第八章
鬼は戦うことしかしない。
鬼は牙を向ける事しか知らない。
鬼と人が相容れることは無い。
鬼と人が、分かり合うことは無い――。
――我が肉親を……よくも……。
煮えたぎる怒りが全身を支配する。血が沸騰し、破壊の衝動だけが手足を動かす。
刃を振るうことだけが快楽となる。血を見ることが何よりの喜びとなる。
何も考えなくていい。何も感じなくていい
ただ、破壊の衝動に身を任せていればいい。
現実から逃げ、悲しみから逃げ……。
そして、全てを忘れ……。
「む……。」
寝返りをうって起きると、目の前に座敷童がこちらの顔を覗きこんでいた。昨日の任務を終えて疲れた為、すっかりと眠り込んでいた。
「……っ!」
座敷童が隠れてしまう。シクナは体を起き上がらせるが、どこか疲労が溜まったままだった。座敷童が箪笥の影から不安げな表情のままこちらを見ている。
「………。」
自分の顔を見つめ直すシクナ。過去の忌まわしい夢を見ていた所為か、どこか苦い表情だ。鬼の面影が出ている……。
そして、顔洗うために着替えると、そのまま部屋を出た。
「………。」
城の外で顔を洗っていると、祭殿の間の灯りが灯っていることに気が付く。
そちらへと向かうと、ヒユネ様が未だに座って祈りを続けているのが目に入ってくる。
「……。」
邪魔をしてはいけない……。そう思い、シクナはその場を後にしようとするのだが……。
――………。
ヒユネ様の様子を見る。魔力が乱れている。顔色も良くない。あまり眠らずに祈りを続けていたのだろう。その細い腕が、ますます痩せ細っているように見えた。
「ヒユネ様、おはようございます」
「シクナ……。居らしていたのですか? おはようございます」ヒユネは驚いて顔を向けた。
「ヒユネ様、少し気を貼りすぎるているような気がします。休まれては如何ですか?」
「私は大丈夫です。それよりも、戦っている貴方達の方が状況は切迫しています……」
その物言いに、なんと言葉を返せばいいのか迷うシクナ。
「私は鬼です故、不安などとは無縁です。しかし、他の者達は貴方が無事で居てくれなくては、もっと不安ですよ」
「……すみません。貴方達にも多くの不安を抱えさせてしまっていますね……」
「………。」
苦笑するシクナ。まるで自分の責任だと言わんばかりの勢いだ。
これでは、ヒユネ様を追い込むだけだ。
どうしたものかと考えるシクナ。
鬼の自分には、こんな時に掛ける言葉は思い浮かばない。
鬼の自分には――。
「………。」
そこでシクナはヒユネに近寄り、治癒魔法を掛けようとするのだが。
「シクナ……?」
「難しいですね……やはり……」
目の前に差し出された手を見て、ヒユネは不思議に思う。弱々しい魔力だけが発せられている。何らかの魔術を使おうとしているが、発現していない。
それに、シクナは苦い笑みを浮かべていた。
「私は鬼です故、人を助けるには向いていません。精霊術がまるで使えませんからね」
この祭殿の間でさえ、精霊術が使えない。討士ならば当たり前のように使えるはずの治癒の魔術が使えない。
「私も、ヒユネ様のように皆を支えられる存在になれたら良いのですがね……。そうすれば、ヒユネ様の重荷も担えるのですが……」
「シクナ……。」
ヒユネは、その言葉からシクナの悲しみが伝わってくるようだった。
「父上に言われました。皆を支えられる筆頭としての自覚を持て、と……。今がその時だと……。ですが、私には荷が重いですな……」
シクナは思い返す。これまでの自分の過去を――。
「鬼に出来るのは、敵を滅ぼす事だけ……」
鬼に出来るのは、牙を向けることだけ。
鬼に出来るのは、滅ぼす事だけ。
鬼と人は相容れない――。
これが、昔からの鬼の言い伝えだ。
「シクナ……。まだ昔のことを……」
その話を聞き、ヒユネはシクナが討士となって間もない頃を思い出す――。
彼は隊長として兵員を率いて妖魔の討伐に向かったのだが、危うく死者を出してしまい兼ねない被害を負ったのだ。
鬼の血に飲まれ、部隊の被害に目を向けなかった、と――。
それから、シクナは単独や少数での行動をするようになった。周りが見えなくなった自分に、隊長の資格は無いと……。
