ローレンス・アローン 〜公爵はその令嬢の生きる意味となる〜
本作は『ローレンス・アローン 〜祝福の呪いを背負う令嬢を公爵様は離さない〜』(https://ncode.syosetu.com/n5809hp/ )の続編となります。
例えばそれが奇跡だったとして
それは彼らが望んだことだっただろうか。望んでなどいない。願ってなどもない。平凡に、みんなと同じように生きたかったはずだ。
こんなものいらなかったと、どうにもならない事を泣き叫ぶ。例え誰もが羨む能力だったとしても。
彼らにとっては呪いに違いない。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
花々が美しく咲き誇る庭園。公爵家自慢の歴史ある広々とした庭中で、礼服に身をつつむカイルと、控えめで落ち着いたホワイトドレスのローレンスがそこへ並んでいた。彼らの前には大聖堂の神父が立っていた。そして手に持つ紙を読み上げる。
「ここにカイル・エドワーズ、ローレンス・アローンの婚約を結ぶ」
神父により宣言され、書類上では既に婚約確定していたが、これによって神にまで婚約を宣言した事となる。参列者はいない二人だけの式だが、それは厳かに行われた。
その婚約式を先程まで行っていた庭園を見下ろせる部屋に、今は二人の姿があった。その感慨に浸るような様子ではないが。
「これで改めて、婚約者だな」
そうこちらの顔を見て告げるカイルに、ローレンスは釈然としない様子で彼を見る。
この世界にはギフトと呼ばれる、現実には考えにくい、科学では解明できないような能力を持つ者たちがいる。彼らは決まって短命である宿命を背負い、哀れに思った神から贈られた奇跡を持つ。そんな特殊なギフトを持つ一人であり、令嬢でありながらその裏の顔は国家機密組織のメンバーであるアローン家の一人娘、ローレンス。そしてその組織とは犬猿の仲であるはずのこの国の治安捜査局長であるカイルと紆余曲折経緯がありながら最終的に婚約をする事になってしまった。
婚約だけなのにわざわざ神父まで呼んで神に誓わせるなんて。何もこんな仰々しく儀式のようにしなくても、書類だけの簡素な手続きだけでよかったのにと思う。それどころかそもそもローレンスはこの婚約に同意していない。本人不在のまま勝手に進められてしまった話だ。
「どうして私なんかに婚約を申し入れたんですか」
「君の生きる意味になると言っただろう。放っておいたら命も投げ出しそうな勢いで見ていられないからな」
そう言われて、ローレンスは思わず黙ってしまう。妙に言い得てはいるが、そこまでする彼の気持ちがわからない。
「どうせ結婚をしろと言われていて、見合いの話や令嬢達からもアプローチも煩わしかったんでしょう」
そう話すローレンスにカイルは彼女へ口を開く。
「俺は周りの重圧から逃れたいからと、打算で結婚するような質ではない」
確かに。そうであればこれまでのらりくらりと面倒くさく躱し続けてはこなかっただろう。というよりも、ローレンスはその言葉の方が気になった。
「結婚ではないです」
「そうだな。まだ婚約だった」
む、と睨むローレンスにカイルはフと笑う。まったく、この男は本当に読めない。
その時、バサバサバサッと羽ばたき、窓枠のローレンスの傍にとまった。その足には何かが括り付けられている。カイルが怪訝な顔で眉を顰めた。
「また何だ」
「ファクルタースからですね」
「君の組織は動物使いか何かなのか」
伝書鳩。呆れたような目で見るカイルの隣でローレンスは鳩の足元についていた紙を取り読んでみると、表向きには婚約を祝う文が書いてある。しかしその解読した内容はカイルと共に今後の任務を遂行せよとの事。ローレンスと婚約した事で、半身内となった治安捜査局局長のカイルにもファクルタースの協力者となってもらおうという話だった。
「――ほぅ、治安警備局局長である俺を抱き込もうと」
「そのようですね……」
「表と手を合わせようというのか。実質的な裏取引だな」
カイルは静かににやりと笑った。彼自身としても、裏組織の動きを把握できる事はかなり大きな利益だ。その姿を見て、ローレンスはジッと視線をカイルに向けながら問いかけた。
「……ファクルタースの情報を得たいから私と婚約したんですか?」
「いいや、純粋に君を気に入ったからだ。まあ結果棚ぼただな」
どうにも癪に障るし腑に落ちない。ローレンスは一体自分の何が彼の琴線に触れたのかわからない。ギフト持ちなんて厄介なだけだ。聡明で力も持ち賢い男が自分を選ぶなんて理解し難い。むしろいっそ組織の動きを把握したいからだと言われた方が納得できる。
「ところで、婚約して早速俺達二人初めての仕事がある」
「なんですか」
その意味深な言い方にローレンスが眉を顰めてカイルを見る。すると彼がスッと机の上から封筒をとりだして見せる。それはローレンスも見てわかった。金色の封筒に赤い封。それはこの国一の権力を示す者からのもので――
「皇太子主催の宮中パーティーだ。招待をされておいて欠席はできまい」
「そ、それをなぜ私まで……」
「俺の婚約者様だろう」
フッと笑うカイルに、言い返す言葉もなくどう考えても面倒で不回避なイベントにローレンスは、早くもやっぱり是が非でもいいから止めるべきであった婚約を後悔するのだった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
広く優美な王宮。敷地に入ってすぐの庭地には大きな噴水がライトアップされており、宮殿の象徴的なシンボルでもあった。その圧巻な景観に相変わらず圧倒される。
「どうした? 入るぞ」
隣でそうこちらを覗く、礼服に身を纏うカイル。いつ見てもこの男は腹が立つほど様になり男前だ。
そして今日ローレンスが身に着けるドレスもまたカイルが用意したものだ。濃紺のドレスは腕と胸元までが見事に編み込まれた総レースとなっている。スカートは足元が広がるマーメイドタイプ。サテンのような光沢のある生地は、光によっては色を若干変え美しく艶めかしい色合いを見せる。それもローレンスに繕うように作られたようなピッタリな一点物。一体いくらの代物だかわからない。
ちなみに以前贈られたあの見事な装飾と宝石がついた馬鹿高そうなドレスだが、事件のせいで血だらけのボロボロにしてしまった。その負い目がある手前今回はもちろん拒否したかったのだが、むしろ断れなくなってしまったている。
「……大丈夫です」
ローレンスはそっと隣のカイルの腕を組み直す。気持ちを整え息を吐く。
そうして皇太子主催の豪華なパーティーへ足を踏み入れたのだが――
「やっぱり以前の夜会も二人で来られてたのって……」
妙に集まる視線とヒソヒソと聞こえる声にローレンスはカイルへ静かに問いかける。
「……どういう事ですかカイル様」
眉目秀麗、精明強幹で人気も高く、数多の女性がアプローチをしてもこれまで全く女性に一切靡かなかったエドワーズ公爵が、伯爵令嬢と運命的に出会い惹かれ、更にカイルがローレンスへ心底惚れている事からドラマチックな恋に落ちたという噂がローレンスが入院している間にあっという間に広まっていた。社交界というのは恐ろしく、格好の話題となる噂は一気に回る。既に手遅れなところまで。
「俺達は愛し合う仲睦まじい姿を見せて振る舞わないとな」
もう空いた口が塞がらず言葉も出ない。開き直りを見せるカイルにいっそ全て投げ出してひと蹴り食らわせたくなるが、恐らくそれも彼には躱されてしまうだろう。
「聞いてないんですが」
「ああ、言ってなかったな」
「相談も何もなかったんですが」
「別に許可も得なかったからな」
静かに頭を抱える。しれっと返ってくる言葉達。この男、ほんとに――
「カイル様……!」
「言いたいことがあればいくらでも聞こう」
宥めるようにローレンスを見る余裕気な顔のカイルだが、ふと視線をずらす。
「――……まあその前に、わざわざこんな会まで開いて招いてくれた元凶に会いに行かないとな」
少々面倒そうにカイルがくい、と顎を向けた先にいたのはこの国の次期王位継承者でもあり、今回のパーティーの主催者である皇太子だった。そんな高貴な相手にもこんな態度で良いものか。言ってやりたいことも大いにあったが、まずは招待してくれた皇太子にやはり顔を見せなくてはならない。というかこの国の皇族、まして将来皇帝となるような方に婚約者だと挨拶しなくてはならないのか。いよいよ後戻りできなくなる。
心配もそのままカイルと共に、挨拶へと向かう。
「スライ、来てやったぞ」
「ああ! 待ってたよ」
カイルの呼びかけに相手はぱっと柔らかな声を上げた。そして彼は目を移すと隣のローレンスへと声をかける。
「君がカイルの婚約者かい? はじめまして」
「帝国の小さな太陽にご挨拶申し上げます。はじめまして、シルヴェスター殿下。ローレンス・アローンと申します」
「そんなに畏まらなくていいよ。楽にして」
見事なカーテシーを見せたローレンスはその顔を上げる。美しく輝くブロンドの髪に、色素の薄いブルーグレイの瞳。酷く整った容姿に細身に見えるも立ち居姿は王族らしい堂々たるものだった。そしてそのオーラはキラキラと眩しい。
「退院後すぐに悪かったね。ローレンス嬢」
「いえ、お会い出来て光栄でございます」
気品のある柔らかな笑みを見せる皇太子に流石だなと王家の品格を感じた。
「カイルが選んだ女性なんだ。僕もとても気になってね。こちらこそ会えて嬉しいよ」
にこりと微笑む姿に、周りの令嬢達も思わず息を吐いたのがわかる。それほどまでに尊いと思うような笑みだった。思わずローレンスもほうと一瞬見惚れた。
「俺の婚約者を誘惑しないでくれるか」
その時さっとローレンスを隠すように、カイルがジト目で皇太子を睨む。
「ごめんごめん。そんなつもりはなかったんだ。でも本当に綺麗な素敵な女性だね。カイルのその様子が理解できるよ。珍しいものが見れた」
「俺達も暇じゃないんだ。このためだけに夜会を開いて招待するな」
「とか言って早くみんなにお披露目したかったくせに」
「うるさい」
気安く話す二人に、ローレンスはその姿を眺める。
皇太子とカイルは仲がいい。エドワーズ公爵家が遠い王家の親戚でもある事から幼い頃から親交があり、互いの一番のよき理解者でもある親友だった。
こうして見ると、皇太子もこの国の名のある公爵であるカイルも一人のただの男性に見える。本当に仲が良いのだなとローレンスは思った。
「ローレンス、挨拶は済んだから行くぞ」
「ですが――」
「こんなのと構っている暇があれば永遠とダンスでも踊ってた方がましだ」
