3. 辺境伯家は思ったよりも居心地がいいです
どうしようもなくすれ違っている二人ですが…
今回は辺境伯夫人として生活を始めたローズの話と
ちょっぴりヘンリーのエピソードです。
婚姻を破棄することなどできないのですから、わたくしは、冷たく突き放された夜を思い出して、少しうつむきそうになった気持ちを鼓舞して、顔をあげました。そして、この地にふさわしい辺境伯夫人となるために、誠意を尽くすと決めて、辺境の地で迎える夫人としての初めての朝を迎えました。
「おはようございます。」
支度のために、侍女が来てくれました。離れ住まいだろうと、"仮初の妻"だろうと無視されるわけではないのだと、少し安心してしまいました。
「おはようございます。支度はわたくし一人でもできますので、家令と侍女長をわたくしの私室によんでいただけるかしら?」
そう告げると、わたしの言葉がかなり想定外だったようで、侍女が驚いた顔をしました。
(そんなに驚くことを言ってしまったかしら?)
おそらく驚かせた理由は二つほど…
一つは高位貴族の令嬢が、ひとりで身支度ができること。そして、もう一つは夫に相手にされなかった'名ばかりの辺境伯夫人'が、家令と侍女長を"呼びつけた"こと。
「あなたに迷惑はかけないわ。三十分もすれば身支度は整いますので、言伝をよろしくお願いしますね。」
驚いている侍女にもう一度、念を押して彼女が去るのを確認したあとで、わたくしは私室へ戻り、一番シンプルなドレスに着替えました。髪を整えて薄く化粧し、鏡の前で身なりの確認したところで、控えめにドアをノックする音がしました。
「どうぞ。」
部屋に入ってきたのは家令と侍女長。
「忙しい中、来てくださってありがとう。まず最初にこの屋敷でのわたくしの役目をはっきりさせようと思いましたの。そして、わたくしはこの屋敷でどこまで許されているのかも知らせていただけますか。辺境伯さまからは指示が出ているのでしょう?」
「わたくしへの指示は、『奥様の要望にお応えするように』とのご指示でした。」
「それだけですの?」
「不自由のない生活ができるように配慮せよとのことです。」
「……そう。あなたは?」
「わたしは奥様の生活の基盤が"離れ"になるとのことでしたので、そのお手伝いと侍女の配置を仰せつかっております。」
「ありがとう。あなたがたの名前を、教えてくださる?」
家令は落ち着いた様子で、侍女長のほうは少し緊張しているようでしたが、答えてくれました。
「わたくしは家令のブラントでございます。」
「初めまして、奥様。侍女長のアンナと申します。」
(何をするのかも告げずに呼びつけてしまったのですから、不安にさせてしまったかもしれませんわね。)
「あなた方はわたくしよりこの屋敷にかかわっておいででしょう?率直に伺いますわね、この邸内の権限は、どなたが掌握していらっしゃるのかしら?」
遠回しに聞いたところで知りたいことは同じなのです。ですからその核心を、直接問いかけることにしました。誰が実権を握っているのか……大事なことなのですから、わかっている方に聞くのが一番早いでしょう。
「わたしくは、侍女たちの教育と役割分担などを担っております。」
「この屋敷全体の使用人を統括しておりますのが、わたしめでございます。」
二人の答えはおおよそ想定していたものでした。
「わかったわ。では、離れへの引っ越しは侍女の方々にお任せいたします。ブラント……これから邸内を案内していただけますか?それぞれの職場と責任者、それと役割も教えていただきたいの。それから、使用人みなさまには、仕事が終わる時間の少し前に離れへ集まっていただけるように手配をお願いしますわ。」
「……全員でございますか?」
「ええ。今日からわたくしが屋敷の主であることを、直接みなさまにお伝えしたいの。」
一瞬だけブラントもアンナも何か言いたげな表情を浮かべましたが、すぐに丁寧な会釈を返してくれました。
「心配なさらないで。わたくしは、あなた方に必ず相談して物事を決めてまいります。けれど、ほかの使用人には屋敷の主はわたくしです。そうはっきり伝えたいの。よろしいかしら?」
「奥様のお心のままに…。」
