第十三章
――私は、どうすれば……。
「………。」
祭殿の間に籠もったまま、ヒユネは心交を続ける。土地神との意識疎通を行っても、よりよい方法は浮かんでこない。
何を聞いても、答えは無い。どれだけ考えても平穏な道は見えてこない。
「………。」
もはや、自分には願う事しか出来ない――。
「なぜ……皆……」
疑問だけが心に残る。どうして、皆戦うのだろう……。傷付いても、また戦う……。
人を守るために……。国を守るために……。
癒やしても、癒やしても――また、人は戦う。
「………。」
そして、手の届かない場所へと行ってしまう。勇敢なる兵士は、何度でも立ち上がり、戦場へと向かう……。
「………。」
無力感に苛まれたまま、ヒユネは心交を続けるしかない。もはや、それしか方法はなかった。
座り込んだまま祈りを捧げる。叶うならこのまま時間が止まってほしいと願った。
時は進み続ける。止まってくれはしない。変化しない物は存在しない。
残酷な運命が、この地に訪れないように――それを願うしかない。
運命が、人を飲み込もうとしている。
人の心は……虚ろい、移り、変わりゆく……。
憎しみの傷が癒えぬまま……その炎が辺りに広がる。
それを止める術は、自分には分からない――。
憎しみの火……憎しみの連鎖……。その炎は衰える事無く勢いを増す……。炎は広がり続ける。
癒えることは無い、憎しみの傷……。血を流し続け、辺りを火の海に包む。
自分にどれだけ傷を癒す力があっても、どれだけの重い病を治せる力があっても――。
――手に出来ない傷……目に見えない傷……。
どうやっても、心の傷が癒せない――。
「ヒユネ様、失礼します! たった今、帳からの手紙が届きました!」
祭殿の間の扉が開き、一人の巫女が報告を行う。それを聞くと、ヒユネは立ち上がって返事をした。
「……分かりました」
この時が来たことを悟るヒユネ。そして、すぐに立ち上がると、他の兵士達と緊急の集会を開いた。
その知らせが入ると、すぐに他の兵士たちが集めれた。緊張した面持ちのまま、緊急の会合が行われる。
「たった今、言伝が届きました。手紙には囚われた兵士を返さなければ、この城へと攻め入ってくるようです」
ヒユネがその言葉を口にすると、他の兵士達は声を上げた。
「やはり、あの襲撃は帳の仕業であったか……!」
「どういたしますか? ヒユネ様……」
次々に声が挙がる。誰もが真剣な面持ちで、この城の巫女長であるミヒワノ・ヒユネに目を向けていた。
いよいよ、大きな瀬戸際が近付いている――。
「皆の者……。この城を守る事に注力してください。保護していた忍びは返しましょう……。」
「ですが、奴らはそれで収まるでしょうか……?」
アズマが言うが、ヒユネは敢然として答える。
「戦いは、最後まで避ける必要があります……。私達は、この城を……民を守ることに注力します。出来るだけのことはしましょう」
その言葉に兵士達は息をのんだ。もし、この取引が決裂すれば……。火種が燃え広がることになる。
誰もが、その事態を想定し、備えを開始していた。
「シクナ、貴方はこの城を守っていてください」
「私がですか? しかし、ヒユネ様。私も護衛に出た方がいいのでは……?」
会合が終わると、この城の巫女長であるミヒワノ・ヒユネから出された指示を聞き、驚くシクナ。
「……貴方は戦いに出てはいけません。ここで待機していてください。この城を守るように……」
「ヒユネ様……」
その言葉に、押し黙るシクナ。
今のヒユネ様は、どこか自分を見失っているように見えた。
だが、どうやってその事を口にすればいい。
どうやって傷付けずに済むのか……。
「ヒユネ様……。あの時の私の言葉を、まだ気にしておられるのですか?」
「……。私には、選択の余地は有りません」
ヒユネは、苦い表情で答えた。
「私は、それほど信用できませんか?」
「……!」
シクナに言葉を返せないヒユネ。
失意に伏せるような――シクナのその表情に、ヒユネは言葉を返せない。
だが、このままシクナが戦えば、もっと酷く悲しいことが起こるかもしれない。
「……お願いです。貴方はここで待っていてください……。皆の帰りを」