酷い言い様。皇太子相手に流石に不敬ではないのかと思うも、相手は存外気にしていないようにあっけらかんと笑う。
「つれないなぁ」
「顔は見せた。もう十分だろ」
不機嫌を浮かべるカイルに、皇太子はローレンスへ向き直る。そして優しく柔らかな笑みを向けた。
「では、ローレンス嬢。またお会いしましょう」
「次は式以降にな」
決まってもいない結婚式まで会わせるつもりはないのか。挨拶を交わす隙も与えずカイルはローレンスを連れて去っていく。彼女は目のあった皇太子に振り返って会釈だけしてその場を後にした。
「――いいんですか? 皇太子相手にあんな態度は」
「放っておけ、気にするな。あいつは俺の反応を面白がっているだけだ」
皇太子と別れ、会場を回り腕を組んで隣を歩きながら、見上げた横顔の彼はフンと息を吐く。
「ろくに話しませんでしたが……」
「顔見せただけで十分だ。義理は果たしただろう」
そういうものなのだろうか。それにしても皇太子はだいぶ物腰柔らかな方だった。綺麗で甘い顔立ちはその女性人気も伺える。そして人民をまとめ上げるカリスマ性と指導力もあるものだから、国民からの支持も高いのだろう。彼女は感心した。
さて、とカイルはローレンスへ向き直る。
「ここからは、参加者たちへ俺達の仲睦まじい姿を見せる時間だ」
「……それ、本当に必要ですか?」
というか何でこんなに乗り気なんだこの男。恐らく彼女へのやっかみによる手出しをさせないようにとカイルが流した噂なのだろう。彼なりの配慮だともわかっていた。しかしそんな事しなくてもローレンスは別になんてことない。令嬢たちにいびられたって面倒ではあるがそこまで気にしない。
ジト目で顔をしかめるローレンスに彼はさして気にする事もなく口元に笑みを浮かべながらさらりと答える。
「君が思うよりも存外、俺は君を気に入っている」
その言葉に、ローレンスは止まる。
「……私には、貴女が私を気に入る理由がわかりません」
小さく息を吐いたローレンスが返す。第一まともに話したのはあの連続殺人鬼の事件のあった夜だ。あんなボロボロの姿を見て気に入ったなんて到底理解できない。
その時ホールに演奏が響き始めた。皇室抱えの演奏家たちの美しい演奏の音色だ。
ダンスをと、差し出された手を握る。
「愛している、と言っても信じなさそうだな」
「当然」
ローレンスはしらっと答える。あり得ない。これに尽きる。
「楽しみだな」
クッと笑ったカイルがそう呟いた。意味を測りかねて怪訝な顔で眉を顰め彼を見るも、そのこちらを見つめる存外温かな瞳にローレンスは言葉は出なかった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
あのパーティーから数週間後、帝国内で密かに話題にも上がったとある貴族の不審死が起きた。情報統制がされ、詳細については極秘に扱われる案件になる。
その捜査指揮をカイルが取ることになった。そしてローレンスは上から、カイルと共に再び捜査協力をとの命が下った。
首都にあるエドワーズ公爵邸。
カイルがソファーに腰を掛け机の上に広げていた捜査資料を一部取り、ローレンスの前へ置く。彼女はその資料を覗いた。中年の男性の写真と、身元についての情報、発見時の情報などが書かれていた。ローレンスはその紙を拾う。
「死んでいたのはニルソン男爵の兄弟に当たるコリン卿。遺体はスクラップ倉庫の中から発見され、遺留物などからすぐ本人であると断定された」
死亡したとされる翌日の昼前、ホームレスの男性がその遺体になった姿を発見したと書かれている。死亡日時が確定できるのは、その前日彼の知り合いが彼と会っていたからだった。現場は首都中心部から少し外れた郊外の一角。店も点々とあり民家も立ち並ぶ場所であった。カイルの話を聞きながらローレンスは書類に目を通す。
「だが、どうしてまた裏の案件になったんだ?」
「彼は、ファクルタースの人間なんです」
「何?」
手に取った資料に目を通しながら口を開くローレンスの言葉に眉を顰めるカイル。
「コリン卿もギフト持ちでした」
「組織の人間が狙われたという事か」
「ええ、それに50年ほど前にも似たような事案があったんです」
50年前? と怪訝そうなカイルにローレンスは続けた。
「あの時もギフト持ちによる事件でした。捜査資料はファクルタースで厳重に保管されています」
当時は機密案件となった事件だったため、その捜査資料や事件概要は治安局にも置いていないだろう。ローレンスは彼を見つめる。
「カイル様はあの遺体を実際見たんでしょう?」
「ああ。体はまるでミイラのように干乾びていた。何とも異様な光景だったな」
そう、今回の不審死事件がファクルタースの案件となったもう一つの理由は、その遺体がかなり奇妙だったからだ。体から水分を全て奪われていたという遺体は、その身元が判別できないほどの状態だった。資料にもその写真が挟まれていた。これと同じものを、彼女は昔写真で見た事がある。当時の事件と同じだ。そしてその犯人は、結局捕まえる事はできなかった。
「その事件と同一犯だと?」
「いいえ、ただあれは50年前の事件。恐らく年齢を考えると、あの時にギフトを使った者はもう亡くなっているでしょう。祝福人は短命ですから」
ふむと考えるカイルは彼女へ問いかける。
「もし同一人物ではなかったとしても、しかし、同じギフトを持つ者は現れないのか?」
「いいえ、あります。裁判官の上官の中には真偽を確かめる為に、被疑者自身の証言を立証する証人として、人の記憶を一部読み取れるサイコメトリーを持つ高官が数人いるのをご存知でしょう? まあ彼らは相当の重大事案でない限り出てくることはないですが……」
この国で唯一と言ってもいい、ギフトありきとしてその能力を使用し公的に認められている職業だ。彼らは最も上位に位置する上級高官として、そのギフトにより職に置かれている。神職のような扱いに近いものであるが、それは国民も知る存在である。
「同じギフトを持つ者もいます。もちろん人数は少ないですし、特殊なギフトでは見られないこともありますが、彼らの様に適する仕事があればその職に自ら就き、或いは招集されてくる人達がいますから」
「じゃあ、やはり同じギフトを使う者がいるということか」
「おそらく。あの事件と酷似しているので同一のギフトか、その類似したギフトを持つ者の犯行でしょう」
この手のギフトは水に関わるもの、もしくは人体に何かの影響を与えられるようなギフトか。接触、非接触かによっても対策が変わってくる。もし触らずにできるものだとしたら非常に厄介なものだ。顎に手を当て神経に考える彼女をカイルがじっと見つめた。
「ずっと聞きたかったんだ」
カイルが口にした。そして瞳の合った彼女を見つめた。
「君は何故、組織に入ったんだ」
カイルの問いかけにローレンスは彼を見る。その言葉に一瞬迷うような様子で視線を惑わせたが、彼女は口を開く。
「伯爵の息子……ロアンは、ギフト持ちによって事故に見せかけて殺されたんです。正確には彼らに巻き込まれ、命を落とした」
「伯爵の息子はギフト持ちに殺された……?」
突然の言葉に驚くカイル。今から25年前に亡くなったアーロン伯爵の一人息子、ロアン・アーロン。彼は仕事からの帰宅中、馬車の事故で亡くなったと世間では聞いている。
聞きたいことはあるがその前に待て、と彼は問いかける。
「彼らとは誰だ」
「ギフト持ちによる、犯罪組織です」
ローレンスの言葉にカイルは眉を顰める。
「《わたしたち》は専ら、そのギフト持ちで構成される組織を追っています。奴らを、捕まえるために」
存在場所不明、構成人数も不明。謎に包まれた、犯罪集団。ただ一つわかっているのは、構成員が祝福人であるという事のみ。現在この国で起きている特に卑劣で証拠の殆ど残っていない未解決事件である案件は、ほぼ彼らによるものだった。
「ロアンが亡くなったのは国境にほど近い山林の中。隣国へ仕事へ向かって帰る途中の事でした。馬車の車輪が外れ、足場の悪かった崖から斜面を滑り落ちるように落下した事故により、従者を含め4人全員が亡くなりました」
ローレンスは淡々と、静かにその事実を語り出した。悲しみが浮かぶのか、情をかけているのかはその顔からは測りかねた。
「そして同時期に、スタンリー・フォードという科学者が亡くなった」
「その男なら知ってる。ギフトについて研究をしていたこの国の第一人者だろう」
「ええ、そして彼自身もギフト所持者でした。ファクルタースも彼に協力をあぐねていたほど、彼はギフトについて長らく研究をし、精通した知識を持っていました。彼が亡くなったのももう寿命だったので致し方なかった事なのですが――不可解な点があるんです」
不可解な点? とカイルが聞き返す。彼女は頷いた。
「彼が亡くなっていることに気づかれたのは、死亡してから数日後。彼の寿命を知る友人が、44歳の誕生日が過ぎていることに気づき、ラボに向かった事で彼が亡くなっている所を発見されました。彼は一人静かに息を引き取っていそうです」
看取られることを厭うスタンリーはあえてしばらく人と会わずにラボへ篭ったのだろう。研究中は邪魔をされるのが何よりも嫌がり、ラボへ入った時は人を寄せつけなかったという。それが周囲も暗黙の了解となっていた。
「ギフトのついての研究資料を悪用されぬため、彼は自身の首都のラボと家とは別に国境近くの森の隠れた小屋の研究所にそれら全てを保管していたんです。それが、彼の死が確認される前、山火事で小屋ごと全て焼き払われてしまった」
「……その話は知らないな。確かにその近辺で山火事があったとは聞いていたが」
情報操作によりスタンリーのラボが燃やされたことは隠蔽され、ただの山火事だということに表向きはされていたようだ。おそらくその火事の火元は彼のラボだったのだろう。
「犯罪組織はスタンリー博士が研究していた彼しか知らないギフトの貴重な研究資料が目的だった。ファクルタースも喉から手が出るほど欲しかったものです。恐らく、彼らもギフトについて、何らかの研究をしているのでしょう。目的は未だにわかりませんが」
「それでは奴らは、スタンリーの寿命がくるのを図って、研究資料を奪ったのか」
「それだけじゃありません。恐らくスタンリー博士はギフトによる寿命で亡くなったのではなく、その前に殺されたのだと、私はふんでいます。スタンリー博士は自分が死ぬ事はわかっていたはずですから、死んだ後の研究資料の処分方法を考えていたはずです。それを国などに渡り処理される前にどうにか彼らは奪ってしまいたかったのでしょう」
