第1話 はじまりはじまりを告げる記憶
緑に囲まれた静観な景色の中に、ひっそりと存在する小さな小さな家々の建つ少し開けたその場所に、動く影は幾つも無い。
空を飛ぶ鳥達の影は木々にさえぎられ、生い茂る草を踏み分ける獣も其処には近づくことも稀で、ならば其処に人影が見受けられるかといえば、小さな影が一つ動くだけ。
数ある家々には生活を営む気配は無く、景色に溶け込むようにひっそりと佇むだけで、それ以上にその存在感を主張することもなく、ただそこに在るだけの存在となっていた。
そんな光景が続いてどれ位の日数がたったのであろう。ふとその人影が思案顔でそれについて考えるように動きを止めると、不意に上向けた視線に眩しい光が差し込み、眼を細めながらゆるく首を振るとその考えを中断する。
小さな籠を背負い、手に小さな水瓶を持つと、うんっと軽く伸び上がるような動きをした後、ゆっくりと息を吐き出した後、誰がいるでもない家を振り返った後、小さく「行ってきます」とつぶやいて、歩きなれた獣道然としたそこへ足を踏み入れ、歩き始めた。
木の実を背負った籠に入れ、沢で汲んだ水を手に持つ瓶に、やはり考えるのはこれからどうすればいいのだろうかという、何時もと同じもの。
少なかった知り合いも、一人、又一人と居なくなり、気がつくと其処には自分しか残って居なかった。
ここを出ればどうなっているのかということも考えないでもないが、しかし出た所で生きていける自信もやはり起こらず。このままここで暮らすには何とかなるだろうとは思うものの、このまま何も無い日々を受け入れることが出来るかといえば、正直そこにも自信は無かった。
もう少し、自分が大人だったら違った考えができるのだろうか?とは思いもしたが、このまま大人になった自分が、ただ年月を経ただけで決断力が変わるとも思えず、やはり答えが出ることは無いだろうとゆるく首を振ったとき、その眼に映ったものが不意に意識の片隅に引っかかった。
それが何だったのかを探るべく周囲に眼を向けてみるも、なぜこんな物が気になったのかと思うほどに何の変哲も無い丸いだけの石に眼を向けた。
それでも何処か釈然とせず、注意深くその周囲を探るも、やはりそれ以上何かが見つかることも無く。
気にはなるものの背に手に荷物のあるこの状況で、家に持ち帰ってもう少し観察してみようかとも思えないために、一度家に帰ってからまたここに来て見ようと考え、名残を惜しむというよりも一時の別れの挨拶をするように、そっとその石に触れようと手を伸ばす。
触れたと思った瞬間、不意に視界が白光に包まれ、それに伴って何処か不思議な感覚に体が支配され。その変化に驚愕する暇も無く、まるで眠るかのように、意識が途切れていった。
眼を覚ました時、すぐに頭が混乱した。
あたり一面、見たことも無い場所。見たことも無い物で埋め尽くされた其処は、それでも何処かの部屋であるように壁があり、窓があり、そして床、天井、そして入り口があり。
その中にあって自分は見たことも無い椅子に腰掛け、そして見たこともないテーブルで向かい合うように対面する誰かを見、それに気がついたその人は、緩く口元を綻ばせると、その口をゆっくり開き、優しい声音で、優しいまなざしで、見ているだけで落ち着けるような表情で
「ようこそ、珍しいお客さん」
と、そう言った。
それが、そこまでが僕の原初の記憶。その先は酷く記憶があやふやで、所々で抜け落ちたように曖昧で、しかし、其処だけは酷く鮮明で。それから先の遣り取りだけが重要であるかのように、その時の記憶はまるで焼きつくように記憶に刻まれていた。