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邸内を一通り見て回ってまず感じたことは、辺境伯家の使用人たちは、本当に優秀な方々ばかりだということでした。仕事に対する真摯な姿勢も、洗練された所作も、素晴らしいものでしたが、なにより誰もがみな気遣いが一流でした。それでもわたくしは、新しい主人としてみなさまにご挨拶をすることにしたのです。
「ご存じの方もいらっしゃるとは思いますが、ディクソン辺境伯夫人となりました、ローズです。今後、屋敷を取り仕切るのはわたくしになりますが、仕事についての意見や問題は、これまで通り家令のブラントと、侍女長のアンナに報告してください。」
端的に明確に、家令と侍女長をまとめているのが、わたくしだということをわかっていただこうと、説明をしました。旦那さまには'政敵の厄介な妻'扱いされてしまいましたが、これで屋敷内でわたくしを軽視することはできなくなったことでしょう。
「これから数日かけて、今後のためにみなさんの仕事の内容を確認する予定でいます。勤務時間内にわたくしの執務室に呼ばれることになりますが、それは業務の一環ですので、速やかに仕事を引き継ぎ、わたくしのもとにおいでください。」
(ざわざわとした空気は、いきなり何を始めたんだという戸惑いでしょうか。新しいことに対する抵抗は誰にもあることですから、この雰囲気はわたくしの想定内です。)
「難しいことを聞くつもりはありません。みなさんが日頃どんな仕事をしているのか知りたいだけです。そして、できれば人となりを知りたいと思っています。よろしくお願いいたします。」
軽く会釈をしたとたん、ざわめきが大きくなった。普通、貴族は使用人に頭を下げたりしない。わずかに目線を下げても大ごとなのですから、この反応は普通なのかもしれません。けれど、これからご迷惑をおかけするかもしれないのですから、礼儀は尽くしたいと思いました。
(この気持ちが、少しでも伝わってくれていると嬉しいのですが……)
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初夜に冷たく突き放したその翌日、ローズは予定通り離れに住まいを移した。ヘンリーはローズのことを気にしながらも、あくまで"無関心な夫"を演じることに必死だった。
「坊ちゃま、こじれすぎです。」
ローズの様子を報告してくれるはずだったブラントは、すっかりローズの味方になってしまい、離れで彼女がどんな暮らしをしているのかを、教えてくれる気はないようだ。
「家令であるお前の報告が頼りだというのに、なぜわたしの命令に背いてまで、ローズのことを秘匿しようとするのだ……。」
自分の気持ちを知っていて応援してくれると思っていたブラント。彼が、ローズの様子を知らせてくれなければ、彼女の暮らしを知るすべがないのだ。……ぼやきたくもなる。
「それと、坊ちゃまは辞めてくれ。」
ここのところ、この呼び名で呼ばれることが増えてしまった。そんなに情けない姿をさらしているんだろうか。いや……さらしているんだろうな。気づかれないようにため息をつく。
「旦那さまが離れにお越しになれば済むことでございます。ローズさまにお会いしたくないなど、駄々をこねるようでしたので、坊ちゃま呼びで十分かと……。」
ブラントは実に辛辣だ。ローズのことが知りたければ、離れに向かえばいいとサラリと告げてくる。それができれば苦労しないのだ。
「ブラント、わたしが離れを訪れないのはローズ嬢のためだと知っているだろう。」
「それは言い訳ですね。」
扉の近くに控えていた護衛のルトがいたずらっぽくにやりと笑って口をはさんできた。
「ルト、一応わたしはお前の主だぞ。少し遠慮がなさすぎやしないか?」
思う以上に情けない声が出た。この屋敷でわたしの気持ちを知っているのは家令のブラント、侍女長のアンナ、乳兄弟の辺境伯騎士団第一部隊隊長のルト、そして同じく幼馴染でローズの専属侍女を引き受けてくれたラナの四人だ。人払いをした執務室ならば、弱気な自分を出すこともできる。白い結婚を決めているのに、いざとなると決心がぐらついている。……そんな自分を隠す必要がない場所があるのは、正直、ありがたいのだ。
「旦那さまがしていることは、奥さまのためだとは思えませんが。」
「ルト、口調を変えても言っていることは失礼なままだぞ。」
今度ばかりは、正直なため息がこぼれる。
「近いうちに、わたしは手続きを無事に終えて、ローズ嬢が辺境伯家に嫁いできたことを国王陛下に報告するために、王都へ向かわなければならない。ルトは国境警備を総指揮を、ブラントは屋敷全般を取り仕切ってくれ。」