話を聞いたカイルがその話から推察する。
「……伯爵の息子は、たまたま通りかかった国境付近の森の中でその研究資料を奪う所にでも目撃してしまったのだろう。だから奴らに消された……と」
「そうだと思います。他にもショーンの死には不可解な点がありました。馬車の車輪の連結部の一部が通常ではあり得ないほどぐにゃりと歪められていたんです。人為的に手を加えなきゃできないような歪み方でした。まるで意図して車輪が外れるように」
「ギフトが使われたと言いたいんだな」
はい、とローレンスは頷く。
「だからは私は、ロアンを殺した組織を暴くために、ファクルタースへ入ったんです」
「伯爵のために、か……」
彼女の話を聞き、カイルは背もたれにもたれ、腕を組んだまま静かに小さく息を吐く。
息子はギフト持ちのせいで殺された。それならば伯爵はギフト持ちを恨んでいるはずだ。なのに何故ローレンスを養子に迎えたのか。最初から彼女をファクルタースへ入れるため……だったのだろうか。自分の息子を殺した憎き能力者と同じ者を自分の元へ引き入れ挙句育てるなど、並の人ではできないだろう。
そこでふとした疑問が胸に浮かぶ。ローレンスを一瞥しそれを飲み込んで、カイルは逸れた今回の事件概要の本題に入る。
「コリン卿はなぜ今回狙われた」
「わかりません。ただコリン卿は、丁度スタンリー博士の事件資料や残された研究資料をもう一度見返し、あの時のことを詳しく調べ直そうとしていました。またあの組織が最近になって活発に動いている様子だったので」
それを阻もうとしたその組織の犯行がやはり濃厚か。
「明日また現場検証へ行こう。現場はそのままの保存状態にしてある」
「ありがとうございます」
目を通し終えた書類をまとめ、机の上に置いた彼女にカイルが見つめたまま口を開く。
「まさかもう帰るつもりか」
「え?」
彼の言葉に止まるローレンス。捜査資料も話もすんだしこれ以上いてどうするというのだ。何なら帰る気満々だった。
「せっかく婚約者同士だ。ゆっくりお茶でも飲んでいけ」
「しかし失礼ですがカイル様。私達は別に恋人同士というわけでは……」
「歩み寄るのは大事な事だろう? それに貴族の結婚なんて先に愛がくる事なんて滅多にない。令嬢も大半は婚約から始まるものだと知ってるだろう」
「そうですが……」
茶を用意しろと使用人へ命じるカイルにローレンスは反論しようもなく口ごもる。
あっという間に用意されたティーセットを前に仕方なくカップを取って口つけるとその紅茶の美味しさに思わず目を開く。流石公爵家、茶葉のレベルも違う。思わぬところでその味に気を取られ感動していると、すぐそばに席を立ったカイルが近づき足元へ跪いていた。その姿に慌ててぎょっとする。
「なっ!? ……か、カイル様?」
「――この先ずっと幸せにすると誓う。私と結婚して下さい」
いったい――と口に出しかけた時、カイルがそう口にした。ひどく優しく、それは普段皆が思うクールで寡黙そうな彼の姿とは少し違った、柔らかな瞳をローレンスに向けて。とくりと、胸が鳴った気がした。そしてその手には小さなビロードの小箱の中に美しく輝くダイヤと深く鮮やかなブルーダイヤモンドがついた指輪が収められ、こちらに向けて差し出されている。その視線にローレンスは思わず言葉を失ってしまった。
カップを置いたローレンスの左手を取り、彼はその指に指輪を填める。その後大きな節だった手に軽く握られた時にはっとした。
「バタバタと決まった婚約だったからな。ようやく指輪を渡せた」
跪いたまま彼は彼女を見上げる。ふっと微笑む彼に、驚いてただ呆然と言葉が出せなかったローレンスは見つめる。
「こんなこと……指輪なんてご用意して下さらなくても大丈夫でしたのに」
「俺がしたかっただけだ。気にするな」
さっと立ち上がった彼は席へと戻る。その手から去っていった温もり。消えてからどこか肌に当たる空気が余計冷たく感じた。
「そのブルーダイヤは公爵家が歴代引き継いでいるものをつかった指輪だ」
「え゛っ……」
思わず声をもらしてしまうローレンス。それもしかしなくても大変な事なんじゃないか。
「心配するな。歴代宝石だけ抜きとって公爵夫人それぞれに合わせてリメイクしている慣わしだ。特別な事じゃない」
血の気が若干引きかけた彼女にカイルが付け加えた。いや、それにしたって重みがすごすぎる。自分につける資格なんてないんじゃないか。その歴史を思う彼女はじっとその自身の指に収まる指輪を見つめる。それを引き立てるように並んだダイヤの隣に青く深い美しい色合いを魅せるブルーダイヤモンド。歴代公爵夫人を引き立たせた証。
「気に入ったか?」
「……とても、美しいです」
よかった。カイルは頷く。
彼女はそう答えるのが一杯だった。そして今一度、彼を見つめる。
どうしてここまでしてくれるのだろうか。ローレンスは不思議でしょうがない。これまで仕事一辺倒だった忙しくしている彼が婚約者の配慮までするなんて、面倒ではないか。それなのに厭う姿なんか一切見せずローレンスを心配るこの男。今まで陰で見てきた彼とは全く別に見えて、ローレンスは戸惑った。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
――息子、ロアンは皇帝に認められる程の聡く天才的な研究者であり、エンジニアであった。この国を変えたいと、この国で生きる人達のために工業発展のめざましい近年研究開発をして、それまでガス灯だった街に送電設備を設計し、電灯を灯らせたり、そのエネルギー産生についてもこの国の国土に合うものを見つけ考えようと奔走していた。アローン伯爵の自慢の息子だった。
あの日だって隣国の知識や技術をこの国で更に発展させ、よりよいものを生み出そうとして自国へ帰ってくる途中だったのだ。
生きていれば、皇帝にも信頼され重臣としていずれ国の中核を担い、名誉と名声を得られていただろう。まだまだ、これからだったのだ。
それから彼は息子の死に疑念を覚え、保安局も手を付けてくれなかったため必死に独自に事件について調べた。最愛の妻を早くに亡くし、たった一人の息子までも失った悲しみは計り切れないものだった。そして死に物狂いで調べて、やっとの思いでこの事故にはギフト持ちが関係している事を知った。でも彼ができたのはそこまでだった。
祝福人など実際にはその存在は奇跡のような確率に近い。日常で出会うことなどなく、あの時はギフト持ちは全て敵だと思いこんでいた。だから次に彼は微かな情報を元に、血眼で祝福人の居場所を探した。そしてギフト持ち同士なら、何か繋がりがあるのではないかと思ったからだ。
やっと手にした情報を元に、ギフト持ちがいると聞いてやって来たスラムには、小さな子供しかいなかった。
砂利の上で彼女はみそぼらしい姿で座り込み、こちらをぼうっと見上げていた。光の少ない緑の瞳が、こちらを覗いている。長く無造作伸びた髪は、それでも綺麗に光を反射し銀色に光っていた。
目の前には殺したいほど憎い、祝福人。こんな小さな子供だとしても、ギフトを持つ者だ。
しかしその目が、息子の瞳の色によく似ていた。伯爵はブロンドだったが、息子は母に似て銀髪だった。伯爵に、彼女の姿が息子に酷く重なったのだった。
それから伯爵は子供を連れて帰り、伯爵家の養子として迎えた。そして名のない少女へローレンスという名をつけた。息子が得られたはずだった《栄光》という名前。ローレンス・アローン。それが彼女の名となった。
履き慣れた黒の短い編み上げのブーツに履き替え、出かけようとしていたローレンスをその祖父、ロダン・アローン伯爵はじっとその様子を見つめていた。そのスカートの下にはあの短剣が隠し持たれているのを知っていた。そしてそれを携帯する意味も。
組織にいる事は、想像以上に危険で死が隣り合わせでもある。この間だって肩を被弾し、下手をしたら命を落としていたかもしれない重症を負った。残るはずであった傷跡は、組織のギフト持ちによって綺麗になんの跡も残らずに済んだ。しかしメンバーのそのギフトは万能ではないらしく、自己回復力に託された。傷跡は消えたとしても、長らく入院して治した中の痛みとその精神的なものは彼女の中に残るだろう。それはこれまでもずっとそうだった。そしてそれをただ見ている事しかできていなかった自分。
「もうやめないか。ローレンス」
伯爵がそう、口を開く。ローレンスが振り向いた。彼女も口を開く。
「でも私は彼を殺した奴らを捕まえなくちゃならないでしょう」
そう話すローレンスは気にもとめていないように外出の準備を続けながら言う。
「お前まで、失いたくはないんだ」
伯爵は彼女を真っ直ぐ見つめて言った。真っ直ぐな切実な表情の伯爵は彼女へ訴える。しかし彼女は曲げなかった。
「奴らを、捕まえるために私はお祖父様に育ててもらったんです」
「私はもうこれ以上、失いたくないんだ」
愛する妻を亡くした。その愛する息子まで、早くに失った。残るのは、孫として引き取った彼女だけだ。老いぼれになってまでこれ以上自分より若い者を独り見送りたくはない。見送るばかりの人生はもう、これ以上――
「ローレンス。お前には普通の令嬢のように幸せになってほしい」
「お祖父様、無理ですよ。どうせ残り少ない命です」
ローレンスは伯爵の目を見てしっかりと言う。まるで自分の命なんてどうでもいいと思う他人事のように。
「ここで死のうが、少し後で死のうが然程変わりません」
平然とそう言った。準備を終え、背中を向けて歩き出した彼女は部屋を立ち去る前に伯爵にこう言った。
「……それなら、意味のある生き方をしたい。意義のあった死に方をしたい。それまで生きた意味がわかるように」
そして最後に振り返った。その顔に、伯爵へ笑みを浮かべた。柔らかくも儚い微笑みだった。窓から射し込んだ陽の光が彼女の銀糸を美しく輝かせる。よく似た翡翠の瞳が彼を見つめていた。
「お祖父様には本当に感謝しています。だからもう十分です。これは私がしたい事だから」
いってきます、とローレンスは告げて家を静かに出て行った。伯爵はやり切れない思いで顔を歪め、手を当てる。
あの日、スラムでみそぼらしく貧相だった少女は、美しく、誰よりも聡く成長した。
ローレンスには幸せになってほしい。
しかしこれは全て自分が招いた事だと伯爵は知っていた。ファクルタースに入れた事だってそうだ。幼いローレンスを利用して息子の無念を晴らそうとした。息子の死の真相を探りたかった。悲しみと憎しみからあの時はただ復讐に駆られていた。連れてきた当初は打算で、その重圧を押し付け、そのまま彼女に背負わせすぎた。
