表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/11

第8話『残された時間の使い方』

 朝の光が、やけに眩しかった。


 カーテンの隙間から差し込む陽射しは、昨日までと同じはずなのに、今日だけは特別な意味を帯びているように感じられた。


 理由は、分かっている。


 ミオの頭上に、はっきりと“終わりの時刻”が浮かんでいるからだ。


 数字は静かに、確実に未来を指している。


 あと、三十七日。


 長いようで、短すぎる時間。


 けれど、それは彼女が“存在として許された期間”だった。


 僕はもう死神ではない。


 魂の回収も、延命も、奇跡も起こせない。


 ただの一人の存在として、彼女の隣にいるだけだ。



「おはよう、ユウトくん」


 病室で、ミオが微笑んだ。


 昨日より顔色がいい。


 それだけで、胸が少し軽くなる。


「今日はね、やりたいことリスト作ったの」


 彼女は、ノートを掲げた。


 小さな文字で、ぎっしりと書かれている。


「そんなに?」


「うん。欲張りなの」


 照れたように笑う。


 その姿が愛おしくて、苦しい。


 僕は頷いた。


「全部、付き合います」


「ほんと?」


「逃げません」


 その言葉に、彼女は少し驚いたあと、安心したように目を細めた。



 一つ目は、海だった。


「一度でいいから、水平線をちゃんと見てみたかった」


 電車に揺られ、潮の匂いが近づく。


 波の音を聞いた瞬間、ミオは立ち止まった。


「……すごい」


 言葉が、溶ける。


 彼女は砂浜にしゃがみ込み、指で砂を掬った。


「生きてる感じがする」


 その一言が、胸に刺さる。


 僕は隣に座り、同じ海を見る。


 死神だった頃、無数の“最期の景色”を見てきた。


 だが、こうして生きる側として眺める世界は、まるで違った。


 風が冷たく、太陽が温かい。


 ただ、それだけのことが奇跡だった。



 二つ目は、写真。


「私ね、自分の写真、あんまりないの」


 彼女は少し恥ずかしそうに言った。


 病室では、いつも点滴や機械が写り込むから。


 だから、今日は街へ出た。


 商店街の壁画の前。


 古い喫茶店の看板。


 夕暮れの橋。


 シャッターを切るたび、彼女は少しずつ表情を変えていく。


「ねえ、笑いすぎ?」


「いいえ」


 僕は正直に言った。


「今のが、一番きれいです」


 彼女は頬を赤らめる。


「それ、ずるい」


 その笑顔が、永遠であればいいと願ってしまう自分が、まだいた。



 三つ目は、何もしない時間。


 公園のベンチで、ただ並んで座る。


 話題もない。


 沈黙だけが流れる。


「……ねえ」


 彼女がぽつりと言った。


「時間って、不思議だね」


「どうして」


「少ないって分かってからのほうが、ゆっくりに感じる」


 それは、命が濃くなっている証だった。


 僕は頷いた。


「一瞬一瞬を、ちゃんと見てるからだと思います」


「そっか」


 彼女は空を見上げた。


「じゃあ、無駄な時間なんて、ないんだ」



 夜。


 病院に戻ったあと、彼女は少し疲れた様子だった。


 数字は、確実に減っている。


 三十六日。


 三十五日。


 体調の波も、少しずつ大きくなる。


 それでも彼女は、弱音を吐かなかった。


「明日は、何にしようか」


 その言葉が、どれほど勇気の塊か、僕は知っている。



 ある日、彼女は言った。


「ねえ、ユウトくん。私の代わりに、生きて」


 胸が、強く跳ねた。


「……どういう意味ですか」


「私、途中で終わっちゃうから」


 彼女は、穏やかに笑う。


「あなたは、その先を見て」


 それは、未来の託し。


 残酷で、優しい願い。


「……分かりません」


 正直に答えた。


「あなたがいない世界なんて」


 声が震える。


「想像できない」


 彼女は、少しだけ悲しそうに微笑んだ。


「でもね」


 そっと、僕の手を握る。


「私が生きた証、あなたの中に残るでしょ」


 温度が、確かにあった。


 魂が、ここにある。



 夜更け。


 一人になった病室で、僕は彼女の眠る顔を見つめていた。


 呼吸は浅いが、穏やかだ。


 数字が、淡く光る。


 二十八日。


 僕は、かつて死神だった。


 多くの命を見送ってきた。


 だが今ほど、時間を憎く思ったことはない。


 それでも。


 彼女は、泣かなかった。


 残された時間を、嘆きではなく“選択”として使っている。


 それが、どれほど強いことか。


 僕は静かに誓った。


 延ばせないなら、濃くする。


 一日一日を、彼女の人生として完成させる。


 それが、死神だった僕に残された、唯一の償いだった。


 窓の外で、星が瞬いている。


 数えきれない光の中で、彼女の時間は確かに輝いていた。


 短くても、消えない輝きとして。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