雷雨のあとに 2
バタバタと本棚を漁る。
今、必要な本だけが見つからないのだ。いつもはどうでもいい場所で見るのに。
苛立ちながら、キリト・カンザキは片っ端から本棚の本を抜き出し床にばら撒いて行った。
「あー! ったく!! 時間がないってのに何で見つからないんだ!」
あと三時間以内に、学会への研究レポートを完成させねばならない。
これを出さねば研究予算が出ない。出なければ、次のレポート審査までの向こう半年間、研究員への給与やら研究設備やらの資金は総て自分の口座から出さねばならなくなる。
究めて拙い状況だ。
こうなった理由は、昨日調子に乗って飲みに行ってしまったからで、気が付けば夜は明け、提出期限が迫っていた。
「雨が降ったからいかんのだ!」
そう。昨日は急に豪雨に見舞われ、雷まで鳴り響き、車で一時間ほどかかる帰路を走るには少少気が退けたのだ。雨が止むまで食事でもして一息吐こうと、行き付けのカフェに行ったのが運の尽きだった。
そこには雨宿りを理由に店に寄ったと言う、美女がいたのである。
お友達にならない手はない。
ああだこうだと話をしているうち酒を煽ってしまい、雨も止む気配はなく、美女ともすっかり打ち解けて…。気が付けば、美女の代わりに酔って眠っているマスターを抱き枕のように抱えて眠っていたのだった。美女は当然、いなくなっていた。
二日酔いで回らなくなった頭を覚ますためにマスターを叩き起し、無理矢理コーヒーを入れさせ、店の外に出ると、雨は当然だがすっかり止んでいて、しかも既に出勤時間となっていた。
つまり、自業自得であった。
レポートはラスト一枚を残すのみだったので余裕を噛ましていたのも事実だった、が、それがいけなかった。
レポートで一番重要な結論をまとめるための情報が掲載された本が、見つからないのである。
しかも、その中でも特に重要なある遺跡の古代名をド忘れしているのであった。
研究家として、こんな恥ずべき事はない。
結局、本棚を総てひっくり返したが目的の本は見当たらず、ふらふらと机に座ってテレビを点けると、昨夜の豪雨のニュースが流れていた。
都心ではただの強い雷雨だったが、東側の農業地域であるエスカ地区は被害甚大だったようで、画面に映る、茶に濁って溢れている川や、水浸しになった畑、崩れた土砂の映像を、キリトは眉を顰めて見つめた。
「これじゃ、地盤の緩いエハイルバウンズのガリバラはもっと崩れてるだろうな…。」
エハイルバウンズは、キリトのいるトウワ王国の東隣にある王国で、機械と自然を程よく活用する比較的穏やかな国民性を持つ。広大な海にぽっかりと浮いているこのミッドガルズ大陸には六つの王国があり、エハイルバウンズを五つの国が囲んでいる。
何故、この世界に大陸が一つしかないのかは解らないが、東西南北にそれぞれ比較的大きめな諸島群があるだけで、他に大陸は存在しない。
一度海に出、大陸を遠く離れれば最後、方向を見失い、大いなる海で干からびるだけ。
だから、人も滅多に大陸を離れず、探査するにも命がけなのだった。
キリトはこの世界について古代遺跡の視点から研究をしている研究者で、まさにあと三時間後、古文書にある海に沈んだ遺跡についての探査予算を申請するためのレポートを発表する学会が開催されるのであった。
「……どうする…。」
頭を抱えたその時、研究室の扉が強く叩かれた。
「博士! 博士!! 大変です!!!」
研究所の所員で、キリトの助手を務めるフミヒコ・クマハラの声がした。
キリトはのろのろと扉へ近付き、開けると、廊下でフミヒコが顔面を蒼白にして息を切らしていた。
「チアノーゼか?」
「ち、違いますよ! 何をそんな悠長な…!!
”トールの雷”らしきものが、エハイルバウンズのガリバラで出土したんですよ!!!」
「…そ、それだ!!!!!」
キリトがフミヒコを、叫びながら指差した。
「…はい?」
訳も解らず一瞬できょとんとしたフミヒコを置いて、キリトは机に走り寄り、机に置いた端末のキーボードを叩いた。
「”トール”、”トール”…。
『即ち、”トールの神殿”は我が国の東方にあるとの解釈が出来、ここを水源とする地下水脈を辿った先の湾岸沖に、”シヴの神殿”が沈んでいると思われる。』と…!
……ん?」
レポートが仕上がって冷静になったのか、キリトがふとフミヒコを見て、目を見開いた。
「”トールの雷”が見付かったって言ったか…?」
「そうですよ!」
フミヒコが拳を握った。隣国の土地なのだから一足遅かったも何もないが、自分らの手で発掘したかったものではあったから、複雑な心境であった。
「…『ニ………はトールの遺恨の奥深く』…。」
呆然とした様子で、キリトが何かを呟いた。
「…はい?」
「…いや…、なんでもない。
”トールの雷”はどんな形だった?」
「わかりません。
昨日の豪雨で土砂崩れがあった場所で発掘されたそうなんですけど、それ以外の発表は何もないんです。まぁ、発掘されたのも今から二時間前って言ってたんで、これから出て来るかも知れませんが。」
「そうか。」
そういうと、キリトは考え込んでしまった。
「どうしたんです?