長く家族として共に過ごし、彼女はいつの間にか大事な本当の孫のような大切な存在になっていた。血は繋がらなくとも、大事な孫だ。だからこそ、残された時間を大切にして欲しかった。祖父のためではなく、自分自身のために。彼女に自由を与えられなかった負い目がずっと心に矢のように刺さっていた。一度くらい自分の幸せのために生きて欲しい。そう、自分の孫に思う真っ当な感情だ。
だからこそ公爵に、確実に幸せにできるその覚悟がなければ受け入れるつもりはなかった。しかし、あの日、エドワーズ公爵が伯爵家へ求婚してきた時、彼はこう話した。
『彼女の生きる意味になりたいんです』
彼はよく、彼女をわかっているようだった。捜査や任務のためなら自分の命も厭わない、そんな軽薄さも見えるローレンスが、伯爵はずっと不安で心配だった。彼はそんな彼女をすぐに見抜いたのだ。そしてそんな彼女を止めたいと、本気で思っていた。いや、止める気なのだ。生きるのを諦めている彼女を、愛して共に生きたいと願っているから。だから伯爵は婚約を承諾し、彼に彼女を托した。
彼が彼女の生きる意味となり、繋ぎ止めてくれると信じたい。伯爵はそう、切に願った。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
その日は、ローレンスとカイルは現場で落ち合う事となっていた。
保安局員から別件の報告が入り、待ち合わせ時間に遅れかけそうになったカイルが急いでその場所へ向かうと、既にその姿があったが、彼女はある人物と話していた。思いの外その距離が近く、カイルが怪訝に感じる。顔をしかめているローレンスがその男に口を開く。
「葉巻、クサいんですが」
「……だからお前に会う前に吸ったんだ」
「臭いがこびりついてます」
眉を寄せる彼女が小言を男へ向ける。
「いい加減禁煙したらどうですか」
「今世死んだらな」
ろくに考慮せずその男はそう躱すように適当に返す。しかしローレンスがこんな風に気兼ねなく話す相手を初めて見たカイルは驚いた。その事が余計に気分を悪く感じさせる。
「……アレキサンダー公爵?」
カイルは眉間の皺を深く不可解そうに顔を顰める。彼はその男に見覚えがあった。
「久しぶりだな。エドワーズ公爵」
輝かしい銀髪に、男らしいキリッとした顔に凛々しい立ち姿。カイルと並ぶ公爵家の一つ、ブレット・アレキサンダー。彼はこの国の立法を司る法務局局長だ。カイルとブレットは仕事や立場上顔を合わす事も多く、面識がある。しかしローレンスとのつながりがわからない。
「だいぶ親しいようだが」
「まぁ……そうだな」
これまた説明する気もないのか、愛想もなく気だるく答えるブレット。じろりと彼を見つめるカイルに、ローレンスが面倒そうにさらりと横から説明した。
「私の遠い親戚に当たります」
「……そうか。アローン伯爵夫人はアレキサンダー公爵家出身だったな」
今は亡き伯爵夫人はアレキサンダー公爵家の末娘だった。二人はあの時代にも珍しい恋愛結婚だったそうだ。確かにローレンスと並ぶと親戚に見えなくもない。しかし当然養子であるローレンスは公爵家との血の繋がりはないのだが。
「しかし何故彼がいる?」
「彼はファクルタースの協力者なんです」
「組織の協力者?」
「公爵が祝福人なのはカイル様もご存知ですよね?」
「ああ」
アレキサンダー公爵が祝福人である事は周知の事実だった。彼は自分のギフトについて隠していない貴族としては珍しいタイプである。しかしまさかファクルタースと繋がりがあったなんて思いもせず驚いた。
「彼のギフトは物の重力を自在に操り、浮かせたり動かす事ができる能力です。今回、物が入り組んだ場所を探すのに最適な人物ですので」
「酷い使いっぱしりだよ」
面倒そうにうんざりとクールに答えるブレット。その本人はあまり乗り気ではないらしい。協力はするが積極的ではないようだ。まあ彼も法務局長として忙しい身でもある。当然といえば当然だ。
「さて、では時間も限られているので現場へ行きましょうか」
そのローレンスの言葉の後、三人は彼女の出した大きなボックスに包まれる。そしてまたたく間に姿を消した。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「――埃臭いですね」
首都から少し外れた郊外の一角。ローレンスのギフトを使いやってきた一同は治安部隊が引いていた規制線をくぐり、現場となった倉庫へ入った。現場は遺体がほぼ発見された当初と変わらず保存されているようだ。薄暗く埃っぽい室内にスクラップが無造作に積み上げられた倉庫内を見てローレンスが手で口元を覆う。
「コリン卿が倒れていたのはここか?」
「ええ、近くに散乱していた貴重品の他に、遺体のジャケットに家紋の入ったブローチをつけていた事からすぐに特定されたようだ」
更に奥へと進み、三人がその場所を囲う。コリン卿の遺体があった場所は倉庫の奥、大型の棚やタンスなどが積み上げられたスクラップのすぐ脇に倒れていた。
見た所争って荒らしたような様子は見られない。抵抗はしなかったという事か。
ある程度現場を確認したローレンスが合図するようにブレットへ声をかけた。
「公、お願いします」
「ああ」
頷いたブレットが宙へ手を上げた。するといくつかのガラクタが宙へ浮かび始める。あんなに重いタンスや廃材がいとも簡単に、まるで重力がないように浮かぶ。それは見ていると世にも不思議が光景だった。カイルは目を細める。
「これはどういう意図だ」
「コリン卿のギフトは《記録》。文字を瞬時に物に残して刻む事のできるギフトです。彼ならどこかにダイイングメッセージを残してくれているかもしれません」
問いかけるカイルに彼女が振り向いて答える。なる程、その為に今回ブレットが必要だったという事か。このスクラップの山を探すにはうってつけの人材だ。
話しながら彼女は亡くなった彼を思うように視線を少し落とす。
「書記官として優秀で組織でも高く評価されていたのですが――」
今回こうして命を落とされた。実際彼は実戦向きのギフトではなかった。過去の案件を調べ始めた地点である程度狙われる事も考慮して彼の周辺を注意すべきだった。せめて実戦向きの祝福人がいれば違かっただろう。
一体、彼の身に何が――
「何か書かれてあるぞ」
ブレットの声にローレンスも浮かんだそのスクラップの一部を見上げる。
「やっぱり」
浮かぶ木材の中に刻まれた文字が見える。コリン卿なら何か遺してあると踏んでブレットを連れてきて正解だった。犯人に気づかれないように、やはりスクラップの中の物に彼は文字を残していた。
「これは古代文字か?」
「ええ、万が一他の誰かに見つかっても読めないようにしたようですね」
宙に浮かんだ木材に書かれた記号のような文字の羅列は意味をなさず、カイルとブレットには何が書かれているのかはわからなかった。しかし彼女は書かれていることを理解しているように文字を目で追っていた。
「でも彼にギフトの面白い所は、予め本人が許可した相手には読む事のできる文字にする事ができるんです」
そう言って口角を上げるローレンスにブレットが口を開く。
「それでなんて書いてあるんだ?」
「25年前の事件の再調査に乗り出した事が書いてありますね。ここに来たのはスタンリー博士の知人を訪ねに来たと……そこでローブを被った者に襲われたようです。手を掴まれて、そこから水分が抜かれていくように体が枯れていったと」
「相手は接触型のギフトか。対象に触らないと発動しないようだな」
「対策はできそうですね」
「しかしまたローブの人間か。他の身体的特徴はなさそうだな」
「はい。ただローブにはオリーブと剣ののマークが入っていたと書かれていますね。特徴的だったようです」
「オリーブと剣……」
オリーブは古代から不死の象徴とされる。そして剣は戦いを意味する。不死への戦いを掲げているとでもいうのだろうか。何かのエンブレムだとすると意味を成しているはずであると思っていると、ローレンスが低い苦い声を上げた。
「……まずいですね」
「どうした」
「組織で一部保管していたスタンリー博士の資料が奪われたようです」
「何?」
持ち出していた組織に保存されていた資料は貴重なもので、それぞれギフトの特性などについて彼が長年研究しまとめた一部だった。万が一に備え写しも用意していたため、今回奪われたのはその写しの方であったが、それでも機密文書である。奴らが何に使うのかわからないが、目的は今回奪われた資料だったのではないかと考察する。
「……書かれている情報はこれで全てみたいですね」
「わかったのはギフトの特徴とエンブレム、そして文書が奪われていたという事だけか」
息を漏らす二人の様子にもういいかと聞くブレットにローレンスは頷く。すると宙に浮かんでいた物たちは順々へ重なり合って地面へと戻されていく。そしてスクラップは元あった場所へピタリと同じように一寸の狂いもなく戻っていった。見事なものだった。
カイルはローレンスへと向きこう告げた。
「俺は少し近辺の治安部隊へ連絡を取ってくる。文書については伏せておくが、見落としていた物がもしかしたらあるかもしれない」
「ありがとうございます」
そしてカイルは倉庫を先に出て行き、二人は倉庫内へ残った。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
カイルが離れ、もう一周り倉庫内を確認したローレンスとブレットは倉庫を出た。二人きりになるとまた会話はなく静かになる。
その指に填まるブルーの光を一瞥しながら壁にもたれかかるブレットは、胸ポケットから葉巻とジッポーを取り出してそれと対象的な赤い火をつける。そしてローレンスをちらりと見た。
「しかしお前がまさか誰かと所帯を持つとはな」
葉巻を蒸かしながらこぼすブレット。煙の嫌悪を少々顔に出しながらも、それに彼女は返す。
「婚約はしたとしても、結婚はしませんよ私」
どこか遠くを見て言うローレンス。無意識か指に収まるものに触れ、光に反射したブルーが目についた。
「それでエドワーズ公が許すかな」
「婚約すらするつもりはありませんでした」
だろうな、とブレットは答えた。互いにそれなりに性格をわかっている。そして同じギフト持ちとして、彼女がギフトを持つ彼女自身についてどう思っているのかも。とにかく彼女は必要以上に人を寄せ付けなかった。
しかしそんな彼女が大人しく公爵の婚約者に収まっている。彼も彼女の事を特別に接しているようだった。ブレットは葉巻を外して煙を吐く。何か思案するように。
