9. 届かぬ想い
気づいた恋心……
許されない想い……
想いが募るローズは「愛されなくても」と覚悟を決める
けれど、そんな二人の関係に何かしたいと思う人もいて……
ローズの想いを大切にしたいと願う人もまた、もどかしい思いを抱えているのでした
(お名前を呼ぶことを許してくださるなんて……)
その事実が、部屋に戻ってからも、何度も胸の中で繰り返して思い出されます。
そしてそのたびに、今日一日で知ることのできた、たくさんのヘンリーさまの表情を思い出していました。
(……あれはやっぱり視察だったのではなくて?)
ドクドクと鼓動が速くなると、冷静さを呼び起こすように自問自答をしてしまいます。
そうすることにも、だんだんと慣れてきました。
(農地でも教会でも、あんなに熱心にお話を聞いていらしたわ……)
この辺境の地に嫁いでからというもの、とにかく必死で、自分にできることを形にしたいと……そればかり考えてきました。お飾りでいいと言われていたのに、それに逆らったのは、わたくしです。
まさか、その成果をヘンリーさまが直接見て、聞いて、まっすぐな言葉でほめてくださるとは、想像もしておりませんでした。
「すごいな。その発想は、わたしでは絶対に浮かばない。」
「ローズ。わたしは、君を誇りに思うよ。」
「市場へ行こう。一緒に、君が救った街を歩きたい。」
優しい眼差しと、あたたかい言葉が再び耳元に響きます。
その言葉の一つ一つを思い出すたびに、泣きたくなるような気持ちになりました。
「……デートとは、どんな策略ですか?」
出かける前に聞こえた"デート"という言葉……あのとき、ヘンリーさまに聞いておくべきだったかもしれない質問を、ポツリとつぶやいてみました。
(ヘンリーさまは、確かに"デート"っておっしゃっていたわ……こんなふうに急に、距離が近くなるなんて……わたくし、間違って……えっ?いま、何を考えて……???)
胸が……ぎゅうっと締め付けられるような感じがして……その痛みがストンと胸の真ん中に落ちたような感覚がありました。
「これが、誰かを愛おしいと想う……気持ちなのかしら。」
自分自身に問いかかけながら、なぜかそれが間違いでないことが確信できてしまいました。
「悪いがこの先わたしが君を愛することはないと理解してくれ。」
けれど、ヘンリーさまへの想いを自覚した瞬間、初夜での最初の一言を思い出しました。
その一瞬で、わたくしの心は凍りつき、自覚したばかりの想いにゆっくりと、言い聞かせざるを得ませんでした。
「……大丈夫、お慕いすることを咎められたりはしませんわ。ただ……ヘンリーさまを煩わせることがないように。仮初の妻であることは、自身に言い聞かせなくては……」
突然、冷や水を浴びせられて冷静さを取り戻したような、鋭い痛みをごまかして、苦笑いをこぼしました。
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今夜はひどく長い夜に感じます。何とか眠りにつこうと、目を閉じるのですが、変に冷めた思考のせいで、一向に眠くなることがありません。そしてふと、ヘンリーさまに出会った夜のことを思い出しました。
***
思えば、王家主催の舞踏会はいつも華やかなものでした。
けれど、その喧騒から離れて、あの方は"誰にも気づかれない"ように、ひっそりと隠れるようにして休まれていました。
「どうされました?」
薄い月明かりの中に見つけたその人は、突然話しかけたわたくしに驚いたまま、じっとわたくしを見つめていらっしゃいました。その強い眼差しに、恐怖心や嫌悪感と言った負の感情を覚えることは一切なく、むしろ引き込まれるように、見つめあってしまっていたように思います。
「申し訳ない…目立たないようにとこちらにいたので驚いてしまって、失礼をしました。ありがとうございます。」
わたくしがホールで偶然にも耳にした計画は、父の息がかかった家紋の令息が、辺境伯さまに恥をかかせようとする、悪意に満ちた行動を実行することでした。案の定、辺境伯さまは気分を悪くされたようで、誰にも気づかれぬようホールを抜け出されたのが見えて、どうしても気になってしまったのです。
おそらく、人込みを避けて隠れていらしたところに、不躾にもお声をかけてしまったので、驚かせたのでしょう。にもかかわらず、あの柔らかな声で礼を述べてくださったのです。
殿方にお声をかけることに、勇気は必要でしたが、不安を感じることは一切ありませんでした。思えば、それは、“確かな好感“だったのだと感じるのです。
「助けていただいてこんなふうに言うのははばかられますが、すぐにでもホールへ戻られたほうがいいのではないだろうか。」
