第9話 これから
僕が話し終えると、三人共静かに、考え込むように瞑目し、動きを止める。
暫くこのままなのかなと視線を左右させ。それから長く話したためによる喉に渇きを覚え、飲み水を持ってきますと断わりを入れて食堂に向かう。
居間へと戻り、テーブルに近づくと其々の目の前に水の入ったコップを置き、先ほどまで座っていた所へと自分も座る。
「それで、マルスさん。先ほどの話と、昨日言っていた『手掛かり』と、どう繋がるというの?」
それまでの静寂を破ったのは、そんなエリーセさんの言葉だった。
「――こんな命に惜しみなど 唯の一つもありはしない 願いが一つ叶うなら 全てを捨てて我は行く」
呟く様なひっそりとした音声。それでいてしっかりと耳に残る、まるで詩のような響きのそれに、それを声に乗せたマルスさんは、未だ瞑目したまま考えるように俯いていた。
それからすっと顔を起こすと、引き締まった表情を乗せ、何かを決意したように口を開く。
「先の詩は、古い伝承に残る、俺が知る数少ない『ロスト』に纏わるものだ。それがどんなもので、何処に在って、どのようにして、という記録は世間一般には一切残っては居ない。ただ、『ロスト』を追う者が口々に言っていたと言われていたのが、それらしい。
何処にあるかもわからない物を追い、過酷な旅を覚悟の上、それでも叶えたい願いがあるなら、全てを投げ打って追い求めろと」
「…ロストへと至る場所、ロストは鍵、其の部屋へと至る扉…運命に逆らう、願いが一つ叶うなら…元の世界へ至る道を探る?…たしかに、僅かながら可能性はありそうね」
「あくまでも、古い伝承だ。一度言ったが、それを求めたが故に昔一つの国が滅んだ。それから緘口令が敷かれ、それまでに残された伝承は悉く闇に消えた。だからこそ何処かで歪んだ伝承として残った可能性もある。ヤトの話からは、あの詩を想起出来る面もあるが、確証には至らない。少しの可能性が残されただけだな。それだけで過酷かもしれん道を歩むというのもな」
「…とはいえ、手掛かりがそこしかないのなら、他に道もないでしょうけど」
「そう、だな。本筋は『ロスト』の捜索、其の傍らに、『此処ではない何処か』の記録があるかの調査、ということになりそうだな」
盛大な溜息の音とともに、再びの静寂。静かにしながら話しを聴いていたけれど、僕には少ししか解らなかった。それでも最後に聞こえた、『ロスト』を追うのが一番いいらしい、というところだけは、なんとなく理解でき、それなら僕も一緒に連れて行って貰えるかな?とそんな風に考えていた。
「なぁ、マルスの旦那。少し気になって考えてたんだが……言えないなら言わなくていいが、とりあえず聞いてくれ」
そんな時。ふと、難しい顔をしたマンジおじさんの声が聞こえた。
「この国の情報収集、諜報についてだ。見たところ、情報の遣り取りは手紙かなんかになるだろうが、幾ら急いでも、早馬を越える手段はねぇように見える」
「まあ、そうだな。それで?」
「ここに集まる情報ってのは、どの位の範囲までの情報が入る?」
「ここから西に、馬で片道で十日、東のことは王都へと行くな。それがどうした?」
それからぶつぶつと何やら呟くマンジおじさんを、マルスさんは怪訝な表情で見、エリーセさんは、少し緊張したような表情で二人を見ていた。
「あくまで可能性だ。いいか、俺とそこの姫さん、それに坊主が、ここから西に行った所に三人だ。いいか、ここだけで三人だ(・・・・・)」
それからもマンジおじさんの言葉は尚続いた。
それも、あくまでも大人しく着いていっただけで、三人だと。
この世界は、広いんだろ?だったら、此処以外のどこかにも、同じように俺らみてぇなのが現われててもおかしくねぇんじゃねぇのか? と。
「見つかる前に姿を隠した者。人が居ない山奥に隠棲している者。訳ありなのだと匿われている者。可能性は十分あるわね」
それに顔を顰め、唸るように喉を鳴らしたマルスさんに、さらにエリーセさんも言葉を被せる。
