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王命の婚姻に愛など望まないはずでした〜すれ違い婚の果てに〜  作者: Alicia Norn


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16/25

16. 穏やかな日々に……

愛する人の幸せを願い、屋敷を去ったローズ

残され、その事実に打ちひしがれるヘンリー


過去を捨て、名を捨てて、新しい名「ロゼ」として歩み出した彼女――

その胸に、今、何を思うのか……




 ヘンリーは大きく息を吐いた。

 こわばる手が、まるで封書を開けることを拒んでいるかのようだ。


 「情けないな……。」


 自虐気味な言葉がこぼれる。


 もう一度、大きく深呼吸して、覚悟を決める。

 ゆっくりと封書を開けて中身を確認する。


 見覚えのある組紐、結婚指輪、小さな手紙、そして離縁状……


 署名された離縁状に、息をのむ。

 けれど、ローズの真意を知りたくて、ヘンリーは手紙に目をやる。


  「ヘンリーさま

   一言の相談もなく、離縁状を用意した勝手をお許しください。わたくしは……」


 ローズらしい美しい文字で丁寧に書かれた言葉が胸に刺さる。

 文字を追うごとに、胸の奥がひりひりと焼き付いていく。


 (なぜ、こうなるまで気づけなかった……)


 指先が震え、手紙を握りしめながら、夢ならばと願い、何度も何度も文面を読み返す。 

 ヘンリーは不甲斐ない自分に絶望さえ感じた。


 手紙には感謝の気持ちと謝罪が綴られているだけだ。

 ……この手紙には、ローズの"本当の気持ち"は、どこにも書かれていない。

 ヘンリーは、無造作に転がったままの結婚指輪を見つめる。

 

 (どこかにローズが隠している想いが残されているのではないか……)


 たとえそれが、自分個人の願望であったとしても、ヘンリーにはそう思えてならなかった。


 (……確かめようがないのか。……わたしはもう、遅すぎるのか?)


 「ローズ……答えてくれ。」


 組紐に触れた瞬間、魔物討伐のときに衝動的に抱きしめたローズを思い出す。

ぎこちなく自分を抱きしめ返してくれたローズの、華奢な手のひらの感触が鮮明に蘇る。

 笑顔を思い浮かべ、組紐を額に当てて静かに祈る……。


 (もう一度、君に会わせてくれ……ただ、君に会いたい……)


 ヘンリーの腕にはローズに贈られた組紐が静かに揺れていた。


***


 時間を忘れて床に座り込み、ただ動けずにいた……心臓に鉛の矢じりが埋め込まれていくかのように、鈍い痛みがゆっくりと広がっていく。


 (なぜ、気づかなかった。)


 ローズの仕草が脳裏に浮かんでは消え、取り返しのつかない後悔だけが残酷な現実を突きつける。


 (ローズの幸せだけを願った……)


 もし、すべてを取り戻せるなら……何を犠牲にしても幸せにすると誓うのに。


 (わたしとの婚姻は、彼女を不幸にしただけなのか?)


 ズキッと新たな痛みが突き刺さる。考えたくなかった事実に行きついてしまった。

 ローズの残したおそろいの組紐を、ヘンリーは自分への想いだと信じたかった。

 しかし、王命が破棄されたことを告げる手紙と署名された離縁状は、冷たく残酷に、ローズが去った現実を突きつけていた。


>>>>>>>>>>>>>>><<<<<<<<<<<<<<<


 辺境伯領は、屈強な騎士団とそれを率いる優秀な辺境伯のおかげで、王国一安全な場所と言ってもいいかもしれない。

 そんな恩恵にあやかることができ、ローズは馬車を乗りついで、無事に目的地の修道院にたどり着いた。

 地味な姿をしているとはいっても、これまで培った気品が消えるわけではない。

 一目で「わけあり」だと気づいたシスターは、優しく言葉をかけた。


 「お名前は?」

 「ロゼと申します。わけあって、こちらにお世話になります。」


 ローズとしての過去は捨てることを決めていた。

 

 (これからは、ただのロゼとして生きていくわ。)


