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その5

 リスが村の入り口に現れると村は大騒ぎになった。化け物との約束を破り逃げ出してきたと思われたのだ。後ろからキリムが現れたときには更に騒ぎは大きくなった。半鐘が打ち鳴らされ、駆け付けて来た男たちが彼らを遠巻きに囲んだ。銃を向ける男達にリスは大声で話しかけた。


「この人は何もしないわ。彼はよい魔法使いなの。病で苦しむ人たちを救いに来てくれたのよ」


 この言葉に村人たちはざわめいた。どこの家も一人は病人を抱えている。自身に病の兆候が出ている者もいた。それが本当ならどんなに素晴らしいことか。 知らせを聞いて飛んできたリスの父に村長が訊ねた。


「アルスルトよ、どういうことだ。あやつは血に飢えた化け物ではなかったのか?」


 今では自分の父親が嘘をついていた事にリスも気づいていたが、そのことに触れるつもりはなかった。キリムは一歩前に出ると村長に向かって頭を下げた。


「それについては謝ります。リスのことは私の父が私のために仕組んだことでした」


 化け物が礼儀正しく人の言葉を話すのを聞いて村人たちは度肝を抜かれた。その上、純白の身体に緋色のマントを纏ったキリムは美しかった。化け物という言葉は彼にはそぐわない。


「彼は人間なのよ。魔法でこんな姿にされているの」


 リスは皆にそう教えた。 嘘とは言い切れない。キリムの一族がこのような姿をしているのは魔法のおかげなのだから。キリムの優雅な立ち振る舞いは確かにケモノのものではない。彼の正体は位の高い魔法使いに違いないと村の誰もが納得した。



       **************************************************



 リス達は父親の家に向かい、村人達はその後をぞろぞろとついて歩いた。病人を救いに魔法使いがやってきたという噂は村中に広がり、行列はさらに長くなった。子供達はキリムを取り囲んで遠慮なく質問をしたり柔らかい毛に触れたりしたので、彼は戸惑った。


「リス、彼らはどうして私を怖がらないのだい?」


「あなたが恐ろしいお化けじゃないって分かったからよ」


 それでも納得の行かない様子のキリムにリスは笑い出した。日々の苦しい生活に追われた村人たちにとって、彼の姿がどれほど気高く見えるのか彼には分かっていないのだ。虹色の輝きを放つ美しい装身具だけでも彼が高位の魔法使いであることは一目瞭然なのに。


 村の役員達はリスの父の家でキリム達の話を聞くことになった。家に着くとリスは祖母に会いに行き、キリムの指示に従って薬を飲ませた。祖母は弱ってはいたが、頭はしっかりしていたので再びリスに会うことができて涙を流して喜んだ。


 彼らが応接室に入るとすでにほとんどの者が顔を揃えていた。リスは村長の右隣にビルが座っているのに気づいた。リスと同じく成人を迎えた彼は、父親のそばで次期村長となるべく訓練を受けているのだ。リスが生きていてさぞ残念に思っているのだろうが、彼女と目が合っても表情も変えなかった。


 リスはキリムを自分の夫として紹介した。キリムは村人が怒り出すのではないかと不安に感じたが、男たちは口々にリスの父に向かい祝辞を述べた。実際のところ、彼らはうまく魔法使いを身内にしたアルスルトを羨んでいたのだ。次にリスは彼を連れて村に戻った目的を話した。病を治す薬が手にはいると聞いて、興奮した男たちは一斉に話し出した。


 何もかも順調に進みようやく緊張を解いたリスは、その時初めてキリムの体が震えているのに気づいた。父親との二人暮らしだった彼には刺激が強すぎたのかもしれない。リスは急いでキリムを自分の部屋につれて行き、一人で応接室に戻ると彼に代わって暇を告げた。


