11. そういえば、実家は政敵でした
王命による婚姻。
その立場を、ローズは決して忘れたことはなかった
ようやく居場所を見つけ
ヘンリーとの関係も変わり始めた、そんなある日……
不意に突きつけられた現実
実家と嫁ぎ先は、まぎれもない「政敵」であった
忍び寄る影……
大切な人を守るため、ローズは何を決断するのか?
最近のわたくしは、ヘンリーさまの優しさに困惑させられる毎日が続いております。
「君に必要だと思ってもらいたい。」
差し出されたのは、ヘンリーさまの瞳と同じ色のネックレス。
嬉しさがこみ上げ、隠し切れなくなりそうでした。
けれど、それはやはり、わたくしの都合のいい解釈に過ぎない……そうわかっています。
わたくしの装いを補うための品でしょう。華美にならず辺境伯夫人としてふさわしい装飾品を、気遣って用意してくださったのだと思います。
そのすぐ後には、視察のお礼の花束もいただきました。
「頑張っている君に、お礼の一つも言えていないと思ってね。受け取ってくれると嬉しい。」
あんなに拙い案内にもかかわらず、ヘンリーさまは礼を尽くしてくださいました。
「ありがとうございます。」
嬉しくて、自然と笑みがこぼれました。
***
それから数日、不思議なことが続きました。
ヘンリーさまが、毎朝何かしらの提案をしてくださるのです。
「毎日かならず、一度は一緒に食事をしよう。」
(報・連・相・は大切ですものね。)
突然のお誘いに驚きましたが、すぐに大切なことに気づきました。こうして食事を共にしながら予定を確認し、領地の情報を交換することは、誤解やミスを防ぐ大切な務めです。
(……でも、"毎日かならず"だなんて……。)
その強調された言葉に、どうしても心が反応してしまいます。気持ちを軽く戒めて、できるだけ平然を装い返事をしました。
「かしこまりました。大切ですものね。」
翌日も、少し意外な提案をされました。
「君さえよければ、一緒に……暮らさないか?」
視線を泳がせたヘンリーさまの耳元が、ほんのり赤く染まって見えました。けれど、その遠慮がちな提案の真意が分かりません。
(そちらの方が深刻な問題ですわ……)
必死に考えたものの、口にできたのはとてもありきたりな言葉だけでした。
「ヘンリーさま、わたくしたちはすでに一緒に暮らしているのではございませんか?」
確かに、わたくしは本邸ではなく離れで暮らしています。それでもそこは辺境伯邸の敷地内……認識は間違っていないはずです……。この提案にどうお答えすべきか、本当に困ってしまいました。
そして翌朝……さらに深刻な言葉をいただくことになりました。
「毎朝、君に見送ってもらいたい。そして、帰ったら一番最初に君に会いたいんだ。」
(まさか、ヘンリーさまにこんなことを言わせてしまうなど……本当に申し訳ない限りです。)
「かしこまりました。」
(体裁のため……でしょうか。それとも醜聞を避けるため……?)
巡る推測に、軽くめまいがしました。
「無理にとは言わない。できるときでかまわないから、頼んでいいか?」
わたくしは愚鈍ではないと思いたいのです。でもこの時まで、お見送りとお出迎えをおろそかにしていたことも、それがどれほど大切なのかも、まったく意識していませんでした。
ヘンリーさまを大切に思いながら、何もできていなかった……その事実に、羞恥の気持ちで胸がいっぱいになりました。
「これは……ヘンリーさまからの、領主としての忠告。決して都合よく考えてはいけませんわ。」
胸の奥にふわりと膨らんでいく感情に、気づかないふりをして、そっと目を閉じました。
けれど、この日常の小さな幸せすら、足元から崩されることになる……そんな大きな影が音もなく近づいていることに、その時のわたくしは知る由もありませんでした。
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聞こえてきてほしくない噂というのは、勝手に耳に届いてしまうものなのですね。
それは、懇意にしている商人たちが、辺境伯邸へ商談に訪れていた時でした。
彼らはまさか、辺境伯夫人が厨房近くにいるなどとは思ってもみなかったのでしょう……。
「ローズさまは、侯爵家のご令嬢だったよな。」
「やり手でいらっしゃる。さすがはレナルド侯爵のご令嬢だ。」
「……お前、あの噂については知らないのか?」
「宮廷人事のことか?」
「少々、露骨すぎやしないか?」
「俺たち商売人には、ありがたい話さ。」
「"心づくし"を口実に、各家門のご当主さまがいろいろと高価なものを購入してくださるんだ。文句は言えん。」
「そりゃ、もっともだ。」
わたくしは、聞こえてきた話が信じられなくて、しばらく立ち尽くしました。
まさか商人たちが口にするほど、あからさまな賄賂が贈られているというのでしょうか……。
父は王宮内で要職についています。人事権があることは明白です。
