見えない巨大獣
母艦から通信が入った。
モニター内にヤズデギルドの顔が小さく表示される。
背景から見て、彼女も巨人に乗っているらしい。
しかし、ぼくの視界に紅い機体は見えない。
まだ格納庫にいるのか。
彼女が眉をしかめながらいう。
「ギレアド。お前、リガを最後方に置いているのか?」
「ええ、いちばん強い機体が熊を引き受ける。いつものカタチです」
「いちばん? リガは今日が初陣だぞ。強いも何もわかるものか」
「殿下、お言葉ですが強者は強者を知るものです。彼女の操縦は卓越している。配置はこれ以外ありえませんよ」
「なら、わたしがそこへ行く!」
「ダメダメ! 母艦が破壊されたら全員終わりなんですから。帝都に帰れず、凍りつくしかない。もっとも腕の立つ殿下が最後の控えとして残り、俺とリガちゃんが討つ。これが筆頭騎士としての俺の判断です」
ヤズデギルドが年相応の子供のように唇をとがらせた。
「リガを危険な目に合わせたら承知しないからな」
「善処します」ギレアドはそういうと、ヤズデギルドとの通信を落とした。
ギレアドがいう。
「まったく、殿下はずいぶんと君にお熱だね」
「よ、よいのですか? その、あのように遠慮なくお話しして」
「いいさ。俺とヤズデギルドは古い付き合いだ。親戚なんだよ。俺もこう見えて皇族の血が流れているのさ。殿下が生まれてくるずっと前には、後継者候補として〝皇帝機〟にも乗ったことがあるんだぜ?
まあ、ヘブロンのおやっさんに聞かれたらどやされるから、ざっくばらんに話せるのは、おやっさんの目が届かないところだけだけどね」
母艦を中心とした円陣は、時速三十キロほどで前進を続けている。
ギレアドは母艦との距離が十分に開いたところで、リガと共にゆっくり追いかけ始めた。
ぼくは両刃剣を腰の位置で握り、中腰で進んだ。
熊がどこから襲ってきても対処できるよう、ネコ科動物のようにつま先を立てて進む。
それを見たギレアドが笑った。
「リガちゃん、なんだよその歩かせ方は」
なんだとはなんだ。
ぼくからすれば、平然と歩いているギレアドの機体の方がどうかしている。
いや、違う。
ギレアドの機体は、しょせんギレアドの操り人形なのだ。
ギレアドは巨人の五感を一部共有しているとはいえ、肉体は分厚い装甲に囲われたコクピットのなかだ。ぼくのように肉食獣が迫り来る恐怖を生身で味わっているわけではない。
恐れは、熊に探知されやすい。ぼくはその言葉を思い出して意図的に筋肉をゆるめた。
そのとき、奇妙なことに気づいた。
母艦の前方に伸びる熊の足跡だ。
およそ三キロほど先で切れている。
ぼくは巨人の超視力で周囲を探ったが、熊の姿らしきものはない。
どうなっているのか。
巨人なので背中に汗をかくことはないが、なにか嫌なものが肩甲骨の間あたりに広がった。
これは〝止め足〟だ。猟師に追われた獣が、あえて足跡を辿るようにバックし、近くの藪に飛び込んだりすることで、追手を混乱させるのだ。
「隊長。熊の足跡が途切れています」
ぼくの思念を受けたリガがいった。
ギレアドが不敵に笑う。
「思ったよりずっと早いな。敵は近いぞ」
「このようなときによく笑えますね」と、リガ。
ギレアドが金色の髪をかき上げた。
「俺は誰よりも強くありたい。そのためにはより強い敵が必要なのさ」
彼は、チャラいのに戦闘狂らしい。
ギレアドの機体は相変わらず槍をぶんぶん振り回している。
ぼくはその槍の回転の向こうに奇妙な光景を見たような気がした。
小山のようなサイズの白い球体が近づいているように見えたのだ。
だが、改めて確認すると、槍の向こうには雪原が広がっているだけだった。
ぼくは息を吐いた。
リガを通してギレアドにきく。
「そういえば、その槍回しには、なにか意味があるのですか?」
「もちろん。これが、熊を倒す秘策さ。熊は神出鬼没、いきなり目の前に現れることが多いんだが、こうしていると、まれに、気づいた時には熊に穂先が刺さっている、なんてことがあるんだ。学者のセンセイ方は、〝熊が、人間の思考にわずかながら介入して、存在の認識を歪めているせいだ〟とかいってたな。抜き足差し足忍び寄ったものの、ぐさっ!っていうわけだ」
なるほど。ぼくはもう一度、ギレアドの槍の向こう側を見た。
何かがいるような気がしてならない。
大きな山のようなものだ。
サイズは巨人の1.5倍といったところか。
なのに、ぼくは相手を〝認識〟できていない。眼球から取り込まれた情報データが、脳の途中で遮断され、脳のしかるべき場所に届いていない感じだ。
〝何か〟はギレアドの機体から少し離れたところで身をかがめると、雪だるまの要領でとんでもないサイズの雪玉を作り始めた。