 深く頭を下げ、これからの新しい生活への覚悟を決めた。 


 「ここは、必要とするすべての人の心の拠り所です。あなたにとっても……」


 シスターはにっこりと微笑み、安心させるように頷いた。


***


 辺境の小さな修道院。

 静かな朝の光が礼拝堂に差し込み、美しいステンドグラスに反射する。

 木々が風に揺れる音が心地よく響く。


 「ねぇ、シスターロゼ。今日は、何をするの?」

 「ロゼはまだ、シスターじゃないんだよ。」

 「違うの?」

 「この修道院には、シスターメアリーがいるでしょ?わたしはロゼ。この教会のお手伝いよ。」


 ここへ着いた翌日こそ、起き上がることもできないほど疲れていたが、シスターの好意でゆっくりと休息をとることができ、心も身体も癒されていった。


 (ここはあたたかい。過去も家名もローズという名前さえ捨て、ロゼという誰でもないわたしを受け入れてくれる……誰もがみんな支えあって生きている場所……わたしもその一人。)


 この場所で、新しい人生を歩むと決めた自分をロゼは少し誇らしく思った。


(ここでなら、わたしはわたしのありたい姿でいられる……)


 大切な場所を守りたいと何かをすることが自分の生きがいになることを、ロゼはもう知っていた。

 だからこそ、この修道院でまず最初に始めたのは、裏庭に菜園を整えることだった。


 子供たちと土を耕し、種をまく。

 水をやりながら、命を育てることに喜びを感じる。

 誰かの笑顔のために尽くすこと……辺境伯夫人として生きてきた自分の過去は捨てたけれど、あの日々で学んだことは、ちゃんと自分の中で息づいていた。 


 「みんなの笑顔が、わたしを幸せにしてくれるのよ。いつも、ありがとう。」


 言葉にすることを忘れがちな「ありがとう」を、毎日大切な人に伝えるようになった。

 ロゼは失くした幸せの先に見つけた大切な小さな喜び一つ一つを胸に抱きしめた。


***


 日差しが強くなる前に草木の手入れをし、菜園の世話を済ませる。

 子供たちと朝食をとり、片づけを済ませると、清掃や修繕などの必要な仕事を進める。

 そして昼食後、シスターと相談して子供たちに読み書きや計算を教えることにした。


 「これから先のことを考えたら、知識は大事だと思うのです。」


 シスターはロゼの熱意に負けて、小さな子供たちのお昼寝を一手に引き受けてくれた。

 その時間に、勉強ができる年齢の子供たちには、わたしの授業を受けるようにと予定を変えてくれた。


 「このまえ、市場でお釣りの計算がちゃんとできたんだ。褒めてもらえたんだよ。」

 「助けてもらったお礼の手紙をちゃんと届けることができたんだ、ありがとうって言ってもらえた。」


 子供たちが少しずつ自信をつけていくのがわかる。

 一人一人に合った役割を分担し、責任をもってその仕事を全うする。

 おとなしい子には整理整頓を任せ、活発な子には庭仕事や必要なものの運搬を担当させる。

 計算の得意な子には、簡単な帳簿のつけ方も経験させ、絵が好きな子には礼拝堂の飾りつけを手伝ってもらう。


 「あなたの得意分野だということがよくわかるわ。とても上手にできているもの。」


 ロゼの言葉に、子供たちの目が輝く。

 日々の中で、子供たちは互いに助け合い、長所を見つけ、失敗しても励ましあうようになった。


 「ロゼ、見て!菜園でとれた野菜で、おやつを作ってみた。どう?」

 「時間かかっちゃったけど、ちゃんと計算できたよ!」 


 礼拝堂の窓から差し込む光が陰り始めても、子供たちの声が響く。

 いつも勉強の時間が終わると、それぞれに興味があることに時間を費やすのだが、最近は進んで自分の得意分野に挑戦する子供たちが増えた。お昼寝から起きてきた年少者たちに本を読んであげる子、遊びながら簡単な計算を教える子、子供たちの成長には驚かされることばかりだった。


 「ロゼ……ありがとう。」


 シスターメアリーがあたたかい眼差しを向ける。


 「あなたのおかげで、すっかりここが明るくなったわ。」


 シスターメアリーの言葉に、自分もまた、この場所に救われているのだと、ロゼは改めて実感した。


 (失くしたものを数えるよりも、今のわたしに残っているものを大切にしたい。)


 ロゼの胸に芽生えるのは、かつて抱えた悲しみや苦しみではなく、未来への希望と責任感……そして、ここで生きることの確かな手ごたえだった。かつての華やかな日々の中で学んだことも、傷ついた経験でさえ、力に変えることができるのだと知った。

