第十章
「あ、う………」
眠りながら、過去の光景がヒユネの脳裏に蘇る。
遠くへと行ってしまう。手の届かない場所に。
癒しても、また戦いに身を投じる。
傷を何度治しても……戦いは終わらない。
――待って……駄目……!
何度もそう口にする。だけど、誰も聞き入ってはくれない。
動ける限り、また刃を握る。彼等は勇敢な戦士だから……。
――待って……。
遠くへと行ってしまう。もう手の届かない場所に。誰もが……皆……。
――どうして……。
歩けなくなり、自分は膝を付く。戦いは終わらない。
傷を癒しても……癒しても……。また人は傷付く。刃を手に取り、立ち上がる。
戦いは、終わらない。
何も変わらない。自分には止めることが出来ない。
「……。」
悪夢に魘されるように、ミヒワノ・ヒユネは目を覚ました。汗が滴り落ち、自分の見ていた夢を思い返す。しかし、どこか少し気分が和らいだように感じていた。
ヒユネは、この先の事について考えていた。
また、あんな悪夢が繰り 返されようとしている。
人は戦う。何度でも……。
いくら傷を癒しても――。
「……。」
どうすれば、人は戦わずに済むだのろう。
土地の神でさえ、その答えをくれない。いくら考え、悩んでも……。
目に見えない、手に取れない……。触れることの出来ない……傷。
「………。」
息を吐き、少し落ち着こうと、ヒユネはその場から立ち上がる。
「ヒユネ様、大丈夫ですか?」
ヒユネの顔色を見て、側に居た巫女が心配をする。
「大丈夫です。それより、状況はどうですか?」
「兵達は今も瘴気の対応に当たっております。強い瘴気の出所が発見されたようで……。」
「そうですか……。分かりました……。少し顔を洗ってきます……」
そして、顔を洗いに水 場へと向かう。廊下を歩くと、そこで外の気配を感じ取る。
他の兵士達は、今も妖魔の対応に当たっている。他の土地で、妖魔の発生が確認されている。今はそれに対応しなくてはならない。
「………。」
嫌な気配が消えない。胸がザワザワとする。強い瘴気の発生が感じられるが、出所などはまるで分からない。妖魔の発生も強くなり、騒がしさが増している。
大卑弥の巫女も警告していた。この世に陰りが差していると……。
何か、見えない何かに捕らわれたような気になる――。
「……!」
しかし、そこで小さな気配が有ることに気づくヒユネ――。
まさか、と思う。兵士達が居らず、自分が心交の儀式を行っていない時を見計らっていたのだろうかと勘ぐる。
「敵襲だ!」
「っ……!」
その知らせに、城内 が一斉に騒がしくなった。他の兵士達が、城内で慌ただしく動き回る。
「っ!」
ヒユネは、急いでその場を離れようとするのだが、既に他の何者かの気配があった。
「どこだ!? ヒユネ様は!」
「……!」
シクナが廊下を走っていると、辺りからは声が飛び交う。侵入者の姿は見えず、この城のどこかを徘徊していると思われた。
「……!」
城の外からは激しい戦闘音が鳴り響いている。自分もそこへ向かわねばならない。
だが、ヒユネ様の姿が見えない。一刻も早く探し出さねばならないが――。
「ウクロ! どこだ!」
シクナが声を上げ るが、ウクロからの返事は無い。恐らくは城のどこかに居るのだろうが、果たして無事かどうかも分からない。
サヤや主導師達は任務で外に出ている。今この場で戦える兵士は限られている――。
「ええい……!」
苦い表情になりながらも、シクナは城内を探して回る。激しい戦闘が繰り広げられていれば、そこに敵が居る。
「む……!?」
音が聞こえたので窓から外を覗くと、そこから信じられない光景が目に飛び込んでくる。
「なんだあれは……!」
城の壁に張り付くように移動する巨大な何かが居る。それが侵入者のなのだと認識するのにシクナは僅かに時間を要した。
何故なら、その姿は見れば見るほど妖魔そのものだったからだ――。
間近で見ていない故に、確かな姿は分からないが、あのような"巨体"が城の壁を縫うように移動できるのは通常では有り得ない。
確かに今見た姿 の者が侵入者だ。
以前の襲撃の時と同じように、侵入者は有り得ない姿形をしている――。
「くっ!」
シクナはすぐに窓から屋根へと飛び移る。屋根や壁に張り付き移動する侵入者は、普通の侵入者と言う訳では無い。
