獣狩り
リガは個室の鏡で自分の顔を見つめていた。
操縦士用の個室は縦に細長い。床面積は十平米ほどか。灯りとりの丸窓に、狭いパイプベッド、小さなクローゼット。あとは洗面台とトイレだ。
まさか士官でもないリガの部屋に水回りがあるとは。地球の空母と同じように、パイロットは優遇されているらしい。
鏡に映るリガの色の白い顔は、真っ赤だった。
原因はすぐ隣、ギレアドの部屋から聞こえる嬌声だ。
ギレアドは一晩中、女性士官と〝いたしていた〟のだ。
なぜ、ギレアドの隣の部屋が空いていたのか不思議だったが、これでは誰も使わなくて当然だ。
ヤズデギルドとの朝食までは、少し間がある。
彼女は水で顔を冷やすと、ベッドに腰掛け、窓の外を眺めた。
〝海〟はとうに渡り終え、対岸の山岳地帯も抜けた。
いま、母艦は真っ白な雪の平野を快走している。
まるでペンキをぶちまけたかのように、のっぺりとした大地だ。ほんのわずかな起伏すらない。
なにか色味があるとすれば、数百メートル先で母艦と並行に走っている灰色の線だろう。
あの線は何なのだろうか。
クレバスにしては、長く続きすぎている。
線は途中で折れ曲がり、母艦の方に少しずつ近づいてきた。
数十メートルの距離まで近づいたところで、ようやく何なのかわかった。
四つ足の動物の足跡だ。
それもかなり大きい。
リガの個室は船の中層階にある。地面からの高さは十メートルほどか。
この高さにもかかわらず、足跡には、肉球と鋭利な五本の爪の形が見て取れた。
少なくともアフリカ象、いやそれをはるかに超える大きさがある。
突然、船内に警報音が鳴り響いた。
〝何の音でしょうか?〟と、リガ。
ぼくの格納庫では整備士たちが一人残らず手近な手すりにしがみついている。
ぼくは気づいた。
〝リガ!すぐに手近なものにつかまるんだ!〟
だが、彼女がベッドのパイプに手を伸ばす前に、母艦がすさまじい制動をかけはじめた。リガはベッドの上で転がり、壁にお尻を叩きつけられた。
大型トラック数千台分かと思うほどのスキール音がなり響き、母艦は雪煙を巻き上げながら二百メートルほど進んで止まった。
警報音が変わる。
隣のギレアドの部屋でドタバタと音がしたあと、誰かがリガの部屋の扉をノックした。
ギレアドの声が聞こえる。
「緊急招集だ!ただちに格納庫に向かえ!」
リガはコートを羽織って部屋を飛び出した。
ギレアドはパイロットたちの個室を叩きまくっている。
ギレアドの部屋から、胸の大きな女性パイロットが出てきた。上半身をはだけているがまったく気にする様子がない。茶色のたっぷりとした髪が滝のように背中に落ちている。
格納庫へ向かうパイロットたちが、「よお!ゆうべもお楽しみだったのかい?」「隊長の精気を絞りすぎるなよ!」と追い越しざまに茶化していく。
ゴージャスなギレアドの恋人は「羨ましかったら、隊長を打ち負かしてあたしを手に入れるんだね!」と言い返した。
彼女は操縦士用の身体にぴったりフィットする〝つなぎ〟に、豊満な胸を捻じ込みながらリガにいった。
「あんた、噂の新入りだろ? 何ぼうっとしてるんだい? さっさと行くよ」
「なにが起きたんです?」
「外の足跡を見なかったのかい? 〝獣〟が出たのさ」
「それで操縦士が集まるということは、いまから巨人を使って狩りをするんですか?」
「狩られるのは、あたしらかもしれないけどね」