表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/9

雷雨のあとに 6

 アールヴヘイム教国にエハイルバウンズの土砂崩れの報が入ったのは、月に一度の慰霊祭真っ只中だった。

 慰霊祭はこの世界に生けるもの総ては命を紡ぐものというヴァン神教の理念の下、毎月満月の夜に執り行われる儀式だ。アールヴヘイム中央に建てられた大聖堂を数多のキャンドルで取り囲み、死してこの世に残るもの、執着の途切れぬものの浄化や、自然災害に因って傷付いた世界に住まう精霊を慰霊する。

 慰霊を行えるのは、アールヴヘイムの国王という位置付けに立つ、ヴァン神教の司祭とビフレスターと呼ばれる”慰霊の舞”を舞う事を許された者に限られる。それ以外の教徒はその夜、司祭による”慰霊の唄”と三十名のビフレスターの舞う”慰霊の舞”に酔い痴れながら、死者の魂や精霊たちの安らぎを祈るのだ。

 その慰霊祭が行われた昨晩、祭も最高潮を迎えた頃に、エハイルバウンズの土砂崩れが報じられた。

 司祭は直ちに被災地の慰霊を盛り込み、ビフレスターたちには翌朝を待たずにエハイルバウンズへ向かうよう指示を下した。

 選りすぐられた十名のビフレスターたちは、司祭の指示で用意された馬車の荷台に鮨詰めに乗り、一路エハイルバウンズを目指した。

 その中の一人、ディーナ・ガヴリロヴィチ・ビリュコフは幼い妹イリーナとともにユグシアからアールヴヘイムへ移住した一六歳の少女だ。

 遺跡研究者だった両親は、三年前に遺跡調査中に崩れた遺跡の壁の下敷きになって死んだ。以来、ユグシアの孤児生活保護制度を頼りに生きて来たが、ユグシアの法律により、一六歳の成人を迎える年に保護制度の非対称年齢になる事から、仕事を探したが、軍事国家であり学歴重視の国柄、幼い妹を養いながら十分な生活をする仕事にはあり付けず、両親が密かに信仰していたヴァン神教を頼り、アールヴヘイムへの移住を決めた。

 急な事であったため、移住について制約の余りないアールヴヘイムでの手続きはすんなりと行ったが、ユグシアへの国籍返還手続きは難航していた。手続きを代行してくれたアールヴヘイムの法務局の人間は、あとはやっておくからとディーナに言ってくれ、ディーナもそれ以降は任せ切りにしていた。

 故に、自身がまさか、移住して半年で未だにユグシアの国籍を持っているなどとは、考えもしなかったのである。

 アールヴヘイムへの移住を果たした数日後、働き口を求めて向かった労働局での審査において、幼い頃から習った踊りの稽古が役立ち、ビフレスターとして慰霊祭で舞う事を許された。ビフレスターは給与自体はそれほど高いものではなかったが、聖職者たちが住み込む集合住宅の一室を無料で宛がわれる上、食事は家族ともども司祭たちと摂る事が決まりであるため、食費の心配もない。

 毎日の礼拝と慰霊の舞の稽古さえきちんと行えば、生きるには困らない仕事だった。

 ユグシアでの暮らしから比べれば、ディーナとイリーナにとって、アールヴヘイムは天国そのものだった。

 稽古中は、イリーナは大聖堂のシスターに預けられ、年相応の教育を受けたりして過ごした。

 シスターはとても優しく、イリーナもすぐに懐いた。

 慰霊祭の日も、遊び疲れたイリーナはシスターの元ですやすやと眠っており、ディーナはそのままエハイルバウンズへ向かう事になったため、イリーナは結局そのままシスターに預けられたままとなっていた。

 が、特に何も心配はせず、ディーナは無心でエハイルバウンズへと向かう馬車に揺られていた。

 夜が明け、昼を目前に迎える頃、エハイルバウンズとトウワ、そしてアールヴヘイムの三国の国境が交わる地点に到着した。

 三国の検問が三角に並ぶそのエリアは、常時三国の兵士が睨み合う、物々しい雰囲気の場所で、疚しい事がなくとも、そこを抜けるにはやや緊張する。

 土砂崩れのあったガリバラは、ここから真南へ下って馬車で四時間ほどかかる。

 国境を何事もなく抜け、土砂崩れの現場へ到着した頃には、空は薄紫色に染まっていた。

 十名のビフレスターの中で最年長のカピトリーナという少女が、荷台を素早く降り、エハイルバウンズの現場主任を探した。何名かに問い掛け、ハーラルト・バルリンゲンツという男が現場監督の代わりに話を聞くと言うので、アールヴヘイムから来た事を告げると、ハーラルトは少し顎を撫でて悩んだ後、「まぁいいか」と独り言を言って、ビフレスターを現場を一望出来る場所へ誘導してくれた。

