第6話 サンリアの魔女
「あの、えっと、僕に、何か?」
其の言葉に、はっとした表情を浮かべた女性は、其の表情の変化も数瞬、また先ほど迄と同じように感情を伺わせないそれに戻し、ゆっくりと口を開いた。
『……私の言っていることが、わかるかしら?』
「あ、はい。わかりますよ?」
『そう…ようやく、対話ができそうね。始めまして、私はエリーセ。サンリアの魔女と呼ばれています。あなたの名前を伺っても?』
「あ、はい。僕はヤトです。よろしくおねがいします、エリーセさん」
其の言葉と共に頭を下げると、礼儀正しい子ね、と囁かれた。それにちらりと顔を上げてみると、少しだけ口元を綻ばせているのが見えて、僕も釣られたように笑顔になった。
「……、言葉が、わかるのか?」
其の声にそうだったと視線を移すと、マルスさんがどこか呆れたようにこちらを見ていた。それに首を傾げつつも、こくりと頷いてみせると、そうか、と頭を撫でられた。
そういえばマンジおじさんが静かだなと思って視線を移すと、難しい顔で何か考えていた。
「マンジおじさんは、言葉、解らないの?」
『ん?あぁ、俺にはわかんねぇな…それに、マルスの旦那もわかってねぇみてえだ。それなのに、俺らにゃ坊主の言葉がわかるし、あの嬢ちゃんにも通じてるんだろ?こいつはどーなってんだ?』
そういわれてみれば、不思議な感じがしてきた。そんな僕の難しい顔と、マルスさんの困ったような笑顔、そしてマンジおじさんの怪訝そうに僕とエリーセさんを見比べるような視線の動き。
『あら、どうしたの?そんな難しい顔して。 あぁ、言葉が通じる通じないってことね。 うーん。少し、試してみていい? ちょっと手を出して貰える?』
何を?と尋ねようとはしたものの、手を出すだけなら大丈夫かな?と僕は言われた通りに手を差し出してみる。其の行動にマルスさんとマンジさんが反応し、それを止めようと動き出したみたいだけど、僕が「大丈夫だよ?」と言葉をかけると、しぶしぶと言う感じではあったけれど、それ以上動くことはなかった。
『随分と過保護なお二人さんね』
「うん、でも、二人ともいい人だよ?」
『そうみたいね。さて、少しだけ眼を閉じて貰える?』
頷き、眼を瞑る。差し出された手には、其の女性のものと思われる手が重ねられ。何か不思議と暖かい物を感じたと思ったとき、何かが光ったような強い明かりが何処かで瞬いたように見えた。
「…もういいわよ。さて、改めまして、になるかしら。私はエリーセ。サンリアの魔女と呼ばれています。
これで言葉は通じるかしら?」
そういって微笑んで見せたエリーセさんの言葉に、マルスさんとマンジおじさんは、唖然とした表情のままに、僕とエリーセさんを見続けていた。
「順を追って話させてくれ。まず、確認だが、エリーセさんはサンリアという国に居た、ということでいいんだな?」
「えぇ、そうね。昨日までそこに居て、気がついたらあの場所に」
「では、ネスカという国の名も、ローエムと言う国の名も、聞いたことは無い、と?」
「無いわね。私の知る国はサンリア、ガレウス、ドルムンテ、後は、エルデだけね」
「…どれも、聞いたことが無いな」
「でしょうね。先に述べた国は全て共通の言語でしたから。其の言葉が通じないとなると…」
「では、あなたも。『ここではない何処か』の住人である、と?」
「…それ以外に考え付かないわね。それともあなたには、違う何かに心当たりが?」
「違う何かも何も、『ここではない何処か』が存在するのかにも、全く覚えがないんだがな…」
先ほどの遣り取りが終わってみると、エリーセさんは普通にマルスさんと会話出来るようになっていた。何がどうなったんだろうと思って聞いてみようと思いはしたものの、それより先にマルスさんが言葉を捲し立てていた。