「なあ、旦那。俺はな、元の世界じゃ追われる身だったんで、特に戻りたいという気持ちもねぇんだ。だがな、この国の為に何かしたいって訳でもねえ。
だが問題はな、そんな追われる身の奴だとか、そんなものも関係なくこっちの世界に来ているってことは、旦那にとっちゃ看過しえないことなんじゃねぇのかってな」
「…マンジ、感謝する。確かにそれは考えてなかった。いや、この問題さえ片付けばそれでいいとすら思っていた。少し考えれば、いやこの国を思えばこそ広い視野で見なければ成らなかったってのにな」
マンジおじさんはおどけたように肩を竦め、しかたねぇさ、と漏らした。
俺はそんな身の上だから、もしもあそこで旦那達に会わなかったら俺はどうしていただろうな、と考えていたと。
それから、表情を改めると、其の可能性があるとして、何処か情報の集まりやすい場所は?と尋ねる。
「一番集まるとなると、やはり王都だろう。だが、集まるからと言ってそれはそう簡単に耳に入れることはできんだろうが」
「あぁ、そうか。姫さんは元の世界に帰りたいんだっけか。なら色々聞ければってことか」
「その姫さんってのは好きではないのですけど。エリーセでいいといっているでしょう?」
「いいじゃねぇか、そんなもん」
「…そう、なら私も今日からあなたをゴミとでも呼ぼうかしら? いいんでしょう?呼ばれ方などどうでも?」
「…いや、いやいやいや。それは人としてどうよ?」
「相手が嫌がろうがどうしようがどうでもいいのでしょう?」
「はいすいませんごめんなさいぜひとも、是非にともマンジとお呼びくださいエリーセ様」
「…そう」
マンジおじさんがとても小さく見えました。どうもエリーセさんの方が上のようです。
暇つぶしの僕の観察の報告でした。
「聞いてくれ。今すぐに、とはいかんが、王都に向かおうと思う。これから今の話をまとめて、まぁ伏せるところは伏せてになるが、調書を書き終えたら王都への出立許可をてっと来ようと思う。
それに関してだが、幾つか決めておこうと思う。
エリーセ、一応魔女という肩書きだけとし、末姫ということは伏せて欲しい。
マンジ、追われる身であったというのはここだけの話ということにする。
ヤト、山の民ということにするが、お前も此処では無い何処かから来たということにする。
出立を申請してからも、認可が下りるまでは多少時間がかかるだろう。それに一緒に連れて行くとしても協力的である重要参考人物、と言う形になると思う。多少の制限はつくかもしれない。
それでもよければ、一緒に王都へと考えているが、どうする?」
マルスさんの表情は真剣で、しかしその問いにエリーセさんは神妙な表情で、マンジおじさんは少し楽しそうな笑顔を浮かべながらも其の言葉には即座に了承の言葉を告げていた。
それにマルスさんも視線を向けて頷いて見せると、すっと僕のほうへ顔を向けた。
視線で語られたそれは、「どうする?」と問うようなそれ。
僕の答えなんて決まっている。
だって、まだまだ暫く、皆と一緒に居られると解ったのだから。
「よろしくお願いします」
と元気に下げた僕の頭に、何時ものように大きな手が優しく乗せられた。
話し合いから二日。出立の認可が取れるまでの間、僕達は旅の準備を始め、この世界についてマルスさんに説明を受けたり、またエリーセさんの魔法、マンジおじさんの腕を見せて貰ったりと、其々に情報を交換しあいながら有意義な時間を過ごしていた。
その日も庭先にてマンジさんの鍛錬を僕はぼーっと見ていると
「マルセイルス・レント・メンシオール様宛の書簡をお預かりしております」
と、そんな言葉が聞こえ、僕は何だろう?とそちらを向くと、マンジおじさんが「旦那を呼んでくればいい」と言ったのでそれに頷き、呼んできますので少しお待ちくださいと言い残してから家の中へと脚を運ぶ。
マルスさんはその人から何かを受け取って、それを眺めて複雑な顔をした。
手に持つそれを開け広げ、何かを眺めると更に複雑な顔になる。何だろう?と近寄ってみても、それにすら気がついていないようで。暫くそれが続いたと思うと、漸く僕に気がついて、「状況が変わった。少し話がある」と僕とマンジおじさんを家の中へと促した。
