13. 駒にされるのは、少々納得がいきません
偽りの婚姻、父の陰謀……
王命と捨てられない愛の狭間で
ローズは孤独な戦いに身を置くことを決める……
すれ違い婚……
その果てに待つのは別れか、それとも幸せか
大きな地響きと共に、最後の魔物の断末魔が響く……
ヘンリーはルトに視線を送り、ゆっくりと剣を収めた。
「……帰ろう。みんなが待っている。」
朝焼けがまぶしい。
負傷者は多いが、死者は一人もいない。
あの悪夢を思えば、奇跡のような勝利だった。
兵士たちは互いの肩を支え合い、歓喜の雄叫びをあげる。
しかし、ヘンリーだけが静かにそこにたたずんでいた。
戦場の緊張とは少し違う……漠然とした"何か"が高揚感よりも強く、心を冷たくさせていた。
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兵士たちを迎える城下は、誰もが笑顔でその功績を讃えた。
「おかえりなさい!」
はじけるような子供たちの声……人々は歓喜に湧き、勝者たちを祝福する。
領民たちに答えるように、ヘンリーは馬上で右手を掲げる。
しかし、その表情は笑っていても、瞳の奥は冷たく氷のように冷めていた……。
***
「旦那さま、おかえりなさいませ。」
玄関でブラントが出迎えた。
そのいつもの姿に、緊張がふっとほどけていく。
(やはり、ここが自分の帰る場所だ……)
安堵した瞬間……
「ご帰還早々に申し訳ございません。急ぎ、報告したいことがございます。」
ピリッと冷気が広がった。
「わかった。身なりを整えたら、すぐに執務室へ向かおう。」
「人払いはお任せください。」
正体のわからない違和感が再び心を支配していく。
そして、ブラントの言葉に、その感覚が単なる思い過ごしではないことを確信させた。
勝利の余韻より強い、"悪い予感"が黒い霧のように、心を侵食していく。
そしてそれは、自分の想像のはるか斜め上から……思わぬ形で現れようとしていた。
***
執務室に入ると、ブラントはすでにそこに控えて、一通の封書を手にしていた。
そこに記されたごくわずかな人間しか知らない印が目に入る。
どうやら、"悪い予感"は、最悪の形でやってきたようだ。
「影か……何があった。」
「奥さまのことでございます。」
「ローズの……?」
動揺が隠し切れない。
なぜここで、彼女の名前が出るのか……見当もつかないのだ。
「……」
「奥さまに、密書が届けられたと報告がありました。」
ブラントの封書を受け取り、素早く目を通す。
「これの何が、急ぐほどの報告だったと……?」
「奥さまのご様子が、違うのです。」
ドクン……心臓が嫌な脈を打つ。
「旦那さまが出征なさってから、眠れない日々が続いて、食欲も減っていかれました。見かねたラナが、いろいろと手を尽くしたのですが……改善される様子がありませんでした。」
「そういえば、今日も姿が見えなかったな。」
真っ先に会いたいと思っていた人を、見つけることができなかったことに、思ったよりも落胆した自分がいた。
「ことの深刻さゆえに、本日は半ば強制的にお休みいただきました。」
「どういうことだ。」
「医者より睡眠誘導剤を処方していただいたのです。」
「……なぜだ……」
戦場からの余韻が覚めていないのか、低く響いた声に殺気がこもる。
「その理由を突き止めようと、影を使いました。」
「結果がこれか……」
手元の報告を見つめる。
「詳しいことなど、何も書かれていないではないか。これが何の報告書だというんだ!」
苛立ちが隠せない。
「侯爵家とて、この辺境伯家と同様、影なる存在がいるというのはもはや暗黙の了解。奥さまに密書を届けたのは、おそらく彼らではないかと……」
影が動いているのであれば、詳しい情報はつかめないだろう。
だが、体調を崩すほどの"何か"を誰にも告げなかったことに、作為的なものを感じる。
「現時点でできることはないということか……」
「奥さまから直接伺うよりほか、手掛かりはないと思われます。」
「わかった……少し考えたい……一人にしてくれ。」
「失礼いたします。」
一礼してブラントが去っていく。
もどかしいのは彼も一緒だろうと理解できても、感情が追い付かない。
***
「なぜ、誰にも何も言わないんだ……。」
思わずつぶやいた声に、無意識な怒りと悲しみが滲む。
一人になった執務室で、隠してあったウイスキーを手に取る。
おもむろにグラスに注ぎ、勢いよく煽る。
「ここは……君の居場所ではなかったのか?……違う、ということか……。」
いつだったかに、ローズに告げられた言葉が胸に突き刺さる。
(「わたくしを政敵の娘として扱っているのは、この屋敷で……辺境伯さまだけですわ。」……)
