第4話 帰途
マルスさんが帰る、といい帰途に着いたのはいいのだけれど。
あれから既に五日が過ぎている。其の時の口ぶりから家は直ぐ近くにあるのだろうと勝手に考えていただけに、どの位かかるんですか?と聞いたときに帰ってきた答えには、さすがに肩を落としてげんなりとしてしまったものだ。
「まぁ、そう落ち込むな。明日には着くだろう。もうすぐ街も見える。そしたらゆっくり休めばいい」
相変わらず馬に乗るのが慣れない僕に、それでも気遣ってかゆっくり進んでくれているのに、どうしても苦い笑顔を浮かべることしか出来なかった。
『なんなら坊主、また背負ってやるか?』
馬が駄目なら俺が背負うか?という言葉に、少し楽しそうだと二つ返事で頷いてみたことがあった。最初は肩車だおんぶだといろいろ楽しそうだなぁとか考えていたのだが、実際にやってみると、楽しかったのは最初だけで。
肩車は創造していたよりも楽しかった。視点が高く、遠くまで見えるというのが新鮮で、歓声を上げてすごくはしゃいでいた僕に
『よし、いっちょ飛ばすぜ!』
と、マンジおじさんが走り出した。
そこからが地獄だった。
僕の体が軽いというのがだめだったのか、それともマンジおじさんの足が異常なほどに強靭だったのか。自分の足が地に着いていないというのも相まってか、それはもう恐ろしい体験をした。
空が青かったということだけが、やけに心に残った。
涙目で訴える僕に頭を掻きながらすまなそうな顔で謝っているマンジおじさんは、じゃぁ今度はおんぶしてやると言い、其の背に僕を背負おうとした。
背に乗ると、凄く痛い思いをした。思わず上がった悲鳴に
『あ、やべっ』
という声が聞こえた。其の言葉に言いようの無い怒りを覚え、攻めるように睨み付けると、マンジおじさんはこれ以上無いほど肩を落としてしょげはじめた。其の様があまりにも似つかわしくなく、ふつふつと湧き上がる笑いの衝動を必死に抑えると、それを一部始終みていたのであろうマルスさんが、しょうがないとでもいうように苦笑しながら僕に手を差し伸べてきていた。
「変わった奴だな、あいつも」
「悪い人では無いです、きっと。でも、がさつと言うか…」
だろうな、といいつつマルスさんが僕を馬上の定位置へと納める。
「あの若さであの腕だ。これまでどんな生き方をして来たのか、俺みたいな仕事をしてると嫌でも解る。人がいいか悪いかは、まぁ周りにどんな奴がいたかの違いだろうが、がさつなのは仕方が無いのかもしれんな」
「でも、一緒に居るなら直して欲しいものです」
そうだな、と頭を撫でながら零された言葉は、どこか自分には無関係だとでもいいたげな声音で。言葉が解るのが僕だけということで、その辺も全て僕に任せようとしているのでは?という考えが浮かぶと、それだけで酷く疲れを感じた。
「見えてきたな」
其の言葉に顔を上げても、僕の視点には未だ変化は無い。何が見えてきたのかな?と思っていると、周囲からも様々な声が漏れ始める。その声に顔を巡らして見ると、嬉しそうに顔を綻ばせている人が多かった。
何が見えたの?というようにマルスさんに眼で問えば、もうすぐ見えるという言葉が返ってくるだけで。首を捻りつつも暫くお馬さんが進むに任せて待ってみると。
「……何ですか?あれ?」
「見えたか?ここはネスカ王国の衛星都市、ラ・エクセ。そして、俺の住む街だ」
「大きい、ですね……」
「この辺じゃぁ一番だな。王都に次いで大きい街だ。ここまでくればもうすぐだ。少し休んでから行くか」
目の前に広がるのはとても広大な景観。
飲み込まれるようなその光景に、ぽかんと口を開けて魅入っていた。それは何も僕だけじゃなく、隣に立つおじさんもそうだった。それに苦笑したマルスさんがいろいろと教えてくれた。
「あの、周囲を囲む様に巡らされているのがエクセの街を守る石壁だ。近くで見るとでかいぞ。そうだな、俺の三倍くらいになるかな?王都のはもっとでかい。さらにその倍はあるからな。
あの真ん中に見えるでかい建物がエクセの中心であり、街の要でもある砦だ。俺たちの様な軍属の者が居る場所であると同時、役所みたいなこともやってる街の要所だな」
周囲を囲む壁もそうだが、其の中心に聳えるように威容を放つその建物も、始めてみるものであるからこそ目を引くが、それ以上に僕には
「ここには、どれくらい、住んでいるのですか?」
其の間を埋め尽くすように建ち並ぶ家々の多さに眼を奪われていた。その数だけの人間があそこには暮らしているのだと思うと。
「そうだな…定住、ということでみれば……二万、くらいか。此処は少し変わっていてな。流れ者が結構いるんだ。腕に覚えが有る者、だが。この付近は色々あるからな。その辺のことも帰ったら教えておこう」
「はい、お願いします」
では行くか、というマルスさんの声に、周囲が動き出す。それでもいまだ動かないマンジおじさんに、「そろそろ行くそうですよー」と声を掛ける。相変わらず愉快な顔で固まったままだったそれが、はっとしたような動きを見せると、首を縦に振って後に続いた。
進むにつれ大きく見え始めるそれが、遂に目前まで迫ったとき、それまで見上げたままで疲れた首を正面に戻すと、其の石壁の前、川のような場所に掛けられた橋の上で、マルスさんと同じような装束を身に着けた二人の人影が、姿勢を正す。