そして、その以前にも、シクナ鬼として人々から忌み嫌われ、恐れられていた過去がある――。
村から追われ、人々から追われ……シクナは一人で生きていた。
「私は弱いです故。どうにも荷が重い責務からは逃げてしまう癖があります……。その点、ヒユネ様は大したものです。その歳で、この笹澄の全てを背負っておられるのですから」
シクナは、そう言って励ました。その重責を肌で感じていた。
とても重いはずだ。人ひとりでは持てる重さでは無いはずなのに……。人ひとりどころか、この国すらも支えている。その若い身の上で……。
「ヒユネ様、戦うことは簡単です……。ただ感情に任せて刃を振るえばいいだけです」
「シクナ……」
その言葉に、ヒユネは表情が変わる。
「何も痛むことはありません。何も苦しむことはありません……。」
シクナは思い出す。
何も感じず、何も苦しまず……痛みすらも忘れる。
衝動に身を任せれば、鬼の血に飲まれれば、全てが楽になる。
悲しむことも忘れて――。
「貴方のしていることは、とても難しい事のはずです。"戦う事"以上に難しいはずです。ですから、決して比較するような無理はしないでください。兵士達は兵士、貴方は貴方です」
「………。」
そんな話を聞くヒユネ。シクナの表情を見る。
「鬼の私とは違って、貴方は人なのですから」
励ますように明るく振る舞い、話すその表情――何も感じていないように振る舞うその姿は……。
なぜこんなにも悲しくなるのだろう。
どうして、寂しくなるのだろう――。
「貴方は貴方です……シクナ。例えどんな存在でも」
「……有難うございます、ヒユネ様」
笑みを浮かべるシクナだが――ヒユネはそれがとても悲しく感じていた。
本当に何も感じていないように振る舞う。だけど、何かが違う……。
「貴方は傷を負っているのですね……シクナ……」
「傷……?」不思議に思うシクナ。
「見えない傷を、手に出来ない傷を……」
ヒユネは思い返す。今までに見てきた、深く癒えない傷の事を――。
「その傷を癒やすことが出来れば、きっと世はが平和になると思うのですが……。私には、まるで為す術がありません……」
ヒユネは、真剣な表情で話す。この炎に包まれた世界の事を……。血で血でを洗う世のことを……。
「人の中に広がる憎しみの火……。それを癒やすことが出来るなら……きっと世が変わる。明るい世が来る。私は、そう信じているのです……」
ヒユネは、先のことを思いながら話す。誰もが平穏に笑って暮らせる世界のことを……。
「それが、私の夢なのです……」
その言葉を聞いて、シクナは驚くしなかった。
まさか、ヒユネ様がそんな壮大な夢を持ったいたとは思ってもいなかった。
「……良い夢ですね。この世を癒やす巫女とは……想像もしていませんでした」
微笑むシクナ。戦乱の火が燃え上がるこの世を、ヒユネ様は治そうとしている……。
憎しみを抱くこの世界を……。
「ですが、とても遠い道のりです……。人一人の心すら癒やす事が出来ません……。」
ヒユネは、俯いたまま話す。見えない存在に手を添える。
目に見えない傷、手に出来ない傷――。それはどんな風に治せばいいのか、治癒すれば良いのかも分からない。
多くの血が流れているはずなのに、それを見ることが出来ない……。
見失ってはいけないはずなのに……。とても大切な物のはずなのに……。
どれだけ探しても見つからない。この地の神ですらも、答えてはくれない。
「あなたの心すらも、癒やすことは出来ていません……」
「私は十分癒やされておりますよ。ヒユネ様」
笑顔で答えるシクナ。シクナにとっては、気を使って貰えるだけでも十分だった。
鬼の自分には、それだけでも十分すぎる程だった……。
「……やはり不思議ですな。人と言うのは……」
「そうですね……。私もその複雑さに、迷い、彷徨っております」
ヒユネもその言葉に同意する。
ずっと何年も前から……その複雑で曖昧な存在に迷っている。
一言では言い表せない程に複雑で、繊細……。
本当に存在するのかも分からなくなる時がある。雲のように消えてしまう瞬間だってある……。