そのあまりの変わり振りに付いて行けなく、ぼやっとしてたらマンジおじさんに腕を引かれて、今は二人で部屋の隅っこにちょこんと座り、そのやりとりを聞いている。
その間、マンジさんも静かに佇んだまま、二人の話に耳を澄ますように聞き入っており、しょうがなく僕も静かにそれを聴くことに専念することにした。
「では、魔女、といっていたが、それは何か、役職みたいなものと考えても?」
「役職、ねぇ。ここには、魔法というものは存在しているの?」
「魔法?初めて聞くな。それはどんなものだ?」
「あぁ、やっぱり…それで魔力の通りが……まぁ、簡単に説明するなら不可思議な力、とでも考えて貰っていいわ」
「不可思議な、力か。それは先ほどの光や、急に言葉が通じるようになったことに関係が?」
「えぇ。あれも魔法ね。具体的な説明は、意味が無いでしょうから。まぁ不可思議な、便利な力という認識でいいわ」
「なんとも…なら、そうだな。今後どうする予定でいるか、考えては?」
「そう、ね。まずそれをどうすべきか。あなたの話を聞く限り、こんなことは今までに聞いたことも無い出来事である、ってことなのよね?」
「こんなこと、というのは…まぁ、そうだな。それこそ歴史が刻まれる前はわからないが。俺の知る限りには、これは前例の無い異常な事態だ」
「でしょう、ね。あの騒ぎようじゃぁそうでしょうとも。手掛かりなしじゃぁ、どうしようもないのかもしれないわね……」
どうしたものか、と呟いてゆるく首を振る女性。僕の隣では、相変わらず何時もの姿がかすんでしまうほどに静かなマンジおじさん。酷く違和感を覚えるけど、何故か様に成っている。
何時まで続くのかな?とそんなことをぼんやり考えながらマルスさんを見ていると、静かに、考えていたことが纏まったというように、それでいてすこし悩むように視線を揺らしながら此方を見ると、ゆっくりと其の口を開き始めた。
「……ひとつだけ、あるにはある。が、それすらも、探してみないことには、それが手掛かりとなるかどうかもわからないものだが……」
其の言葉と同時、二つの視線がマルスさんへと差し込まれる。凍りついたようなその空気に、僕だけがキョロキョロと首を振り、其の静けさとその空気に居た堪れなくなっていると
――コンコン
「隊長、すみませんが、そろそろ来て頂かないと議事の方が」
という言葉に、再び部屋の空気が動き出すのを感じた。それによって空気が変わったのを感じ、ほっとしたのか溜息がこぼれた。
「すぐ行く」
とマルスさんは答えると、再び女性へと視線を戻した。
「とはいえ、おいそれと口に出せる内容でもない。すまないが、この議事が終わってから場所を移して、ということで問題は?」
「…まぁ、いいでしょう。どちらにせよ、現状私にはそれに従う他ないでしょうし」
「助かる。それと、先ほどの魔法、というものについてだが…できるなら問題は少なくしたい。この議事が終わるまででいいんだが其の存在を伏せ――」
そのマルスさんの言葉が終わる前、エリーセさんの手から先ほど気になった赤い光が瞬くのが見えた。
『これでよろしいですか?』
そういい、僕をみたエリーセさんに、首を傾げてみると、マルスさんは少し眉をしかめたあと、僕のほうを見て、なんと言った?と聞いてきた。
「これでいいですか?だそうです」
マルスさんは溜息をこぼしながら、優秀なことで、と零してこれで問題はないか、と呟くと立ち上がった。
「二人は、先に帰って…といっても、道があれか。すまんがもうしばらく待っていてもらっていいか?」
それに僕が頷くのをみると、相変わらず動かないマンジおじさんに視線を移し、行ってくるという言葉を残して、扉の向こうへと歩いていった。