 ビフレスターは、ヴァン神教に傾倒していなくとも、それと判る衣装を身に纏う事を義務とされている。真っ青な大きなアールヴヘイム産のシルクの布を頭から被り、左腕を出して左腰で布の端を縛る。そしてその上に、美しい銀刺繍の帯を巻くのだ。

 その姿は衣装としてもとても優美で、少女と言う年代の女性を中心に選定されるビフレスター一行は、そこに居るだけで人目を引く。

 ビフレスターたちは土砂崩れで荒れ果てた大地を、並んで見下ろした。その光景はとても痛ましく、大地の悲痛が聞こえて来るような気分だった。

 溜まらず、何名かの少女は隣り合う者と手を取り、声を殺して涙した。

 しかしディーナは、土の隙間に現れた銀色の円筒に釘付けだった。

 あれが何かは何も知らないし、自分自身でも、何故あれが気になるのかは解らなかったが、不思議と円筒から目を離せずにいた。

 頭の中が空っぽになり、周りの音が聞こえなくなった。ただ、谷底から舞い上がる冷たく泥臭い風が衣装を揺らす感覚だけを感じ、そして次第に胸が高鳴った。

 『呼ばれている』。

 そんな気がしたら、居ても立ってもいられず、ディーナは無意識に走り出した。

 待機所として建てられたテントの脇を抜け、まだ濡れている崩れた土の坂を、足をもたつかせながら走り降りる。周りは大声でディーナを静止しているが、ディーナにそれは聞こえない。

 何度か滑って尻餅を付き、衣装が汚れた。

 円筒付近にいた研究者たちも騒ぎに気付いたが、物凄い勢いで走って来る少女に唖然とした。

 ディーナは研究者たちの間を縫うように円筒に走り寄ると、円筒を覆っている土を手で掻き始めた。

 濡れているとは言え、土は思いの外固く、土をどう退けたものか研究者たちも頭を悩ませていたというのに、ディーナは夢中でその土を掻いていた。

 目を見開き、何かに取り付かれたように土を引っ掻くその光景は、異様であった。

 ひたすら呆然とディーナを眺める研究者たちを、やっと追いついたハーラルトが邪魔だとどかしながら走って来た。

 そして、息も絶え絶えディーナの肩を掴むと、ぐいと引っ張って自分のほうを向かせた。

 ディーナは表情を変えずにハーラルトを見た。

 ハーラルトはその表情に戦慄を覚えた。

 いつぞやユグシアで見た、とある資料に載っていた被験者の表情にそっくりであったのだ。

 尋常ではない様子を悟ったハーラルトは、直ちに衛兵を呼び、ディーナに向き直って体を強く揺さぶった。

「しっかりしなさい!」

 何度も何度も揺さぶると、ディーナは崩れ落ちた。

 ハーラルトが抱き止めると、足場にへなと座り込んだディーナは、ハーラルトの腕を掴み、ぐっと力を入れてハーラルトを引き寄せた。

 そして、至近距離で顔を見合わせたこの距離でしか聞こえない声で、ディーナはハーラルトに囁いた。

「『ニ………はトールの遺恨の奥深く』…、『フ……の………ドの剣……………………ルヴ…時を刻…』…。」

「…え…?」

 ハーラルトが聞き返すと、ディーナはがくりと倒れた。

 ディーナの記憶も、そこで途切れる。

「あっ…!

 メ、衛兵はまだか!?」

 完全に気を失ったディーナを抱き起こし、叫ぶハーラルトの声に、漸く周りの研究者も気付き、慌てた。

 崖上では、ディーナと同行したビフレスターの少女たちが、手を取り合って身を縮めている。

 ハーラルトはディーナを抱き上げると、研究者たちの手を借りながらテントへ戻り、衛兵にディーナを任せ、ビフレスターたちを集めた。

 事情を聞くが、みな首を横に振るばかりだった。

 最年長の少女も、自分は大地を癒しに舞いに来ただけだと言い、ディーナの行動を説明出来る者は一人もいないと言い張った。

 嘘を吐いている様子も伺えず、ハーラルトは自責の念に駆られた。

 アレフリドの到着を待てば良かったと、後悔もした。

 その後、到着したアレフリドの指示で彼女(ビフレスター)らの身元照会を行ったが、間違いなくアールヴヘイム教国のビフレスターである事が判明した。

 が、騒ぎを起こしたディーナという少女は、アールヴヘイム教国とユグシア王国二つの国籍を持っていた。

 事態を重く見たエハイルバウンズの元老院は、ディーナを書類上拘束。身柄を城で保護する事を決め、マルグリーテの判断を待たず、ユグシアの内偵者と公表したのであった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