興奮しないんですか?」
フミヒコの問いに、キリトが苦笑した。
「してるさ。しない筈がない。
だけど…。」
「だけど?」
首を傾げるフミヒコを眺めて、キリトは一瞬口を開いた後、すぐさま首を振った。
そして、「…いや、何でもない」と言うと、端末を持ち上げた。
「会場へ向かおう。遅刻したら元も子もない。
大事な予算を得るチャンスだからな。」
にやりと笑うキリトに、妙な違和感を感じはしたものの、フミヒコは「はい」と頷いて、車の用意をすると言い、廊下を走って行った。
キリトは端末からレポートのデータをメモリへコピーすると、それを書類カバンに入れて研究室を出、ロックをすると、パーキングへと廊下を歩いた。
この世界には謎が多い。いつからあるとも知れぬ不思議な鉄の道具<機械>がその最たる物で、同じもの、或いは応用して進化させる事は出来るが、その起源は誰も知らない。
人類の起源をあらゆる情報を使って辿っても、ある年代を境に、ぱたりと途切れてしまい、それ以上遡れない。
化石然り、文明跡然り。
いつしか、この世界に唯一残っている神話と、起源の解らぬ機械の存在と、大地奥底から出土する遺跡が関連付けられた。無関係とするより、関連付けてしまった方が、”孤独感がなかった”のかも知れない。
そして、機械のような高度な技術の結晶が、若しくはもっと画期的な何かがこの大地に埋もれているかも知れないと思い始めた。
だから、遺跡の発掘や調査は、六つの国が我先にと血眼になって行っている事だ。
しかし、一方でそれは途方もない作業である。
神話はあれど、記録ではないため、確実性に乏しいのだ。情報としては、半信半疑で扱わなければならない。
大地の全てを掘り返す事はできない。
だから、発掘作業一つ取っても、入念な検証と、より高い可能性を含む仮説が必要なのだった。
外れともなれば、別の場所を探さねばならない。
元より自国領土内に遺跡がない可能性だってある。
人手も金も時間も、無尽蔵に用意する事が出来ない。
研究者にとっては、ジレンマである。
話を戻して、 ”トール”はトウワやエハイルバウンズを始めとするこの世界の六つの王国全てに伝わる叙事詩に登場する、雷神の名である。
”ミョルニル”は、”トール”の宮殿のある”スルーズヴァンガル”へと侵略者が訪れた際、威嚇に放った『稲妻』を発生させた槌であると叙事詩には記されており、自ずとそれは”エネルギー発生装置”の事なのではないかと考えられた。
機械の動力については未だ未知であるが、何かのエネルギーを取り込み、使っているのだと言う事は解った。ただ、物質を供給する事ではなく、文字通り『機械が勝手に取り込んで消費している』ようなのだった。
このエネルギーが有限か無限かは解らないが、機械の原動力である事に変わりはなく、そしてわざわざ叙事詩に記述が残っている以上、発生させるエネルギーは途方もないものなのではないかと研究者たちは沸き立った。
人々はこれを”ビフレスト”と呼んだ。
研究者たちの間では、放たれた”トールの雷”は大地に深く突き刺さったとされ、この世界のどこかの地中に埋まっているというのが定説になっていた。
その”トールの雷”が、キリトの予想通り、トウワの東方、エハイルバウンズの西方ガリバラで発見された。
叙事詩はもしかすると、不明となっているヒトやこの世界の起源を記録したものかも知れないという思いが、より確信に変わって行く。
学会のみならず、世界全体が、”トールの雷”発見を受けて動き出すだろう。
パーキングに着くと、所定の場所に停めてあるキリトの車のエンジンがかかっていて、運転席の窓からフミヒコが顔を覗かせていた。
「博士! 道混んでるみたいですよ! 急がないと!」
フミヒコに急かされ、キリトは面倒臭そうに手を挙げて返事をした。
片方の手に持っているカバンをちらりと見る。
自分が探しているのは”トールの雷”ではなく、”トール”の妻とされる”シヴの神殿”だ。カバンの中身はそのためのレポートであるし、”トールの雷”発見によってこのレポートの価値や評価が下がる訳でもない。だが、何故か自分の中では既にこのレポートの存在価値は薄れていた。
車に辿り着くと、キリトは助手席のドアを開け、後部座席にカバンを投げ入れた。そして無造作に席に着くと、ラジオを入れる。
フミヒコが車を発進させた。
ラジオからは、昨夜の豪雨のニュースが流れている。ただ、内容は先程テレビで見たものと同じだ。
目新しい情報は、入っていないようだった。
そこに、聞き覚えのある声が聞こえた。ニュース番組の解説に入っている、知人の研究者の声だった。
『…の発見が、全世界的に遺跡発掘の流れを速める事は間違いないでしょうね。本日、我が国でも各国の研究者を集めた国際学会が催されます。この発見を受けて、レポートを修正する研究者も多い事でしょう。大童な様子が目に浮かびますよ。』
研究者はフフと笑って締めくくった。
「そういえば、アルメリアとユグシアのゲスト研究者が、二人とも欠席するそうですよ。」
「…へぇ?」
アルメリアもユグシアも、エハイルバウンズを挟んで東方にある、隣り合う王国だ。
アルメリア王国はトウワに似て機械と暮らしが密着した文化を持ち、ユグシア王国はどちらかと言うとエハイルバウンズに似て自然との調和を主としているが、最近、現国王の体調が芳しくなく、王権交代とともにその文化を徐々に機械を取り込んだものにシフトしていくのではないかと噂されていた。
双方の国とも好戦的で、幾度となく小競り合いを繰り返していた歴史を持つ。
その両国から、今回の学会にゲストとして高名な研究者が一名ずつ招待されていたのだが、二人ともが欠席をするらしい。
「エハイルバウンズにでも入るのかな?」
「でしょうね。実際の立会いは無理でしょうけど。情報収集は、その方が早そうですもんね。」
「どうだろうな…。エハイルバウンズには、”アイツ”がいるからな…。
情報も、上がってくるかどうか。」
そう言って、キリトは口を閉ざした。
フミヒコが「”アイツ”?」と訊ねても答えず、やがて道も徐々に混み始めた。