雷雨のあとに 5
目の前の男はいつも不機嫌である。
名をエアロン・ベレスフォードと言う。
歳はニ七歳。
この歳にして、我が国ベレスデンの主である。
とは言え、即位して間もなく、未だニ年目である。
皇室の慣わしなどと言い、男児が生まれれば必ずニ五歳で即位させる事になっている。
次期国王となる資格を持つ、皇室に生まれた男児は、だから乳を飲んでいる頃から、国王となるべく育てられる。そのためか、史実や老人たちの証言に因れば、皇室の男児はみな一様に早熟で、子供の頃でも子供らしい表情をしない。
目の前のエアロンもご他聞に漏れず、ニ七歳の割りに大人びていて、威厳もそれなりにある。
文武両道を重んじるベレスデン皇室の教育の成果か、学もあり、勤勉で、一通り、それなりに武術をこなす。そのための体格も出来上がっていて、長身ながらしなやかに鍛えられた筋肉を備える体を持つ男は、自分の知る限り、どこにもいない。
…否、一人いた。
が、それもエハイルバウンズのエルドリッシュくらいだ。
「…で?」
などとぼんやり考えているのを見透かすような、相手を見下した目で、エアロンが続きを促した。
「バウスフィールド。俺は暇じゃない。
半端な報告をするなら、下がれ。」
「嘘を吐け。報告の大半は居眠りをしていた癖に…。」
と言える筈もなく、ヒュー・バウスフィールドは姿勢を正した。エハイルバウンズでの”トールの雷”発見の報告のためにエアロンの執務室を訪れて三〇分。聞いているか聞いていないか解らない相手を前に伸ばしていた背筋は、とうに悲鳴を上げていた。
もう四〇歳。若くはない。
「失礼しました。
以上の事から、内偵に出ている者の話では、報道規制はかかっていないものの、土砂崩れの被害が大きすぎて、エハイルバウンズ側も調査を始める段階にないようです。
明日には調査チームを派遣出来る見込みのようですので、遺構に関する詳しいご報告は明日以降と言う事に。」
「そうか。
まぁ、アレが”トールの雷”である可能性が高いだけでも、今は収穫という事か。」
「例の”計画”を知る三国でも同等レベルの情報しか入手出来ていないようですので、事態もあまり動く事はないかと。」
「わかった。」
エアロンはそう言うと、席を立ち、執務室の大きな窓辺に立った。
ベレスデン首都・オァンベルズの中央で、都市を見下ろすようにして建つオァンベルズ宮殿の中でも、この執務室は都市を一望出来る特別眺めの良い位置にある。
エアロンはそこで仁王立ちに立ち、西に傾き始めた薄ピンク色の陽の光に染まる都市を、文字通り見下ろす。
「ニ………はトールの遺恨の奥深く…、か。
そうだ、ユグシアの馬鹿王子はどうだ?」
「はい。こう言っては何ですが、”順調”に即位が近付いております。
ご求婚の噂も強まっておりますし、日を見て即位前にでもマルグリーテ様の許をお尋ねになるのではないかと…。」
「せっかちだな。」
「左様で。
ただ、閣下のご想像通り、マルグリーテ様がグレゴル様のお申し出をお受けする事もそうそう考えられませんし、グレゴル様のご求婚はその後の”計画”に支障を来す可能性もありますので、ユグシア国内の参謀面々が頃合いについては強く進言をするようだと、内通者からの報告が上がっております。」
エアロンはふんと鼻で嗤い「それでいい」と言った。
「アールヴヘイムの内偵からは何も入ってないのか?」
「はい。
”ビフレスター”が、エハイルバウンズへ赴くとの事です。
”慰霊”を行うのだとか。」
「”慰霊”? 死者はいないのではなかったのか?」
「”大地の精霊”の慰霊だとか。」
ヒューが答えると、エアロンがまたも鼻で嗤った。
「宗教家の考えそうなものだ。あの土砂崩れで大地の精霊が死んだと。大地は土砂崩れ程度で枯れ果てるのかな。」
「精霊は数多存在するそうです。」
「ふん。まぁ、いい。
アールヴヘイムを含み、各国の動きについて内偵の妨げになる様なら、何か策を練らねばな。」
「御意。
報告は、以上でございます。」
「ご苦労。」
そう言って、エアロンは手をひらひらとさせて早々に部屋を出るよう促した。
ヒューは深々首を垂れ、執務室を足早に退室した。
ドアを閉めると、一気に脱力する。
疲れた。
たった三〇分余りの報告で、一々疲弊していたのでは体が保たない、と毎日思いながら、この執務室を訪れる。
何故なら、国王でありながらも、主要行事のみならず、政治外交など総てを取り仕切るエアロンの第一秘書だからである。