普通の理屈が通用しない相手なのだと、シクナは改めて認識する。
同じように屋根を伝って移動し、追い掛けると、次第にその者の姿が見えてくる。
だが、必死に追いかけても相手との距離は縮まらない。
「火枷!」
シクナが術を唱える。侵入者に向かっていった火が、その"足"を絡みつくように捉えるが、その無数の異形の足によって掻き消される。
だが、その僅かな足止めで、シクナは相手に追いつくことに成功する。
「何者だ」
正面から対峙し、シクナが問い掛ける。向き合っているのは、確かに人間だ。
だが――足が 人の形を成してはいない。
それはまるで――百足の足だ。
以前に侵入してきた時と同じ……。
「………。」
黙ったまま短剣を構える侵入者。顔を布で覆い、正体を隠すようにしてはいるが――。
話し合う意思は無いと感じ取るシクナ。黙ったまま短刀を向けてくる。
問答無用の意思表示。敵は何が目的なのか。
緊張が走るシクナ。自分は今、人と戦おうとしている。
「………。」
鼓動が早鐘を打つ。動揺が胸の内に沸く。それを相手に悟られないように気を張るが、それでも別の感情が漏れてくる。
鬼の血が、人の血を求めている――。
押さえ込む……。決して表には出さないように……。
覚悟を据えるシクナ。ここで引く事は出来ない――。
「………。」
不気味に睨み合ったまま、相手は刃を構えている。シクナも、それに応じるように刃を構えた――。
「ッ!」
そこで、シクナの背後から援護の手裏剣が飛んでくる。
「ウクロ!」
無事であったことを確認するシクナ。ウクロの他にも兵士達が次々に屋根に上がる。
「この城は我らの城……! 逃げ帰られては忍びの恥……!」
「無理はするなよ」
ウクロに忠告するシクナ。相手も見た限りでは忍びのはずだ。
「ッ!!」
敵が動き出す。その動きに対応しようと試みるシクナだが、ウクロも同時に反応が遅れる。
うねるように左右に移動して、的が絞れない。
「ッ!?」
さらには壁を伝う ように信じられない移動をしてくる。そして、背後を狙うようにウクロを強襲した。
衝撃で辺りが揺らぐ。
「何なんだ! あやつは……!」
それを見た兵士達が驚愕に声を上げている。誰もが屋根から落とそうと試みるが、素早い動きで狙いが定まらない。強力な魔術では城を壊してしまう恐れもあった。
「……!!」
シクナは相手の動きに合わせて追い掛けるが、屋根そのものが崩れ落ちそうになっている。
「……。」
しかし、同じようにそれを狙うシクナ。足場を使えなくすれば、相手の動きも直前的にはなる。
「逆雷……!」
シクナが術を唱える。すると、屋根を伝うように雷撃が襲い掛かった。足下から雷を浴びせる。
ウクロも、同じように敵の足元を狙う。
「はあっ!」
ウクロと共に攻 めるシクナ。波状するように攻撃を浴びせる。
「っ――!!」
攻防が激しくなるにつれて、相手の動きも大きくなる。まるで足を鞭のようにしならせて応戦をしてくる。
妖魔の巨体は、暴れ回るだけでも驚異だ。
「く……!」
猛攻を避けるシクナ。まるで攻撃する隙が無い。屋根の上という足場が限定されているだけでも不利だ。
だが――それでもウクロとシクナは隙を見計らって攻める。
そして、次第に暴れるように攻防が苛烈になるが――。
「ッ……!」
足場が崩れ落ちる。妖魔の巨体に耐えきれなくなり、そのまま落ちていく。
しかし敵は、妖魔の足を使い城の側壁に飛び移っていく。
「逃がしはせぬ!」
シクナが刃を 突き立てる。刃を足場にしたまま、シクナはさらに術を唱える。
「風橋!《かざはし》」
風が後押しするように自身を押す。そのまま跳躍すると、さらに次の屋根へと乗り移った。
『火柵!『かさく』』
シクナがさらに術を唱えると、炎が侵入者の周りを覆う。足場を狭め、屋根の頂上へと追い詰めた。
「もう逃げ場は無いぞ」
「………。」
屋根の頂上へと追い込むシクナ。他に飛び移れる場所は無く、下には兵士たちが待ち構えている。
そのまま刃を構えるシクナ。見れば見るほど異様な光景だった。人なのか妖魔なのか……まるで区別がつかない。
侵入者は、ただ黙ったまま答えは返ってこなかった。
緊張が張り詰める。ここで一騎打ちとなれば、無事では済まない。
「きゃあああ!!」
しかし、そ こで別の方向から悲鳴が上がる。他の兵士達からも響めきが上がる。