その後、沈黙を続けた二人の視界にカイルが戻ってくるのが見えた。それを見て、彼はローレンスへこう告げる。
「用は済ませたから俺は帰る」
「ええ、ありがとうございました」
背中を向けたブレットに、カイルがローレンスの元へと駆けつけたところだった。
「公爵、ご足労ありがとうございました」
「ああ、またな」
カイルも軽い別れの挨拶を交わし立ち去るブレットを二人が見送る。
「ローラ、……気張りすぎるなよ」
誰も彼も同じようなことを言う。去り際に横顔で視線だけを向けてそう告げたブレットにローレンスはちらりと視線だけで返事し言葉は返さなかった。
「――さて、では私達も一度戻りましょうか」
現場での収穫はもう十分だ。
そう思って隣の彼を振り向くと、何だか不機嫌そうな様子でムスッとしている。一体何があったというのだ。
「アレは何だ」
「あれとは?」
「公爵が呼んでいた」
怪訝に眉を顰めるも、ああ、とローレンスは彼の言葉を理解する。
「ローラって呼び名ですか。愛称のようなものです。それと組織内や任務では本名を名乗るのもあれなので、ローラという名前で通して使ってるんです」
ローレンスとは元々男性名。女である彼女の名前としては確かに違和感はある。それだけで記憶に残りやすい。それに祝福人である事を隠しているので、任務上貴族である事がバレても不便なだけである。別名を使うのも、それを愛称として使うのもわかった。しかしカイルはまだ気に入らないように顔を顰めている。
「だが公爵が愛称で呼ぶのは何だ」
「一応親戚なんですし別に問題はないじゃないですか。幼い頃からの事ですし」
親戚と言ってもローレンスとは血は一切繋がらない。愛称とは本来特別なものだ。血の繋がりのある家族や、本当に親しい友人、そしてそれこそ恋人だけが使うような。
「俺もローラと呼ぼうか」
「やめてください」
ローレンスがきっぱりと断る。カイルは気に入らずむっとするも、彼女その後にボソリと呟くように口を開いた。
「……それに、気に入ってるんです。名前」
「男性名だが?」
「ええ、それでも」
真っ直ぐに前を向いて答えた。カイルは言葉を止める。言葉の中に何かの意図を感じた。そうはっきりと答えるローレンスに、カイルもそれ以上詮索はしなかった。
その後歩き出すも沈黙になってしまった二人の間に、流石に申し訳なく思ったローレンスが口を開く。
「……まあ、公爵がファクルタースである事を伝えていなかったのはすみません」
「メンバーも機密事項だろう。それは仕方ない」
そうカイルはさらりと返す。その点は理解しているようだ。
「だが彼は協力者ではあるが本メンバーではないようだな」
「はい。ちなみにファクルタースで引き抜きの声が何度かかかっていたんですが、彼はギフト持ちであることの顔が割れすぎてしまっているので無理だったんです」
「……なるほどな」
確かに、彼は祝福人である事を公言しているし、公爵邸にいる時などはギフトを使って書類をまとめたり茶を入れたり使っているのをカイルは見た事がある。普段から当たり前のようにギフトを使うような男では隠密活動は向いていない。
納得するカイルに彼女は更に問いかける。
「公爵の余命はご存じですか?」
「ああ。前に見た事がある。58だろう。本人はあと20年は生きれると笑っていた」
ブレットの年齢は現在31歳。20年あると言ってもやはり普通の人間に比べればそれは短い。しかしそう本心から言えてしまうブレットはある種これも自身だと受け入れているのだろう。
――それにしても、彼は寿命の事をやはり知っていたのか。そう心が陰った時、彼がさらりと皮肉った。
「その前に煙草の吸い過ぎで寿命が来そうだがな」
カイルのその言葉にローレンスがフッと笑った。煙を毛嫌う彼女に合う皮肉だ。
「確かに。そうですよね」
彼は横目でその姿を見る。隣で吹き出して笑うローレンスを見て、カイルは心が穏やかになっていくのがわかった。
ブレットの存在に柄にもなく少し苛立ちを覚えたのはあったが、こうして気を楽に柔らかく表情を崩す彼女を隣にして嫌な気分はどこか和らいでいた。本当に、どうかしている。彼女が公爵と親しくする姿に不愉快だった。誰かに執着し、まして嫉妬するなんて自分では絶対に理解できないものだったのに。
そして今日、その指に贈った指輪があるのを見て確認して少しほっとした。彼女はちゃんとつけていてくれた。公爵家のブルーが彼女の左薬指をマークする。それだけで、ひどく満たされた自分にも驚いたが。単に義理堅いだけかもしれないが、今は彼女がつけてくれているという事実だけで十分だった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
ここで事件は新展開を迎えた。
実はコリン卿の事件に目撃者がいた。街に住むジーナと言う18歳の少女だった。彼女はローブを被った人間に掴まれた人が苦しみながら水分を失っていくその恐ろしい現場を見たというのだ。目撃証言はコリン卿が残したものと一致している。それどころか、それを見た事により相手に消されそうになったと話している。その時は通りかかった人もいて難を逃れ逃げ切れたそうだが、唯一の目撃者である彼女は今後も襲われる可能性が極めて高い。事件の首謀があの組織だとすると、間違いなく現場を見られた彼女を消しに来るに違いなかった。そして既に彼女はあれ以降襲われる事があったという。現在は病院の方で治安部隊により保護され警護されている。そして早速、詳しく直接本人から話を聞くために、ローレンスとカイルは彼女へ会いに病院へ訪れていた。
「怖かったでしょう?」
淡い橙色の短めな髪に、頬に薄っすらとそばかすのある素朴で可愛らしい少女が小さくベッドに腰をかけていた。金属のチェーンのついている首元の赤色のリボンのチョーカーが可愛らしく目を引いた。腕にはミサンガをつけている。おしゃれさんらしい。ローレンスは優しく彼女へ声をかける。
「私はローレンス。彼は治安捜査局のエドワーズ局長。よく話してくれたわね。もう大丈夫よ」
警備隊員を部屋からひかせ、彼女へ微笑みかけたローレンスは後ろにいるカイルを紹介する。彼も愛想のない顔のままだが斜め後ろから首を下げた。女性のローレンスの姿を見たからか、不安そうに見えた少女のこわばりが少し解けた気がした。
「お名前教えてもらえる?」
「ジーナです。……ローレンスさんも治安部隊の方ですか?」
「ええと……そうではないのだけど、まあそんな感じかしら。協力者みたいな……」
「彼女は祝福人で、俺の婚約者なんだ。見慣れぬ警備隊に囲まれて聞き取られていると君が不安だろうと思ってついてきてもらった。ギフト持ちで力にもなれるだろう」
「そうだったんですね……」
二人を見比べほうと頷きながら納得するジーナ。上手く誤魔化したかったのだろうがいらん事まで言うなとローレンスはカイルを見る。
「何があったのか私達にも詳しく教えてくれる?」
「……あの日、知り合いの家で遅くまでお邪魔になってたんです。日が落ちて暗くなってしまって、道は人通りも少なく少し怖いと思っていながら帰っていた途中でした……」
ジーナはぽつりぽつりと話し出す。その帰路の途中、あの倉庫から争うような声が聞こえ、割れたガラス窓から男とローブを被った者が争っているのを見たそうだ。そしてローブの人間が男の首を掴んだその瞬間、みるみるうちに男はミイラのように干からびていったのだと言う。
「息が止まって、動けなくなって……でも、逃げなくちゃって思って、そしたら足元の石を蹴ってしまってその音で犯人に気づかれて……」
その時を思い出しているのか、ジーナは少し震えながらシーツを握る。
「必死に逃げました。それでも追いつかれて、腕を握られて……死に物狂いで振り払って、通りに人影が見えた所で追ってこなくなりました……」
「大丈夫、ありがとう。話してくれて」
彼女の腕には包帯が巻かれていた。包帯から少し見える肌はカサついている。恐らく掴まれた時にギフトを同じように使われたのだろう。至って普通の18歳の少女がたった一人で恐ろしい現場を目撃し、犯人に襲いかけられ、助けもなく酷く怖かっただろう。トラウマになってもおかしくはない。少し震えた声のジーナへ、ローレンスは優しく肩に触れる。
「必ず犯人を捕まえるわ。それまで警備隊が貴女を守ってくれるからもう心配しないで」
微笑む彼女へ、黙り込んでいたちらちらと見つめるジーナがおずおずと口を開いた。
「あの……ローレンスさん達が警護してくれるのではだめですか?」
ジーナがそう不安げな瞳で懇願するようにローレンスを見つめる。
「え? 私? そうね、……それでも――」
「俺達は他にも捜査があるんだ。常の警護につく事ができない。すまないな」
いいと言いかけたローレンスの言葉を遮ってカイルがきっぱりと否定する。そこまではっきりと断らずとも少しぐらいはついてあげられるのではないかと彼女は少し責めるように彼を見た。知らない屈強な男性騎士達に常に張れているのは怖くストレスにもなるだろう。女性のローレンスがいた方が彼女も気を休められるはずだ。ジーナがしょんぼりとしたような顔で表情を落とす。それから不安げに彼女へ今度はこう問いかけた。
「もしかして、しばらくずっと警備隊に囲まれていて自由はありませんか……?」
「どうして?」
「来週、誕生日なので友達がパーティーを開いてくれるっていって……」
「あら、そうだったの! おめでとう、楽しみね。それは大丈夫よ。完璧に自由がないわけじゃないから」
「警備はつくが、日常生活はおくれるように努力する」
「よかった」
ジーナは安心したようにふぅと笑った。その姿にローレンスは安心してくれるようにできるだけ彼女の傍についていてあげたいと思った。
その話の後、カイルは追加でこう切り出す。
「それと――捜査協力を頼みたい。こんな事もありまた現場に向かうのは辛いとは思うが、早急に犯人を逮捕する為是非協力をしてほしい」
事件に関係するとされる犯人はまだまだ謎が多い組織であり、できるだけ情報を集めたかった。酷な事かと思うが、彼女とともに現場へ向かいたい気持ちは大いにあった。ローレンスもシーツの上の彼女の手に重ねぎゅっと握り、ジーナへ頼み込む。
「その時は私達が警護につくわ。貴女の事は絶対に守る。無理にとは言わないけれど、捜査のためにお願いできないかしら?」
「……私に、できることがあれば」
ジーナはローレンスを見てまっすぐ頷いてくれた。再び現場を思い出してしまうかもしれない恐怖もある中答えてくれた彼女に感謝する。彼女のためにも亡くなったコリン卿の為にも、絶対に犯人を捕まえてやると心に誓うのだった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