「俺を政敵だと思っているのは、ローズ……君もだろう。」
やり切れない想いが胸を焼く。
わずかに感じていた心地よい疲労感は、数十倍になって今度は身体を蝕んでいく。
もう一度グラスを煽り、ヘンリーは黙って暗闇を見つめた。
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朝、いつものように目覚めたわたくしは、普段より少し遅い時間であったことに驚きました。
それでも、朗らかな声で嬉しい報せを届けてくれたのはラナでした。
「旦那さまが、お戻りになられましたよ。」
その言葉に一瞬驚いて、すぐに事態を理解し、ひどく戸惑いました。
長い討伐遠征を終えて帰還したヘンリーさまをお出迎えできなかったからです。
「旦那さまには、奥さまの体調を鑑みて、お休みしていただいたことをブラントさまが告げられております。」
「それで……ヘンリーさまはご無事なのですか?」
ラナが少し驚いたように目を見開き、そして安心させるような微笑みを浮かべながら答えてくれました。
「もちろんです。傷一つございません。」
「よかった……。」
無意識に安堵のため息がこぼれました。
「奥さま、組紐がお渡しできますね。」
ラナの言葉に、少しだけ頬が熱くなったことを感じました。
***
午後のお茶の時間をキャンセルして、わたくしは一人で部屋の窓辺に座っていました。
木漏れ日が差し込み、そよ風が優しくカーテンを揺らしています。
手元にある父からの手紙は、破ることも、燃やすこともできず、まるで重厚な鎖であるかのようにわたくしの身体に重みを与えます。
……これは単なる縁組ではない。
……王家はレナルド侯爵家と辺境伯家……政敵の関係改善を“王命”としたんだ。
いつだったかに、ヘンリーさまに教わった王命の内容が、頭をよぎります。
(これ以上の対立は、王命への反意と見なされかねないですわ。)
王宮で父に会ったというヘンリーさまのお話から察するに、父に関係を改善する気持ちは皆無なんだろうと思わされました。
「内政状況を報告したとして、辺境伯家にはほころびなどないですから、侯爵家の有益な情報などありませんわ。それよりも、考えなければならないのは、二重帳簿ですわね。……これは、完全なるルール違反。卑怯ですわ。」
(政治の駒として、王家や他家に嫁ぐのは、侯爵家に生まれたのですから、覚悟はできておりました。でも……)
風が慰めるように、わたくしの頬を撫でていきます。
「でも……駒だからと、このようなこと……納得できません。」
そう呟いて、わたくしは自身の言葉に驚きました。
何度も飲み込んできた憤りが、言葉になったのかもしれません。
今までならば「仕方がない」と諦めていたのかもしれないのです。
小さく息を吐く……胸の奥からこみ上げる熱が、ゆっくりと形を変えて湧き上がってきます。
「そう……絶対に許してはいけませんの。」
その言葉は、しんと静まり返った部屋の中に、驚くほど強く響きます。
辺境伯領でのわたくしの日々が、強さに変わっていたのだと気づきました。
守りたい大切な場所……愛する人……その存在が、どんな困難にも立ち向かう勇気をくれると知ったのです。
「戦場のヘンリーさまを想いながら祈った夜に誓ったのですわ。……父から彼を守れるのは自分だけだと……」
心の中で、すべてのピースが揃ったパズルのように、自分のなすべきことが見えた気がしました。
父とは決別を……そして、この身すべてで、大切なこの領地と、愛しい人を守り抜いてみせます。
「ヘンリーさまに知られるわけにはまいりません。わたくし一人で、父を止めなくては。」
父からの手紙を握りしめ、新たな決意を口にしました。
***
机の上には、父からの手紙、領地の収支記録の写し、そして、数枚の地図を広げられていました。
わたくしはインク壺の前でペンを握りしめ、計画を反芻しながら息を整えます。
(父の計画を阻止するためには、確実な証拠が必要ですわ。言葉や感情では、誰も動かせませんし、納得もしないでしょう。)
蝋燭の炎が揺れ、小さく燃える音が聞こえてきます。
侯爵家に出入りする商人たち……父の行動パターン……父が管理する帳簿があるはずの場所……
「情報を裏付けるために、しなければならないことは何かしら……」
必要な情報をどう父と結びつけるか、その糸口を必死に探ります。
「手を貸していただくなら……」
一瞬浮かんだ名前と顔を、わたくしは慌てて振り払いました。
「誰にも知らせてはいけませんわ……誰にも、知られるわけにはいきませんの。」
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父の陰謀を止めるために必要な情報は、影の存在によって収集可能でしたが、わたくしの目的のためには、もう一つ避けて通れないことがありました。