「……分かりました。ヒユネ様の命令とあれば」
その言葉に、素直に返事をするシクナだった。
重荷になるばかりの自分には、巫女長であるヒユネ様の言葉に従う他に無い。
刃を向けることしかできない、鬼の自分には――。
「………。」
シクナは窓越しに外を眺めつつ、その場で待機していた。外には、兵士を連れて出て行くヒユネ様達の姿が見受けられる。
とうとう、この時が来てしまった。
今にも火種は燃え上がろうとしている。この笹澄を覆うような火種が……。
しかし、シクナに出された指示は、城を守るように待機との指示だ。言われた通りに、自分はここで見守るしか無い。
「………。」
だが、もし敵が攻め込んでくるようなことがあれば……それは味方の崩壊を意味する。
そんな事態は、起こらないと信じたいが……。
「……。」
外を見つめるシクナ。ヒユネ様は、手負いの忍びを運び出し、帳の示した場所へと兵と共に赴いていく。次第にその背中が見えなくなる。
自分は、それをただ待っていることしかできない……。戦うのでは無く、見守ること……。
鬼の自分は無力だ。仲間を支えることは出来ない……。
肝心なときに、無力だ……。
「………。」
同時に、嫌な感覚が胸に沸いている。ザワザワと落ち着かない。嫌な感覚。まるで妖魔が近付いてくるような、あの感覚……。
笹澄の兵士達が出ているのであれば、簡単にはやられたりはしないだろう。
しかし――この不安は……別の不安だ。
「……。」
仲間が、人を傷付けようとしている。本当の殺し合いが始まろうとしている。
殺し合いが始まれば、その手は血に染まる。
「………。」
あの優しかった皆の手が……赤く染まる。そんな光景は想像したくない。
この手を血で染めるのは、鬼だけで十分だ……。
シクナは、その場で、ただ遠い空を見つめた。あの空の下で、火の手が上がらないことを願いつつ……。
「………。」
緊張が兵士達を縛り上げている。手負いの忍びは馬と荷馬車によって運ばれている。
多くの兵士と共にミヒワノ・ヒユネは目的の場所へと向かっていく。
このまま何事もなく取引が終了する事を祈りつつ――。
「何かの気配……」
その時、戦闘を歩くクレナイが気配を察する。風に乗って、僅かに瘴気が混じっている。
「皆の者、警戒しろ」
コウゲンが指示を出す。その指示に従い、背後に控える兵士達は武器を握りしめた。
「大丈夫です。皆の者、私が出ます」
「ヒユネ様!」
コウゲンが呼び止めるも、ヒユネは歩みを止めない。
「大丈夫です……。私に任せてください。魔力は無くても話くらいは出来ます。交渉に応じるなら、まずは私が直接した方が良いでしょう」
唇を掻むヒユネ。自分には、もはやそれくらいしか役には立てないだろう。
「……!」
兵士達は切迫した雰囲気に変わる。もしも、何かが起きたは場合、真っ先にヒユネ様の命が危険に晒される事になる。
「武器は出さずに、警戒するような姿勢は避けてください」
ヒユネは、兵士達に向けて指示を出す。
「人と話すなら、まずは私が……」
苦い表情のまま馬を進めるヒユネ。自分の目で見定める……。それが私の役目でもある……。
固い覚悟を決め――目的の場所へと赴く。
目的の場所へと到着すると、そこでは多くの兵士達がそこで待ち構えていた。
そして、その中心には、今回の伝言を出したと思われる帳の長――ヤガラ・ハシンの姿が見えた。周りには、並ぶように忍びが控えている。
「これはこれは……。笹澄の巫女よ……。申し出を快く受け入れてくれるとは……。礼を述べさせて貰おうか……」
「帳の忍び長……ヤガラ・ハシンとお見受けします。文に記している通り、貴方達の仲間を連れてきました。お返しいたします」
静かに応じるヒユネ。荷馬車に乗せられた手負いの忍びを見せる。
しかし、ハシンの様子は冷淡だった。
「お返しする、とは人聞きの悪い……。我らが同胞を勝手に捕らえたのはそちらではありませぬか……?」
「白々しいことを……!」
笹澄の兵士達が声を上げるが、それを制止するヒユネ。ここで声を荒げては駄目だ。
「これで、約束通り兵を引いてくれますね?」
「………。」
何も言わずに黙ったままのハシン。張り詰めるような空気が辺りに流れる。