気づけば……小刻みに震える自分の手を、もう一方の手で無意識に抑えていました。 呼吸は浅くなり、目の前が薄暗くなる感覚……それでも、無様に倒れるわけにはまいりません。
タンっと足を踏みしめ、もう一度、自分がしっかり立っていることを確認しました。
「真実を確かめなければ……」
この会話が、辺境伯領の誰にも聞かれなかったことに感謝して、王都から離れたこの地で、自分のなすべきことを考え始めました。
***
「辺境伯家でのお前の役割は、わかっているだろうな。」
父の威圧感の強い声が頭に響きます。
王家ではなく、辺境伯家に嫁ぐこととなってすぐ、執務室でそう念を押されたのでした。
思い返せば、父との会話は、一事が万事こうでした。
「お父さまは、お馬に乗るのがお上手ですね。」
幼いころの、何も知らなかったわたくしが、父と馬に乗ってピクニックへ出かけた日のことを思い出し、思わず苦笑いがこぼれました。
威圧的な言葉と同時に蘇ったあの優しい光景に、言葉にならない皮肉を感じたからです。
(あの日は確かに幸せだったわね……)
わたくしも兄も、母も……みんなが笑っていた。
あまりにも幸せな記憶に、もはや自分が作りあげた幻想かもしれないとさえ思いました。
「父にとって、わたくしは王家とのつながり……人柱……それ以上でも、それ以下でもなかったのですわね。」
婚姻政策にのみ関心を向ける父に、特別な感情を感じないことに気づき、諦めの笑みが浮かびます。
王家にご縁がいただけなかったのは、わたくしが至らなかったせいでしょう。その事実は、甘んじて受けなければなりません。
それでも……父の目にわたくしが映っていたことなど、一度としてなかった……そしてわたくしもまた、努力を認めてほしいと告げたことなど、一度もなかったのです。
「皮肉なものです。父の政略が外れ、わたくしはこの辺境伯家へ嫁ぐことになったのですから。」
(……今わたくしは幸せですわ。)
「この婚姻は、逆らえない王命……。わたくしはやはり、政治の駒。」
(それでも、わたくしはヘンリーさまと領民を守るために、真実を知りたいのです。)
「誰のためでもなく……わたくし自身の未来のために。」
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噂の中核にあったのは父の人事に関するものでした。
あの話の流れから考えれば……不正が行われている可能性は否定できません。
(……父の行動が、ヘンリーさまに対して悪意の火種になるかもしれないのですね……)
だからこそ、真実を知らなければいけないのです。
様々な可能性を考えてはみましたが、何が起こるのかはわからず、焦りばかりが募ります。
わたくしは、辺境伯家で最も信頼する人物……ブラントに、相談する覚悟を決めました。
「口の堅いあなたを信頼して……お願いがあります。」
手にしたハンカチをギュっと握りしめて、声の震えをなんとか抑えました。
「……でも、これは、主君への背信行為にもなりえます。……よく考えて答えてください。」
そう。わたくしの話を聞けば、ブラントに裏切り行為をさせてしまうかもしれないのです。大切な人を巻き込みたくない……そう願いながら、一人で解決できない自分の非力さを恨めしく思いました。
(この情報だけ……この一度だけ協力してもらえたら、あとは誰も巻き込まないと誓うわ。)
静かに決意を固めて、ブラントの答えを待ちます。
「わたしは辺境伯邸の家令です。旦那さまも、奥さまも、わたしの主でございます。」
その言葉に、胸が熱くなりました。やはり、この人は信頼できます。
覚悟を決めて言葉を続けました。
「王都で……正確には、王宮で調べてほしいことがあるのです。こうした時、わたくしには信頼できる人がおりません。ブラント、あなたなら……そういった情報収集能力に長けた人物をご存じではなくて?」
「そうですね。この地は王都より離れておりますので、目と耳は必要でございます。」
「では……その情報収集の仕方を、わたくしに教えてはくださいませんか?」
耳元で大きな鼓動の音が響きます。けれど、「真実を知る」その一手にだけは、絶対に譲りたくはありませんでした。
***
「ヘンリーさま、少しお時間をいたでけますか?」
夕食を終え、私的な時間を邪魔することは少し憚られましたが、どうしてもお聞きしたいことがあり、勇気を出して声を掛けました。
「どうした?」
その優しい声に、胸がギュっと締め付けられます。
「できれば、人払いを……。」
暗に“二人きりになりたい"と願う言葉です……。その意味を自覚してしまった途端、声が少し小さくなってしまいました。
「サロンにお茶でも用意させよう。今夜は、星がきれいらしい。」
心なしか嬉し気なヘンリーさまの声……自然な仕草で手を取ると、ヘンリーさまは、ゆっくりとわたくしをサロンまでエスコートしてくださいました。
