第8話『残された時間の使い方』
朝の光が、やけに眩しかった。
カーテンの隙間から差し込む陽射しは、昨日までと同じはずなのに、今日だけは特別な意味を帯びているように感じられた。
理由は、分かっている。
ミオの頭上に、はっきりと“終わりの時刻”が浮かんでいるからだ。
数字は静かに、確実に未来を指している。
あと、三十七日。
長いようで、短すぎる時間。
けれど、それは彼女が“存在として許された期間”だった。
僕はもう死神ではない。
魂の回収も、延命も、奇跡も起こせない。
ただの一人の存在として、彼女の隣にいるだけだ。
「おはよう、ユウトくん」
病室で、ミオが微笑んだ。
昨日より顔色がいい。
それだけで、胸が少し軽くなる。
「今日はね、やりたいことリスト作ったの」
彼女は、ノートを掲げた。
小さな文字で、ぎっしりと書かれている。
「そんなに?」
「うん。欲張りなの」
照れたように笑う。
その姿が愛おしくて、苦しい。
僕は頷いた。
「全部、付き合います」
「ほんと?」
「逃げません」
その言葉に、彼女は少し驚いたあと、安心したように目を細めた。
一つ目は、海だった。
「一度でいいから、水平線をちゃんと見てみたかった」
電車に揺られ、潮の匂いが近づく。
波の音を聞いた瞬間、ミオは立ち止まった。
「……すごい」
言葉が、溶ける。
彼女は砂浜にしゃがみ込み、指で砂を掬った。
「生きてる感じがする」
その一言が、胸に刺さる。
僕は隣に座り、同じ海を見る。
死神だった頃、無数の“最期の景色”を見てきた。
だが、こうして生きる側として眺める世界は、まるで違った。
風が冷たく、太陽が温かい。
ただ、それだけのことが奇跡だった。
二つ目は、写真。
「私ね、自分の写真、あんまりないの」
彼女は少し恥ずかしそうに言った。
病室では、いつも点滴や機械が写り込むから。
だから、今日は街へ出た。
商店街の壁画の前。
古い喫茶店の看板。
夕暮れの橋。
シャッターを切るたび、彼女は少しずつ表情を変えていく。
「ねえ、笑いすぎ?」
「いいえ」
僕は正直に言った。
「今のが、一番きれいです」
彼女は頬を赤らめる。
「それ、ずるい」
その笑顔が、永遠であればいいと願ってしまう自分が、まだいた。
三つ目は、何もしない時間。
公園のベンチで、ただ並んで座る。
話題もない。
沈黙だけが流れる。
「……ねえ」
彼女がぽつりと言った。
「時間って、不思議だね」
「どうして」
「少ないって分かってからのほうが、ゆっくりに感じる」
それは、命が濃くなっている証だった。
僕は頷いた。
「一瞬一瞬を、ちゃんと見てるからだと思います」
「そっか」
彼女は空を見上げた。
「じゃあ、無駄な時間なんて、ないんだ」
夜。
病院に戻ったあと、彼女は少し疲れた様子だった。
数字は、確実に減っている。
三十六日。
三十五日。
体調の波も、少しずつ大きくなる。
それでも彼女は、弱音を吐かなかった。
「明日は、何にしようか」
その言葉が、どれほど勇気の塊か、僕は知っている。
ある日、彼女は言った。
「ねえ、ユウトくん。私の代わりに、生きて」
胸が、強く跳ねた。
「……どういう意味ですか」
「私、途中で終わっちゃうから」
彼女は、穏やかに笑う。
「あなたは、その先を見て」
それは、未来の託し。
残酷で、優しい願い。
「……分かりません」
正直に答えた。
「あなたがいない世界なんて」
声が震える。
「想像できない」
彼女は、少しだけ悲しそうに微笑んだ。
「でもね」
そっと、僕の手を握る。
「私が生きた証、あなたの中に残るでしょ」
温度が、確かにあった。
魂が、ここにある。
夜更け。
一人になった病室で、僕は彼女の眠る顔を見つめていた。
呼吸は浅いが、穏やかだ。
数字が、淡く光る。
二十八日。
僕は、かつて死神だった。
多くの命を見送ってきた。
だが今ほど、時間を憎く思ったことはない。
それでも。
彼女は、泣かなかった。
残された時間を、嘆きではなく“選択”として使っている。
それが、どれほど強いことか。
僕は静かに誓った。
延ばせないなら、濃くする。
一日一日を、彼女の人生として完成させる。
それが、死神だった僕に残された、唯一の償いだった。
窓の外で、星が瞬いている。
数えきれない光の中で、彼女の時間は確かに輝いていた。
短くても、消えない輝きとして。




