覚醒
精神逆流防止機構が止まった瞬間、ぼくはリガになった。
いや、これまでも彼女の肉体の目を通した視覚を得ていたし、彼女の耳を通してコクピット内の音を聞いていた。彼女の心の表層を流れる感情すら感じ取っていた。
だが、いま感じているそれに比べれば、映画と現実ほども差がある。
そう、人の目を通してみる視界とはこういうものだった。
リガの眼前には、ボロボロのモニターがあり、白い巨人の姿が映し出されている。
彼女の目は、ぼくの巨人の目に比べ、分解能が低い。巨人のぼくの感覚としては、モニターの端の小さなボルトについたホコリまで見分けられるはずだったが、人間の眼ではボルトのネジ山を認識するので精一杯だ。
視界の端は涙で歪んでいる。
コクピット内にはドクドクドクと音が響いていた。血管を通じて伝わる、ぼくの鼓動音だ。意外とスローリーだが、これはぼくの脳が超高速で回転し、時間感覚が伸びているせいだろう。
グルグルいうのは内臓か? パキパキいうのは関節? 巨人の耳と違って、音を完璧に個々に分離して認識することができない。全体がひとつになって、ぐわあんと唸って聞こえる。
身体全体の感覚もずいぶん違う。
リガの身体は力感というものがない。
装甲のない皮膚はやわらかく、わずかな衝撃を受けただけで引き裂けそうだ。
筋肉は少ないし、骨だって折れそうなほど細い。
おまけに、息をするだけで疲れるような感じがある。
人間とは、なんと頼りない存在だったのか!
それでいて、荒れ狂う猛吹雪ですらかき消しそうなほどの感情の大火焔を秘めている。
ぼくはあまりのエネルギーに吹き飛ばされそうだった。
ぼく自身は人間の心を完璧に保っていると信じていたが、巨人の身体に入って変質していたのだ。巨人という鎧を着込み〝鈍っていた〟といっていいかもしれない。
それが、いきなり生身の脳に戻された。
火災現場に飛び込んだ消防士が、耐火服をひっぺがされるようなものか。
ぼくの心は、リガの心となり、激しく焼き焦がされている。
脳。そう、鍵は脳なのだ。ぼくは超人的思索力を持つ巨人脳で思った。精神感応とは〝脳の共有〟だ。空中にふわふわ浮いている魂がひとつになるわけではない。
精神とは脳内のニューロンを流れる電流の固有パターンだ。精神の共有とは、互いの脳内に相手のパターンが発生することなのだ。
いま、ぼくはリガの脳を使って、彼女の頭蓋内にぼくの意識を作り出している。しかし、彼女の頭蓋内には彼女本来の意識もある。
同様に、ぼく本来の巨人脳には、ぼく本来の意識と、作り出された彼女の意識がある。
二つの脳に計四つの意識。これらは量子トンネル効果でつながり、一つの意志として働く。
ぼくはリガであり、リガはぼくだ。
といっても、統合は完璧ではない。
こうして思考する〝ぼく〟がいるし、〝リガ〟という個の存在も感じる。〝リガ〟は、ぼくという存在に衝撃を受けはしたが、ごく自然に受け入れている。彼女はぼくなのだから、自分自身を受け入れるようなものなのか。
ぼくたちは一つでありながら、一つでない、1.5重人格とでもいうべき状況なのだ。
「リガ、大丈夫。わたしがずっといっしょにいてあげるから」
ふいに、ぼくは自分の頭をなでるアリシャの姿を思い出した。
アリシャは幼い。まだ6歳か7歳ほどにしか見えない。
額から血を流しながらも、小さいぼくを抱きしめる。
これは、リガが持つアリシャの記憶だ。
続いて、ぼくが持つ記憶が蘇る。
アリシャの身体が衝撃波によって空高く吹き飛ばされていく。
高く、高く、そして消える。
リガの心のなかで、無力感と憤怒が爆発した。
彼女の哀しみは、ぼくの哀しみ。
彼女の怒りは、ぼくの怒りだ。
時間の流れが急速に元に戻っていく。
仁王立ちになった白い敵巨人が、仰向けのぼく目がけ槍を振り下ろしている。このままいけば、刃がコクピットを貫く。
ぼくは〝自分の意思〟で、右腕を動かし、猛烈な速度で迫ってきた刃先の根本を掴んだ。
やっと主人公が動けました!
次回からハイパーお仕置きタイムとなります。