それは、情報ギルドとの契約です。
「守秘義務は、守っていただけるのでしょう?」
ブラントを通して、情報ギルドのギルドマースターのサムとの面会が叶いました。
静かにわたくしを見つめる瞳は、真意を見抜こうとしているのかもしれません。
はやる鼓動を悟られぬよう、淑女教育で習得した"笑顔"という武器を最大に利用して、優雅な微笑みを浮かべ続けました。
「極秘にするのは、この世界じゃ当然だ。奥方は、存外肝が据わっているらしい。」
マスターというには若く見えるサムは、にやりと笑ってわたくしの反応を伺っているようでした。
その視線が、一瞬だけ鋭く光った気がして、笑顔が崩れそうになりました。
ブラントから貴族がギルドとかかわりを持つことは、あまりないと聞かされていました。貴族は立場を重んじる方が大半であるため、ギルドとの関わりを恥じることはあっても、喜んで組織と関係を持とうとすることはないと容易に想像がつきました。だからこそ、わたくしが、わたくしでいる必要があったのです。
「秘密を守っていただけるのは、ありがたいですわ。」
サムという人物は、思う以上に警戒心が強く、ギルドのみなさんを大切にしている方のようでした。
認められなければ依頼を受けていただけないということも、ブラントから聞いておりました。
あるがままで、貴族としてのわたくしを認めていただく……その決意をもって、決定的な一言を告げてみました。
「わたくしは、合格ですか?」
途端にサムの視線が柔らかくなりました。
「失礼いたしました。情報ギルドは、あなた様の手足になることをここに誓いましょう。」
恭しく一礼すると、丁寧な口調でわたくしの依頼を受け入れてくださることをお約束くださいました。
***
さすが、情報ギルドです。
情報収集のプロである彼らは、わたくしでは到底思いもよらない方法で、必要な情報を選定して収集してくださいました。
賄賂、脅迫、不正採用……わかっていたことだとは言え、"黒い噂"の情報が集められるたびに、わたくしの心は、どうしても揺れ、鈍い痛みに襲われました。
ただ一つ救われたのは、兄の経営する領地は、わたくしが信じた通り、兄の性格を反映したかのようにまっすぐで、暖かみのあるものだと知らされたことでした。
「兄を……追い詰めることに、なってしまうのでしょうか……侯爵家は責任を取らなければなりませんわ。それでも、兄や母……侯爵家の人々を守る方法はないのでしょうか……」
陰謀の阻止と父の断罪。わたくしが自分に課した試練は、考えているよりも大きく複雑なものでした。
ラナのおどけた様子が目に浮かびます。アンナの思慮深い一言も……ルトの眼差しに支えられ、ブラントの静かな力強い同意に、幾度となく救われてきたのだと改めて実感させられてしまいました。それでも、彼らを巻き込みたくないのです。
「集めた情報をどう活用するか……わたくしは、その決断もしなければなりませんわ。」
ひとり、部屋にこもって考える時間が増えました。
今のわたくしには、一人きりでわたくし自身に向き合う時間も必要と考えます。
父を断罪する……それは、王命であった貴族のパワーバランスを崩壊させてしまうことを意味していました。
(けれど、父の王宮内での権力は強くなり過ぎました。古いやり方を押し通す父……それは時代に逆らっているゆえに淘汰されていくべきものなのかもしれません。)
(父の失脚で、辺境伯家は守られます。懸念されている勢力争いも、収拾することになりますわ……)
「この計画が成功すれば……わたくしとの婚姻に意味はなくなります。ヘンリーさまは、こんな偽りの婚姻を続ける必要がなくなるのですわ。」
居心地がよくなり過ぎたこの辺境伯邸で、わたくしは幸せを知りました……
笑顔に喜びをいただき、わたくしにできる役割があり、わたくしの存在を認めてくださる方々に、たくさんのあたたかいお心をいただきました。
(これ以上、わたくしがみなさんに関わることは……避けたほうが良いですわね……)
見慣れた木々を見つめながら、わたくしは頬を伝わる涙をぬぐおうと動かした手を止めて、静かに目を閉じました。
一人であること……風の音を聞きながら、初めてそれを心から感謝をしたのです。
お読みいただきありがとうございました。
父の陰謀に巻き込まれたローズは
守りたい人たちのために
悲しみを一人で背負う覚悟を決めます
次回「陰謀の意味、ご存じかしら?」
是非、ブクマして、続きの配信をお待ちください
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