2. ヘンリーの葛藤とローズの決意
ローズを冷たく突き放したヘンリーですが、彼の本心は…。
>>>>>>>>>>>>>>>ヘンリーの葛藤<<<<<<<<<<<<<<<
「君も理解していると思うが、この結婚は政略的なものだ。悪いがこの先わたしが君を愛することはないと理解してくれ。」
ヘンリーは寝室に座るローズの姿に目を奪われそうになりながら、無理やり厳しい言葉を投げかけた。"色香"などという言葉で表現したくないが、今の彼女には、それ以外の形容の仕方が浮かばないほど美しかった。
(こんなことは言いたくない……が、今、言わなければいけないだろう。自分の気持ちが揺れて、理性が崩れ落ちる前に……。)
「子供も必要ない。この辺境の領地を守れる優秀な者を養子にすればよいと思っているからな。」
情けないが、こんなふうにまたこの寝室でローズに会うことになれば、自分は理性を保てない。そう確信できた。表情を変えないよう、できるだけ冷静に言葉を紡ぐ。子供をもうけることは貴族の義務だ。’だがそんな重責をローズに背負わせたくはない。好きでもない男に嫁がなければならない……それが避けられないというなら"白い結婚"さえ守れば、彼女には幸せな未来がある。そう信じたかった。
緊張と混乱と目の前のローズの美しさに崩れそうになる自分の理性を保ちながら、口早に自分の考えを告げていく。そして最後に一番大切なことを伝えた。
「君が望むなら隣にある私室ではなく離れに住まえばいい。互いに距離があったほうがうまくいくだろう。」
政略結婚の政敵相手の夫の顔など見たくないだろう。麗しいローズの姿を見ることができるのは自分にとって僥倖だけれど、それは彼女にとって不幸でしかない。だからこそ、離れに住んでもらえばいいと結論づけた。
(悲しませただろうか……絶望させてしまっただろうか……。)
これ以上、見つめることはできないとわずかに視線を逸らす。
「承知いたしました。」
美しい所作で彼女のカーテシーを見せてくれるローズに見惚れそうになって、冷静な仮面をかぶったまま寝室を去った。そして同時にローズを愛おしいと思う自分の気持ちは心の奥底に沈めた。彼女の幸せを見届けよう。'白い結婚'を守ること…それだけが、自分にできる彼女への想いの証のような気がした。
>>>>>>>>>>>>>>>三年前<<<<<<<<<<<<<<<
父の戦死…それはあまりにも突然の報せだった。戦いの絶えない辺境で育ち、幾人もの騎士を見送ってきたヘンリーにとって、死は常に隣り合わせの現実だった。だからこそ、理不尽だとか不公平などとは思わなかったが、一個中隊総勢三十名の命を守って亡くなった父を心から尊敬した。そして同時にその早すぎる死に対する喪失感にどうしていいかわからず戸惑った。しかしその後すぐ、ディクソン辺境伯として家督を継ぎ、尊敬した父の意思とディクソン辺境伯家の領民を守ることがヘンリーの目標になった。十八歳という若さで辺境の地を治めることは容易ではない。ましてや一騎当千といわれる辺境騎士団員たちは、戦闘技術も経験も豊富だ。その騎士たちのうえに立ち、戦の主導権を握る…計り知れない重圧と責任でヘンリーは押しつぶされそうになっていた。もちろんそんなそぶりを見せるわけにはいかない。人の多く集まる場所では特に、自分の弱みを見せないよう…完璧であるよう心掛けていた。
しかし悪意というのはどこにでもある。ヘンリーにとって魔物相手の戦いはシンプルな力比べにすぎなかったが、王宮には辺境とは違う"人の顔をした魔物"が存在したらしい。辺境伯として初めて招待された王宮舞踏会で、飲み物に何か混ぜられたらしくヘンリー具合を悪くして中庭へと一度避難した。
「どうされました?」
そんな時、薄い月明かりしかない中庭の目立たないところで隠れるように休んでいたヘンリーに心配そうに声をかけてきたのがローズだった。
「ご気分がすぐれませんか?もしよろしければ、こちらをどうぞ。」
差し出されたのは上品に刺繍で縁取られた真っ白なハンカチだった。
「お休みであったなら申し訳ないです。」
彼女の美しさに目を奪われて返事ができないでいたことで勘違いさせたらしく、気まずくなったローズはハンカチを差し出したままうつむいた。
「申し訳ない……目立たないようにとこちらにいたので驚いてしまって、失礼をしました。ありがとうございます。」
ハンカチを受け取り額の汗を拭った。
「助けていただいてこんなふうに言うのははばかられますが、すぐにでもホールヘ戻られたほうがいいのではないだろうか。」
「具合の悪い方をお一人にはできませんもの。」
「年頃のご令嬢が薄暗い中庭でわたしと二人きりというのはあなたの名誉を傷つけてしまいかねない。わたしは大丈夫です。お心遣いありがとう。助かりました。」
そう言うと、言葉の意味を理解したのか彼女はハッとして美しいカーテシーを見せてからホールヘ戻っていった。その優しさに、美しさに…言葉にできない何かに強く惹かれて、その彼女の面影を何度も何度も思い返していた…そして気が付くと、かの令嬢について調べていた。
そして突き止めた真実…その令嬢は辺境伯の政敵、レナルド侯爵家の長女、ローズだった。
(貴族学院に在籍中で婚約者はいない。わたしが功績を残せば認めてもらえるだろうか……。)
ローズに婚約者がいなかったことのほうが奇跡だとヘンリーは思った。だからこそ彼女との未来を望んでしまった。その未来を現実にするために…若く真っ直ぐな辺境伯は、己にできるすべてを尽くす覚悟を決めた。
