毒見係になりました
ヤズデギルドのコートの下は、身体にぴたりと張り付く伸縮素材の衣服だった。胸元や肘周りの凹凸からみて、内部には薄い装甲板が仕込まれているらしい。色は赤だが、ところどころ白や黄色が混ざる。補修を繰り返しながら使っているのか。
腕、脹脛、太もも、脇腹、あらゆるところにはポケットがあり、なんだかわからない筒状のものが収まっている。これらのポケットは後付けのようだ。布地は擦り切れ、てかてか光っていた。
服全体の印象としては「近未来的なデザインの超古い服」だ。
彼女は身軽に手すりを飛び降りると、滑るような動きでぼくのなかに潜り込んだ。
「殿下!」と老将が通路からいう。
「心配するな」ヤズデギルドが微笑む。「さて、蛮族の巨人よ、果たしてお前はわたしに従うのか?」
彼女が操縦桿を握ろうと両の手を開く。
リガから、強烈な思念が伝わってきた。
彼女は姉の復讐を望んでいる。
わかっている。
もちろんわかっている。
ぼくの脳の出力を全開にすれば、ギレアドのとき以上の結果を生むことができるだろう。
ぼくの巨人脳が、身体的イメージを脳の共有相手にぶつければ、それは現実となる。
ギレアドのときは、胃をひねるイメージだった。
ぼくはギレアドの内臓に、物理的に干渉したわけではないが、ギレアドの脳はリアルすぎるイメージを現実のものと処理し、身体に影響が出た。
人間の脳は不思議なものだ。
ぼくが製薬会社に勤めていた頃、クリフトン・メドア博士による「ノーシーボ効果」の論文を読んだことがある。有名な「プラシーボ効果」の逆だ。
論文では、数多くの臨床例が取り上げられていたが、とくに興味深かったのは、癌の告知を受けたとある女性患者についての報告だった。患者は余命半年との告知後に激しく動揺し、気力を失い、みるみるうちに弱って三ヶ月で亡くなった。ところが、患者の死後、癌だという告知そのものが誤っていたことが判明した。検査結果の取り違えにより、患者は癌でないのに癌だと診断されていたのだ。
じっさいは癌ではない。
なのに、患者はたった三ヶ月で亡くなった。
〝思い込み〟には人を殺すだけの力があるのだ。
そして、ぼくの脳はヤズデギルドの脳に〝思い込ませる〟ことができる。
仮に、首が三百六十度曲がる様を描けば、彼女の首は現実にねじ砕けるだろう。
リガの憎しみがぼくの中に流れ込み、大暴風を引き起こしている。
考えるだけだ。
ただそれだけでアリシャの仇をうてるのだ。
都市の人々の仇をうてる。
ヤズデギルドが操縦桿をガチャガチャ揺らした。
「なんだ? まったく同期しないではないか」
コクピットのふちから、〝先生〟と老将の顔がのぞいた。
先生がいう。
「殿下! 早く出てください。殿下に万一があれば軍団は終わりなのです」
「いや、それがまるで反応しないのだ。こんなことは初めてだ。わたしが巨人とつながれないとは」
考えるだけでヤズデギルドを倒せるのに。
ぼくは何をしているんだ?
なぜ必死で心の表層を閉ざそうとしているのか。
倒してしまえば、高確率でリガもぼくも死ぬ。それを恐れているのか。
それとも、リガの心の奥底にある優しさが復讐を止めたのか。
あるいは、ぼく自身が地球で育んできた倫理観のせいかもしれない。たとえ、人殺しだったとしても、ヤズデギルドのような少女を手にかけるのは、ぼくの世界ではありえないことだ。
ヤズデギルドが先生と老将にいった。
「わたしではダメだ」
老将がうなずいた。
「では、軍団の操縦士全員に試させてみるとしましょう。その間、あの娘はいかがしましょう。営倉に入れておきますかの?」
「いや、わたしの下に付ける。この間、第二毒味係が死んだばかりだからな。後任にちょうどいい」