目に見る事が出来ればと……触れる事が出来ればと何度願うも、それは叶う事はなかった。
「私の夢は、竜を従えることです」
「え……?」
唐突なその言葉に驚くヒユネだが、シクナは笑いながら続ける。
「ははは。突拍子も無いですな。幻の生き物で現実には存在しないとされていますが……。しかし、この魑魅魍魎が溢れる世の中、どんな生き物がいても不思議ではありませぬ。私は竜はいると信じております」
「大切にしてください……。あなたの夢を……。どんなに途方も無くても……。」
笑みを浮かべるヒユネ。きっと良いことだ。夢を持つのは……。
希望の光を、胸に宿すことは――。
人として、とても大切な事だと思うから……。
「恥ずかしいですな。こんな寝言のような夢を」
「……人間らしい良い夢です」
そう言ってヒユネは笑みを向けるのだった。
「………。」
シクナは城の中で護衛を続ける。殆どの兵士は全て城外へと出てしまっているが、今は何が起こるか分からなかった。瘴気が強まっているとの指摘がヒユネ様から出それているため、城の警備も手薄だった。
静かに警護を続けるシクナ。
廊下を挟んで建っている祭殿の間では、ヒユネ様が今も居座りながら心通を続けている。
すぐにでも駆けつけられるようにシクナは、隣の室内で座り込んだまま警戒を続けていた。
「………!」
その時、森の方から信号の煙が上がるのを確認する。誰かが救援を要請している合図だ。
シクナは刃を手に取る。しかし、今はヒユネ様の警護が自分の役目だ。自分が救援に出る必要は無い。
そのまま、城の警護を続けようとするシクナだが――。
そこへ突如としてヒユネ様が扉を開けて現れる。
「……シクナ、貴方はすぐに皆の護衛に向かって下さい」
その言葉に、シクナは驚いて立ち上がった。
救援の信号を千里眼で察しているようだ。
「い、いけません、ヒユネ様! 護衛が手薄になってしまいます……!」
周りに居た巫女達が止めようとするが、ヒユネの意思は変わらなかった。
「シクナ、貴方の力は必要です。今は忍びの気配はありません。貴方は救援に向かってください」
「……なぜに、そこまで私を?」
そう尋ねるシクナ。ヒユネ様は無理矢理にでも、自分を援護に行かせようとしている気がしていた。
「貴方の力は、"人を守る為"に必要です。貴方の力は、皆を守る為に使うのです。ですから、一刻も早く助けを」
「……分かりました」
そうして頷くシクナ。ここはヒユネ様からの指示に従う。父上には、何があっても城を離れるなと言われているが、ヒユネ様からの命令とあれば無視も出来ないだろう。
「………。」
その場所へと向かうシクナ。信号を発した場所には、自分が一番近いようだ。
ヒユネ様は、信号弾が上がる以前に、仲間の危機を察していたようだった。
すぐさま馬に乗り、駆け付けるシクナ。信号が上がった場所へと辿り着く。
森の中へと入り込むと、そこでは討士が戦闘を続けていた。
「援護する」
「助かった……!」
討士達の援護に向かうシクナ。確かにそこには魍魎と妖魔が混在していた。
三人で立ち回るには、不利が嵩むだろう。
「………!」
シクナが刃を振るう。魍魎は影のような形をしている。妖魔は、それに取り憑いた巨大な蛙の風貌をしていた。牛蛙の妖魔だ。
「キシャアアア!!」
瘴気の強い魍魎だ。シクナは刃を交えていくが、その勢いは強かった。
同時に妖魔の蛙も暴れており、勢いは増してくる。
「………!」
戦っていると、過去の記憶が蘇る。
あの時――部隊を率いて戦っていた自分は、血に囚われた余り、周りが見えなくなった。
結果、部隊を機能不全になるまで陥れてしまった――。
「っ!」
鬼の血を使わずに、シクナは戦う。
あの時、鬼の血を使った時、自我を失いかけた。
――………。
自分の中に鬼は確かに存在している。気付けば、ただ破壊することに囚われた。目の前の敵だけに囚われ、味方のことなど目に入らなかった。
その結果、自分は――仲間を負傷させてしまった。
「っ……!」
目の前の妖魔のカエルに向けて、刃を構える。
『逆雷!《さかいかづち》』
術を唱えて刃を地面から薙ぎ払うと――地面を伝い、天に向かって雷が迸った。