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ローズの父は歴史ある筆頭貴族だ。辺境伯を継承した今の自分は、家格の上では婚姻相手として申し分ないはずだった。しかし、自分の生家である辺境伯家と侯爵家は政策としては真逆の立ち位置にあった。それでも国家を、国民の生活を守るため尽くしている高位貴族ならば婚姻を結ぶことができるのではないかと考えた。そしてそんな人物に娘を託していいと思ってもらえるためには、功績をあげて認めてもらうしかない。そう思ってヘンリーはできる努力はすべて尽くした。
けれど、辺境伯として認められようと全力を尽くした三年…努力すればするほど、政策上の立ち位置の違いが浮き彫りになり、結果、ローズの父であるレナルド侯爵には、思惑とは裏腹に敵対勢力の筆頭と見なされるようになってしまった。
(分が悪い……彼女にふさわしい人物になりたいと行動したことすべてが裏目に出るとは……。)
辺境の領地が安定したことも、外交政策が上手くいったことにも後悔はない。しかし王都に住むローズ嬢に会う術はなく、婚約の機会を得ようと努力して得た功績が、本来の目的から一番遠い場所へ自分を追いやったことにはさすがに気落ちした。唯一の朗報と言えば、貴族学院を卒業したローズ侯爵令嬢が婚約したという話をまだ聞いていないことだった。つまり、彼女はまだ誰の婚約者でもない…はずだ。ただ、婚約者がいないという状態がそう長くは続かないということを王都から遠く離れた辺境に暮らすヘンリーでさえ容易に想像できた。
(この状況をどうにかしなければ……。)
焦りだけが募っていく。だが、決定的な手段を見出すことだけができない。苛立ちと無力感にさいなまれ、ヘンリーはひとり真剣に悩んでいた。辺境という特殊な領地を治めていることもあって、王都での社交は免除されているのに、ローズ嬢の姿を見れないものかと好きでもない夜会にも参加していた。
「坊ちゃま、初恋をこじらせすぎて面倒なことになっていますよ。」
執事のブラントはこういう時、本当に遠慮がない。自分が侯爵家の利になる結婚相手になれば問題はないはずだったのだ……が政敵と言われる立場になってしまった。ローズの父、レナルド侯爵は結婚を許さないだろう。たとえ許されたとしても、自分と婚姻を結ぶことがローズの幸せにつながるのか本気でわからなくなった。
そんな中、王都より王命が届いた。
「こんなことがあってたまるかっ!」
高位貴族なのだ。いずれ政略結婚がありうることも理解はしていた。が、王命でローズとの政略結婚が成立してしまうなど誰が想像できた?誰も逆らうことなどできるはずのない……異議を唱えることさえ……考える猶予を与えてもらうことさえできない政略結婚が決まってしまったのだ。
「王命が下ったよ。どうやらわたしはレナルド侯爵のご令嬢、ローズ・レナルド嬢と結婚するらしい……。」
激しく憤り、その直後に落胆したわたしがつぶやいた言葉にブラントが困惑したように問いかけてきた。
「坊ちゃま、それは願ったり叶ったりなのでは?」
ブラントの言うことはわからなくない。あれほど望んだ婚姻だ。恋焦がれた女性が嫁いでくれる。嬉しい……嬉しくないはずがない。でも逆らえない王命で政敵に嫁ぐローズは幸せだろうか?この地に嫁ぐということがどれほどの負担になるだろう…。しかも、婚姻までは三か月とされている。彼女の幸せはどこにあるというのだ。彼女を幸せにしたいと願ってきた。ならばせめて、夫として愛されることがなかろうと、傷つける存在にはなるまい。彼女を守る唯一の手段……自分とは'白い結婚'を貫けばいい……そう心に決めた。
>>>>>>>>>>>>>>>ローズの決意<<<<<<<<<<<<<<<
結婚生活一日目
旦那さまである辺境伯さまから「離れに住まうように」と言いつけられた夜、わたくしは一人、静かにその寝室で眠ることになりました。
朝はもともと早いほうなので、木漏れ日を感じて心地よく目を覚ましましたが……くるりと部屋を見まわしてすぐにわたくしの現状を思い出しました。わたくしは昨日、辺境伯さまと婚姻を結びました。けれど、今日から始まるのは、辺境伯夫人としての新しい生活ではなく、「政敵の娘として迎えられた厄介者の妻」としての生活だったのです。冷ややかな夜の記憶を思い出してうつむきそうになるわたくし自身を鼓舞して顔をあげました。
もはや婚姻を破棄することなどできないのです。ならばせめて、わたくしにはわたくしのできることをするしかありません。この地にふさわしい辺境伯夫人となること……。
そのためにはまず、この屋敷におけるわたくしの立場を明確にしなければなりません。家令と侍女長、そして使用人の方々に迷惑をかけるようなことをするつもりがありません。が、ここで働く使用人すべてに"屋敷の主"として認めていただくのです。そしていつか、辺境領地の領民を守り、"辺境伯夫人"として領民の方々にも受け入れていただきたいのです。そのために精一杯の誠意を尽くすと決めました。
そしてその第一歩が、今日……この日から始まるのです。
結婚初日から、思い切りすれ違っている夫婦です。
この先大丈夫なんでしょうか…。
次回「辺境伯家は思ったよりも居心地がいいです」を投稿予定。
ローズの辺境伯夫人としての最初の仕事…
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