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鬼々時雨  作者: そうのく
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第十一章


「……?」

 朧気な意識の中、シクナが目を覚ます。あまり意識が定まらず、ここがどこなのかも分からない。

 見覚えのある場所だと意識を辿っていると、目の前に見知った人物の顔が見えた。

「……目覚めたのですね、シクナ……」

 驚くシクナ。悲しげな表情をしているヒユネ様が目に映る。自分は仰向けになり、ヒユネ様に治癒を受けていたようだ。

「ヒユネ様……。ここは……」

 そこで、記憶を思い出すシクナ。自分は戦っていたのだ。

「ここは祭殿の間です……」

「そう言えば……」

 朧げな記憶のまま思い出す。次第に冷や汗のような物が沸いてくる。

「あの忍は、どうなりましたか……?」

「皆は無事でした……。ですが、あの忍は……」

 言い淀むヒユネに、シクナはあの後はどうしたのかと思い返そうとするが――。

「まさか、私が殺した……?」 

「………。」

 冷たい何かが胸の内に湧いてくるシクナ。心臓が鼓動が脈を通して伝わってくるようだった。

 しかし、ヒユネは首を横に振るう。

「ごめんなさい、貴方に辛い思いをさせてしまって……」

「え……? 私に辛い思い……?」その言葉が分からないシクナ。

「貴方は、もう十分傷付いたはずなのに……」

 ヒユネが悲しみの表情を浮かべる。

 こんな表情を、シクナは見たことが無かった。月明かりの下で、その表情だけが目に映る。

「覚えていないのですね……鬼になったことを……」

 悲しみの表情のままヒユネは続けた。その言葉を聞いた途端、シクナに記憶が段々と蘇ってくる。

「私は……また鬼の血に飲まれたのですね」

 手で顔を覆うシクナ。刃を握った所までしか覚えていない。覚えていないという事は、血に飲まれたと言うことだ。

 あれほど、鬼に成るなと言われてきたはずが――。

「貴方が守ってくれたんです……。私達の命を……」

「………。」

 シクナは顔を手で覆ったまま何も言えなかった。

 この手で人を殺すことすら、何とも思わない。

 ただ、衝動に支配されていたという感覚しかない。鬼になり、もはや人を殺すことすら躊躇わなくなった――。

「……僅かに、ヒユネ様の声を覚えています……。それだけしか覚えていません」 

 あとは、破壊の衝動だけがこの手に残るだけだ……。血を求める乾いた衝動だけが……。

 それでも、ヒユネ様の声が僅かに記憶に残っていた……。

「私は……貴方に人と戦ってほしくはありません……。鬼となって人を傷を付けてほしくはありません……」

 ヒユネは、悲しみに表情を俯かせる。

「貴方は人です……。けれど、人と戦い続ければ本物の鬼なってしまう……」

 そんな未来の光景が――ヒユネの目の前に広がる。

「戦いは、より強い戦いを呼びます……。力も、災も……」

 この、憎しみの炎に飲まれた世界で……。

「貴方は、もう十分に辛い思いをしたはず……。だから、もう十分です……」

 悲しみに目を閉じて俯くヒユネに――シクナは言葉を返せなかった。

 ヒユネ様の表情が、悲しみに満ちている。その表情を、シクナは見ていられなくなった。 

「……その言葉だけで、十分です」

 そう言って笑みを返すシクナ。

 喜びも、悲しみも、同じように人であるから……。心があるから……。

「……約束します。私は、人を守る為に刀を振るうと。人を殺すのではなく、貴方や仲間達を守る為に……」

「シクナ……」

 優しく包むヒユネに、シクナは身を委ねるようにして目を閉じた。

 ――温もり……暖かい……。

 人の温もりを感じ取るシクナ。人である証拠……。暖かな存在である証拠……。

 その温度を忘れないように、しっかりと抱き留める。

 冷たい鬼の心に、暖かな光が当たる。

 人の暖かさを……人である暖かさを……。

 決して忘れてはいけない。その大事な存在を……。

 




「……。」

 シクナは、以前戦った忍びの様子を確認しに向かっていた。自分と戦った侵入者の忍びは、治療室に寝かされているとの事だった。

 歩くその足取りに緊張が乗る。もし、自分があの忍びを瀕死にまで追い込んだのだとしたら……。

 思い悩むシクナ。自分が傷付けた人間に、一体何をしようというのか……。

 謝るのが正しいのか。例え敵だとしても、謝るのが正しいのか……。

 自分が傷付けた人間に、何と言葉を掛ければいい――?

