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その4

 キリムの話では、彼の世界とはほぼ瞬時に連絡を取れるはずなのにいくら呼び掛けても応答がないのだという。仕方なくほかの方法でも助けを求めたが、『ちゅうけいち』というところに届くまでに何十年もかかるので、それまでは誰も助けに来てはくれないだろうということだった。


 そんな希望の見えない状況で父親まで失った彼の寂しさを想像するとリスの胸は痛んだ。キリムは心から彼女を歓迎してくれているようだ。彼の孤独を紛らわせることができてリスは嬉しかった。

 キリムと過ごす時間は彼女にとってまさに魔法の時間だった。彼はリスがどんな質問をしても嫌がらずに答えてくれた。彼が知らないことは魔法の鏡が知っている。リスは鏡を通してたくさんの世界の風景を眺めた。中でも『中央』の映像は彼女を魅了した。美しくも奇妙な町並みの中を、様々な色形の衣装に身を包んだ人たちが行き来している。ほとんどが村人と変わらない姿をしていたが、異形の者もちらほら見かけた。鏡の中では美しい人たちが不思議な料理を作って見せたり、劇を演じたりもした。全て過去に起こったことの記録なのだと知ってリスは驚いた。


 鏡を使って村の様子を眺めることもあった。キリムの父は村の要所だけに絞って鏡の目となる魔法の装置を仕掛けたので、どこでも好きな場所を見られるというわけではなかったが、村の主な出来事を知るには十分だった。


 雪の日が続くと出歩くこともできなくなる。キリムは鏡から外の雪景色を眺めて満足しているようだったが、リスは一日に一度は冷たい空気を吸いに表に出なければ落ち着かなかった。『船』の周りは一定の高さまでしか雪が積もらないので、どんなに吹雪いても入り口が埋もれてしまうことはない。ここでは小さな魔法がいたるところに使われていた。


 晴れた日にはキリムが散策に連れだしてくれることもあった。この辺りの森で幼い頃から遊んでいた彼は雪の浅い場所をよく知っていた。紫色をした木々の幹の間をリスは彼に導かれて歩いた。雪の中ではキリムの真っ白い身体を見失いそうになったけれど、そのたびに彼が振り返って彼女の名を呼んでくれるのだった。


 一度、リスがふざけて雪の玉をキリムに投げつけたことがあった。最初彼はびっくりした猫みたいに目を見開いてリスを見つめたが、すぐに雪をすくい上げると大きな雪玉を彼女に投げ返した。二人は雪まみれになって笑いながら『船』に戻った。彼がこんなに楽しかったのは初めてだと息を弾ませて言ったので、リスは彼の置かれた状況を思い出して気の毒に思った。



       **************************************************



 ある日、リスは象嵌が施された美しいブラシをキリムに見せた。祖父が若い頃、都から来た行商人から買って祖母に贈ったものだ。祖父は祖母を古い物語に出てくる貴族の姫君のように大切にした。村の男達に馬鹿にされても彼の態度は生涯変わらなかったという。


「ほら、きれいでしょ? おばあちゃんから貰ったの。梳いてもいい?」


「私をかい?」


 リスはキリムの隣に座ると彼の頭にそっとブラシを当てた。上から下へと毛並みに沿ってとかしていく。彼の長く白い毛は清潔な匂いがした。柔らかい毛の間に空気が入ってふんわりとするのが嬉しくてリスは夢中になった。首筋から背中をとかし、さらにわき腹へと進む。柔らかい毛の下にはひきしまった筋肉が感じられた。彼の体の形は人間と変わらないようだ。