「こんなにたくさんの人間に会ったのは子供の頃以来だからね。でも楽しかったよ」


 彼を労うリスにキリムは微笑みを見せた。偽りではないその笑顔に、彼がこの冒険を楽しんでいると知って彼女は安堵した。


 応接室からは男たちの興奮した話し声が響いてきたが、リスとキリムは気にせずに眠りについた。リスは村の男たちをよく知っていた。利用できるものは利用しつくすのが彼らのやり方だ。たとえキリムの正体に疑問を抱くものがいたとしても、都からの薬に高い金を払わずにすむとなれば、彼に危害を加えるはずなどなかったのだ。



       **************************************************



 翌日からリスとキリムは病人を訪ねて歩いた。すでに村中が偉い魔法使いの噂で持ち切りだったので、どこへ行っても彼らは大歓迎された。お互いの噂話ぐらいしか娯楽がない村では、人々は刺激に餓えている。誰もが彼と話し、純白の毛皮に触れ、彼を獣の姿に変えてしまった悪い魔法使いについて尋ねた。嘘のつき方を知らないキリムは曖昧なことしか話さなかったが、もちろん話には尾ひれがついた。悪い魔法使いはもうかなりの高齢らしい。奴さえ死ねば魔法は解けて、彼は元の姿に戻れるのだ。


 けだものの姿にされてさえ美しい彼の事だ。人間に戻ればどれほど美しい若者になるだろうか。若い娘たちはキリムに自分の理想の男性像を重ね、若く美しい魔法使いを手に入れたリスの幸運を秘かに羨んだ。


 一方、キリムは村での生活を心から楽しんでいた。子供の頃から知っている人達に混じって暮らすのは、彼を物語の世界に入り込んだような気持ちにさせたのだ。彼があまりにくわしく村の事を知っているので、村人達は皆、彼の魔力に感心したのだった。



       **************************************************



 ある日のこと、マケイランという毛皮商人がキリムを自宅に招待した。彼とリスの父とは飲み仲間だったが、娘のリジアとリスは仲が良くはなかった。ビルの取り巻き連中と仲のよいリジアは、彼らに気に入られようとリスを目の敵にしていたのだ。 キリムもそのことを知っていたので、リスを誘おうとはしなかった。ちょうどリスの父も商用で出ていたので、彼の顔をつぶさぬ程度に顔を出したらリスに迎えに来てもらうことにした。


 マケイランの家は古くから毛皮を商っており、屋敷の構えもリスの父のものよりも立派だった。初老の召使に迎えられたキリムはたくさんの扉の並ぶ廊下を抜けて奥の部屋へと案内された。部屋に入ると奇妙なにおいが鼻をついた。燭台の炎がけぶって見える。男達が吸う煙草の煙が立ち込めているのだ。床には毛皮が敷きつめられ、男たちは輪になって酒の器を手に談笑している。いつもの食事の会とは異なる雰囲気にキリムは戸惑った。


 だが普通は下座にいる女達も珍しく男たちの間に座っている。不思議なことに彼女逹は寒い季節にそぐわない薄い布をまとっているだけだ。キリムが腰をおろすと斜め前に座った女が物珍しげに彼を見つめた。彼の純白の毛に負けぬほど白く塗られた顔を見て、すぐに彼は彼女の正体に気づいた。村の娼館に勤める女だった。


「いかがですかな」


 キリムの隣にマケイランが腰を下ろし、細い管を差し出した。太い方の先からは細い煙が立ち上っている。喫煙の風習は知っていたが試したことはない。断るのも失礼だと思った彼はキセルを受け取ると管の先からそっと煙を吸い込んだ。とたんに咳き込んだ彼に男達は笑い出す。彼はキセルをマケイランに返し、この居心地の悪い場所から早くリスが連れ出してくれることを祈った。


 だが、リスはなかなか現れなかった。キリムは腕輪で時間を確認して首を傾げた。さきほど見たときからたいして進んでいないのだ。この奇妙な部屋の中では時間の流れまでがおかしいようだ。リスはまだかと再び見回すと、驚いたことに彼女は彼の隣に座っていた。なぜ気付かなかったのだろうと彼はまた首を傾げる。帰ろうと言うと、リスはまだここにいたいと言う。そして、驚いたことに彼女は彼の唇に口付けてくれたのだ。