やはり、迷惑だったのだろうと落胆しそうになりましたが、わたくしを思っての提案だったことを、すぐに知りました。
「年頃のご令嬢が薄暗い中庭でわたしと二人きりというのはあなたの名誉を傷つけてしまいかねない。わたしは大丈夫です。お心遣いありがとう。助かりました。」
短絡的に殿方の後を追いかけて、軽はずみな行動をしたわたくしに、真っ先に心配のお言葉をかけてくださったのです。とても嬉しく思いました。
あの日……あの夜、二言、三言交わしただけの、時間にすれば数分の初めての出会いでしたが、わたくしには忘れられない出会いとなって、それからも心に残っておりました。
そんな彼を、再び目にしたのは、父が失望の色を隠さずに持ち帰っていらした、王命の政略結婚相手のお写真でした。初めてお会いした夜が、父の悪意にあてられたあの方を追いかけたときだったのですから、彼が父の政敵であることは理解していました。だからこそ、二度とご縁はないだろうと思っていたのです。
「でも、嬉しい……と、わたしは思ったのだわ。……会うことは叶わない、会うことすらない……そう思っていたあの方がわたくしの夫になる人だと言われて……もう一度お話しできるのだとわかって、それが嬉しかった。」
王家に嫁がせるために淑女教育に力を入れていた父は、とても不機嫌だったけれど、少なくともわたくしは辺境伯さまのもとへ嫁ぐことを"嬉しい"と感じたことを覚えているのです。だからこそ、初めての夜、ヘンリーさまに告げられた言葉の意味を、考えないようにしたのだと思います。
「政敵の厄介者……それは事実ですものね……」
いつもより少し明るい月明かりが、窓際のカーテンを照らして、すぐそばにある窓辺の大きな木の葉が揺れる影を映し出していました。
「辺境の地を居場所にしたいと思ったのは、本当だわ。だけど、わたくしはヘンリーさまに、政敵の娘のローズではなく、わたくし自身を見てほしい……そう、思っていたのね。」
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人生は、ままならないことの方が、実は多いのかもしれません。
ヘンリーさまに、名前を呼ぶことを許され、そして、彼への好意をはっきりと自覚してしまった今……この"王命による政略結婚"が、まさかの"縁結び"だったという皮肉にさえ、気づいてしまったのです。
眠れないまま迎えた朝。
ラナが何か言いたげに、ちらちらとわたくしに視線を送っていることには、もちろん気づいていました。
けれど、そんな彼女に向き合う勇気も、ましてやヘンリーさまに対する想いを打ち明けるなどということは、とてもできなくて……。
わたくしはただ曖昧な笑みを浮かべ、その場をごまかしていました。
***
恋心に気づいたからと言って、わたくしがしなければならないことは、やはり変わりません。
王命の政略結婚である事実が変わらないのと同様、初夜のあと、わたくしが辺境領伯夫人として生きていきたいと望んだ願いは、何一つ変わっていないのです。
父とヘンリーさま……この政敵として周知の事実の二人の関係に、自然な婚姻など成立するはずもありません。政略結婚であることはもとより、この婚姻が"王命"であったことも、貴族間では暗黙の了解なのでしょう。
だからこそ、わたくしの役目は決まっているのです。
「ヘンリーさまのお役に立てるよう、彼が褒めてくれたわたくしでありたい……。」
***
あの"デート"と名付けられた"視察"の日から、ラナに手伝ってもらい朝の支度を終え、少しだけ変わった日常……ヘンリーさまとの朝食に胸を躍らせ、一日を始められるようになりました。
「わたしは今日、国境警備隊の様子を見に出かける。明日の朝、またこうして食事をしよう。」
「かしこまりました。明日の朝までに、前回のリサイクル事業の概要をまとめておきますわ。できれば、定期的にバザーが開催できるように予定を立ててみたいと思っておりますので、そちらの案も確認していただけますか?」
「承知した。無理はするなよ。」
ヘンリーさまのお優しい言葉が増えて、そのたびにドキドキします。
その気持ちを糧に、一日を有意義に過ごし、みなさんの笑顔に励まされて、辺境伯夫人としての自覚と自信が、少しずつ芽生えてきたような気もします。
けれど、その胸の高鳴りや幸福感が、一人の夜にほろ苦い痛みとなって思いおこされることが増えてしまったことも、事実でした。
(……どうして、こんなにも苦しいのでしょう。お役に立てることが嬉しいのに、笑顔を見ることが、お言葉を交わせることが、こんなにも幸せだというのに……)
「……ヘンリーさまを煩わせることがないように。仮初の妻であることは、自身に言い聞かせなくては……そう、思っていたのに。わたくしは、いつの間にか贅沢になってしまったのですね。」