エアロン付きの秘書は計六名ほどいるが、ヒュー以外の秘書を、エアロンは執務室へ寄せ付けなかった。言い訳は、『使い物にならない』からだった。
だから、資料作りやその他実務については他の五名が行うが、エアロン本人と対する報告事項などについては、ヒューが独りで行う。
毎日溜め息ばかりだった。
秘書に宛がわれたの執務室へ戻ると、第ニ秘書のベイジル・アディンセルと第三秘書のアシュレイ・ベドーがヒューを見て同情の笑みを浮かべた。二人ともヒューの同期で、ベレスデン王立騎士学校からの付き合いだった。
「帰った早々バッドニュースだよ。」
アシュレイが言った。
「…何があった…?」
「エハイルバウンズ騎士団がユグシアの内偵者を拘束した。」
最悪のニュースだ。今し方、ユグシアの動きに注意するよう遠回しにエアロンから念を押されたばかりだというのに。
「こちらの内偵者は何をしてたんだ?」
ベレスデンからは、『エハイルバウンズに内偵に入っているユグシアの内偵者を内偵する』者を派遣してあった。逐一監視を命じていたので、大抵の事態は防げた筈なのに。
「それが…。」
「なんだ?」
ヒューが訊ねると、ベイジルとアシュレイが顔を見合わせた。表情は仄かに困惑している。
「こちらのユグシア監視者リストに名が載ってない人物だった。」
アルメリアとユグシア、ベレスデンの三国はお互いに各国の動きを探っている。最近は、ユグシア国内の動きを注視したい考えから、若干ユグシアの監視に力を入れていた状況はあるが、それはアルメリアにとっても同じ事が言え、当のユグシアもその気配は察知していた。
隣国同士仲良くと言えど、表向きは相手の寝首を斯く機会を窺っている。
だから、内偵者の情報も奪い奪われで手に入れたものであり、完璧な正確さは求められないのは承知の上ではある。
だが、それでも内偵を開始すれば、自ずと手元にある情報がどこまで正しいかは把握出来るものである。
今回は、そこに抜けがあったという事か…。
「見落としか?」
「いや…。」
アシュレイが首を振り答える横で、ベイジルがヒューに一枚の資料を渡した。
ヒューは資料を受け取り、手早く内容を確認し、すぐに二人の顔を見比べた。
「どういう事だ…?」
「戸籍上は、アールヴヘイム教国に所属している。
ただ、ユグシア国籍も取得したまま、という事だ。」
「そんな事可能なのか?」
和平協定を結ばぬ六つの国だが、表向きはどの国も友好外交を掲げている。
だから、国籍の変更や移住については、複数国籍を取得する意図がない限り、厳しい制限や罰則を受ける事はない。
手続きにおいては各国が単独で行うため、例えば時期さえ一致すれば、同時に二つの国籍を持つ事もない話ではない。
ただ、裏側では各国の領土と技術力を手中に収めるべく画策している敵国でもある。国籍が複数あれば、内偵を糾弾される絶好の材料となってしまう。内偵は、暗黙の了解で秘密裏に行われているからこそ、国間での争い事にならずに現状を保っている。
矛盾極まる話だが、内偵をしている事を解った上で、『しているかも知れない』程度の認識で、いざと言う時まで現状のバランスを維持する事が得策だと言う判断だ。
その様な事情から、なるべく火種は作らないという理解の下、移住や国籍取得については所属国が複数にならぬよう、各国で万全の対応をするよう心がけている事の筈だった。
「アールヴヘイムだからな…。」
アールヴヘイムは国家ではあるが、宗教団体が巨大化したものに過ぎなかった。
元はトウワとアルメリアが互いに自国領土と譲らなかった土地を、和平を掲げてヴァン神教が中立行政地区として管理する事を提案し、この二国を始めとする五国同意の下、ヴァン神教が管理する国家として独立をした土地だった。
住民は古くからこの土地に暮らす者と、世界各国から移住したヴァン神教信者で、信仰の元で罪を犯す事莫れを忠実に守り、法律は必要最低限しか持たない。
であるから、あらゆる者へ門戸を開いてしまう国民性からしても、有り得ぬ話ではないとも取れる。
「…問題は、エハイルバウンズが”ユグシアの内偵者”であると発表した点だな…。」
「ここは内偵を動かすより、状況説明を国家として求める方が良いのでは?」
アシュレイの言うとおりだと、ヒューも思った。
裏で何が暗躍しているか知れぬ。
ただ、問題は、エアロンだ。
こんな事態に何だが、今日はもう会いたくなかった。
勿論、そうも言ってはいられぬ状況であり、そもそもそんな我侭が罷り通る立場でもない。
「…閣下に提言してみる…。」
ヒューはがっかりと肩を落とし、重い足取りでエアロンの執務室へ戻って行った。