 自分は鬼だから分からない……。人の気持ちは分からない。

 冷たい鬼に、人の気持ちは――。

「………。」

 シクナは、それでも歩みを止めなかった。

 だが、例え自分が傷付けた人間でも、目を逸らすわけにはいかない……。逃げる事はできない。現実から……自分が起こした、この事実からは……。

 人と人が争う世界。憎しみの炎がこの世を包む。

 そうなるまいと、ヒユネ様は努力し、我々もその意思を継いできたはすなのだ……。

 この手で人を斬った事実は変わらない。

「……。」

 シクナは治療室の前まで来る。あの忍びは今も深手を負い、治療を受けている。


 ――貴方の目で確かめてください。シクナ……。貴方のその目で……。


 ヒユネの言葉を思い出し、シクナは覚悟を決めてその中へと進む。

「………。」

 捕らえられた忍びは、巫女や討士達に見張られながら、布団に横たわっていた。

 シクナは部屋に入ると、その様子を確認する。

「う、く………」

 痛みに呻く忍び。最初、シクナは自分が深手を負わせたのかと思ったが――。

 その様子をよく確認する。

 傷が深いからではない。妖魔を取り込んだその部位が悲鳴を上げている。

「………。」

 命は無事だった。確かに自分は忍びを殺してはいなかった。

 だが、これは――。

「この忍びの様態はどうだ?」

 手当をしている巫女に、シクナが尋ねる。

「………。」

 手当の巫女は黙って首を横に振る。

「………。」

 シクナは少し考えた後、その場を後にする。

 掛ける言葉は見つからなかった……。

 だが、あの様態では呻くだけで精一杯だ……。話をする事も間々ならないだろう。




「シクナ様、おやめ下さい! ヒユネ様は今、心交の儀式の最中です!」

「少しで良い」

 巫女が必死に止めようとするのを振り切りながら、シクナは構わず祭殿の間へと進んでいく。

「シクナ……?!」

 祭殿の間に押し入ろうとするその様子を、サヤが目の端で捉える。

「ちょっとあんた! 何を――!」

 サヤもそれを止めようと試みるが、シクナは既に祭殿の間へと足を踏み入れていた。

「あの忍びを見てきました。ヒユネ様……。」

 扉を開けるなり、シクナが報告をする。

「様子はどうでしたか……?」

「……。」

 ヒユネが向き直ると、シクナは静かに先程の忍びの様子を思い出す。

「あの忍びは、負傷兵なのですね?」

「その通りです……。」

 ヒユネは静かに頷くと、シクナはその言葉の意味を考えた。

 父上から聞かされた言葉を思い出す。負傷兵は、深手を負って戦えなくなった兵士だ。それでも無理に戦っていた。

 そして……あの者の命は、そう長くは無い――。

「無理に妖魔を取り入れたのです……。その結果がどうなるかは、本人も分かっていたはずです……」

「帳は、何故にそれほど力を求めているのでしょう……」

 シクナの疑問に、ヒユネは答える。

「……帳は、一昔前から魔術を扱える者が出ていないと聞いています……。新しい兵がおらず、妖魔に対しての対抗が出来なくなってきているのです」

 遠くを見るような目で、ヒユネは静かに話す。

「老いた兵は皆戦えぬようになり、新しい芽は育たない……。瘴気や妖魔で土地も荒れ、作物も出来ない悪循環です……。帳は、それでも戦おうとしていたのでしょう」

「何故、帳は助けを求めないのでしょうか?」

「分かりません……」

 シクナが問うが、ヒユネはそれだけを悲しそうに述べる。

 とても悲し気な表情のまま――。

「何かがあるのでしょう。昔から我々と帳は争って来ました……。彼らの胸の内に、私達への憎しみの火が未だに灯っていても不思議ではありません」

 ヒユネは立ち上がると、日の差す窓から遠くを見つめた。

 空の向こうにある、この世の行く末は……。