「……! 何だ……!?」
主導師達は何かの気配を察知する。周りから僅かな気配が取り囲んでいる。
「っ――! 皆の者、警戒を……!」
事態を察するヒユネ。この地へ誘い込んだのは、理由があったのだ。
「我らの忍びを勝手に捕らえたこと、私達は、まだ許したつもりはありませぬぞ……。その責任を果たしてから、我々は兵を引きましょう……」
ハシンが僅かな動作で仕草を送ると、辺りから異様な物音が上がった。
「伏兵だ! 数多く居るぞ!!」
警戒する兵士達から声が上がった。辺りには、すでに多くの伏兵達が待ち構えていたのだ。取り囲むように森の隣接した地形を選んだのも、この事態を想定したからだろう。
「あれは……!」
それを見た笹澄の兵士達は信じがたい表情に変わる。
人間の物とは思えない手と足。他にも様々な異様の部位が、人の体に融合している。それが人では成せない動きを出しているのだ。
今までにも見てきた、妖魔に憑かれた忍びだ――。
「非礼を詫びるつもりすら無いようだな……!」
やはりと見込み、コウゲンは刃を抜いた。仲間を解放しても引く気は無いようだ。
帳の忍び達が一斉に姿を現す。戦闘が始まった。
「うわああっ!!」
「っ――!?」
笹澄の兵士達から声が上がる。
「くっ……!」
苦悶の表情で刃を振るうウクロ。相手の忍びは今までにない相手だ。妖魔を体に取り込んだ、憑かれ忍び――。
日々の訓練で対人戦闘との経験はあるが、あくまで訓練。本当の命の奪い合いは経験がない。
他の兵士達も同様だ――。
だが、相手の兵士達は、そんな迷いや躊躇が見受けられなかった。
「サヤ!」
「クレナイ!」
同じようにサヤとクレナイの二人が、帳の忍びを相手に立ち向かう。先頭で戦う二人は、他の兵士達を守るようにして応戦していた。
「こやつら、普通ではない……!」
「ええ……。まるで妖魔を操って居るみたい……!」
今までにない敵に、どうやって対処をすればいいのか分からないサヤ。
しかし、このような経験が無いのは他の兵士達も同じだ。隊を率いる自分が、ここで怖じ気付く訳にはいかない。
「っ!!」
伸びてくる妖魔の腕を必死に防ぐサヤ。他の兵士達を傷つけないように立ち回る。
他の主導師達も、同じように戦っていた。
「はああっ!!」
コウゲンが刃を構えて突進する。中央に陣取る忍び長のハシンへと狙いを向けていた。
対するハシンは、身動き一つしないままサクバと正面から向き合う。
しかし――。
「ぐっ――!」
コウゲンの進入を奇怪な爪が拒んだ。無数に伸びる奇怪な爪が、向けたコウゲンの刃を受け止める。
「久し振りだな。イサメギ・コウゲン」
「ヤガラ・ハシン……!」
刃越しに睨み合う二人。激しい衝突が起こった。
「………。」
窓の外に目をやるシクナ。城での警戒は続けているが、今の自分に出来るのは待つことだけだ。
他の者達は、大丈夫だろうか……。
「………ん?」
すると、そこへ影が蠢くようにして現れる。
「どうした、座敷童。お前がそんなに慌てるなど……」
「っ――! ――っ!」
座敷童が必死に何かを訴えている。そこで、シクナは事態に気付く。
「まさか、ヒユネ様達が……」
「っ! っ!」
座敷童が頷いているので、シクナは刃を持って立ち上がった。そして、覚悟を決める。
事態は不味い方向へと動いているようだ。この笹澄と帳が戦うことになる。
恐れていた事態が――。
「………。」
シクナは刃を固く握り締める。自分は今から、この手で人を切りつけに行く――。
その場面が脳裏に浮かぶ。血を血で洗う光景が……。人と斬り合う光景が。
本当に、自分に人が斬れるのか――?
「っ……。」
そんな迷いが同時に過る。鬼になれば、自分の命も無い。もしかしたら、仲間の命すらも……。
しかし、迷っている時間は無かった。
今は一刻の猶予も無い。時間は止まってはくれない。今も仲間が命を懸けて戦っている。
シクナは事態の無事を願いながら城を出る。そして、ヒユネ様達が居る場所へと急いで馬を走らせる。
迷う暇も、時間も与えてくれはしない。考える暇も、躊躇する猶予すらも無い。
今はただ、仲間を助けに向かうしか無い――。