After Story(数年後編)『君がいない世界で、君と生きている』
春の風が、やわらかく頬を撫でた。
病院の裏手にある小さな桜は、今年も変わらず咲いている。
満開には少し早いが、それがかえって現実的で、好きだった。
「……もう三年か」
独り言は、風に溶けて消える。
あの日から、三年。
ミオがいなくなってから、三年。
長いようで、短かった。
僕は今、この病院で働いている。
正式な職員ではない。
ボランティアと相談員の中間のような立場だ。
話を聞く。
ただ、それだけ。
痛みを消すことも、未来を変えることもできない。
けれど、人は誰かに聞いてもらうだけで、少しだけ呼吸が楽になる。
それを、彼女が教えてくれた。
「ねえ、ユウトくん」
かつて、彼女はよく言った。
“そばにいるだけで、十分なこともあるんだよ”。
今なら、その意味が分かる。
病室の窓辺。
若い女性が、外を眺めていた。
治療は長期になるらしい。
「……ここ、静かですね」
「ええ。夕方は特に」
彼女は小さく息を吐いた。
「怖いんです」
その一言に、僕は頷いた。
「怖いですよね」
励ましもしない。
否定もしない。
ただ、事実として受け取る。
彼女は、少し驚いた顔をしてから、ゆっくりと話し始めた。
不安。
将来。
眠れない夜。
僕は聞く。
死神だった頃なら、彼女の“終わり”が見えただろう。
でも今は、見えない。
それでいいと思っている。
未来が見えないからこそ、人は今を生きられる。
仕事の帰り、僕はあの中庭のベンチに座った。
ミオと並んで、何も話さずに過ごした場所。
春の匂いがする。
ポケットから、小さな写真を取り出す。
少し色褪せた一枚。
彼女の笑顔。
海で撮った写真だった。
「……相変わらず、ずるい笑い方だ」
自然と、口元が緩む。
悲しみは、もう波のように押し寄せてはこない。
代わりに、静かな温度として胸に残っている。
消えない灯のように。
時々、夢を見る。
彼女が出てくる夢だ。
でも、別れの場面ではない。
一緒に歩いていたり、他愛ない会話をしていたり。
目が覚めたあと、涙は出ない。
少しだけ、胸が温かい。
それでいい。
それが、彼女が望んだ形だから。
夕暮れ。
空が、あの日と同じ色になる。
世界が静かになる時間。
ふと、風が強く吹いた。
桜の花びらが舞う。
その中に、一瞬だけ。
懐かしい気配を感じた。
声は聞こえない。
姿も見えない。
それでも、確かに分かった。
彼女は、もう悲しみではなくなっている。
記憶という形で、日常に溶け込んでいる。
命を延ばせなかった理由。
それは、今ならはっきり言える。
彼女の人生は、誰かに“引き伸ばされる物語”ではなかった。
彼女自身が、最後まで選び続けた人生だった。
だから、短くても、完結している。
僕は、その続きを生きているだけだ。
彼女から託された未来として。
ベンチを立ち、病院を振り返る。
今日も、誰かが不安を抱えている。
今日も、誰かが生きようとしている。
その隣に、静かに座る。
それが、僕の役割になった。
死神ではなく。
奇跡を起こす存在でもなく。
ただ、誰かの時間に寄り添う者として。
夜。
空に、星が浮かぶ。
「……ちゃんと、生きてるよ」
そう呟くと、胸の奥が少しだけ温かくなった。
返事はない。
でも、もう求めていない。
彼女は、いなくなったのではない。
形を変えて、今も一緒にいる。
君がいない世界で。
それでも、君と生きている。
春の風が、また吹いた。
優しく、背中を押すように。
― After Story 完 ―
作者・完結コメント
最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。
この物語は「命を延ばせなかった」という、少し残酷で、けれどとても人間的なテーマから生まれました。
もし奇跡が起きたら、もし救えたら——そんな“もしも”をあえて選ばず、限られた時間の中でどう生きるかを描きたいと思い、この物語を書き始めました。
ユウトは死神でありながら、誰よりも命の重さに悩み、ミオは短い時間の中で、誰よりもまっすぐに「生きる」ことを選びました。
二人の選択が、読んでくださった皆さまの心に、ほんの小さな灯として残ってくれたなら、これ以上の幸せはありません。
物語はここで一区切りですが、彼らの時間が完全に終わったわけではありません。
記憶の中で、誰かの心の中で、きっと静かに続いているのだと思っています。
ここまで読み進めてくださったこと、
感想や応援で背中を押してくださったこと、
すべてが、この物語を最後まで届ける力になりました。
本当に、ありがとうございました。
またどこかの物語で、お会いできたら嬉しいです。
――作者 青威林檎