 突然にキリムがリスから身を離した。


「もうやめてくれないか」


「ごめんなさい。痛かった?」


 彼はリスから目をそらせて小さな声で答えた。


「リス。私も若い男なんだよ。あなたに触れられるとおかしな気持ちになる。もう私から離れたほうがいい」


「それはあなたが私に惹かれているということ?」


「あなたは美しい。惹かれないはずがないだろう」


 リスはしばらく黙っていたが、やがてこう言った。


「私とあなたは愛し合えるの?」


 彼女の質問の意図が分からないまま、キリムは答えた。


「元の種は同じだから交わることはできると父は言っていた。子はできないが」


「あなたが私を望んでくれるのなら私はかまわないわ」


 彼は呆気に取られた様子で彼女を見た。


「本気で言ってるのか」


「私はあなたに与えられたのよ。ほかにはもう居場所がないの」


 キリムの口の両端がわずかに持ち上がった。


「だからと言って私に身体まで与える必要はないんだよ。ここではあなたは自由なんだ」



       **************************************************



 それからというもの、キリムはリスから距離を置くようになった。 優しいまなざしを彼女に向けることはない。時折、彼の視線を感じることはあったが、彼女が振り向けばいつも違うところを見ていた。リスは悲しい気持ちで彼の背中を見つめた。彼は彼女と話すときでさえ目を合わせようとしなかった。無理に始めた会話はすぐにとぎれ、気まずい沈黙に変わってしまう。


 雪がやめば彼女は一人で『船』の周囲を歩いた。いつのまにか隣にキリムがいるのが当たり間になっていた。彼のいない空間はまるで冷たくて大きな氷の塊のように彼女の胸を押しつぶす。自分が彼に恋しているのにはとうに気付いていた。村の人たちが言っていたように彼女を花嫁として迎えてくれたのならよかったのに。そうすればこんなにつらい思いをせずに済んだ。


 キリムはリスを避けてはいたが彼女に対する気遣いは変わらなかった。彼女が不自由せずに暮らせるようにいつも細やかに気を配ってくれた。いつの間にか花瓶に生けられた冬の花を見るたびにリスの心は痛んだ。


 とうとうリスは部屋にこもるようになった。キリムと同じ部屋にいるのは辛すぎる。今では彼と顔を合わせるのは食事の時だけだった。ある晩、夕食の最中にリスは泣き出した。暖かいスープの中に涙がぽたぽたと落ちる。キリムが立ち上がり彼女の傍に立った。そっとリスの肩に手を置き金色の瞳で彼女の顔を覗き込む。


「リス、ここの生活が嫌になったのかい」


 リスは肩に置かれた彼の白い手に自分の手を重ねた。キリムはびくりとしたけれど手をどけようとはしなかった。


「ねえ、キリムは私がここにいては困るの?」


「どうしてそう思うんだい?」


「だって私を避けているでしょう?」


 キリムが居心地が悪そうに身じろぎをした。


「すまない。あなたを傷つけてしまったんだね」


「キリムは私が嫌いなの? 私を望んではくれないの?」


「そんなはずはないだろう。あなたに惹かれるといったはずだよ。私はあなたが欲しい。でもそれは許されないんだ」


「どうして?」


「雪が解ければあなたには村に戻ってもらうつもりなんだ。私のせいで嫁げなくなってしまうと困るだろう? あなた方の村では結婚初夜に処女でないとわかるのは不名誉なことだからね」


 彼はリスから目をそらし、苦々しげに言葉を続けた。


「村ではあなたは化け物の慰みにされると噂されていた。私はそんなことはしない。私は化け物だと思われるのはいやなんだ」


「あなたが化け物なら村の人間なんてみんな醜くて汚い化け物だわ」


「リス、落ち着いてよく考えてごらん。村に戻って元通りの生活を続けられるんだよ」


「村になんて戻りたくない。私はあなたといたいの」


 リスはキリムの手を強く握り締めた。


「私ね、山で化け物と暮らすようにと言われたとき、それほど嫌だとは思わなかったの。もちろん、食べられちゃうかもしれないって思ったら怖かったわ。でもね、もしかしたら新しいことに出会えるかもしれないって思ったの」


「だが、私のせいであなたは普通の暮らしを送れなくなってしまったんだよ」


「そんなのどうだっていい。子供の頃から村の女たちを見てきたわ。嫁いだ先で男に威張り散らされて家事に追われるだけ。世間話しか楽しみがないの。そのうちに病にかかって死んで行く。村の外の世界なんて何一つ見ることなしにね」


 村での暮らしを思い出してリスの声に怒りがこもった。彼女にとっては村で一生を過ごすことは牢獄で暮らすのと大差なかったのだ。


「みんなには哀れまれたけど、少なくともほかの女の子たちとは違う生き方ができるんだと思ったら嬉しかったわ。そしてね、私の予感は正しかったの。あなたと出会えて私は幸運だった。女だからって蔑まれることもないし新しい世界だって見せてもらえた。これからはここであなたと暮らせるんだと思ったらすごく嬉しかったの」


