奴隷大賢者
老将ヘブロンがつぶやいた。
「信じられん」
艦長がヘブロンから身体を離し、コートのフードを被り直した。
「ともかく、これで先に進めるということだ」
ギレアドはまだ呆然としている。
そしてヤズデギルドは、リガに近づくと、彼女を抱き寄せた。
「ありがとうリガ。お前のおかげで帝国の大勢の民が救われた」
リガは唇を結んだ。
その帝国の民のために、彼女の姉、彼女の友達、彼女の街は滅ぼされたのだ。
そして、指揮をとったのは、いま彼女を抱きしめている少女なのだ。
リガは震え声でいった。
「殿下のお役に立てて何よりです」
ヤズデギルドが片方の眉をあげた。
「どうした? 体調でも悪いのか?」
「いえ、ただ、あまりに凄い光景でしたもので」
ヤズデギルドが笑った。
「お前がしたことではないか。まさか、海ひとつを凍らせてしまうとはな。蛮族だというのに、たいへんな知恵者だ」
「そこですぞ、殿下」と、老将ヘブロン。
彼はリガに指を突き付けた。
「小娘、お主、いったい何者だ? なぜこのような知識を持っている? そもそも本当に奴隷だったのか?」
リガは一歩下がった。
「そ、そうおっしゃられましても。カレイキャクのことは、わたしの街では誰でも知っていることでしたので」
「殿下より博識な奴隷などおるものか! 本当のことを吐かしてくれる!」
ヘブロンはそういうと、リガの右手を捻り上げた。
痛みにリガがうめく。
ぼくは格納庫の中で意識を集中した。
もちろん、ぼく本体が助けに行くことはできない。
が、〝ぼくがリガの手を操作する〟という選択肢がある。
先日、ぼくは彼女の手を動かした。
リガはどうすれば関節技から逃れられるのか分からないだろうが、ぼくが右手の動きを掌握すれば脱出できるかもしれない。
だが、ぼくがリガの手を動かす前に、ヤズデギルドがヘブロンの手を押さえた。
「やめよ。お主は見ていないから知らんだろうが、エスドラエロンはたしかに大した都市だった。
お主も知ってのように、〝果てのない平野〟の諸都市は、文明の状態に極端な差がある。知恵をなくした野人が住む都市もあれば、我ら帝国を超える科学力を持つ都市もあると聞く。
エスドラエロンは、武力の面では我らより劣っていたが、文化もそうだったとは限らない。たとえ、人喰いではあってもな」
「し、しかし、この娘はいくらなんでも」と、ヘブロン。
艦長もヘブロンの腕を押さえた。
「あなたの懸念は分かりますが、もし、殿下の推察が正しければ、その娘はたいへんに貴重な存在だ。帝都の一級科学者以上の価値があるかもしれません。あなたのような豪傑が乱暴に扱って、万一のことが起こるのはまずいでしょう」
「おやっさん」ギレアドもいう。「その子は一応、操縦士になる予定なんだ。つまり、俺の部下ってことだよ」
ヘブロンは顔をしかめ、手を離した。
リガがその場にしゃがみ込む。
ヘブロンの声が頭上から降ってきた。
「小娘、わしはいつでもお主を見ておるぞ。尻尾を掴んだら、すぐに叩き切ってくれるわ」
「ヘブロン」と、ヤズデギルドの声。
ヘブロンの足音が荒々しく去っていった。
ヤズデギルドの小さな手がリガを抱きおこす。
「すまないな。あやつは、わたしの養育係だったゆえ、わたしの身の安全となると、過剰に反応するのだ」
「わたしは気にしておりませんから」と、リガ。
「よくできた娘だ」
ヤズデギルドが拳をグーにして、彼女の肩をついた。