マルスさんは馬から降りると其の二人に一言声を掛け
「それじゃ行こうか」
と、やさしい笑みを浮かべて馬上の僕に手を差し伸べた。
「ゆっくりしていろ。何か見繕ってくる」
マルスさんの家に入るや、そう言い残して消えた家主を他所に、僕とマンジおじさんは、所在無げに佇んでいた。
案内されて辿り着いた其処は、見たこともないほど大きな家だった。ここまで来る道すがら、目に付く家も、店と呼ばれる建物も大きいものはそれなりに眼にし、其の都度驚いてはいたものの、それより一回り大きいこれを目の前に「ここが俺の家だ」と言われたときは、其の言葉を理解するまでにかなりの時間が掛かった。未だ理解できていないかもしれないけれど。
『なぁ、坊主。あのマルスって奴は、偉い奴なのか?』
「隊長って呼ばれてたのは知ってるけど、それ以外知らない」
『なぁ、坊主。ここじゃ隊長ってのは、かなり偉い奴なのか?』
「…きっとそうなんだよ。凄いっていうより、あぁ、なんていうんだろ」
ゆっくりしていろとは言われたものの、未だ案内された其の場所から一歩も動くことなく立ち尽くす僕達の後ろ、深い溜息が聞こえて振り返ると、呆れたような眼差しを浮かべるマルスさんが、手に木の実らしき何かを持って戻ってきていた。
「これじゃ先が思いやられるな…あんまり難しく考えるな。今日からお前たちも此処で過ごすことになるんだ。すぐに慣れろとはいわんが、最初からそんな肩肘張ってちゃ疲れるだけだろう?」
まぁとりあえずこちらに来て座れと、マルスさんの先導の下二人でおっかなびっくり付き従う。
辿り着いた場所はこれもまた広い部屋。其の部屋の真ん中にはテーブルと椅子が鎮座されており、その姿もまたこの家の威容に負けずなんとも触れがたい空気が漂って視えた。
「いいから座れ。ほんと疲れるな。ほら、いいから。俺も色々忙しいんだから。いいか、ある程度この家の説明したら、俺は今回の報告にいかなきゃならん。その間、俺が帰ってくるまでお前等二人しかここには居ないんだから、そんなんじゃぁだめだろう?いいから座れ。そう、それでいい」
僕とマンジおじさんの相変わらずな姿に、椅子を引き、肩を押さえつけるように、椅子に押し込むように僕達を座らせたマルスさんは、またも深い溜息を吐いた後、僕達の正面に向き合う形で腰を降ろすと疲れた顔をしたままに眉間を揉んでいた。
「とりあえず、疑問は後だ。必要なことを説明しておく。
まず、ここが食堂、飯食う場所だ。その右手の扉が台所、左手、廊下を挟んで先ほどまで居た場所が居間になる。で、廊下に出て左手が便所、右手に行けば応接間がある。
風呂もあるが、この家の中には無い。一旦外にでることになるが、まぁ、風呂もある。
で応接間の脇に階段があって、其の上が寝室、客間、まぁ、個室がある。お前達二人はそこを使って貰うことになる。ここまでで疑問は?」
僕はそれを聞いた端から同じ言葉をマンジおじさんに教えていく。
「僕は、特には。マンジさんは?」
『家賃とか、その辺はどーなるんだ?』
「家賃?」
「ん?あぁそうか。それは気にしなくていい。見てのとおり、この家は広いが、住んでいるのは俺だけだ。掃除、洗濯、風呂の準備から飯の支度まで、自分でやることになるからな。まぁそれらの経費は気にしないでいい。食材なども俺が適当にそろえておく。服装に関しては、そうだな、どうするか…」
それをまたそのまま伝えると、マンジおじさんは難しい顔をした。
『…要は、ここからでなけりゃ問題ないってことか?逆にいえば……』
其の言葉に、其の表情と声音に、少し冷たい物を感じたけれど、確かにマルスさんの言葉の意味とマンジおじさんの呟きを合わせて考えてみると、成程と思った。
「ん?どうした?」
其の変化に気がついたのか、マルスさんが声を掛けてくる。
「僕達は、ここから出られない、ということですか?」
其の言葉に、マルスさんの動きが止まる。次いで、チラリとマンジおじさんに視線が移ると、疲れたように溜息を零した。
「ずっと、というわけではないが、暫くは我慢してくれ。聞きたいことが多すぎる。其の間は出来るだけ不自由のないようにはする。ここ最近、色々と問題が多いんだ。それだけでも頭が痛いってのに、これ以上問題が増えると体がもたん。俺の為だと思って我慢してくれないか?」
げっそりとしたような印象を隠しもせず、それでも頼むように言われては僕としては逆に居心地が悪く身じろいでしまう。そんな僕を見てマンジおじさんが『何だって?』と聞いてきたので、そういえば言葉がと慌てて先ほどの聞いたことを思い出しつつマンジおじさんに教えていく。
『ふぅ、まぁこんな家を持ってる隊長ってほどだもんな。頭はるってのは難儀なもんだ』
と言いつつ、同情の眼差しをマルスさんに向けていた。
そんな時に、遠くからノックの音と共に大きな声が聞こえてきた。其の声には聞き覚えが有り、視線をマルスさんに戻すと、頷きを残して「行ってくる」と言い立ち上がる。
その後姿は、どことなく疲れを滲ませ、出来るならそっと眼を覆って、みて見ぬ振りをして上げたいと思えるほどに、今までのマルスさんには似合わないものだった。