吸血
再開。
「生臭っ……」
青魚を面前に出されたかの様に、彼は顔を歪めた。眉間にシワを寄せ、臭いの根元を手で押しやる。
それが、本当に青魚なら私も怒らなかった。
でもね。私の指先から流れた血を勝手に舐め取った挙げ句、その言葉は失礼に値すると思わない?
「最低」
「臭いモノは臭いんだよ。自分で嗅いでみなよ」
「自分のなんて分からないわよ。つーか、華の女子高生捕まえてその台詞はどうなのよ」
「知らないよ。僕の国には女子高生なんて生物存在しないから分からない」
「女子高生とか関係なく人として最低よ」
「良いよ」
彼は茶色の瞳を伏せ笑った。僅かに上がった口角から異常に発達した犬歯が輝いて見えた。
「だって、僕は吸血鬼だもん」
高く資料が積まれ中々自由に動けない教材室の中、彼は重力なんて何だ? と言わんばかりに本の上を飛んでいった。
フライと言うよりはジャンプに近い。
どちらにしようが、人間離れした芸当で窓辺に近付いた。
彼の次の行動が手に取る様に分かる。この光景を見るのは何度目だろうか。
彼自身は好かないが、光に照らされた時の彼はそんな感情を忘れさせる位、素敵だ。
美しい、という言葉は彼の為にあるのだと思った位に。
そう言えば、彼と出会った時の私の第一声は『……綺麗』だった。思わず吹き出してしまう。
「だから、日に当たるの嫌いなんだよね。滑稽で、自分が自分じゃなくなるみたいで」
「違う。今の笑いは関係ない。寧ろ――」
貴方の日に当たっている姿は地球上のどの生物よりも美しく好き――、なんて言える筈もなく語尾を濁して違うのよ、と念押しした。
日の光の下にいる彼の茶色い頭髪や瞳は漆黒に染まり、反対に肌は対照的に陶磁器の如く白くなっている。
彼は日に浴びると、そう変化してしまうのだ。彼曰く、彼の家計皆が変化する訳ではないらしい。
「寧ろ?」
「忘れなさい」
「はいはい」
分かったよ。と、付け足して彼は窓際から離れた。刹那、彼の頭髪や瞳、肌の色は健康的な若者に戻る。
何度見ても原理が分からない。どうして変化するのだろう。日によりメラニンが増減するのか? それとも……答えは本人も知らないのだから、普通の一般人が分からないか。
「血、止まった?」
「ああ。忘れてたわ」
先程彼に舐められた指を見れば、傷はない。見間違いではない。確かに、紙で切った筈なのに掠り傷一つない。
まるで、何もなかったかの様に示指はいつもの場所に収まっている。
「何で? さっき、切って」
「言い忘れてたけど、僕の唾液には傷創治癒効果があるんだよね」
「そんなノリで話せる内容だと思わないけど」
さも他人も出来るかの様な口振りだけど、人間はそんな大それた技術を持ち合わせてないから。
最早彼の秘密を共有してから五年は経つというのに、知らなかった事に苛立ちを覚えた。
ああ、あれよ。嫌いだからこそ、嫉妬するというか……自分の気持ちが自分でも分からない。
「まあ、でも、傷を治してくれてありがと」
「こちらこそ。生臭いのを我慢したかいがあるよ」
「ちょっと待て。生臭いって何よ」
「いつも言ってるでしょ。大抵の人間の血は臭いけど、中でも君の血は特別臭い。だから、君は他の吸血鬼に狙われ易いんだよ」
「毎度聞いてるけど、全く意味が分からないわよ。狙われる? 何でよ。貴方が臭いと嫌がってるのに」
「そんなの僕に言われても困るよ。君の体臭は自分で管理してよ」
「人間的体臭エチケットは人並みに行ってるわよ。貴方達吸血鬼の鼻が異様に良いから臭く感じるの。もげば良いでしょ」
「痛い痛い」
近寄ってきた彼の鼻を乱暴に摘まんだ。鼻翼は柔らかく、普通に人間の物だが私の様な体温が彼にはなかった。
彼に触れれば触れる程に私の体温は奪われていく。悴む程に体温が消えた時、彼は悲しそうに眉を下げて離れた。
「冷たいでしょ、ごめんね」
「謝られても困るわよ。大体、私は寒さに強い冬型人間だし冷たさなんて平気なの」
「ふっ、そりゃ良かった」
「寧ろ貴方に謝らなくちゃいけないわね。だって、生臭い女が貴方の鼻を掴んでしまったんだから」
生臭いと呼ばれた乙女の屈辱未だ忘れてはいない。
わざとらしく皮肉たっぷりに彼に笑顔を見せてやれば、彼もぎこちなく笑顔を作った。
自称表情がない吸血鬼一族の彼にしては頑張っている。理由を聞けば毎度お馴染み『君の為に』という言葉が帰ってくるのだろう。
日本人離れした顔だからって、急にレディーを立てるお国に影響されなくても良いだろうに。
けれど、何故か嫌ではないから、それを聞く度にはにかんでしまう。
彼が美男子だからダメなのだ。そう、きっと。
「生臭いってね、フォローのつもりだよ」
「なってないし、結構傷付いてるんだからもう触れないでよ」
そんな、吸血鬼の彼と私の日常。




