シロクマドン
〝なにか〟が作る雪玉がみるみる大きくなっていく。
ギレアドは、すぐそばの出来事だというのに、まったく気付いていない。
リガもだ。彼女はぼくと視覚を共有しているが、とくに違和感を覚えていない。
どうやら巨人脳の主であるぼくだけが、視覚と脳の認識の奇妙な差を感じ取っているらしい。
雪玉はすでにちょっとした家のほどのサイズだ。
ぼくはリガにいわせた。
「ギレアド隊長、後ろでーー」
彼女が言い終わる前に、何かが雪玉をギレアドの機体めがけて転がした。
ギレアドが振り回していた槍の穂先が雪玉にめり込んだ。
「なんだ!?」と、ギレアドが慌てた瞬間、熊が現れた。
いや、認識できるようになったというべきか。
熊はとてつもなく大きかった。
ギレアドの巨人より頭三つは高い。
外見は地球のシロクマに近い。全身を覆う白い毛に丸みを帯びた身体。太い手足の先には白色の鋭い爪、口から覗く大きな牙。吐き出す呼気が白くけぶる。身体の中で色がついているのは、目だけだ。真っ黒な瞳が、じっとギレアドの機体を見つめている。
これが陸上生物なのか? ぼくは震えた。地球最大の生物はクジラだ。上野の科学博物館前で実物大模型を見たことがあるが、あれと遜色ないサイズ感だ。
巨人脳が、子供の頃、NHKの「ダーウィンが来た」で見た知識を引っ張り出してくる。
恒温動物には「ベルグマンの法則」というやつがある。近縁種では寒い地域に住む種ほど、大型化するというものだ。
たしかにこの世界は北極圏並み、いや、それ以上の寒さだがーーこの大きさは、まるで怪獣だ。
ギレアドの機体が硬直から解けた。
槍から手を離し、後ろに飛ぶ。
同時に熊が飛びかかった。
熊が、大木のような腕を振る。
ギレアドは巨人の肩で受けた。
装甲が吹き飛び、肩の肉が抉られ、真っ赤な鮮血が雪原に飛び散る。
巨人は、無事な方の腕で腰にさしていた短刀を抜くと、熊の腕に斬りつけた。
が、熊の毛は刃渡り二メートルはあろうかという鉄塊の一撃をあっさり弾いた。
熊が身を沈め、相撲取りのような〝ぶちかまし〟を巨人にくらわせる。
特急電車同士が正面衝突するかのような大音響が響き渡り、巨人が吹き飛ばされた。雪原を地響きを立てながらゴロゴロ転がり、どうにか立ち上がったものの、完全に足に来ている。
この間、わずか三秒ほど。ぼくはまったく動かなかった。
熊が、ゆっくりとぼくの方へ向き直る。
と、何かに驚いたように、一瞬、後じさった。
頭を下げて、こちらを探るように窺う。
どうするか決めかねている、といった感じで、前後に身体をゆすると、体についていた薄氷がはらはらと落ちた。
ヤズデギルドが無線越しに「逃げろ!」というのが聞こえた。
逃げる? どこへ?
熊とぼくの能力差は、地球におけるヒグマと人間の能力差、ほぼそのままと見るべきだろう。
ぼくは身体を百パーセント制御し、人を超えた機動が可能だが、土台となる骨格が人間のそれである以上、限界がある。
人類最速の男、ウサイン・ボルトの最高速度は時速四十五キロ。
一方、ごくふつうの熊の最高速度は六十キロだ。
ぼくが巨人の体でボルト並みに動けたとしても、即座に捕獲される。
ギレアドが通信をよこした。音声のみでいう。
「楽しくなってきたね。こんなヤバい熊は見たことがない。これまでに出会ったなかでも最大級だ」
彼は、どこから、こんな余裕が湧いてくるのか。
熊が吠えた。
空気がびりびりと震える。
ぼくが両刃剣を構えると同時に、熊が猛烈な勢いで突っ込んできた。