 キリムは唖然として彼女の顔を見つめた。村人の噂話を聞いて育った彼は、自分の姿は彼らにとって化け物でしかないのだと思い込んでいた。彼女が彼に好意を持っているのは知っていたけれど、それは彼女が魔法と呼ぶものへの憧れと彼への同情からで、いずれは村を恋しがるだろうと考えていたのだ。家族から無理やり引き離された彼女が、異形の生き物との二人きりの暮らしに満足しているとはどうしても信じられなかった。


 リスは腕を伸ばしてキリムの肩に触れた。彼が好きでたまらなかった。今までに出会った誰よりも純粋で美しい。この人に愛してもらいたいのに、どうしたら自分が本気だと信じてくれるのだろう。 わからないまま彼の身体に腕をまわす。彼の柔らかい頬に自分の頬をすりつけた。


「やめてくれ」


 キリムは低い声で唸って身を引こうとしたが彼女は離さなかった。


「どうしてなの?」


「我慢できなくなる」


「我慢なんてしなくていい」


 リスは全身をキリムに押し付けた。 やがて彼女を引き離そうとしていたキリムの腕から力が抜けた。彼の両腕は今度はリスの身体にまわされ、そのまま強く彼女を抱きしめる。ずっと待ち望んでいた感覚にリスの胸は高鳴った。


「リス、本当に私でいいのか」


 諦めと期待のないまぜになった声でキリムが尋ねる。


「あなたじゃないとだめなの」


「だが、結婚していない男女が交わることは村では許されないのだろう?」


 リスは驚いてキリムの顔を見つめ返した。彼は村のしきたりにくわしいようだ。だけど村人でもない彼が従う必要なんてないのに。リスが返答に困っていると、彼は彼女をさらに驚かせることを言った。


「リス、私の妻になってはくれないか」


 キリムは律儀で誠実だ。一夜限りの関係を持とうと若い娘を誘惑するくせに、自分の花嫁が生娘でないとわかると火のように怒る身勝手な村の男達とは大違いだ。リスは急に自分の大胆さが恥ずかしくなった。これでは押しかけ妻と同じだ。


「あなたに結婚を強いるつもりなんてないの。村の決まりなんて気にしないでいいのよ」


 急に気弱になったリスにキリムが笑った。


「リス、私は幼い頃からあなたに憧れていたんだよ。想像力が豊かで活発で誰よりも頭がいい。男の子たちに嫌がらせをされても決して負けることはなかった。十代に入ってからは私はずっとあなたに恋していた。あなたを妻に迎えられるのならこれほど嬉しいことはない」



       **************************************************



 翌朝、リスはキリムの柔らかい毛に包まれて目を覚ました。彼はまだ眠っている。眠るキリムは大きな猫みたいに見えた。リスは彼のぬくもりを感じながら昨夜の出来事を思い返して笑顔を浮かべた。


「何を笑っているんだい?」


 いつの間にか目を覚ましたキリムが大きな蜂蜜色の瞳で彼女の顔を覗き込む。そのまま彼に強く抱きしめられ、ふわふわの真っ白い毛の中でリスは息ができなくなった。


「キリム、くるしい」


「すまない」


 彼は慌てて腕を緩めてリスを助け出した。


「横を向いたら大丈夫みたい」


「まだまだ私達には学ぶことがありそうだね」


 真面目ぶってはいるけれど満足そうなキリムの口調にリスは笑い出した。



 二人の間に幸せな毎日が戻ってきた。リスはいつもキリムの左腕と自分の右腕を絡めて歩いた。いつの間にかそこが彼女の場所になっていた。晴れた日には二人は手を繋いで山の中を歩きまわった。吹雪の日には部屋の中で思いついたことを気ままに語り合い、気持ちが高ぶれば愛を交わした。


「誰かが隣にいてくれるのは素晴らしいね」


 繰り返しそう言っては笑うキリムに、リスも彼の言うとおりだと思った。



       **************************************************



 ある朝、リスは鏡の前に座って村の様子を眺めていた。鏡には彼女の家の玄関先が映し出されている。キリムの父はリスの家の周りにたくさんの装置を仕掛けてくれていた。どうやら彼は自分の息子がリスに夢中なのを知っていたようだ。