「明日から王都へ向かう。急な話ですまんが、準備をしてくれ」
そう言うや、引継ぎをどうするか? 西南方面の巡回準備は、等ぶつぶつ呟き、呆気に取られたままの僕達は丸で視界に入っていないかのようにすたすたと歩き、玄関の閉まる音を残して消えてしまった。
良くわからないままに、それでも明日にはということなので、それぞれに自分の荷物をまとめ、それから野営に使う物やら食料やらをまとめていく。
準備が終わり、とは言え何かすることが有るでもなく。一体どうしたのかと考えていたときに、マルスさんが帰ってきた。
「…昔馴染みの、というか…一人、手に負えない同僚が王都にいてな。やはり、王都にも何件かそんな話がきているらしい。それでここエクセにもそんな話が集まっているのなら、それを報告しに来い、という手紙が届いたんだ」
そういい、諦めたような顔で溜息を吐くマルスさん。
「…要注意人物である者を王都に招くように書かれていたとは思えませんが?」
「あぁ、そこまでは書かれてはいない。居ないが…もし連れて行かなければ、連れて来いと言われるのは明白だからな…」
「それに従うしかない、という関係…ということは、余程上位の立場の者だと?危機管理に対する認識がゆる過ぎるのでは?」
呆れたようなエリーセさんの表情と声に、マルスさんも反論するでもなく、正にそうだとでも言いたげに苦い顔をする。本当にあいつは、あいつの我が侭加減は、など、それを言葉にのせることでその苦い物を外へと吐き出すようにブツブツとつぶやいている。
「まぁ、私としては王都へ行けるなら何でもいいわ。情報の集まりやすい地、歴史の残る地であるというなら。調べるにしたところで、時間はかかるでしょうし。早くなるに越したことはないわね。望めるのなら、地位のある人物にそれらを調べる自由を約束させて貰いたい、というところかしらね」
「それについては、大丈夫だろう。この相手というのが、それ以上ない程の奴だ」
「それって……この国は大丈夫なの?」
「一人だけ毛色が違ったというか…とはいえ、あいつは三番目だ。余程のことが無い限りは問題ない、とは思うのだが……」
相変わらずに難しい話をするマルスさんとエリーセさん。エリーセさんが呆れながらに口を開くと、それに答えるマルスさんが、どんどん歳を取っていくように見える。
そんな時、今まで静かだったマンジおじさんが、難しい問題を出されたようなやや困った顔で、恐る恐るというか、やや自信なさ気な声で、マルスさんへと言葉を向ける。
おおよそでは検討つくんだが、結局それはどんな人物なのか?と
盛大な溜息をこれ見よがしに吐き出すと、何かを諦めたような顔のままに
「ネスカ王国第三王子、マクスハイム・オウル・エスティア・ネスカ殿下だ」
其の言葉に、エリーセさんは何かを否定するように首を振り、マンジおじさんは余程衝撃的だったのかそのままで固まり、僕はよく解らなかったので首を傾げた。
一夜明け、早朝。マルスさんも仕事関連を昨日の内に問題の無い様終えてきていたために、日の昇る前からの出立ということになった。
王都までは、のんびりとした旅程で向かったとしても五日もあれば辿り着く。強行軍で、早ければ三日の距離らしい。少し大回りになるが、途中にある村を経ても、六日もあれば辿り着けるとマルスさんは言った。
出来るだけ急ぎたいとの意見には、エリーセさんが少し難しい顔をした程度で、誰も文句をいうことなく。真っ直ぐに王都へという旅程となった。
「準備はいいか?」
家を全員が出たのを見たマルスさんが、確認の為に声をあげる。それに頷きや挙手で返すのをみたマルスさんが、それでは行くかという声と共に馬車へと向かう。
其の背を追うように僕も歩き出し、荷物を全て積み終えると昨日まで時間を共にした、短い付き合いであった其の家に
「行ってきます!」
と声を掛け。くるりと振り返ると、差し出されていた手に摑まって馬車に乗り込み。
動き始めた其の揺れに、まだ見ぬ街との出会いを思い描いた。