卒業
再開。
「卒業しても、その笑顔を忘れずにいてください」
毎年排出する卒業生に贈る言葉は変わらない。
当たり障りのない、教師らしい言葉。それが一番だ。変に良い事を言おうとしても、平凡な僕から発せられれば無に帰す。
涙を浮かべる生徒、写真を撮り合う生徒、隠れて連絡先を交換する生徒。どうぞご自由に。卒業してしまえば教師は不介入だ。好きに楽しんでくれ。
最後のショートホームルームを終えると、足早に教室を抜け出した。向かうは、社会科準備室。僕のシェルターでもある。
開けると、ソファでくつろぐ少女と目が合った。胸元に在校生の作った造花を付ける少女は、鈴木亜紀……面倒な生徒だ。
「ここの鍵は持ち出し禁止にしてもらった筈だが。どうやって入ってきた」
「先生のポケットから盗んで、型取って、合鍵作りました」
「犯罪だぞ」
鈴木はにっこり微笑むとリボンを緩めて、ワイシャツのボタンを外していった。露になる小さな膨らみに少し動揺する。
「ここで私が大声をあげれば先生も犯罪者ですね」
「生憎、ここには監視カメラを付けてるから、僕の無罪が証明される。……さっさとボタンを留めろ。卒業式に風邪引きたいのか」
「何処に監視カメラあるんですか?」
「……何処かだ」
胸元を露にした状態で、辺りをキョロキョロと見回す鈴木。何を企んでいるかは分からないが、目のやり場に困るから止めて欲しい。
「分かったらそこで脱ぐんですけど。後で私の動画をオカズにしてくださいね」
「卒業式まで懲りない奴だな」
「卒業式だからこそ、倍頑張ります」
「その頑張りは別の方向へ生かすべきだ。僕に向けるな」
生徒とは一定の距離を保つ。面倒事に巻き込まれない為にも、他人である事が一番なのだ。
だが、鈴木は距離を詰めようとする。僕のクラスの生徒ではなく、教科で受け持つだけの生徒と教師の距離感よりも。
小学生でも分かる様な質問を持って、社会科準備室にやってくる。一年生の頃から、飽きずに毎日だ。ネタが尽きたのか、なぞなぞを出された事もある。
楽しかったと感じてしまった事もあるが、あれは一種の錯覚だ。鈴木の雰囲気に飲み込まれただけ。僕は生徒に不介入なのだから。
「先生はズルいです」
「大人になれば狡さを覚えるもんだ」
「先生だって楽しんでくれたじゃないですか。私、覚えてますよ。クリスマスの日の事を」
去年のクリスマスの日。誰から聞き付けたのか、鈴木は僕の家に来た。あがらせる訳にはいかないと閉め出したが、ピンポン連打を一時間以上されたら折れない訳にはいかなかった。
「一緒に雪だるま作ってくれて、冷たくなった私の手を暖めてくれて、車デートもしてくれたじゃないですか。なかった事にしたくないです」
「そうしなければ、鈴木は外で待ち続けたろ」
「先生に会えるなら何時間でも待てます」
「もう、終わりだ」
チャイムが鳴り響いた。いつの間にか卒業生達の騒ぎは収まっていた。帰ったのか。
「卒業式は終わった。僕はもう君の先生じゃない。教える事もないんだよ」
「三月三十一日まではここの生徒という制約があります」
「屁理屈言うな。もう良いから、帰ってくれ」
「……先生は生徒とは関わらないんでしたよね。前、言ってましたよ」
「まあ、そうだな」
「じゃあ、四月一日から覚悟していてください」
鈴木は立ち上がるとスカートを翻して、僕を見上げた。その決意の満ちた目からは、僕の最悪な結末しか見えない。
「一人の女として帰ってきますから」
僕は何処で道を誤ったのか。クソマジメというアダ名が付く程、堅実に真面目に生きてきた筈だ。無愛想に、冷静沈着に関わってきた筈だ。
僕は愚かだ。
いくらでも鈴木から逃げれた。無下に扱う事だって出来た。だけど僕は無視をしなかった。鈴木からの好意を心なしか喜んでいたのかもしれない。
慣れきった卒業式だが、今回ばかりは胸の中で波紋が広がった。
そんな、教師である僕と生徒の日常。




