脳を支配する卵
ヤズデギルドは頭を振ると、ぼくのコクピットから出て胸部装甲に座り込んだ。
老将と〝先生〟が傍にしゃかむ。
老将がいう。
「殿下!? いかがなされた?」
「少し頭痛がしただけだ。大事はない」
ヤズデギルドはこめかみを指でさすりながら、通路の手すりに縛られているリガを見た。
リガもヤズデギルドを見つめ返す。
二人の視線がぶつかりあう。
ヤズデギルドがぼくの装甲を叩いた。
「先生、この機体のハッチは封印するんだ。操縦士を試乗させる時以外は、決して開けるな」
老将が白髭をかいた。
「あの娘をそこまで警戒なさるなら、やはり処分したほうがよいのではありませんかな?」
「だからこその毒味役だ。さきほどの戦いで山の民を何人か生かしておけばよかったが、あいにく全滅した。次に捕虜を得るまで、毒見役なしというわけにもいかないし、かといって兵にそんな役割は回したくない」
「それでも、気が進みませんなあ」
「〝枷〟があるのだ。そう心配するな」
枷?あまりいい予感はしない言葉だ。
リガもぼくの聴覚を通して、二人の会話を聞いている。
ぼくは彼女の不安を感じ取った。
リガもぼくが彼女を心配するのを気取ったのだろう。
思念で〝わたしは大丈夫です。ヴァミシュラーさんの血をいただいて以降、とても調子がいいんです〟といった。
リガは嘘が下手だ。というか、ぼくたちが嘘をつくのはかなり難しい。なにしろ、互いの心象を感じ取れるのだから。
リガ自身もそれを悟ったのか、本音をいう。
〝すみません。ほんとうは怖いです〟
ぼくは同意の念を送った。
〝とにかく、いまは待とう。君しかぼくに乗れないと納得させられれば、風向きも変わるはずだ。このあとに乗ってくる操縦士は、全員嘔吐してもらうさ〟
リガが小さく笑い、それから複雑そうな顔になった。
〝ヴァミシュラーさん。なんで、ヤズデギルドを殺さなかったんですか?〟
ぼくは正直に答えた。
〝わからない〟
そう、ほんとうにわからないのだ。
リガが頷く。
〝ヴァミシュラーさんも本気だったことはわかってます。
でも、ヴァミシュラーさんにはできなかった。
きっと、わたしのせいです。
ずっと思っていました。敵討ちはわたし自身がやらないといけないって。ヴァミシュラーさんと一つになってないときに、ヴァミシュラーさんに代わりにやってもらってはいけないんです。
そんな気持ちが、ヴァミシュラーさんを邪魔したんだと思います〟
リガが唇を結んだ。
〝大丈夫。お姉ちゃんの仇はわたしが一人でとってみせます〟
いや、たしかにヤズデギルドはリガよりも一回り小さい。
が、リガと違って軍人だし、まわりはみんなヤズデギルドの部下だ。
そんな状況で、病弱なリガが、単独でヤズデギルドを討つ?
ぼくが何かいい手はないかと考えていると、兵士が一人、盆に乗った箱を手にヤズデギルドに近づいてきた。二十センチほどの立方体だ。表面には皇帝の身体にあったのと同じような紋様が彫られている。
ヤズデギルドが「ご苦労」といって受け取る。
彼女が箱の上面に手のひらを当てると、四隅にあったロックが外れた。
蓋が開く。
箱の中身は、二つの球体だった。
うずらの卵ほどの大きさで、一つは真っ黒、もう一つは真っ白だ。
それぞれの卵のてっぺんからは、何本もの鞭毛が生え出し、うにうにと動いていた。
生きているのだ。
ヤズデギルドが白い方をつまみ上げると、後頭部で結んでいる髪を持ち上げ、自分の頭皮に押し付けた。
卵は、鞭毛を彼女の頭蓋に突き刺し、ぬるりと髪の中に隠れた。
ヤズデギルドが黒い方をつまみあげると、箱を持ってきた兵士と老将がリガの身体を押さえつけた。
ヤズデギルドの手の中の黒い卵が、ぶるぶると震える。
彼女がいった。
「これは〝枷〟と呼ばれる生命体だ。巨人と同じように、失われた技術で作られている。機能は単純で、〝白い卵の宿主の身体状況が、黒い卵の宿主にも反映される〟それだけだ。たとえば、白い卵の宿主が街で転ぶ。すると、黒い卵が相手の脳にまで届いている尻尾から〝苦痛〟を放つ」
老将がいう。
「光栄に思うがいい。お前はある意味、姫さまと命を同じくできるのだから」