ガヤガヤと賑わう通り。再び訪れる事となった郊外の街にローレンスとカイル、しそしてジーナの三人でやって来た。人波をかきわけながら通りを進んでいく。
「あっローレンスさん!」
そんな中、人混みに紛れそうになったジーナがローレンスの腕を掴む。
「すみません……流されそうになって」
「ううん、大丈夫よ。ごめんなさい、日程をずらせばよかったわね」
どうやらここ3日間、この地域ではお祭りが行われているらしい。道端には露店や、広場ではマーケットが開かれている。こんなに人通りが多いのは想定外だ。しかし人が多い方が襲われるリスクも少ない。かえって利点にもなる。
周囲にも気を配りながら歩いていたその時だった。
「――っ」
すれ違った人にぞわりと肌が粟立つ感覚を覚えて、はっと後ろを振り返る。しかしその先には人波が続くだけ。怪しい人物や気配も何もなかった。しかし確かに、何かを感じた。
「ローレンス?」
彼女の様子を怪訝に思ったカイルがこちらを見る。
「……いえ、何でもないです――」
「キャァッッ!?!――」
ローレンスがそう言いかけた時聞こえたその悲鳴に振り向くと、ローブの人物にジーナの手が握られていた。
「ジーナ!!」
その声に瞬時に反応し、ローレンスがスカートの下に隠し持ったナイフを取り出して、ジーナを抱き抱え引き剥がし相手へ振り下ろすも相手はすぐに諦めて逃げ出した。路上の人達も悲鳴を上げ混乱する。逃げる男へボックスを発動させるも、そのボックスは形にはならず消えてしまった。またギフトの無効化だ。間違いない奴らの仕業。ちっと舌打ちをうつ。となると協力者がこの中に他にも複数名混じっている可能性がある。この人混みで追うことも襲われたジーナを放っておくこともできず、まずは優先してローレンスは彼女の安否の確認をする。
「大丈夫!? 手は?!」
「大丈夫、です……」
掴まれていた手がカサカサになっていた。皮膚が酷く硬い。水分が抜かれたようだった。しかし深刻な程ではない。ローレンスはほっと息を漏らす。
「これなら治癒範囲内ね。触れていた時間が短かったからかしら。大事に至らずによかったわ」
恐怖がぶり返してきたのか、ジーナはローレンスの手をぎゅっと掴んでいた。安心させるように、ローレンスも彼女の手を包み込む。
一方逃げ出したローブの人物は外階段を伝い建物の上へと逃げていた。群衆から外れたその姿にカイルが懐から拳銃を取り出し銃口を向ける。ローブの人物へ向けて正確に撃たれたその銃弾はその姿を確実に捉えたと思ったが、その弾は奴を撃ち抜かず、カンッと何かに弾かれた。そしてその視界に映ったものにローレンスは信じられないと目を見張った。
「――なにあれ」
ローブの人物を守るように浮かび上がった、やや薄めのオレンジ色をした半透明の宙に浮くボックス。それはローレンスのギフトにそっくりだった。そして新たに出現したボックスの中に囲まれたローブの人物は、そのボックスと共に消えていった。その姿に唖然とする。
「……君のギフトじゃないか」
「……私じゃ、ないです」
「え?……」
眉を顰めローレンスを見てどういう事だと問いかけるカイルに、ローレンスがつぶやく。混乱する通りの中、その言葉に困惑するカイルとジーナだが、彼女はたった今起こった信じられない光景に立ち尽くした。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
白昼の街中でジーナが襲われた事件の後、彼女はより一層警備の厳しい中で保護という形になった。人目がつき油断していたとはいえ、カイルとローレンスがいてこの結果に責任を感じていた。幸いあの時の怪我は軽症であり、ジーナ自身は気丈な姿を見せてはいたが、心にはダメージを負っているだろう。
そして、あの時使われたギフトについても気になる事がある。ローレンスと全く同じ《ボックス》のギフト。彼女はあの光景が頭からずっと離れなかった。
ローレンスとカイルは情報屋である古書店へ訪れていた。今は少しでもいいから何か関わるような情報が欲しかった。古びた古書の独特な香りが鼻につく。ずらりと狭い店内に本棚が立ち並ぶ。
「すごい書物量だな」
「ここには貴重な文献や国内外の記録までありますからね。情報では私達も頭が上がらないです」
「ここなら何か見つかるかもしれないということか」
カイルがそう言いながら本棚に並ぶ書物の背表紙をなぞるように指で撫でる。
ローレンスはその話題に口をつぐんでいたが、ついに零すように呟いた。
「……他の人の《ボックス》を初めて見ました」
「だがギフトが被る事は別にあり得ないことではないのだろう?」
「でもこのギフトはかなり稀なんです。同じように持つ人がいたなんて……」
ローレンスは考え込む。ありふれたギフトならともかく、彼女には自分と同じギフトを持つ者なんていないという確信があった。しかしもし同じギフト持ちだったとして、その人物の寿命は一体いつまでなのだろう。余計な事まで頭に浮かび、その思考を薙ぎ払った。
「それに、あの時少なくともあの場には三人ギフト持ちがいた事になります」
ジーナとコリン卿を襲った人物、そしてギフトの無効化と、ローレンスと同じ《ボックス》を使う人物がいたはずだ。
「……ああ。向こうはかなり本気のようだな。特に君と同じギフトはかなり厄介だ」
「接触型のギフトならある程度対応しようもありますが、遠隔型ですからね。相手の技量がどこまでだかも図りかねますし――それに、私にとってはギフトの無効化も厄介です」
「ああ、それもあったな」
正直自身と同じ能力を持つ者も非常に気になる所だが、実際問題ローレンスとしてはギフトが突然制限されるのが本当に痛い。どうにか対策を建てたいところだ。
棚を見て彼が手に取った書物には、丁度過去存在した祝福人のギフトについてが記載されている物だった。火、水、風などの自然物を操る者もいれば、ヒーラーのように治癒能力を高める者、また他人の思考まで操るものまで、本当に様々な能力がある。目を通してふう、とカイルが息を吐いた。
「しかしギフトは本当に万能だな」
つぶやいた彼をちらりとローレンスが一瞥する。
「過去に祝福人のギフト記録ですか」
「参考にはなるが、本人達もこんな記録まで残るとは思ってなかっただろうな」
ここには有益な情報も集まってくるが、古い貴重な書物も置いてある。それこそ探せば歴史に埋もれた事実などが書き記されたものまで。また、祝福人についての物は他国の恐らく門外不出の機密文書まで揃えていたりする。一体どうやって手に入れたのかいっそ尊敬する。
彼の言葉を片耳に、ローレンスも何か手がかりはないかと、片っ端から載っていそうな書物を手に取って見る。
「時を巻き戻すギフトを持つ者もいましたよ。ファクルタースの保護観察対象でした。彼女は5歳で亡くなりましたけど」
「……すごいな。しかしどうやってその能力があるか知ったんだ? 時間が戻っている事に他の人達は気づかないだろう」
「ファクルタースのメンバーで予知のギフトを持つ者が小さな女の子が時間を巻き戻す姿を見たんです。それでうちが確保し保護しました。まだ小さく、そのギフトも悪用され危険な能力でもあったので」
「その子の両親は? 黙ってはいないだろう」
「彼女は孤児でした。そもそも祝福人は孤児が多いんです。生まれた時から浮かび上がった寿命の数字を見て、気持ち悪がるんです。自分の子だとしても」
ローレンス自身も孤児だったと聞いていた。まさかそんな背景があったとは。この話題はするんじゃなかったなとカイルが思う。
「……自分の娘が時を巻き戻すなんて思わないだろうしな。知っていたら何をしていたかわからん」
「――まあ、神のような能力ですよね」
そうローレンスは答える。手に取った書物は特に目ぼしい内容もなくパタンと閉じた。
その後も手分けをして何か手がかりになる書物や資料がないかを探す。膨大な量の資料の中、諦めず目で文字を追っていると、近くのカウンターから小さく声をかけられる。
「あの兄ちゃん、本質に気づいてないな」
「――聞いてたんですか」
見ると、古書店の店主がローレンスへ口を開いた。
「世の中、ただで万能なものなんてない。制約や代償はつきものだ。俺達だって、そうだろう」
恐らく先程のカイルの言葉が気にかかったのだろう。万能だと言った、彼に。店主が気に触ったのもわからんでもない。ギフト持ちにとってそれだけナーバスな話題だ。自分で望んで得た能力ではない。しかし我々は、縛りを受ける。店主はまるで自嘲しながらも、重く口を開いた。
「神がギフトを与えるというが、短命を哀れんでギフトが与えられたのか、ギフトが与えられたから短命なのか……それは定かではないけどな」
「――本当に、そうですね」
店主の言葉に目を瞑り頷いた。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
その後もローレンスとカイルは書物を漁るも、他に目ぼしいものは見つからなかった。
「すみません。一旦外します」
そんな時、窓の方を見て、何か見つけたのかローレンスがそう言って一度店の外へ出た。組織の電報か何かだろうか。そんな彼女の出ていく姿を視線で追いかけていると、店主の初老の男が声をかけてきた。眉間にシワの寄せられた顔で少し気難しそうな店主だ。
「今までどれくらいのギフトを見てきたんだ?」
「……両手で数える程しかまだ実際に見ていない」
店主の問いに、そう視線を落としてカイルは返した。そしてちらりと彼を視線で見た。
「店主もギフト持ちだと聞いた。書物も読んだが、本当に多岐にわたる能力が存在するんだな」
「……そりゃあな」
祝福人の数だけギフトがある。その可能性も無限にあるのだろう。彼らは稀有な存在だ。
「ただそれが正しく使われればいいのだが」
これまでの事件を思うように零したカイルへ、店主は厳しい目を向けた。
「君はわかってない。祝福人がどんなものかを」
店主はカイルを咎めるようにじっと見つめ、顔をしかめる。
「……どういう意味だ?」
眉を顰めて目を細めるカイルに店主は
「目に見えているものだけが真実じゃない」
「俺に見えてないものがあるとでも?」
問いかけるも、店主は答えずに重々しくその低い声で呟いた。
「ギフト持ちへ軽々しくその話題を出すべきではない。本質が見えていないのなら」
そう言って彼は店の奥へと入っていってしまった。残されたカイルは暫し重苦しい苦い顔で店主の去っていった奥を見つめる。本質とは何だ。何が彼の気に触ったのか。
