ダイソン球の外にも世界はある(食料問題の冴えた解決策)
見渡す限りの大雪原だ。
リガが食べるものはどこにもない。
意識を取り戻したリガは、座席にもたれながら、どうにか片手で操縦桿を握った。
「心配かけてごめんなさい」
彼女が片手で強烈に前進を念じた。
ぼくの足が前方に向かって動き出す。
彼女の思考は飢えでぼんやりとしているが、それでも、帝国への復讐心が伝わってきた。
雪原に残った轍に沿って進み続ける。
ぼくはコクピット内の温度をあげていたが、肝心の食料がないので、リガの体力は衰える一方だ。
思えば、二人揃ってバカなことをしたものだ。
怒りに駆られて、なにも考えずに帝国軍を追ってしまった。
大誤算だったのは、キャタピラ式であろう敵の母艦の速さだ。
ぼくは最低でも時速六十キロ近くは出しているのに、未だに追いつかない。
敵は、米軍のエイブラムス戦車のように、ガスタービンエンジンでも積んでいるのか? 熱が何より貴重な世界であんな燃費の悪いものを?
リガがいった。
「ヴァミシュラー、あなたのいた世界の話をもう一度聞かせてください。〝夏〟をお願いします」
「ああ、ぼくがいた日本という国は、四つの季節がある。この世界は〝冬〟だけだけど、ほかに春、夏、秋があるんだ。冬がいちばん寒く、夏がいちばん暑い。太陽は強烈にぎらつき、路面のアスファルトからは熱気が立ち上るんだ。外にいる人は、みんな汗だくだ。子供たちは縁側でかき氷を食べる。氷を粉々に砕いて、甘い汁をかけた食べ物だ」
かき氷のくだりで、リガが前と同じくクスクス笑った。
「氷を喜んで食べるだなんて」
「外が暑いと冷たいものが、最高に美味しく感じられるんだよ」
「夢みたいな世界なんですね」
彼女の気力はすごいが、体力は限界に近い。
都市に引き返すか?
超流動体に覆われたので、食料が残っていれば完璧に冷凍保存されているはずだ。
嵐さえおさまれば、なにかしら回収できるだろう。
ただ、ここまで五日かかっているから、戻るにも五日かかる。
リガが持つだろうか。
ぼく自身も怪しい。
都市の格納庫では、定期的に燃料か液体食料めいたものが、腹部のハッチから体内に流し込まれていた。半ば生物兵器なだけあって、エネルギー効率が相当に高いようだが、補給は必要なはずだ。
風が哀しげな音を立ててぼくの耳元を通り過ぎていく。
雪原には本当に何もない。
都市のそばにはウサギに似た生物がうろついていたが、ネズミ一匹見つからない。
「この世界にも〝あたたかな土地〟があるんですよ」リガがいった。「といっても、御伽噺なんですけどね。わたしがまだ小さかったころ、おねえちゃんが話してくれました。人が人生百回分歩き続けて、ようやく辿り着ける場所に、それはあるんだって。死んだ人は、みんなそこにいって幸せに暮らしているんだそうです。わたしの両親も、お姉ちゃんの両親も、そしていまはお姉ちゃんも。
ひょっとしたら、ヴァミシュラーさんのいた世界は、そこなのかもしれませんね」
「いや、たぶん違う。ぼくがいた世界は〝地球〟といって、宇宙に浮かんでいる星だった」
「地球? 宇宙? 浮かぶ? 雲の向こうの大地に〝海〟が見えることがありますが、〝宇宙〟とは海で、〝地球〟とは島という意味ですか?」
「いや、そうじゃなくて。君はこのダイソン球が世界のすべてと思っているみたいだけど、ここの外にも世界は広がっているんだ。ここよりもずっと寒くて、ずっと広く、ずっと暗い〝宇宙〟だ」
「この世界の、外?」
とても信じられないという雰囲気。
ぼくは一瞬、もう片方の手で操縦桿を握るよういおうかと思った。
精神が完全にシンクロすれば、記憶を見せ合うことができる。前回は精神状態がめちゃくちゃだったので、大きな情報しかやりとりされなかったが、意識すれば特定の記憶を見せることもできるはずだ。
春先の横浜の透き通った青空、秩父の燃えるような五月の新緑、那須高原の満天の星空と天の川、
リガが見ればさぞかし感動するだろう。
だが、一体化は精神を疲弊させる。
気力だけでもっている彼女にそんな負担を強いるわけにはいかない。
「ヴァミシュラーさんって、おもしろいですね」
リガはつぶやくと、また気を失った。
彼女の意識が完全に喪失するまでの僅かな間に、ぼくは雪原に片膝をついた。転倒を免れた、と安堵したところで、体の自由が効かなくなった。
猶予はない。
この調子では、彼女は二日ともたないだろう。
なんとかしないと。
ぼくの巨人脳は焦りつつ、同時に不思議に思った。
どうしてぼくは、これほどまでにリガを心配するのだろうか。
たしかに、彼女と姉のアリシャは恩人だし、ぼくは病気がちなリガを気にかけてもいた。
しかし、いま、ぼくは最愛の家族が死にかけているような気分でいる。
心を通わせたことが影響しているのだろうか。
巨人脳が高速でまわりはじめた。
論理的に考えよう。
リガにはカロリーが必要だ。
周囲百キロ四方に食料はなさそうだし、動植物も見当たらない。
雪原に立っているのはぼくだけだ。
ぼくたちしかいない。
リガと、ぼくだけ。
唐突に、解決策が降りた。
いままで気づかなかった自分の間抜けさに笑ってしまう。
⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎
彼女が目覚めて操縦桿を握るや否や、ぼくは拳を雪原に叩きつけた。
莫大な体重ののったパンチは、積もっていた雪を吹き飛ばし、分厚い氷を割り、小さなクレーターを作った。
ぼくはナイフのように鋭利な氷のかけらを右手で握ると、左の小指の装甲の継ぎ目に押し当て、思い切りよく引いた。
【読者のみなさまへのお願い】
「面白い」と思った方は、
広告の下にある☆☆☆☆☆からの評価や、ブクマへの登録を、ぜひお願いいたします。
正直、この作品はSFアクションというマイナージャンルなうえに、非テンプレ展開ですため、書籍化はまず難しいかと思います。
毎日ちょっとだけ増える評価やブクマが執筆の励みですため、何卒よろしくお願いいたします。