 彼女はそろそろ学校から戻ってくる妹達の姿を見るつもりだった。村を出たことは後悔していないが二人の妹に会えなくなったのは寂しい。彼女がいなくなってから父は女中を雇ったので、妹達や祖母の心配はせずに済んだ。


 その時、家の中から中年の男が出てきた。村の医者だ。後から出てきた父と医者は家の前で立ち話を始めた。倹約家の父が医者を呼ぶなんてよっぽどのことだ。話の内容を辛うじて聞き取ったリスは真っ青になった。


「村で何かあったのかい?」


 ちょうど部屋に入ってきたキリムがリスの様子がおかしいのに気付き声をかけた。


「おばあちゃんの具合が悪いの」


「そうか。病が重くなったのだね」


 彼は隣に座って今にも泣き出しそうなリスの肩を抱いた。


「心配しなくてもいい。おばあ様はすぐによくなるよ」


「どうやって?」


 リスは驚いて彼の顔を見た。


「薬があるんだ。飲ませてあげればいい」


 彼女が驚いたことに彼は病の原因を知っていた。


 この星の動物の多くは移民によって持ち込まれたのだが、植物は元々自生していたものがほどんどだ。キリムの父は移民団が持ち込んだ植物はうまく定着できなかったのだろうと言っていた。村で唯一豊富にとれる根菜には人間には分解できない毒素が含まれている。そのせいで村人は五十を越える頃には老人のような風貌になってしまう。


「ニギートの根に毒があるの?」


「長い時間をかけて少しずつ身体に溜まっていくんだよ。村人に警告するようにと父に頼んだのだが、彼は聞き入れなかった。村にはほかに食べるものがないのだと言ってね。それに彼は村人との接触を避けたがっていた。彼らが私達を恐れなくなると困るからね。父は私を守りたかったのだ。どうか彼を責めないで欲しい」


「お父様は間違ってはいないわ。あなた達が危険でないと知ったら村の男達は何をするか分からないもの。それに貧しい人にはほかの食べ物は買えないの。あれを食べるしかないわ」


 祖母は父が商いを始めるまでは南の町から来た野菜や穀物など口にしたこともなかったと言っていた。 貧乏人には毛皮猟師が狩ってきた獣の肉と根菜ぐらいしか食べるものはなかったのだ。


「ここで生活を始めたとき、食料が尽きたときの事を考えて父は村人の食べている物を調べたんだ。あの根菜は毒がある以外は理想的な食べ物なんだよ。彼は『船』の記録を調べて毒を体の外に出す方法を見つけ出したんだ」


「魔法の鏡はそんな事も知っていたの?」


「宇宙はとても広いからね。同じような毒を持った生き物も存在しているんだよ。彼は薬の作り方を見つけたんだ。幸い『船』の設備でも作れる単純な物だったので私達はあの根っこを何の心配もせずに食べられるようになった」


「キリムもニギートを食べているの?」


「今朝のパンは何でできていると思ったんだい?」


「でも、あのパンはすごくおいしいわ」


 リスの顔を見てキリムは笑った。


「ここで私達が食べているものは春の間に私が収穫したものだ。雪が解けたら畑を見せてあげるよ。でも、あなたの好きなキイチゴのジャムは私の星から来たものなんだ。あんなに気に入って貰えるなんて今まで大切に取っておいてよかったよ」


 二度と帰らないと思っていた村に突然戻ることになり、リスは不安になった。もうキリムの元へは戻って来られない予感がしたのだ。


「おばあちゃんは心配だけど、あなたと離れたくない」


「私も一緒に行くよ」


「だめよ。村に近づいたら撃たれるわ」


「あなたたちの武器では私を殺すことは出来ないよ」


 彼は壁にはめ込まれた戸棚の中から大きなメダルのようなものを取り出してリスに見せた。


「父の使っていたものだ。これが私を守ってくれる」


「それは何? 護符なの?」


「そのようなものだ」


 そう言うとキリムは立ち上がった。彼を村に連れて行くことには不安を感じたけれど、今は祖母の病気の事でリスの頭はいっぱいだった。


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