教師
「先生、これに判子お願いします」
優等生さながらに見慣れた紙を先生に提出すれば、先生は眉間にシワを寄せて振り払った。
先生としてあるまじき行為、教育委員会に訴えてやろうかしら?
「嫌ですよ。毎度懲りませんね」
「十回や二十回で懲りてたら、先生なんて人種に恋しませんから」
「百回言えば懲りますかね?」
「一度コレを渡せば先生と話して目を合わせる機会が一度出来るんですよ。先生好きとしては永遠に懲りません」
「じゃあ、無視しますよ」
「先生が私を無視出来るはずありません」
私が真っ直ぐに先生を見つめれば、先生は嫌な顔をしてぐっと、喉を詰まらせた。
私が先生をそんな表情にさせているのかと思うと、変に興奮してしまう。
平常の先生が鉄仮面のクソ真面目だからこそ、尚更。
「先生はお人好しです。もう二十三回もこのやり取りをしているのに、先生は一度もこれを破った事がありませんよね」
ヒラヒラと見慣れた紙を空に透かせた。
人生に一度書く事が普通とされているが、私は試し書き含め三十以上書いただろう。
一枚一枚に深い先生への思いを込めて、筆を進めた。
先生も私の強い思いを分かっているからこそ、邪険にしない。
例え、その紙が婚姻届であったとしても。相手が生徒で自分が先生であったとしても。
先生はお人好しだから。
「僕が教師で貴女が生徒だからですよ」
「違う。それは、上部だけの理由です。先生の本質が人間味ある温かさがあるから、私を無視出来ないんです」
先生の全てを一生徒である私が分かるはずがなく、これは当てずっぽうだった。
当たって欲しい、という思いを込めて。強く、言いかけた。
「……一理ありますね」
先生が教師だと言うのなら、質問に答えてください。
今の妙な間は何ですか?
一理という事は、他にも理由があるのですか?
それは、私を傷つける内容ですか?
耐えきれず質問の一部が口から漏れた。
「先生、一理ってどういう意味ですか? 他にも理由があるんですか?」
「それを、僕に言わせるんですか? 貴女が考えてくださいよ」
思わずムッとして、先生を爪先でこづいた。
「先生なら正解を提示してくださいよ。義務でしょう?」
「高校は義務教育ではありません」
「そういう屁理屈求めてません」
「そうですか」
先生はクツクツ笑った。あ、その横顔、大好きです。
「じゃあ、ヒントです。僕は人嫌いです。僕は女子高生がなにより嫌いです。僕は五月蝿いのが嫌いです。僕は面倒が嫌いです。僕は危険が嫌いです」
長い示指を天井に向けて指し、先生は淡々とあげていく。
「嫌いな物ばかりじゃないですか。それがヒントなんですか?」
「まだ、続きますよ。貴女は女子高生です。貴女は五月蝿いです。貴女は面倒な人です。貴女は生徒です。先生と生徒が付き合えば社会的地位が危険に曝されます」
つまり、それって。
ヒントとヒントが絡み合い、先生の出した正解の姿が徐々に現れてくる。
「最後に、生物準備室への入出許可を出しているのは貴女だけです」
ねえ、先生。自惚れても良いのかな? 私の想像通りだって思っちゃっても良いのかな?
「反則です。そんなの」
「と、いうのは冗談で……」
「冗談にして良いものと悪いものがありますよ!!」
「……僕だって教師をやっている以上色々と柵や建前があるんですよ」
「そんなの私が取っ払ってあげます」
先生は目を真ん丸にさせた。あら、猫目なのにそんな丸く出来るのね。
「取っ払うって、一生徒が何を出来るんですか」
「んー。まず、私がセーラー服を脱ぎます。そして、私が先生の事を名前で呼びます。先生も全裸になれば尚良しです。誰も私達が生徒と教師の関係だとは気付きません」
「……君は」
先生は、やれやれとでも言いたげな表情でため息を落とした。
深い恋に落ちた時、人は自身に呆れてため息を打つと聞いた。先生もそうなのだろうか?
考えるだけで身の毛が弥立つ程の、幸福だ。
「頭は良いのに、発想が阿呆ですね」
違った。単に私に呆れているだけだった。
「えへへ。先生を好きになる時点で阿呆です。仕方ないです」
「確かに……ね」
先生は椅子を引きながら笑った。コロコロコロ、とタイヤの回る音がカーペットに吸い込まれた。
私に身体を向き直して、微かに眉毛を下げる。私、その顔好きです。
「貴女は阿呆ですが、そんな貴女を側に置く僕はもっと阿呆です」
「先生、それはフォローになりませんよ。私は阿呆だから、ド直球で来られないと理解出来ないのです」
「……ニヤニヤした顔で、全て理解した上でその言葉ですか。意地が悪い人ですね」
「意地が悪いのは先生も同じです。一生徒を翻弄してるんですから」
「勝手に貴女がされてるだけでしょう。僕は何もしてません」
「開き直った!」
不毛な擦り付けを終えて一呼吸付くと同時に、私は外を見た。
もう、赤みはなくなった暗い空には星がチラチラ輝き始めている。
今日は少し長く話しすぎてしまったかな? と、後悔するフリして本心はしてやったりだった。
これも私の計画の一つだ。
外が暗いから送ってあげるよ、と先生に言わせ先生の車に乗り込む大作戦。
先生も日本男児なのだからそれ位の気配り精神はあるでしょ?
ぬふふふふ。私の策にハマったな。
「あれ、ごめんなさい。先生との会話が楽しすぎてこんな時間まで残ってしまいましたわ。お外が暗いわ。どうしましょう」
わざとらしい演技で、窓際まで駆け寄り頭に手を当てて崩れ落ちた。
どうだ。これまで完璧に弱い女の子を演じれば先生も送りたくなったに違いない。
「帰れば良いじゃないですか」
「帰りますよ。暗いからどうするかって、言ってるんです」
このにぶちんが。と付け足せば先生は見透かす様な笑みで鞄を持ち出した。
もうっ! 焦らしたのね! 分かってるくせに!
「はい。どうぞ」
「はい。ありがとうございます……え? いや、ちょっと待ってくださいよ。一万円札って、何でこれ、おかしくないですか?」
「僕、貴女の家がどれ位の距離か分からないので……取り合えず駅まで行ける分だけ、と」
「十分過ぎますけど、欲しい物は一ミリももらってません」
「欲張りですね」
「そうじゃなくて……」
大きく息を吸って、先生の手に出した物を一瞥した。
ソレはよく目にする尊いあのお方が刻まれた一枚の紙。
「タクシーで帰りたいんじゃないんですよ。私は先生に送って欲しかったんです」
一万円札をヒロヒロ振りながら、先生は微笑を浮かべた。
「知ってます。だから、欲張りだと言ったのです」
「全て冗談だったと言うのですか? 狡いです」
「僕を嫌いになりますか? もう、婚姻届をもってきませんよね?」
腹立たしいことに。
「寧ろ好きになりましたよ! また、明日も持ってきますから覚悟してくださいね!」
私はどうしても先生が好きになるのだ。
そんな、ヒラヒラ交わす教師と私の日常。




