桜の木の精
神村律子は酒乱である。
職業は医者なのだが、
「JOY~、JOY~、JOY~」
と酒に酔って、ボックスステップを路上で踏んでいる姿を見て、誰もそうだと思わないだろう。
私は関係者だと思われるのが嫌で、少し離れていた。
道行く人たちの視線が痛い。
しかし、神村先生にはその視線が心地いいらしく、途中から本気で踊りだしている。
パタパタと体をたたみながら、態勢を低くすると、そのままコマのように回りだす。
回転はよりスピーディになりつつ、低い体勢から上がっていくと、ピタッと止まった。
両の腕を広げ、波を何度か作りだすと、すっと体をスムースに直立させる。
そこからまさかの前転、そして、ウサギの耳を作って後転っと思いきや、ここでお得意のブレイクダンスに突入する。
回る~、回る~、神村~、回る~!!
最後は首の力だけで、起き上がると、人差し指を天へ突き上げ、フィニッシュを迎えた。
自然と拍手が巻き起こった。
もういっそのこと医者やめて、プロのダンサーになればいいと思う。
観客と化した通行人の間をくぐり抜け、私の元へ近づく。
そして、私を通り過ぎ、桜並木の一本に肥料をまき散らした。
やれやれ。
「大丈夫ですか?」
「大じょーぶ!それより熊ちゃん、もう一軒行こう」
「嫌ですよ。明日も仕事あるですから、もうここらで止めにしましょう」
「え~、やだ~。もっと飲む~」
「もういい加減にしてください。神村先生」
「へへへ、神村先生だって。もう、二人きりの時は律子って呼んでって言ってるじゃない」
「嫌です。気色の悪い」
「熊ちゃんのい・け・ずぅ~」
もう保護責任者遺棄致死になっても良いから放っておこうかと思った矢先、くいくいと服を引っ張られた。
「ありがとう」
振り返った先にいた女の子がそう言った。
女の子は黒い髪のおかっぱで、着物を着ていた。
何がありがとうなのか?
今どき和装の女の子なんて珍しいな、何かイベントでもあるのだろうか?
そんな事を思ったのだが、
「熊ちゃ~ん!」
そう神村先生に呼ばれ、少し目を離した隙に、女の子は姿を消していた。
見回すが、何処にもいない。
「あれ、さっきここに女の子いましたよね。神村先生?」
「へ?」
「着物着た女の子」
「・・・あの子の事?」
神村先生が指差した先には誰もいなかった。
桜の木が一本あるだけ。
やはり神村先生には『見える』のだ。
「もしかして幽霊・・・」
「そんな事言ってると、怒られるわよ。あの子はそこにある桜の木そのものよ。その子、何か言ってた?」
「ありがとう、と」
「そう。もしかして、私のダンスを気に入ってくれたのかしら。じゃあ、ちょうど良いから少し御馳走しようかしら。熊谷先生、コンビニ行ってお酒買ってきてもらえます?」
女の子の事を話してから、神村先生はいつものような話口調に戻り、落ち着いた雰囲気になっていた。
「早く!」
そうでもなかった。
私はせかされ、急いでお酒を買ってきた。
そして、お酒を受け取った神村先生は、プルトップを倒し、酒を木にかける。
「ほら、おいしいか?ビールのまがい物だぞ~」
私のお気に入りのサリンの春の新商品に向かってなんて事を、と思いながら一つの疑問が浮かんだ。
「そのお酒って、あの女の子にあげているんですよね?」
「そうですね。そう思ってくれていいですよ」
「その、あんな小さな女の子にお酒を与えても良いものなのでしょうか?」
神村先生は一笑する。
「熊谷先生はこの木が一体いくつに見えるのですか?」
ああ、なるほど。
確かにこの木の正確な樹齢は分からないが、少なくとも自分よりは年上の様な気がする。
「そうか・・・若づくりなんだな・・・」
刹那、何かに足を踏まれたような気がした。