 今までリスは決して彼に口付けようとしなかった。幼い頃から村を観察してきた彼は、これが村人たちの愛情表現だと知っていたので、心の奥では寂しく感じていたのだ。だが今夜のリスは積極的に彼の唇を求めてきた。


 彼女の言葉ははっきりと聞きとれない。それも気にはならなかった。キリムは彼女を抱きよせ、唇を合わせた。マケイランがリスに向かって何か言う。手を引かれて立ち上がると、導かれるまま彼女について部屋から出た。



       **************************************************



 約束の時間に現れたリスは宴会の部屋を覗いて身震いした。この手の会が秘密裏に開かれるのは聞いていたが、まさかキリムが招待されるとは思っていなかったのだ。分かっていれば彼を来させはしなかったのに。 彼の姿は部屋には見当たらなかった。嫌気がさして一人で帰ったのかとも思ったが、家までは一本道だ。途中で出会わないはずがない。


 どこかで彼女を待っているのかもしれないと思い、別の廊下を進むと、奥の扉の前にビルが立っているのが見えた。扉の隙間が僅かに開いていた。リスに気付いたビルは、一瞬、盗み食いを見つかった子供のようなばつの悪そうな表情を見せたが、すぐにそれは意地の悪い笑顔に変わった。父親の前ではおとなしく振舞っていたが、やはり彼は変わってはいないのだ。


 彼はリスを手招いた。


「ケダモノを探してるんだろ? 面白いことになってるぜ」


 ビルにはかかわりたくはないけれど、キリムの居場所を知っているらしい。彼女は警戒しながらも彼に近づいた。


「何なの?」


「いいから、この部屋を覗いてみなって」


 言われるままに扉を開けてリスは胸をなでおろした。部屋の中央に置かれた大きな寝台にキリムが横たわっている。慣れない酒を飲まされて眠ってしまったのだろう。早く連れて帰ろうと彼女は彼に近づいた。


 だが、その時リスは信じられないものを見た。小さな蝋燭の火にぼんやりと光るキリムの白い身体の下から、同じぐらい真っ白な女の脚がのぞいていたのだ。リジアの甘えるような声が聞こえたとき、リスは思わず後ずさり、後ろにあった小さなテーブルをひっくり返した。


 耳元で響く大きな音にキリムは顔をあげた。寝台の脇に女が立っている。蝋燭の光が照らしているその顔はリスのものだ。目を見開いて彼を見つめている。では、ここにいるのは誰だ。彼が口付けを交わしていた相手は誰なのだ? これはリスではないのか?


 リスはきびすを返して駆け出した。彼女を追って立ち上がろうとしてキリムは激しい眩暈に襲われた。寝台から転げ落ち、そのまま意識を失った。



       **************************************************



 翌朝、キリムは痛む頭を抱えてリスの家へと戻った。彼女の部屋の扉を叩いても返事がない。扉を開けると窓際の椅子に座っていたリスが振り向いた。髪は乱れ、目は赤く腫れあがって痛々しい。


「すまない」


 彼はやっとそれだけ言った。


「出て行って」


 リスは彼から目をそらせた。声は小さく震えている。


「あの煙を吸ってから意識が朦朧としていた。あなたが部屋に入ってきて私は間違いに気付いたんだ。だが……」


 何を言っても言い分けにしか聞こえないと気づき、彼は口篭った。でもこれだけは伝えなくてはならない。


「彼女とは……口付けを交わした。だがそれだけだ」


 その時、キリムは壁の鏡に映った自分の姿に気付き愕然とした。真っ白い顔にはあの女のつけていた紅がべったりとこびりついている。恥ずかしさと惨めさにいたたまれなくなり、彼は逃げるように部屋を出た。



       **************************************************



 キリムは浴室で冷たい水を浴びた。いくら洗っても身体に染み込んだ穢れが落ちない気がして気持ちが悪かった。自分が本物の獣に成り下がった気がした。リスは許してはくれないだろう。あの後、リジアの父親は彼を責め、彼女を娶れと言った。あのキセルに詰められていたものが煙草などではなかったことに彼は気付いていた。何という恐ろしい計略を考え付くのだろう。彼はもう山へ戻るべきなのだ。また一人になるのは辛いが、こんな場所では暮らしてはいけない。


