記憶の奔流、なにもかも終わり
ヤズデギルドが操縦桿を放そうとしたときだった。
ぼくの気が緩んだ。
精神的な疲労が限界にきたのだ。
心の表層を閉し、リガとの接続だけに意識を向けて、割り込みを防いでいたのに、最後の最後で、ヤズデギルドとぼくの脳が〝つながった〟。
ぼくの中に、彼女の記憶と感情が流れ込んでくる。
ごちゃごちゃにもつれあった針金の塊のような、とりとめのない情景。
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髪を剃り上げた美しい顔立ちの男が、幼児の彼女を抱き上げている。
「おお! わずか三歳で巨人との適性を見せるとは。この子には太陽王の血が色濃く流れておるぞ!」
男が身につけているのは、腰巻だけ。
室内全体に強力な暖房がかけられているらしい。
上半身には、青い刺青で不思議な紋様が描かれている。
老将、いや、さきほど現実世界で見たときよりも幾分若く、髭も薄いーーが、「はっはっは!ヤズデギルド様は身体も頑健、頭脳も明晰。陛下は最高の跡取りを得ましたな!」と笑う。
坊主のような男がヤズデギルドを分厚い絨毯に下ろす。
「どうだ? 近いうちにケモシュにのせてみないか?」
老将がまた笑う。
「陛下、それは気が早すぎますぞ。ケモシュは皇帝のみが操れる機体。だいいち、先日の戦いの傷が未再生ではありませぬか。頭部ゆえ、しばらくかかりますぞ?」
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場面が変わる。
幾万の人々の万歳!万歳!という声に、部屋のなかに置かれた水盤の水が揺れている。
さきほどの坊主頭の皇帝が、バルコニーに立ち、民衆に向かって赤ん坊を掲げている。
ヤズデギルドが部屋の中で、老将のマントの裾を握った。当時の彼女は七歳ほどか。
「じい。なぜ、わたしはここにいる? なぜ父上の隣でないのだ?」
「それは、その、今日は正当なる後継者のお披露目ですゆえ」
「わたしは、もう父上の後継ではないのか?」
「そのようなことは決して。ただ、弟君様の母上の方が、序列が高いため、弟君さまの継承権が上に来るのです」
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また別の場面。
「わたしの、婚約者、ですか?」
彼女の母、薄手のドレスでグラマラスな身体を包んだ美魔女がいう。
「その通りです。ファルサイラ家の長男よ。まだ九歳ながら麒麟児として名を馳せているとか」
「母上、わたしは父上の後継者となるべく、努力を重ねているのです。結婚などごめん被ります」
「後継者?あなたが?」母親が笑った。「そんな男言葉を使って戦場に出ても、継承権が上にあがるとでも? 無意味なことはおやめなさい。母となり子を産むのです。あなたとファルサイラの子は、序列が高い。いずれ、その子の血統から皇帝が出る可能性もあるのですよ?」
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老将がヤズデギルドの両肩を掴んだ。
「殿下の努力が実を結んだのですぞ!」
「まさか。そんなことがあるのか? 我ら公子の継承権はすべて横一線だと?」
二人がいるのは、どこかの格納庫だ。赤い巨人の磨き上げられた装甲に、ヤズデギルドの姿が写っている。歳はいまとほぼ変わらない。
「わたくしが思うに、やはりあの馬鹿者とて、いや失礼。陛下とて、心のどこかで殿下を後継になさりたかったのです。そうでなければ、いくら周辺諸侯の圧力があったとて、このようなおふれは出しますまい。陛下はおっしゃられました。民のためにもっとも尽くしたものを選ぶと」と、老将。
ヤズデギルドは頷いた。
「わたしは常に民のために戦っている」
「その通りですな。つまり、殿下は殿下のままあればよいのです!」
老将がワハハ!と笑った。
「しかし、これからはいっそう暗殺に気をつけなければなりませんなあ。弟君、妹君にとって、殿下はたいへんな脅威となりましたからなあ」
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ヤズデギルドは朱色の機体を駆り、崩れ落ちた都市を進んでいる。リガやぼくがいたところではない。どこか、また別の巨大都市だ。
巨人の足元には、奇妙に焦げ、ねじれた人の遺体が山のように転がっていた。
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ぼくは大慌てでヤズデギルドとのリンクを遮断した。
半ばパニックになりながら、強引に両の手を操縦桿から離させたのだ。
そして、自分がなしたことに驚いた。
ヤズデギルドの体を操ったのだ。
一瞬とはいえ、人間が巨人にそうするように、人間を操ってみせた。
ヤズデギルドは怪訝な顔をして両の手を見ている。
ぼくは祈った。
もし、ぼくが彼女の記憶を垣間見たように、彼女もぼくの記憶を見ていたら、なにもかも終わりだ。