カイルは店主の言う話が理解できなかった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「明日の夜、彼女を連れてこの前叶わなかった現場検証に行く」
その数日後、今後の捜査について話し合うため再び公爵邸へ訪れたローレンスはカイルからそう告げられる。もちろん彼女はすぐに反論した。
「でもジーナは今も狙われている最中です。そんな隙を見せれば奴らの格好の的になります」
「奴らが姿を見せればむしろ好都合だろう。普段ならどうやったって出てこない連中だ。だろう?」
カイルの言葉に目を見張り、それから眉を顰めた。
「……ジーナを囮に使うって言うんですか」
「時には必要な決断だ」
カイルはそう断言する。納得していないローレンスへ更に彼は続けた。
「深夜なら人の通りもなく、万が一が起きたとしてもギフトも人を気にせず派手に動ける。それに事件が起こった当時の状況にも近い」
「危険すぎます」
二度目に襲われた時は我々がついていたのだ。それでも隙をつかれた。そしてまだ解決策もないギフトの無効化の能力者のいる相手にはこちらがかなり不利になる。
「それに彼女にだって負担です。二度も立て続けに襲われたばかりなのに……」
「既に彼女には了承を取ってある」
ローレンスが反発すると思って先回りしておいたのか。強引だ。
不服そうな顔のローレンスに、カイルは小さく息を吐き少し表情を緩めた。
「……君の言いたいことはわかる。だがこれは彼女一人の単純な話じゃないだろう」
「……ええ」
カイルの焦る気持ちもわからなくない。まして彼は国の保安のトップだ。自分が守るこの国で危険を及ぼすような存在が蔓延っている許せないのだろう。仕事人間には違いないが、正義感が強いことは、これまで短いながらも一緒に過ごしてきてわかっていた。
「必ず解決させよう」
「……はい」
強い誓いに、ローレンスは頷いた。
――そうして公爵家を出た彼女は馬車に揺られながらまた無意識にその指におさまったものに触れていた。
あれから彼に貰った指輪を律儀に薬指へつけていた。別に常にしている必要はないのに、何となく、つける事が習慣になっていた自分がいた。歴史あるエドワーズ公爵家に引き継がれる重みを感じていたのもある。粗末には扱えないし、かと言ってずっと仕舞いこむのも躊躇われた。だから、つけている、そう自分に納得させ落とし込んでいた。
信念に真っ直ぐで、直視できないように彼は時に眩しく映る。
彼と同じ深く鮮やかなブルーを見ながら、ローレンスは自分でもよくわからない想いを感じていた。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
前回とは打って変わって真っ暗闇の中不気味なくらい静まり返る街。普段は閑静な住宅街の地区でもあるし、コリン卿の事件があった事で夜はやはり住人達も警戒しているようだ。ローレンス、ジーナ、カイルは薄明かりの通りを歩いていた。ジーナには今回、危険が及ぶかもしれない事は十分に伝えてある。また奴らが現れ彼女を襲うかもしれないと話すも、彼女は強い意思でそれでも協力してくれると言ってくれた。
「ローレンスさん……」
不安からか、ジーナがきゅっとローレンスの手を握る。
「……大丈夫。貴女の勇気は無駄にはしないわ」
こんな夜中に、しかもトラウマを蘇らせそうな場所に来てくれた彼女の勇気に敬意を払いたい。ローレンスも彼女の手を握り返した。
「――後はどこから現れるかだな。まあ現れるに越したこともないが……」
「奴のギフトは近距離で接触しないと使えません。その点を考えれば――」
その瞬間、パンッと銃弾がローレンスの頬を掠めた。バッと振り返ると建物の上からこちらへ銃口を構えたローブの人物の姿が月越しにボックスと共に現れたのが見える。
「――屈め!!」
パンパンと銃弾を数発撃たれる中、叫んだカイルはジーナを引き、ローレンスは反対へそれぞれ銃を躱すように駆け出す。その中で銃撃が追いかけてくるのは何故かローレンスの方だった。降りかかる銃弾を躱す隙に男へギフトをかけようとするも、形になる寸前でボックスは消えた。ここでも無効化が使われている。――しかし、自分たち以外の気配は妙にしなかった。
物陰に隠れるとカイルが銃を取り出し相手へと発砲する。しかし応戦するかと思いきや相手は逃げに入った。躱すように走り、回り込もうとしたその先は――ローレンスの死角をなくす方向だった。
――標的はジーナじゃない。
「狙いは私だ!!」
気づいた彼女が声を上げる。
そしてジーナとカイル達から離れようと走り出す。ジーナが止めるように駆け出そうとしたのが見えた。
「ローレンスさん!」
「カイル様はジーナを頼みます!!」
そう声を張り上げ、できるだけ遠くへと走るローレンスは建物上後方から相手が追ってきていることを確認した。
パン、パンッと銃弾が顔や足元を掠める。しかしギフトが使えないこちらは丸腰の状態。このまま逃げ続けるのも分が悪すぎる。彼女が上に上がり接近戦へ持ち込む事も考えるも、相手は接触型のギフト持ち。こちらの分が悪のも変わらない。
物陰に隠れて伺うも、相手も建物の上から降りてくる様子もない。しかし動けば撃ってくるため、向こうは何がなんでも今遠距離戦で仕留めてしまおうという魂胆らしい。このままでは埒が明かない。一か八かにかけ、距離を詰めるか。
駆け出すローレンス。それを追うように降る銃弾。相手のいる建物側へと渡りきれそうだったその時、避けきれない方向へ銃口が向けられたことがわかり、ローレンスは反射で使えないギフトをかけるると、ボックスは難なく出現し、その銃弾を既で彼女から弾いた。ローレンスは目を見張る。
そう、ギフトが使えるようになっていた。
そして瞬時にローレンスは相手へボックスをかけた。動きを制限し完全に包囲する。止まぬ銃撃は止まった。張り詰める神経の中一瞬ほっとするが、ローレンスは警戒していた。
――おかしい。何故相手はギフトを使ってこないのか
本人のギフトが至近距離の接触型だとしても、今までいた援護側の人間がギフトを攻撃として使ってこないのは妙だ。少なくともローレンスと同じ《ボックス》は使えたはず。
まあ問い詰めればいいと彼女は外階段から屋上へ向かっていると、上からバンと銃声が響いた。その音に走る。そして、足を止めた。
着いた先で、ボックス内でローブを被っていた男は自決していた。ローレンスは目を見開く。
自身の銃で頭を撃ち抜いたらしい。何故、こんな事を。ボックスを解除し、そして彼女はある事に気づく。ローブにはコリン卿が残したエンブレムがどこにも入っていない。
「ローレンス!」
「大丈夫ですか?!」
その時下の方から聞こえてきた声に振り向くと、後ろから心配するカイルとジーナが追ってきていた。二人とも無事のようだ。
ローレンスは妙な違和感と胸騒ぎを覚えていた。
現場を見られたとはいえ顔も見られていないジーナをリスクを冒してまで消す理由は何だ? 他大勢の大衆に見られてまでするほどの事か?
それはずっと疑問に思っていた事だ。それに今回、奴らがローレンスへ執着した理由は何か。そして途中から他のギフト持ちの援護者も見られなくなったのは何故だ。
――そもそもこの男は祝福人であるのだろうか
そしてローレンスははっとする。ずっとくすぶっていた違和感がはっきりとした。
「あの男はフェイクです!」
大きく声を上げる。
「カイル様! ジーナから離れて!!」
ローレンスの叫びのその気迫に何事だとハッと隣のジーナへ目を移した瞬間、ガシッと手首を掴まれる。そして手袋と袖口から彼女の指が少し触れた素肌から急激に痺れ軋むように感覚が失われていく痛みを感じた。
「!っ――」
袖口から見えた腕がみるみるうちに水分が失われていくようにカサついていく。同時に体内に流れる血液も奪われていっているようで、くらりとした。
これはコリン卿がやられたギフトだ。不味い、と瞬時にカイルは彼女の手を振り払う。
「やめなさいジーナ!」
地上へ降り立ったローレンスはギフトで彼女の両手両足をロックした。
「っ――くそッ!」
しかし彼女を拘束したローレンスのギフトが消える。無効化のギフト。その瞬間にローレンスが叫ぶ。
「カイル様、ミサンガを切ってください!」
だが今度はカイルがその一瞬の隙を逃す事なく、ローレンスの言葉通り彼女のミサンガを切る。彼女は咄嗟に拾おうとするも、その前にカイルがジーナへ剣を突き立てた。
「動くな」
剣のリーチで彼には触れられない。幾度と死地をも乗り越えて来ているこの国の防衛のトップの鋭い眼光に、ジーナは怯んだ。こうなればもう逃げられない。
「……貴女だったのね」
歪める顔のジーナへカイルと挟み込むようにローレンスが近づく。
「能力は――《ギフトのコピー》」
ローレンスの言葉に、ジーナは動ぜずじっと彼女を睨みつけていた。
「おかしいと思ったのよ。見た事のあるようなギフトが、しかも決まって貴女がいる時に発動されていた。それに貴女を奴らがあんなに人がいる場所で狙いに来るかって。奴らなら一人でいる時を狙って確実に息の根を止める。あれは狙われているというポーズを取りたくてわざと仕組んだ事よね? でも、本当の狙いは私だった。最初から私をおびき出すためだったのね」
「……なる程な。やっと理解できた」
カイルが口を開く。ローレンスと別れジーナと二人になった時、攻撃がパタリとやんだ。それまでも受けた他のギフト持ちからの攻撃もまったくなくなった。気配さえない。……いや、それはむしろ最初から。不自然な程に。
「油断したところで私を狙おうとしたのよね? それも、あのローブの人物にやられたと思わせてひっそりと」
「だが基本彼女といる時は俺も一緒だったから隙がなかった。本当はふた手に別れる時も彼女と一緒に、二人きりになりたかったんだろう?」
ぐ、とジーナは黙り込む。
「そして貴女は頻繁に私の手を取った。あれは恐怖からくるものじゃない。《触らなきゃいけなかった》から。そうでしょう?」
彼女は時折ローレンスへ触れてきたが、それは恐怖からくる行動だと思っていた。しかし、そうではなく意図があったのだとしたら――そう考えたら今までの出来事がとても腑に落ちた。
「ギフトの発動条件はコピーするギフトを持つ者の体やその一部に触れる事。それにコピーのストックはできない。他のギフトをコピーすれば前回使ったギフトはリセットされ、もう一度その前に使ったギフトを使うにはまたそのものに触れなくてはならない」
