少女アップグレード
男はリガの胸ぐらを掴むと、執務室に引きずり込み、ドアを閉めた。
リガはよろめきながらも男に向かってステーキナイフを構えた。
男の手の中にある馬鹿でかいナイフに比べ、あまりにも頼りない。
男は何も言わずに斬りかかってきた。
リガは身をかがめ、転がるようにしてどうにか第一撃かわした。
そのまま四つん這いでダイニングテーブルの下に潜り込む。
が、肩に衝撃があり、弾き出された。
男が蹴りを繰り出したのだ。
迫ってくる男に、リガが必死でステーキナイフを振り回した。
〝助けだ!助けを呼ぶんだ!〟と、ぼく。
リガが叫ぼうと息を吸い込んだところで、男が一気に距離を詰めた。
ステーキナイフを弾き飛ばすと、床に押し倒し、小さな胸の上にのしかかり、大きな手で彼女の喉をしめあげる。
声が出せない。
息ができない。耳鳴りがし、頭がカッと熱くなる。肺が必死で酸素を取り込もうとするが、空気を吸い込むことができない。
リガは両手で男の腕を掴み、引き剥がそうとしたが、男の手はびくともしない。
男がリガの喉に、ぐいと体重をかける。
ぼくはリガの手を動かし、どうにかしようとしたが、うまくいかない。彼女自身の生存本能が手を操っているからだ。彼女の無意識が、ぼくの操作をキャンセルしている。
〝ヴァミ〟〝シュ〟〝ラー〟〝さん〟
リガの思考は途切れ途切れになっている。
ぼくは気づいた。
同意だ。ぼくがリガの肉体を完璧に操作するには、彼女の意識による明確な同意が必要なのだ。
ぼくは叫ぶようにして念じた。
〝「身体を任せる」と考えるんだ!〟
〝どう〟〝して?〟
〝いいから、早く!〟
男が彼女の喉を締め上げながら、もう片方の手でナイフを振りかぶった。
〝ヴァミシュラー〟〝さんに〟〝身体を〟
男がナイフを振り下ろす。
〝任せます〟
瞬間、ぼくはリガの肉体を掌握した。
リガの肉体の体感時間が急激に遅くなる。
彼女の脳の処理速度が劇的にあがったためだ。
ぼくの巨人脳の莫大なメモリを、彼女の脳というCPUが活用しはじめたといえる。いや、ぼくというCPUも計算に協力しているのだから、一種の総合クラウドシステムか。
ぼくはリガとなり、彼女の五感を強烈に味わった。
肌に触れる床の絨毯の感触、窓の外から差し込む太陽のささやかな光、のしかかる体重、酸素を求める身体が生み出す無数の苦痛。
振り下ろされたナイフがゆっくりと近づいてくる。
ぼくはリガの首、いや、ぼくの首を締め上げる手の小指を掴むと、一気にへし折った。
押さえつける力が弱まる。
ぼくは全身の筋肉をバネのように使って、身体を捻った。
さきほどまでぼくの心臓があった位置の床に、刃先が食い込む。
ぼくは左手で男の喉を突いた。
ただの突きではない。巨人脳の莫大な処理能力によって正確無比にコントロールされた突きだ。
広背筋が生み出した力を、僧帽筋、上腕二頭筋がロスなく伝えきり、空気を切り裂く音さえした。
病弱な少女の一撃にしては、やけに重い突きを喰らい、男は身をよじった。
そのすきに、ぼくは男の下から抜け出した。