シクナは、もう一人の忍びが屋根に上がってくるのを目にする。そして、ヒユネ様もそこにいた。
敵の忍びに、ヒユネ様は人質として捕らわれていた。
その忍びは、腹部が歪に蠢き、人とは違う何か腕のような物が生えているのが見えた。
刃をヒユネ様の首元に向けたまま、その忍びが話し始める。
「道を空けてもらおう。笹澄の兵士。この巫女の命が惜しくばな」
「………。」
返答ができないシクナ。この状況を切り抜けるには、どうすればいいのかを迷う――。
この状況はこれまでに無い危機だと思えていた。
どんな選択をしても、窮地に変わりは無いように思えてくる。
「あ、う……! 戦ってはいけません! シクナ! あなたは、人と戦っては……!」
「………。」
ただ静か に相手を見据えるシクナ。
人質を盾に取り、この場を逃れるつもりなのだ――。
他の妖魔の足を持った忍びは姿を眩ませている。あの忍びが囮として城を騒がしていたのだ。侵入者は複数居た。完全に見誤った――。
「もう一度言う。笹澄の兵、道を開けよ」
侵入者の忍びは、刃をヒユネ様に向けたまま脅してくる。
「……。」
じっと動かずただ相手を見据える。
しかし、ゆっくりとその刃を納めていくシクナ。
「なに!?」
しかし、侵入者の忍びは突如として起きた異変に声を上げる。
妖魔の腕の制御が効かず、自身の刃を締め取る。
「く!!」
もう片方の手で短剣を素早く抜く忍びだが、シクナがそれを遮るために飛び掛かる。
そして 、人質であるヒユネから強引に引き剥がす。
「っ!!」
取っ組み合いとなるシクナと忍び。敵の忍びは押さえつけられながらも抵抗を続けた。
「ぬう……!!」
妖魔の腕がシクナに向けて動き出す。妖力による制御が無くなり、再び勢いを取り戻す。
「ふっ!!」
忍びの口から針のような物が吐き出された事に気付くシクナ。素早く身を躱すが、追い討ちを掛けるように妖魔の腕に握られた刃が――自身の腹部に突き出されていた。
「ぐ……!」
鋭い痛みを覚えるシクナ。忍びの刃が深々と腹部を貫いている――。
血飛沫が辺りに散る。
「シクナッ!!」声を上げるヒユネ。
忍びは、そのままシクナに止めを刺そうとする――。
「なに……ッ!?」
甲高 い金属音と共に、その刃が弾き飛ばされる。同時に、忍びは腹部を強打された。
その光景に、目を見張る忍び。
目の前には、確かに重傷を負わせたはずの討士が動いている。人とは思えない、赤い魔力を滾らせて……。見違えるほどの覇気と魔力を身に纏いながら――。
それは、まさに鬼だった。
「ぐああああっ……!!」
忍びは叫び声を上げた。シクナの刃が、奇怪な腕の生える腹部を深々と貫いていた。
そしてシクナは、そのまま刃を高々と構え――。
「シクナっ!!」
「っ……。」
その声に我に返るシクナ。刃を握る手が止まる。今、自分は何をしようとしていた……?
「う、く……。」
痛 みが肉体を襲うと同時に我に返る。目の前には、気を失った忍びが倒れている。
「………。」
我に返ると同時に、呆然となる。
何も感じなかった。痛みも、人を切り刻む瞬間でさえも……。
楽しいとさえ感じていた。
――鬼の血は、まだ……。
途端に意識が朦朧とし、シクナはそのまま目を閉じた。
兵士達が、仰向けに倒れたままの敵の忍びを囲い込む。時間が経過すると、緊急の知らせを聞いた主導師達が城へと帰還していた。
「う、く……」
苦しむ忍に対して、巫女は治癒魔法を施す。喋れるようになるのを確認すると、ヒユネは問い掛ける 。
「貴方達は、何が望みなのですか?」
他の兵士達が警戒したまま、敵の忍びの返答を待った。
「ふん……。今に思い知るだろう……。我ら帷が、この世に道を示す時が来る……」
苦しそうに呻きながらも、敵の忍びは話し出す。
「……こんな力を用いて何をしようというのです。妖魔を取り込み、戦わせる事に、どんな未来が有るというのですか……」
苦い表情で言葉を返すヒユネ。道を示す力と言うには、あまり惨い物だった。
「貴様ら、魔の力を使う者達は分かるまい……。我ら忍びの思いなど……!」
声を荒げると同時に、血を吐く忍び。
「これが、我らの思いだ……! 必ず、貴様達に思い知らせてやる……」
その言葉を呪詛のように吐き出すと、忍びの意識は途切れた。