……言い終えると、空気が一瞬、静まった。
「ヘンリー、その前にローズ嬢に向き合えよ。」
ルトは幼馴染の口調に変えて、痛いところをズバッとついてきた。
「婚姻報告は義務だ。二人とも留守の際は頼んだぞ。」
「かしこまりました。」
ブラントの視線は呆れを通り越して諦めに、ルトのそれは憐れみにすら見えたが気づかないふりをして、強引な返答をした。
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初日の挨拶から数日。予定していた使用人たちとの面談を終えて改めて感じたのは、この辺境伯邸は見事に統率がとれていて、誰もがみな仕事に不満を抱くことなく働いている、ということでした。
「一通りの面談が終わりましたわ。時間を調整してくださりありがとうございます。」
ブラントはやはり優秀な家令でした。わたくしの意向を汲んで、各使用人のスケジュールを組みなおして、業務に支障がないように、さりげなく取り計らってくれたのです。その手腕は、本当に見事なものでした。
「こちらが、わたくしが見直しをしたみなさんの再契約書類です。仕事内容と勤務時間、それに見合ったお給金に調整し直しました。ブラントが確認をして問題がないようでしたら、辺境伯さまから承認を得ていただけますか?お願いします。」
「奥さま、これは…。」
優秀な家令は、パラパラと書類を見ただけで大まかな内容が理解できた様子でした。
「これまで曖昧になっていた業務を整理し、適材適所に役割を再編いたしました。効率も上がり、不得手の人間が行う必要もないので、仕事に対する不満度も下がるのではないかと思っております。それに関しては、あなたとアンナの意見も聞きたいと思っておりますので、明日の午後にでも、二人の時間をいただけるかしら?」
「わたくしどもから申せることはないと存じます。屋敷の主は奥さまでございます。」
「そうではないのよ。主はわたくしかもしれませんが、これらの契約の通達をあなたたちに任せたいと思っているの。ほとんどの使用人は、わたくしと話すことすら緊張してしまって、思うように答えられなかったでしょう。あなたたちならば、そんな彼らの気持ちを拾っていただけるのではなくて?」
ブラントが目を見張ったように見えました。
(そんなに驚かせるようなことを言ったかしら?)
「わたくしの業務の補佐をお願いしたいのです。お力添え、いただけますか?」
あくまでも業務の一環であることをブラントに告げると、なんだか少し複雑な表情を浮かべていましたが、納得してくれたようでホッとしました。主である自分の前で、使用人が委縮してしまうのは当前のことでしょう。だからこそ、彼らの声を拾い、支えてくださるブラントとアンナの存在が、わたくしには必要不可欠なのです。思っていた以上にあたたかくわたくしを受け入れてくださった辺境伯家は、もうわたくしにとって、とても居心地のよい場所になりつつあります。
そして、辺境伯さまは優秀なお人だということが使用人を見ていても知ることができます。わたしは、そんな辺境伯さまに、少しだけお力添えができたなら…それだけでもう充分なのです。
わたくしが見直した再契約書類は、仕事内容と勤務時間を明確にして、それに見合ったお給金へと調整を加えました。そして、それらを辺境伯さまに承認していただけるよう、ブラントに託しておきました。まさか、それが「あんなこと」になるなんて…その時のわたくしは思ってもみなかったのです。
両方の様子を見ることができるブラントは
さぞもどかしいことでしょう。
すれ違いが続けば関係の修復は難しくなるだけだと思うのですが、
ヘンリーは頑固(いや、ヘッポコ?)すぎます。
ローズは…彼女の気持ちはどこにあるんでしょうね……。
認められることが存在意義になると思っているように感じます。
でもそれを…悲しいと思うのは私だけでしょうか。
次回「わたくしは政敵の娘ではなく辺境伯夫人です」を投稿する予定です。
会うことなくすれ違っている二人ですが、
次回で意見が真っ向からぶつかります。
初の夫婦喧嘩の行方は…?
「次回も頑張れよ~」「また読むね。」という意味を込めて
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