気づいてしまった恋心は、忘れることなど……ましてや、無かったことにしてしまうことができることなどできないほど、わたくしの中で大きく育っていました。
「……愛されなくてもいい。わたくしにしかできない方法で、ヘンリーさまを支えていきたい。……この思いを手放すことはできないけれど、"彼の妻として"、一番近くで支えることができるパートナーになる。……それが、この結婚の……わたくしがここにいる意味なのだわ。」
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侍女として一番近くにいるラナにとって、幼馴染のヘンリーとローズさまの関係はもどかしくて仕方なかった。
婚姻の王命が届けられた日、ヘンリーは家令のブラントと侍女長のアンナ、乳兄弟で護衛のルトと幼馴染のわたしにだけ、本当のことを打ち明けてくれた。
「わたしは彼女を愛おしく思っている。だから、彼女を守るために……"白い結婚"をするつもりだ。」
そう宣言したヘンリーは、辺境伯としての政務を一歩も引くことなくこなしてきた"英雄の子孫"……まさにそう信じさせる気迫があった。
……でも、今はあの時とは違う。
「どうしてあんなにもヘッポコなんだか……」
最近のローズさまは、見ているだけで胸が痛くなるほど、何かを思い詰めている時がある。
それなのに、ヘンリーはそれに気づいてさえいない。
「奥さまが、何に悩み、何を恐れているのかがわからなければ、あなたはヘッポコのままなのよ。……ヘンリー、あんたはそれでいいの?」
二人には、政治的な事情や、貴族ならではのしがらみがあるのかもしれない。
幼馴染だとしても、わたしが踏み込めない一線……越えてはいけない壁もある。
でも、それでも……
「……ローズさまのために、わたしができることって……何があるんだろう……。」
執務室に向かう気分にはなれなくて、ラナは一人の部屋で、静かに二人のことを思っていた。
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鬱々と考え込む夜が続いてしまったことで、ラナを心配させてしまったのかもしれません。
寝支度を整えた後、ラナが部屋にお茶を運んできてくれました。
暖かいカモミールティーが、彼女の優しさとともにゆっくりと胸に広がっていくのがわかりました。
「心配を……させてしまったかしら?」
何も言わないラナに、すこし意地悪な質問をしてみました。
彼女が何かに気づいていたとしても、立場を考えれば、何も言わないだろうと思っていたのです。
「僭越ながら……奥さまを大切に思う一人の友人として、発言させていただいてもよろしいですか?」
ラナの声が少し低くなりました。
いつものお茶目な口調は封印されていて……真剣に何かを伝えようとしていることが、はっきりと伝わってきました。
「あなたは、わたくしにとって親友であり、姉でもあります。遠慮など……しないでください。」
侍女としての枠を越えた発言をする覚悟を決めたラナに、わたしなりの励ましのつもりでした。
「旦那さまとの関係に、悩んでおられるのではないですか?」
まさか、ストレートに核心を突かれるとは思っていませんでした。
不意を突かれて、淑女として当然の冷静なフリができません。
「お答えいただけなくてもいいんです。」
窓から差し込む月明かりが、ラナの優しい微笑みを照らしています。
「奥さま、恋はね、時に自分を傷つけることがあるんです。でも、愛は違う。自分も周囲も、気づいたら幸せにできてしまう。奥さまの愛情は、わたしたちにも、領民にも届いていますよ。だから……旦那さまにも、きっと……。」
ラナが笑いました。
「ただ、それがわかりづらいんです。」
「ありがとう。」
お礼の言葉が、小さくつぶやいたラナの言葉にかぶってよく聞き取れなかったけれど、あたたかい気持ちで胸がいっぱいになりました。
(……わたしの気持ちは、きっと迷惑。だけど、もしかしたら……。)
ラナの優しさに、わたくしはなんだか泣きたくなるほど嬉しくなりました。
このままでは、ローズが
「好きだからこそ、身を引こう」としてしまいそうで……
何とかしたい!
そんな思いを胸に、側近ふたりが動き出します
次回「求む!挽回のチャンス」
ローズの恋をそっと応援するラナ、
手厳しくもヘンリーの背中を押すルト……
とうとう、ヘンリーの本気が動く!?
完全なる勘違いは返上されるのか?
それとも……?
気になるつづきは、ぜひブクマをして読んでください!
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