「憎しみの火は、とても熱いです……。人を衝き動かすには十分過ぎるほどに……」

 燃え盛る業火のように、それは固い意思となる。

 先の闇を照らし、その炎だけが道導となる。

 その燃え滾る明かりだけを頼りに、暗き道を進む――。

 他の光は目に入らない。どんな冷たさや痛みも省みない。

 憎しみの炎だけが、身の内に灯り、燃え続け……。

「……帳は、何をするつもりなのでしょうか? 人を化け物に変えてまで……」

 シクナは疑問に思う。あの妖魔の力は普通では無い。人が扱うには、大き過ぎる力だ……。

「……彼らが化け物なら、私は死神です……。あなた達を戦わせ、何度も戦場に送り出す……」

「ヒユネ様……?」

 様子が変わった事を感じ取るシクナ。ヒユネ様が弱気になっているのが感じ取れる。

 どこか、普段とは違う――。

「力がある故、争いを引き起こす……。強すぎる力は、それだけで均衡を崩します……私も変わらず……」

「まさか。ヒユネ様が争いを招くなど有り得ません」

 そう途方もないような言葉を流すが、ヒユネの表情は変わらなかった。

「この"傷を癒す力"……。傷を"無理に塞ぐ"呪いのような力……。私に対抗しようとした結果でもあるでしょう」

「まさか……」

 その話を聞かせれて、嫌な汗が流れるシクナ。帳が、ヒユネ様と同じように癒しの力を求めた結果だというのだろうか――。

「……。」

 静かに自身の手を見つめるヒユネ。脳裏に過去の光景が蘇る。

 癒やしても癒やしても……戦いは終わらない。

 人は、また刃を手に取り立ち上がる。

 どうすれば、この連鎖を断ち切れるのか……。

 どうすれば、戦わずにいられるのか……。

「私は、どうすれば……」

 より良い未来が見えてこない。仲間が消えゆく幻だけが脳裏に浮かぶ。それを止めることは出来ない……。

「……」

 何度傷を癒やしても変わらない。どんな傷を癒やしても変わらない……。

 人は、また戦う――。

 見えないどこかが傷付いている。手にできない何かが傷付いている。

 愛があるから、憎しみがある……。喜びがあるから、悲しみがある……。

 本当の意味で人を救うには、何かが足りない……。

 とても大切な、何かが――。

「私には、なんの力も残って居ないのに……」

 胸に手を当てる。今も魔力は回復しない。人を救う事が出来ない。

 傷を癒やすだけの力が、どれだけ小さいことかを思い知らされた。

 しかし、人は救いを求める……。

 争いを起こしてでも……。

 その事実だけが、自分の脳裏から離れなかった。

「ヒユネ様、貴方は自分の傷が見えていないのですか?」

「え……?」

 シクナの言葉にヒユネ。

「私にあれほど仰ったではありませんか。身の内にある傷を癒せない、と……。見失ってはいけないと」

「ですが、私は……」

 シクナの言葉に戸惑うヒユネ。自分の傷など、考えたことも無かった。自分は傷を癒やすのが役目だと……。

「私には、貴方が傷だらけのまま進んでいるように見えます」

 シクナは指摘した。自らを省みず、前に進んでいる。

 見えない血が流れている。

 その細い身の上で……今にも崩れ落ちそうな身で、この州を支えている。

「私は鬼です故、その傷を癒やすことは出来ませんが……」

 それだけが心に残るシクナ。

 鬼の自分には、その傷は治せない。とても深い傷……。

 目に見えない、手に取れない、なのにとても深く……。


 鬼は、人を救えない。


「本当に目を凝らしていなければ、見つけられませんね……その傷は……」

 放って置いてはいけない……。我を見失えば、どれだけの負荷が掛かるか分からない。他人のことばかりで、自分に目を向けていなければ、いつの間にか傷だらけである事にすら気付かない。

