく、この身体にもある。

「神崎、酒に弱いんだよ。それに、胃の調子もよくないし」

「ああ、そうやったな。あいつ、バラエティで出されたワインの試飲だけでベロベロになったことあったもんな。でも、一杯くらいなら大丈夫やろ? な?」

「……」

 俺自身もあまり強い方ではないが、酒はたしなむ程度には好む。それに、ストレスもかなり溜まっているし……。

「わかったよ。だけど、これしか飲まないからな。明日だって、仕事あるし」

 結局、白鳥からの押しに負けて一杯だけ付き合うことにした。

「おうおう、ええ飲みっぷりやなあ。どや?」

「まあ、美味いけど」

 神崎と入れ替わってから初めて口にしたビールは、元の身体で味わった時よりもどことなくほろ苦い気がした。神崎の味覚の影響なのか、俺の心の問題なのかは判断がつかなかった。

「……相変わらず、一人で思いつめとるんやろ。そんな辛気臭い面しおって。見た目が神崎でも、やっぱりお前は戸野部やなあ」

 白鳥は呆れるように息をつき、曇ったままの俺の顔を眺める。心配してくれているのはわかるが、その気持ちを率直に受け取れるほど、今の俺に余裕はない。

「そりゃあ、辛気臭くもなるだろうよ。自分とはまるで違う人格を演じさせられる毎日が続いてるんだから。鏡を見ても、そこにあるのは相方の姿。自分の身体には相方が宿っていて、そっちはそっちで日に日に体調を崩してるのが目に見えてる。こんな日が、ずっと続いてるんだ。まともな精神を保ってろって方が無茶だ」

「ま、まあ、俺も牧野君と入れ替わったりなんかしたら間違いなく発狂しそうやけど……。だからって、お前の気持ち、わかるわあ~なんて軽々しいこと言えんしなあ」

 白鳥は困り果てた様子で、頭をポリポリとかく。

 しばらく視線を横にそらしたかと思うと、再びこちらに目を向けた。

「あのな。実は俺、昨日ここで神崎と飲んだんや」

「はあ?」

 神崎と? いくら俺の身体だとしても、あいつは元々滅多に飲まないはずなのに?

 突然の告白に、少しばかり動揺してしまった。

「お前ら、あんまり仲良くなかったはずだろ。どういう風の吹き回しだ」

「ん? あいつもあいつで調子悪そうやったから、愚痴聞いてやろうと思って声かけたら、あっさりついてきたんや。よっぽど誰かに話を聞いてもらいたかったんやろうなあ。どっかの誰かと違って、えらい素直やったで」

「悪かったな、ひねくれ者で」

「話はここからが大事なんやからむくれんといてくれ。神崎の奴、何も考えてないように見えて色々溜めこんどったんやろうなあ。店に着くなり何杯も飲み慣れない酒飲んで、あっという間にグデングデンになってもうた。お前の姿やったから、笑えて笑えて……」

「それのどこが大事なんだ。ふざけるんだったら帰るぞ」

「まあまあ。お前は相変わらずせっかちやなあ。俺が言いたいのは、神崎がグデングデンになった後に漏らした本音のことや」

「本音?」

 一般的には、酒が入ると本音がポロッと出やすくなるとはよく聞くが。

「ああ。最後にさんざんしゃべった挙句ハッとなって、お前には言うなって言ってたんやけど、これは話しておいた方がええやろなって思った。だから、あえて言わせてもらうで」

 白鳥は、先程までの緩みきった表情をいずこへと引っ込める。そして、いつになく真剣な表情を作って神崎が漏らしていた本音とやらについての回想を始めた。

「神崎、本当に心からお前のこと尊敬しとるんやろうなあ。目に涙浮かべて、こう言っとった。『俺、入れ替わってみて、トノちゃんがすごい奴だったんだなって改めて思った。ネタも作れなくて、ポカしまくりの俺にフォローまで入れてくれて。俺、この前掴み合いの喧嘩しちゃった時に、トノちゃんは楽してるって言ったんだ。でも、楽してたのは俺の方だった。ああもう、何であんなこと言っちゃったんだろうなあ。心のどっかでは、トノちゃんのすごさをわかってたはずなのに。謝りたい、謝りたい』……てな。まあ、コンビってのは役割が違うのが当たり前やから、自分の仕事がつらい時には相方が楽そうに見えることもあるわな。でも、実際は……ん、どうした戸野部?」

「……」

 ははは。まさか、こんな形でお前の本音とやらを聞かされるはめになるとはな。

 ……同じだよ、神崎。俺もお前に謝りたい。

 俺も、お前のメンタルの強さや明るさに何度憧れたことか。いくら俺が面白いことを考えようとしても、お前が時折引き起こす天然には全く及ばなかった。入れ替わってみて、お前の強みをより良く知ったのは俺の方かもしれない。

 それなのに俺は、お前に対して楽しやがって、なんて。許されるわけないよな、そんなの。

 ごめんな、神崎。俺達がこんなことになったのは、お前だけのせいじゃない。きっとこれは、誰かが与えた罰なんだ。互いを尊重し合うことを忘れた、俺達に対しての……。

「泣いとる、のか?」

「い、いや。泣いてない。これは、俺の涙なんかじゃない」

 心は俺の物だが、身体は神崎の物だ。だから、俺は泣いてない。男が人前で泣くなんて、何となく認めたくない。

「笑いについては戸野部が上やけど、可愛げだけは神崎の方が上やなあ。お前が何を思ったか知らんが、まあ、好きなだけ泣け。その方が、ずっとスッキリするやろうし。安心せえ、誰にも言わんといてやるから」

「……」

 白鳥に背中をさすられ、俺は無言のまま肩を震わせ続けた。相方の身体から、ポロポロと涙をこぼしながら。

 ずっと涙が止まらなかった。俺の心がどんなにひねくれていても、神崎の身体は持ち主と一緒でどこまでも正直だった。

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