「……だったとしたら何? 私は他の人になんて触れられるタイミングはなかったはずよ。あなた達と一緒にいたんだから無理でしょう?」
「ギフトの無効化の能力は恐らくそのギフトを持つ者の髪の毛に触れてコピーして使っていたんでしょう。例えばそのミサンガのような」
そう言い当てると、ジーナの顔が歪んだ。図星だ。カイルに切り落とされたミサンガに目を落とす。ミサンガの編み込んでいる糸が、そのギフトを持つ祝福人の人毛か何かなのだろう。もちろん体内水分を抜き取るあのギフトも同じ原理だろう。だから突然ミサンガを切れと言ったのか、とカイルは静かに納得した。
「どうしてこんなことをしたの? 貴女達の目的は何?」
ローレンスは彼女へ問いかける。俯いた彼女の表情が一瞬、削げ落ちた。
「――どうして、ですって?……」
そう零した時、突如キッと凄い形相でローレンスを睨みつけるジーナ。
「こんな事したかったとでも思ってんの?! 心を殺して、感情を殺して、私が必死でどんな思いでいたかわかる?!」
そして彼女は突然悲痛な叫び声を上げた。その意味がわからなくて、ローレンスとカイルは困惑し彼女を見つめる。
「縋るしかなかったのよ!! もう残された時間が少なかったから!」
「……どういうこと?」
「アイツらは祝福人の寿命はなくせると言ったの。救えるのは自分たちしかいないって言ったのよ。生きたいなら自分達につけと」
「待って、話が――」
「好きでなったわけじゃない! 生きるためだった!」
一旦止めようとするも彼女はそう叫んで言った。切羽詰まった顔に、嫌な予感が横切る。
まさか――とローレンスは目を見張った。
「貴女――」
「私だってこんな能力欲しくなかった!! 普通に生きたかっただけなの!! ただ皆と同じように、普通に!」
その目には涙が溢れていた。
「どうしてっ……どうして私が……っ!」
その時顔を覆った彼女の首からはらりとチョーカーが外れる。それが解けて見えた彼女の首には、確かに19という数字が刻まれていた。カイルも目を見張る。
『来週、誕生日なので――』
そう話していた彼女が蘇る。そう、それが今日。
あと数分で日付が変わる。――今は何時だ。
その時、帝都の中央広場の大きな時計台が鳴った。
ローレンスはハッとする。しかしもう手遅れだった。
彼女はゴフッと血を吐いた。そして崩れ落ちる体を既のところでローレンスが向かって抱きとめた。肩で息をするジーナは振り絞るような力でぎゅっとローレンスの腕を掴んだ。
「最後に、教えて……あげる……」
「ジーナ?」
驚き眉を寄せ覗き込むローレンスに、ジーナは真っ直ぐ彼女を見て続けた。必死に紡ごうと、伝えようとしていた。
「組織の名前は《ラクナ》」
「ラクナ……」
ラテン語で『空隙』を意味する言葉。長年ファクルタースも追っているのに、その存在目的もおろか名前さえ知らなかったその組織。貴重な情報にローレンスは息を詰める。
「私が奴らに手を貸したのは、奴らがギフトの寿命についての研究をしていたから……でも結局……」
ゴフッと彼女は更に吐血する。あまり無理しないで! とローレンスが心配し彼女を抱き寄せる。ごめんなさい、こんな事をして、とジーナは懺悔するように震えた声でつぶやいた。
「奴らは……ギフト持ちについて研究してる……寿命や、ギフトの受け渡しについて……目的が、あって……」
「何のために……?」
「奴らは、神を作ろうとしてる……全知全能、の――」
ふっと糸が切れたように力なくだらんと腕を落とした。全てが、こと切れた。
闇夜の中でローレンスはぎゅっと、静かに彼女の体を抱きしめた。
ただ当たり前のように、普通の人になりたいと願った彼女。何も特別なことは望んではいなかった。望んだのは平凡な日常。
ギフトは、祝福なんかじゃない。彼らは望んで手に入れたのではない。一方的にかせられた呪いのようなものだった。
ローレンスは小さく顔を歪めた。
この能力が本当に神から贈られたものであったとしたら、神は本当に残酷だ。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
静かに動かなくなった彼女を横たわらせ、カイルと二人、眠る姿を見つめていた。
「奴らに利用されていたんですね」
祝福人の宿命である短い命。生まれた頃から死が運命らている事が、どんなに恐ろしい事か。それは本人達にしかわからない。
彼女は命を人質にかけられていた。必死に生きたい思いで、縋るような思いで奴らの言いなりになっていたのに、結局要らなくなれば使い捨てられただけだった。生きたいという思いに漬け込まれ、弄ばれたのだ。
「非道な奴らだ」
奥歯をぐっと噛み締める。利用されていいものじゃない。生きたいと思う意志は切実だったのだ。まだまだ彼女にはやりたい事があっただろう。余命が19歳なんて、どれだけ悲痛な思いだったのだろうか。
その時ずっと口を閉ざしていた、ふと後ろに立つ彼を見上げる。初めて見る祝福人の最期は彼には衝撃的なものだったはずだ。恐らく今まで思ってもみなかっただろう。こんな呆気なく命を燃やし終わってしまう事に。
「これでわかったでしょう。祝福人はだた寿命を迎えるだけで終わる訳ではありません」
今目の前で起きた事実を前に茫然とするカイルに、ローレンスが口を開いた。
祝福人の余命は厳格なものだ。余命の誕生日を迎えたと同時に、その命が尽きる。まるで電池が切れた人形のように。
その姿を普通の人間が初めて目の当たりにするのは、大層衝撃だっただろう。
「……そうなんだな」
なんとか言葉を返したカイル。彼の姿を見て、ローレンスは小さく、零す。
「言ったでしょう。祝福人には短い寿命があると」
ゆっくりとこちらを向いたカイルと目があった。
「それぞれの持つ能力によってその寿命は違います。より強いギフトを持つ者は、与えられた寿命も短い」
じっと彼を見る。彼はその言葉をどう受け止めているのだろうか。なんとも形容し難い複雑に入り組んだ顔をしていた。
人並みの幸せを掴み、普通の人と一緒に生きる未来など難しい。祝福人に与えられた時間は極わずかで、有限だ。限られた残り少ない命の中一緒になるなど、荷物になるだけだ。共に過ごせば少なからず妙な情を抱いてしまうかもしれない――彼の枷になりたくなかった。だから共に生きる事はできない。
ついに、彼女は溢れ出るように口にこぼした。
「――私も一緒です」
彼女は視線を俯いたまま、彼の表情はわからない。それでもこぼれ出した言葉は、止まらなかった。
「私の命は、25歳までです。だからこの先を生きることはできません」
カイルの顔は見ずに。
諦めたように、そう悟ったように零した。
「もう残り僅かなんです」
ジーナの姿は、近いうちの自分の姿であり鏡だ。ずっとわかっていた。覚悟してた。だから夢なんて見ない。未来なんて語らない。
どうせ死ぬ。
これできっと、納得するだろう。彼女は切なく彼を見て嗤った。その彼の姿は――
「そうやって諦めるな」
低く、そう喉の奥から絞り出すように呟いた。
瞳に映った彼の姿を見て、驚きに目を見開いた。思わず息を止めてしまいそうだった。彼の顔は酷く歪み、怒りと、言い表せない表情に何故かこちらが胸を締め付けられそうだった。
「約束しただろう!! 俺が幸せにしてやると!」
カイルはそう声を上げる。許さないと、責められているような気分だった。
「そう言って、君は今にでも消えてしまいそうじゃないか」
「っ――」
生きることに執着のないローレンスの本質を見抜いて突いているカイルに、彼女はびくりと固まり息を詰まらす。
彼はそっと近づいて力強く彼女の肩を掴んだ。
「俺が必ず幸せにしてやる」
その言葉にローレンスの瞳が揺れる。動揺するのを見せたくなくて、彼女は俯いた。
「でも、私は……」
「賢く聞き分けのいいようなフリをするな。君はただ、悟って賢いフリをして、悲劇ぶったように諦めてるだけだろう」
彼の言葉に顔が歪む。じゃあ、どうすればいいのか。どうしたらよかったのか。そう、彼を見た時だった。
「そのギフトを解く方法を探してやる」
物凄い気迫の彼に、思わず息を呑んだ。諦めるつもりなど、手放すつもりなど毛頭ないと言ったような顔だった。しかしローレンスを見つめるその瞳に、強烈に惹かれた。
「いや。例え、あと数年しか残されていなかったとしても、共に過ごしたい。後悔が残るような生き方はするな! 最後まで生きろ」
その言葉がローレンスの心に響く。生きることを諦めたわけではないと思っていた。しかしそれは彼からしたら死にゆくことと同じだった。最後まで生を全うしてほしいと願ったのだ。まだ残された時間はあるのだから。そして、自分もそこに、共に生きたいと。
世界中にまるで自分たち二人しかいないような静寂が包む。
真っ直ぐに、その深く青い瞳はローレンスだけを見つめる。そして力強く、言った。
「俺と一緒に生きるんだ。ローレンス」
どうして、このひとは
ローレンスは涙が溢れそうになった。何故だかとても泣きそうになる。
――『だから、俺が生きる理由になろう』
どうしてこの人の言葉はこんなに心強いんだろうか。どうして、私の心をこんなにも揺さぶるんだろうか。勝手で、強引で、自分よがりにも思えるのに、それが欲しかった言葉のように聞こえてしまう。
どうでもいいと思っていた。どうせ決まっていた運命だ。
でも、この人が隣で笑う姿が浮かんでしまった。それは暖かく、満たされていると感じてしまった。見れない未来を馳せるなんて今までなかったのに。本当は諦めたくなかったのだと、悟った。
「――っふ……」
初めて、この運命を恨んだ。
死にたくないと、彼と一緒にこれからも生きたいと思った。
「俺と、生きてくれ。ローレンス」
優しく抱きしめられたその胸に顔を埋めた。こんな事で、未来がきっと変わるわけじゃない。運命られた予想する未来はすぐに来る。それでも見てみたい。生きてみたい。共に過ごすこの先を、馳せてみたい。そう願いながら、二人は静かに抱きしめあったのだった。
END
最後までお付き合いくださりありがとうございました!
こちらのローレンス・アローンシリーズは連載版として、近日また別途連載をしていきたいと思っております。また大きくお話が動き、続編から改変と加筆修正させて頂き連載させて頂こうと考えておりますので、よろしければまたお付き合い頂き応援して頂けたら嬉しいです〜♡
7/29 連続版の更新始めさせて頂きました!よろしくお願いします(*^^*)♡
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