逆さに落ちる雷が、妖魔の蛙を撃ち抜いた。
そのまま、妖魔の蛙は燃えるように煙となって姿を消した。
「……仕留めたか」
シクナは、すぐに周りに居る魍魎に刃を向けるが、すでに他の討士が魍魎を仕留めている所だった。
「助かった。感謝する」魍魎を掃討した討士は刃を収める。
「無事で何よりだ」
シクナも刃を納める。他の討士達が、負傷した討士の治癒を始める。
シクナは、ただ黙ってその様子を見ることしか出来なかった。自分には精霊の魔術は使えない。
「………。」
鬼の自分には、敵を倒すことだけ――。
鬼は人を救うことは出来ない。鬼と人は相容れない。そんな鬼の言い伝えだけが、シクナの脳裏から離れなかった。
まるで呪詛のように……。
「サヤ、お主が筆頭になればよい」
「あんた、急にどうしたのよ?」
救援を終えて帰ると、シクナはサヤに向けて言い放った。
サヤは任務を終えて、城に弓隊を率いて帰って来ていた。
弓隊の隊長を務め、多くの兵士を率いて戦っているサヤは一人前の兵士と言える。
シクナは任務を終えて、改めて考える。
「我は元より筆頭には向いておらん。お主の方が適任だろう」
「あんたねえ……。ただ単に面倒になってるだけじゃないの?」サヤは呆れるようにして答えた。シクナは筆頭になることに消極的なのだ。
「そんな事はない。ただ我には向いていないというだけだ。今は城中が不安定だ。お主が筆頭になり、皆を率いてくれるなら、皆も肩の荷が下りるというもの」
そうすれば、ヒユネ様の肩の荷も下りると考えるシクナ。
一刻も早く、あの方の荷を下ろさねば……。
一刻も早く――。
「………。」
シクナは考える。この城をまとめ、一丸とさせる存在が必要だ。ヒユネ様や城の皆の重荷を取り払うなら、その方法しか思い浮かばない。
自分には人の心など分からない。人の気持ちなど理解できない。
鬼の自分に、人を理解し、支えるなど不可能に近い……。
「ふん、ようやく認めたようだな」
そんな言葉が聞こえたと同時に、クレナイが姿を見せる。
「そうだ。お前などに筆頭は務まらぬ。サヤならば皆を率いて戦える」
「異議は無い」
威勢の良いクレナイに対して、そう答えるシクナだが……。
「それは違うぞ、クレナイ。我が主であるシクナは筆頭の器だ。俺はそれをよく知っている」
「現れる時は声くらいは掛けろ……ウクロよ」
ぬっと現れるウクロ。いつの間にか背後にいた。忍びというのは心臓に悪い。
「……。」
「…………。」
睨み合う忍びの二人。加減というものを知らないのか、そのまま殺気まで放ち合う。
「………。」
笹澄の忍びの事を考えるシクナ。
忍び達はその性質上、妖魔に恨みを抱いている者達も少なく無い。過去の災害では多くの妖魔に同胞の命を奪われている。
「鬼の我が筆頭になっても凝りを残すだけだな……鬼の我には、よく分からぬ」
シクナは息を吐く。妖魔の世界では……。闇の世界では強きものが上に立つ。それだけだ……。
人のように複雑な構造をしていない。
「………あんた、随分と弱気になってるじゃないのよ。だらしないわねえ……」
「ううむ……。」
弱気と言われて、何が引っかかっているのか考えるシクナ。
「鬼なら、もっと堂々としなさいよ。あんたらしくもない」
「……ううむ」
サヤにそう言われて、思い返すシクナ。自分らしさとは何だろうかと考える。
鬼らしく、堂々と、か……。
「……。」
自らの手を見るシクナ。その手には確かな妖魔の血が流れている。
自分は戦いが恐ろしいとは感じたことが無い。
そして、鬼の力を使う度……。その血が多くなる度に、"楽しい"としか、感じなくなる。
鬼の血を使えば、痛みも、恐怖も、全てを忘れる事が出来る……。
何もかもを……。
そして、戦いと血の色だけが快楽となる……。
あまり血を使いすぎるなと念を押されている。この血が暴走した時は、父上に首を切られることを宣告されている。
しかし、そんな死すらも、何も感じなくなった時は――。
「………。」
妖魔はいつの時代も、人々から忌み恐れられてきた。危険な存在だと言うことは、自分の血を見れば分かる。