浮かれてはいけない……そう思いながらも、指先から感じるヘンリーさまの優しさに、ゆっくりと心が満たされていくのを感じました。
けれど同時に、その優しさこそが、これから口にしようとしている問いかけを、難しくしていることにも気づいていました。
***
「あの……王命のこと。この婚姻について、もう一度お聞かせいただけますか?」
ためらえば、もう二度と聞けなくなりそうで……サロンに用意されたお茶を一口含み、わたくしは思い切って本題を切り出しました。
ヘンリーさまは、少し驚かれましたが、やがて何かを決意したように、まっすぐな眼差しで答えてくださいました。
「ローズ、君も知っているだろうが、これは単なる縁組ではない。王家はレナルド侯爵家と辺境伯家……政敵の関係改善を“王命”としたんだ。」
(……やはり、わたくしたちの婚姻は、逆らえない王命……だったのですね。)
「関係改善とおっしゃいましたが、婚姻後……なにか変わったのでしょうか?」
静かに風が流れます。あたたかなお茶から立つ白い煙が、星明りの中でゆらゆらと揺れています。
「変わったと言えることは……残念ながら、ないな。」
静寂の中に溶け込むような、穏やかな声……一つ息をつき、ヘンリーさまが続けられました。
「先日、王宮で君の父上に会ったよ。相変わらずお忙しそうだった。」
「そう……でしたか。」
「君と共に、ご挨拶に伺わなければな。」
……これが、ヘンリーさまの優しさなのでしょう。
おそらく父は、好意的な態度を見せることはなかったはずです。それでも静かに微笑んでくださる。
「……あの、王宮では父と何をお話になったのですか?」
言葉を選んでおいでなのか、わずかに沈黙が流れます。
「……嫌味を言われてしまった。君の活躍は褒めていたけどね。」
(褒めていたなんて……わたくしを傷つけないよう、優しい嘘をくださるのね……そんな優しい人に、わたくしは嘘をつかせてしまっているのですね……)
「父がわたくしを褒めているなんて。……よく似た別人にでもお会いになったのかしら?」
軽く茶化してみせると、ヘンリーさまは淡く微笑みを浮かべました。
「嘘ではないよ。ローズは上手くやっている。確かにそう仰っていた。」
嘘ではない……その言葉に偽りは感じられませんでした。
それでも、決して楽しい会話でなかったことは、痛いほどわかりました。
大切な人を傷つけている自分という存在……胸の奥に後悔だけが、ゆっくり重く沈んでいきました。
***
(わたくしの行った改革は、侯爵家に有利に働いてしまったのではないかしら?……そうでないなら、父の反感を買ってしまったのかもしれない……)
「やり方を間違えてしまったのかもしれないわ。」
(……わたくしは本当に領民のために動いたの?……もしかしたら……父に、ヘンリーさまに、"わたくしにもできることがある"と……証明したかっただけなのかもしれません。)
思えば、ほかの形で貢献こともできたのです。
それでも、改革によってもたらされた幸福を後悔したくない……その気持ちに、嘘偽りはないのです。
「何ができるのか、今はまだかわかりません。けれど、一つだけはっきりしています。ヘンリーさまを、領民のみなさまを守りたい。そのために……わたくしにできるすべてを尽くします。」
それは、父との決別であり……そして、わたくしの覚悟が決まった夜でもありました。
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ローズが決意をした夜から、数日後の王都の城下町。
よくある酒場の片隅で、二人の男が陽気に杯を傾けていた。
「例の件、上手くいったよ。」
「おぉ、それは良かった。」
「やはり噂は本当らしい。」
一息で杯を空にすると、二人は声を落とし、小声で言葉を交わす。
「……近いうちに要職の移動がある。地固めは順調だ。」
「あの方に逆らうのは、無謀というものだ。」
ランプの炎がゆらりと二人の影を揺らす。
「お嬢さまが嫁いだらしいが、それがどれほどの防波堤になるのか……」
「まぁ、あの家の栄華もそう長くはない……そういうことだ。」
そんなやり取りを、こっそり聞いていた旅人風の男が一人。
やがて、彼は人知れず酒場を後にし、夜の闇へと溶けていった。
……その姿を知る者は、誰一人としていなかった。
お読みいただきありがとうございました。
幸せに水を差す黒い影……
ローズの穏やかな日常が、「政敵」という重い現実に脅かされていきます
父と夫の間で揺れる彼女の選択は、
鮮やかなまでに夫一択でしたね
ですが……その選択の先に新たな波乱が訪れます
ヘンリーとの関係はどう変わっていくのでしょうか?
そして、ローズはみんなを守れるのでしょうか?
次回「密書と沈黙、そして魔物討伐」
波乱の展開をブクマして
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