 扉の開く音に振り向けば、リスが立っていた。立ち上がったキリムの身体を、持ってきた布で拭いはじめる。拭いながら時々鼻をすすり上げた。


「リス」


 彼女は答えず大きな毛布でキリムをくるむと、彼の手をひいて広間に向かった。暖炉にはまだ新しい薪が勢いよく燃えている。彼のために部屋を暖めておいてくれたのだ。リスとキリムは並んで火の前に腰を降ろした。


「沼地の草を使われたのね。匂いで分かったわ」


 しばらくしてリスが言った。


「マケイランは私に責任を取らせるといっている。娶るという約束で私にリジアを与えたというんだ。だが私は彼女の純潔を奪ったりはしていない」


「父に話すわ。あの草を使うことは掟で禁じられているの。あなたは心配しなくてもいい」


「リス、私を許してくれるのか」


「許すも何もないでしょう? 私はあなたなしでは生きていけないもの」


 そう言うとリスは泣き出した。昨夜、彼の痴態を見てから今朝までどんなに惨めな思いをしただろうと思うと彼の胸は痛んだ。反対の立場だったら彼には堪えられなかったに違いない。 泣きじゃくるリスを抱き寄せ、彼は何度も何度も謝罪の言葉をささやいた。やがて彼女が泣き疲れて眠ってしまうまで、彼女の身体を抱えたまま火の前に座っていた。



       **************************************************



 リスの父は激怒した。マケイランの行いは彼に対する裏切りだった。彼の家の財産であるキリムを横取りしようとしたのだ。その上、リジアが生娘ではないことは村の誰もが知っている。そんな娘をエサにしたとは馬鹿にするにもほどがある。


「なんだかリジアがかわいそう」


 そう言ったリスをキリムは目を丸くして見つめた。


「彼女に同情するのかい?」


「だってあなた以上の男になんて出会えっこないもの。これからは一生悔やんで暮らすんだわ」


 笑いながら彼女はキリムの首に抱きついた。 


 キリムは嘘をつかない。彼が何もなかったと言えばなかったのだ。非があるのは彼をあんな場所に置いてきてしまった自分の方だとリスは思っていた。気分の悪い出来事はさっさと忘れてしまおう。これから先も彼女とキリムは共に素晴らしい人生を歩んでいくのだから。



       **************************************************



 マケイランのことがあってからはキリムは外出を控えるようになった。村人達がお礼に訪ねてくる以外は、リスと彼女の家族に囲まれてのんびりとした時間を過ごしていた。


 ある昼下がり、部屋で本を読んでいたリスは、キリムがの様子がおかしいのに気付いた。魔法の腕輪をじっと見つめ、時折考え詰めたような顔で彼女の方を見ては、また腕輪に目を戻すのだ。彼はひどく動揺しているように見えた。


「何かあったの?」


 たまりかねてリスが尋ねた。キリムは顔を上げて、沈痛な面持ちで彼女の顔を見つめていたが、やがて、小さな声で言った。


「……迎えが来るんだ」


 彼が『船』と呼ぶあの魔法の家から、腕輪を通して連絡を受けとったのだと言う。


「でも、何十年もかかるって言ってたでしょう?」


「近くを航行中の船がたまたま救難信号を拾ったのだそうだ」


 それだけ言うと、再びキリムは黙り込んだ。


「どうかしたの?」


 彼の落ち着かない様子は彼女を不安にした。故郷からの迎えが来るのだ。もっと喜んでもよさそうなものなのに。


「リス、私は……私にはどうしても故郷に戻らなければならない事情があるんだよ」


 キリムは彼女から目をそらし、声を震わせて言った。


「別れの時がきたようだ。私に残せるものはすべて残していくよ。たとえ再婚でも資産がある女性は優遇されるのだろう? あなたにならすぐに良縁が見つかるよ」


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