 血を流しているのに、痛みすらも感じなくなり――。

 そんな余裕も無くなって……。

 何も省みなくなったその姿は――とても心が打たれる。

「貴方の痛々しい姿を見ては、皆も不安で戦えませぬ」

 安心させるように笑みを向けるシクナ。

「………。」

 少し考えた後、ヒユネは自身の胸に手を当てた。

「そうですね…。貴方の言う通りかも知れません。先を見るあまり、今の自分の事が見えていませんでした……。」

 自分の胸に手を当てたまま思い返す。

「他の者にも心配を掛けて居ることにも気付かず……。私は愚か者です……」

 静かに俯くヒユネだが、そこで別の声が飛び込んでくる。

「そ、そんな事は有りません! ヒユネ様!」

 サヤが飛び込んできて、そんな事を叫び出す。

 シクナは驚いて目を丸くするしかない。まさか、隠れたまま聞き耳を立てていたのか……。

「ひ、ヒユネ様は私達を助けてくれました! ヒユネ様が居てくれなくては、私も戦い続けることは叶いませんでした……! それでも何度も助けてくれたから、私は強くなれたのです……!」

 息を切らせながらサヤが早口に言葉を述べる。

「ヒユネ様が居てくれるだけで、私達には十分なのです! それだけでも……!」

 声を上げてそんな事を口走るサヤ。

 そして、直後に自分が何をしたのかを自覚し、顔から血の気が引いていく。

「はっ……!も、申し訳ありませんっ!! 私は、なんて差し出がましい口を……!」

「いいえ、サヤ……。ありがとう」

 ヒユネは礼を述べるが、サヤの慌てように笑みを向ける。

「貴方にも気を遣って頂いて、私は胸がいっぱいです……」

「そんな、ヒユネ様、私に礼なんて……!」

 慌てるサヤだが、シクナが言う。

「はははっ。こうして、貴方が無事で居ないとサヤも我を失ってしまいます。なので、自身の身もご自愛ください」

「ちょっとシクナ! なんであんたが私のことを――!」

 そうサヤが文句を言い掛けるが、ヒユネは笑みを向けて答える

「ありがとう……。心に留めておきます」

 その言葉を聞くと、シクナはサヤを連れて祭殿の間を後にした。

 慌ててサヤを連れ出すシクナ。

「おい。腰を抜かしてくれるな。いきなり登場して格好付けたと思いきや、なぜ足が震えておるのだ」

 シクナはサヤを連れ出すのでやっとだった。

 いきなり話に割って入ってきたと思いきや、身を震わせて立つことすら侭ならない。

「あんな姿をヒユネ様の前で晒し続ければ、逆に説得力を無くしかねない所だったぞ……」

 息を吐くシクナ。あのままでは、逆にヒユネ様を不安にさせる所だった。

 せっかく良い言葉で励ましたと思ったらこれだ……。

「う……。緊張で足が……」

 ガクガクと身を震わせているサヤを見て、おそらくあれが精一杯だったのだろうとシクナは察する。

 やれやれ……人間というものは分からない……。

「ふむ。やはりヒユネ様も大変だな……」

「お前は居たのなら声くらい掛けろ……」

 突如としてウクロが現れたので、今度はシクナが大声を上げそうになった。

 背後から気配を悟られないようにしているからか、心臓に悪くしてしかたない。

「ちょっとシクナ! そんなにジロジロ見ないでよ! もう大丈夫なんだから!」

「そうか……」

 サヤが怒るので、シクナは目を逸らした。震えている所を見られるのが余程嫌なようだ。

 やれやれ、怖じ気づいたのか、怒りたいのか、どちらなのやら……。

「しかし、先程の言葉は良かったぞサヤ。やはり、心使いは大事だな」

「あんた何言ってるのよ……」サヤはシクナの言葉がよく分からない。

「数は大事だ。ヒユネ様に物申せる相手は限られているのだ。もっとお主もヒユネ様に言葉を掛けてやれ」

「じょ、冗談じゃないわ。あれ以上の言葉なんて、恐れ多くて……」

「ぬう……。」

 表情をしかめるシクナ。やれやれ、人間というものは、つくづく複雑難解だ。

 言葉を掛けようにも、そう上手くはいかないようだ。

「………。」

 祭殿の間を見るシクナ。ヒユネ様は、未だに心交を続けている。

 どうすれば、その傷を癒やせるのか……。色々と試してみたが、まるで分からない。

 ――本当に複雑だ。人というのは……。

 そんなことを思い詰めながら、シクナは静かにその場を後にした。

 


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