 自然と共に暮らす生活の中で、世界を育てる感覚……ロゼにとってそれは、失われたものに変わる新しい幸せの形だった。


 修道院は、ロゼと子供たちの優しさに満ち、笑い声とあたたかな灯りに包まれ、日ごとに明るさを増していった。


>>>>>>>>>>>>>>><<<<<<<<<<<<<<<


 冷たい風が頬を打つ。

 領地でローズを知らない人はいないだろう。

 

 (ローズを見かければ、必ず誰かが話題にするはずだ。彼女の名を耳にできるかもしれない……)


 そんな希望をもって、ヘンリーは毎日のように城下へ足を運ぶ。

 焦りとともに、胸の奥の消えない痛みが鈍くうずく。


 (なぜ、あの時……)


 立場や体裁を理由に口にし続けた数々の言葉が思い出される。

 「白い結婚を貫くことが彼女の幸せのはずだ。」

 「何もしなくていい……ただ幸せでいてくれれば、それでいい。」

 どの台詞も、もっともらしく言葉をつないだ単なるその場しのぎの正当化だ。

 今ならわかる。あんなもの、ただの卑怯な言い訳でしかない。


 (そんな薄っぺらい言葉で何を守ろうとしたんだ……彼女を守る?)


 (守っていたのは――俺のちっぽけな自尊心だろっ!)


 視察と銘打って歩いた領地のあちこちに、ローズの面影を見つける。

 褒め言葉に笑った顔も、アクセサリーを贈ったときに見せた照れた顔も……もう二度と見られない。


 「愛を伝えるには、賞味期限がある……」


 いつだったかに、ルトに告げられた言葉が胸にしみる。

 一度でも、心の底からの本気の想いを告げられていたら……

 そのたった一言で、彼女はまだそばにいてくれたのではないか。


 足元に落ちる影を見つめながら、幼いころに影を追い払おうと走り回った自分を思い出した。 

 幼少の無知ゆえの愚かさよりも、よっぽど愚かな今の自分に気づいた。


 (君を手放す気などなかった……幸せになってほしいだなんて詭弁だ。)


 「本当は、俺がこの手で幸せにしたかった……なのに、俺は……」


 まるで自分の心を映し出すように、どんよりと暗い影が広がる空に、届かない両手を掲げる。

 空っぽの両手を見つめて、つかみ損ねた幸せと本音に気づく。

 どこにも行き場のない後悔と――自分の愚かさを悔やんだ。


>>>>>>>>>>>>>>><<<<<<<<<<<<<<<

 

 修道院の朝は静かだ。

 柔らかな日差しが窓から差し込んでくる。

 ロゼはいつものように菜園の手入れをし、子供たちと笑いあいながら一日を過ごしていた。

 ここでの生活に慣れてきたのか、ふとした瞬間に辺境伯邸での出来事を思い出すことが増えた。


 (ヘンリーさま……あなたは、今頃、どうしているのでしょう。)


 口にできない想いを押し殺し、誰の目にも触れぬ場所に……自分でさえ届かない胸の奥深くに、こみ上げる想いを封印する。

 そういう時は決まって、父の罪や家名の重さが影を差す。

 あの日、あの選択をしなければ――そんな後悔を、浮かんだ瞬間に打ち消すように頭を振るう。


 「ここでの毎日は、穏やかで幸せです。」


 静かな時間に一人になると暴れ出す胸の痛みを抑えるように、あえて言葉に、声に出してみる。


 (あなたに会いたい……口にしてはいけない、思ってもいけない……わかっているけれど、会いたいの。)


 大きく息を吸い、木々のざわめきを聞き、風を感じて心を静める。

 思い出した子供たちの笑顔に、領地で知り合った人たちの笑顔が重なる。

 胸が熱くなり、思わず声が漏れた。


 「あっ、だめ……。」

 

 ごまかしきれない寂しさが、時折、不意に顔をのぞかせる。


 (わたしはここで生きる……子供たちのために、そして自分のために。)


 それでも、一人で生きることの寂しさを、受け入れて、ロゼは小さな決意を胸に抱いて前を向いた。

お読みいただきありがとうございました。



幸せを願って去っていったローズは

ロゼとして新たな人生を歩み始めました

一方で、ヘンリーは後悔に胸を焼き

ようやく自分の本心に気づきます


再会のチャンスは訪れるのでしょうか……


次回「それぞれの夜、それぞれの想い」

ぜひブクマして、続きの配信をお待ちください



皆さまのリアクションや感想に

いつも励まされています


更新頻度を上げて、最終話まで頑張ろうと思ってます

「頑張って!」「続き待ってるよ」という気持ちを込めて、

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